脳内フィアンセ

公開日: ちょっと切ない話 | 友情 | 恋愛

婚約指輪(フリー写真)

もう十年も前の話。

俺が京都の大学生だった頃、男二人、女二人の四人組でいつも一緒に遊んでいた。

そんな俺たちが四回生になり、めでたく全員就職先も決まった。

「もうこうしてみんなで遊べるのも残り僅かだなー」

と四回生の後期は話していたなあ。

そして卒業が近付いて来た二月頃、急に四人の内の二人が「結婚する」と言い出した。

俺を含む残り二人は、びっくりしつつも心から祝福したよ。それに凄く羨ましかった。

残された二人で、

「何か羨まし過ぎるから、俺たちも結婚しようか?」

なんて言っていたら、

「じゃあ、お互い30歳になってもまだ独身だったら結婚しよう」

という話になった。

ありがちな話で恥ずかしいんだけどね。

そんなこんなで俺たちが25歳になった頃。

暫く振りに仮フィアンセ(笑)に会った。

「あと5年で結婚するハメになっちゃうよ。結婚の予定ないのかよ」と聞いたら、

「全くナシ」だって。

お互い笑いつつも、俺は少しホッとしていた。

この時『あ、俺本気でこの娘に惚れてるのか!』と気が付いた。

その一ヵ月後くらいかな。脳内フィアンセが交通事故に遭ったのは。

即死だった。もうだめ。半狂乱みたくなっちゃって。仕事も長期休暇になった。

何もする気にならなくて、完全に引き篭もり化してしまった。

そんな俺を助けてくれたのは、例の夫婦だった。

他県に住んでいるのに毎週、俺の様子を見に来てくれて。

偶には仕事休んでまで来てくれて。

「うっとーしい!もう来ないでくれ!」

なんて言ってしまっても懲りずに来てくれて。

無理矢理、一緒に酒を飲みに連れ出してくれて。

俺が何とか仕事に復帰した時なんか、号泣してくれちゃって。

考えたらあいつらだって俺と同じくらい悲しかったはずなのに。

今は毎晩思うよ。ありがとなって。本当にありがとなって。

お前らに見捨てられてたら俺、狂い過ぎて自殺していたかもしれない。

救ってくれてありがとな。

そんで、脳内フィアンセよ。

もうとっくに30歳は過ぎちゃったけど、俺結婚することになったよ。

だから約束は守れない。

まあ半分以上、冗談みたいな約束だったけどな(笑)。

見ていてくれよ。あいつらに負けないくらい仲の良い夫婦になってやるからさ。

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