恋の話に残るのは、渡しそこねた言葉です。
言えたはずの「ごめん」、開けられないままの箱、書けなかった返事。
Lacrima に集まった恋愛の泣ける話を読み返していると、涙の出どころがどれも似ていることに気づきます。
悲しいから泣くのではありません。
相手が最後まで自分のことばかり考えていたと、あとになって知るから泣くのです。
ここでは十八本を四つに分けて並べました。
言えないまま終わった言葉。あとから見つかった手紙と日記。病を知ってからの二人。それでも前を向いた恋。
短いもので四百字、長いもので二千字ほどですから、通勤の途中でも読み切れます。
順番に読む必要はありません。いまの自分に近い扉から開けてください。
言えないまま終わった言葉
最初の四本は、謝る機会を失った側の話です。
どれも喧嘩や意地といった、ありふれた入口から始まります。
その日常の軽さが、結末の重さをつくっています。
届かなかったごめんは、些細な言い争いのまま彼女を送り出した夜の記録です。
返信が途絶え、一時間後に彼女の番号から着信が入ります。
受話器の向こうにいたのは、知らない女性でした。
崩れ落ちた手のなかで、携帯が一度だけ震えます。
彼の真意では、溶け残りの味噌ごと味噌汁を飲み干した彼が、やがて「まずい」と正直に言うようになります。
優しさが薄れたのだと決めつけた語り手が、別れたあとでその言葉の意図に行き当たります。
手料理をめぐる、遅すぎた気づきの話です。
厳しさに見えたものが何だったのかは、最後の数行まで伏せられています。
わずか1.5メートルの後悔は、意地を張って別々の布団で眠った翌朝に、一九九五年一月十七日が来ます。
瓦礫越しに「大丈夫だからね」と強がる声を、彼は最後まで掘り出せませんでした。
震災の記憶と、前夜の喧嘩の悔いが同じ場所で重なります。
一メートル半という距離が、そのまま題名になっています。
彼女に会いに行きたいは、四百字あまりのいちばん短い一本です。
「いつかまた迎えに行く」と言い残して四年、連絡は本人からも家族からも来ませんでした。
葬儀の日に母親が教えてくれたのは、枕元に置かれていた古い手紙のことでした。
短いのに、読み終えてからのほうが長い一本です。
あとから見つかった手紙と日記
次の五本は、本人がいなくなってから読まれた文字の話です。
生きているうちには渡らなかった言葉が、遺品や小包のかたちで届きます。
この棚がいちばん読まれています。
彼の遺した日記は、酷い言葉で振られ音信不通になった彼の日記が、友人の手から届く話です。
病室で綴られていたのは日記というより、彼女のことばかりでした。
その日記が病院のごみ箱から見つかった、という一文が効きます。
読ませないために捨てられたものを、友人が拾って届けたことになります。
彼女が遺した手紙は、プロポーズの二日前に風呂場で倒れた恋人の話です。
病室のベッドで指輪をはめた彼女は、「ありがとう、ごめんね」としか言いませんでした。
所持品を整理する手が、メモ帳に挟まれた一枚で止まります。
遺言というより、これからの相手に向けた申し送りでした。
彼女に宛てた手紙は、全文が二十歳の彼の書いた手紙そのものです。
弱音と願いが乱れたまま並び、最後に「覚えといてください」と頼みます。
説明がないぶん、読む側が受け取り手の位置に立たされます。
乱暴な言葉づかいのまま結婚を諦める段落が、この一本のいちばん強いところです。
彼女の嘘は、寝坊、はぐれた海遊館、割れたペアマグと、愚痴のかたちで思い出が並びます。
軽い口調が途中から静かに向きを変えます。
「病気は治った」という嘘の理由を、彼は高校生になってから知ります。
最後に届く小包の中身が、彼の次の恋の合図になります。
宝物ボックスでは、幼馴染に取り上げられたペンダントが、彼氏へのお詫びに使われたはずでした。
二か月後、彼女の部屋の箪笥の上に、汚い字で書かれた箱が置かれています。
中の消しゴムと鉛筆の端に、薄く名前が残っていました。
名前の持ち主は、それまで一度も選ばれた覚えのない人でした。
病を知ってからの二人
三つめは、残された時間を数えながら過ごした四本です。
悲劇として書かれていないところが、この棚の特徴だと思います。
二人が何を選んだかのほうが、ずっと長く残ります。
忘れられない暗証番号は、「結婚できない体だから」と泣きながら電話をしてきた彼女に、それは条件ではないと答えた人の話です。
余命を告げられてから二人が選んだのは、新婚旅行の手配と「結婚しました」の葉書でした。
本題は最後の十数行にあります。
二人で決めた四桁の数字が、思いがけない紙の上に並びます。
残りの一年では、大事な話があると互いを呼び出した二人が、同時にメールを送信します。
片方は余命の告白、もう片方は妊娠の報告でした。
読み終えた彼女の第一声が、この話の全部です。
似たもの同士だね、と笑うところから残りの一年が始まります。
幸せの在り処は、子どもが産めなくなったと知った彼女が、泣きながら別れを告げるところから動きます。
無職だった語り手が返したのは、未来まで失くさないでくれという言葉でした。
遠距離のまま続いている、静かな現在地の話です。
結婚も同居もしていない二人が、それでも幸せの置き場所を見つけています。
憶えていてくれるかなあでは、病室に持ち込んだノートパソコンで、彼女が掲示板の書き込みを楽しみます。
「この三の人、私が居なくなっても憶えていてくれないかなあ」。
彼がいまもF5キーを叩き続けている理由が、そこにあります。
見知らぬ誰かの記憶に彼女を残そうとする、風変わりな弔いの話です。
それでも前を向いた恋
最後の五本には、続きがあります。
受け入れられた記憶や、託された願いが、その後の人生の向きを決めています。
読み終えたあとに息がつける並びにしました。
生まれつきは、足の痣と火傷の痕を隠したまま半年が過ぎた恋の話です。
初めて見た彼は息を飲み、それから「辛かったでしょ」と何度も撫でました。
感覚のない肌に、言葉のほうが先に届く場面です。
自分にも生まれつきのものがある、と続けた彼の返しが効きます。
ほら、笑いなよ!では、いじめられて泣いていた教室で、「笑ってるあんたの顔が好き」と声をかけた彼女が出てきます。
告白を決めた卒業式の三日前に、その席は空きます。
同窓会で事実を知らされるまで、彼は泣くことができませんでした。
泣かずに笑い続けた二年の意味が、そこで裏返ります。
彼女の導きは、医学生だった彼が突然に恋人を見送る話です。
葬儀で母親が伝えたのは、「私のような人を沢山救ってね」という最後の言葉でした。
いまの彼の職業が、その返事になっています。
夢に出てくる笑顔だけが、いまも彼の道しるべです。
灯り続ける希望の光は、月収七万円、白飯にふりかけだけの日々に、東京から彼女が会いに来る話です。
二十歳の誕生日に渡せたのは、手作りのキャンドル一本でした。
七年後、それが最高の贈り物だったと本人に言われます。
貧しかった時期を一緒に越えた相手だけが言える一言です。
脳内フィアンセは、三十歳まで独身だったら結婚しよう、という冗談の約束から始まります。
本気だったと気づいた一か月後に、彼女は先に旅立ちました。
引きこもった彼を毎週引っ張り出した友人夫婦のほうが、実はこの話の主役です。
守れなかった約束の代わりに、彼は別の約束を果たそうとしています。
読む順番に迷ったら
最初の一本に迷うなら、「あとから見つかった手紙と日記」から開けてみてください。
恋愛の泣ける話のなかでも、読後にいちばん長く残る棚です。
疲れている日は、最後の五本のほうが向いています。
どの棚から入っても、最後に残るのは同じ後悔と同じ祈りだと思います。