
伯母がその名を声に出したのは、後にも先にも、一度きりだった。
いま私は、その二文字を、逆さに彫っている。
柘植の印材は、爪を立てれば跡が残るほどに柔らかい。
けれど彫った字は、彫るそばから逆を向く。
判子屋の字は、みな逆さを向いている。
読むためには、一度、朱に沈めて、紙に押しつけなければならない。
それを最初に教えたのは、伯母だった。
※
昭和四十七年の春に、私はこの町へ来た。
十六だった。
母は前の年の暮れに家を出て、父は名古屋の工場へ住み込みで入った。
残された私を引き取ったのが、父の姉である伯母のキヨだった。
川と橋しかないような町だ。
冬になれば屋根の雪は一日で人の背丈になり、朝から晩まで、町じゅうで雪を落とす音が鳴っていた。
その町にただ一軒の活版印刷所を、伯母は一人で回していた。
看板には「清野活版」とあった。
「活」の字だけ、雨で下半分が流れて、白木が覗いていた。
戸を引くと、まず鉛の匂いがした。
鉄でも土でもない、冷たくて、少しだけ甘い匂いだ。
壁は天井まで棚になっていて、棚には何万本という活字が、字ごとの小箱に立っていた。
「い」の箱、「ろ」の箱、「一」の箱。
よく使う字の箱ほど、縁が手で擦れて丸くなっていた。
伯母は四十を少し越えていた。
背は私より低いのに、手だけが不釣り合いに大きかった。
指の腹は鉛の粉で灰色に染まって、どれだけ石鹸で洗っても白くはならなかった。
「お世話になります」
そう頭を下げた私に、伯母は「ふん」と言った。
それだけだった。
来て三月ほど経った日、机の上に葉書が一枚置いてあった。
母の字だった。
元気か、とだけ書いてあって、差出人の住所は書いていなかった。
伯母は何も言わなかった。
私はその葉書を、教科書のあいだに挟んだ。
挟んだまま、返事の宛先がないことに、しばらく気づかなかった。
その晩の夕飯で、伯母は私の茶碗にだけ、卵を落とした。
自分の飯には落とさなかった。
「伯母さんは」
「わしは、卵は好かん」
それから十年、伯母が卵を食べるのを、私は一度も見なかった。
その冬、印刷所は鼠に困っていた。
刷り上がって重ねてあった紙の隅が、朝になると三角に欠けている。
伯母は欠けた紙をめくって束から抜き、黙って竈にくべた。
十枚に一枚が薪になった。
十二月の、雪の重い朝だった。
裏の紙置き場で、みかん箱の中に子猫がいた。
白い猫だった。
鼻の脇に、墨を一滴だけ落としたような黒い点がひとつある。
抱き上げると、思ったより軽くて、腹だけが熱かった。
土間へ入っても、伯母は活字を拾う手を止めなかった。
「その猫は、お前のもんじゃ」
顔も上げずに、それだけ言った。
私は許されたのだと思った。
あとになって思えば、あれは許しではなかった。
名前はその日のうちに決めた。
鼻の脇の点が、活字の読点によく似ていたからだ。
テン。
呼ぶと、顔は動かさずに、耳だけがこちらを向いた。
年が明けて、私は妙なことに気づいた。
作業場の引き戸の下の板が、猫の背の高さだけ、四角く切り欠かれていた。
そこをテンが、腹をすって出入りする。
「前からあったんじゃ」
伯母はそう言った。
私は、そんなものかと思った。
※
春になると、伯母は私に文選を教えはじめた。
左手に原稿を持ち、右手で棚から活字を一本ずつ拾い、文選箱に並べていく仕事だ。
活字の字は逆さで、しかも鏡に映したように裏返っている。
慣れるまでは、自分の名前ですら読めなかった。
伯母は私の後ろに立ち、何も言わずに見ていた。
私が「町」の字を三度も取り違えたとき、はじめて口を開いた。
「字は、拾うもんじゃ」
「呼ぶもんじゃない」
意味はわからなかった。
わからないまま、私は棚と箱のあいだを一日に何百回も往復した。
三月ほどで、指のほうが先に字を憶えた。
目をつぶっていても、「の」の箱の縁の丸さで場所がわかるようになった。
棚の板がたわんだ日、伯母は鉋を持ち出して削り直した。
伯母は鉋を、左手で引いた。
左から右へ、斜めに。
木屑が私の膝に落ちて、まだ温かかった。
梅雨の入りに、テンがはじめて鼠を捕った。
朝、土間に下りると、伯母の下駄の上に、それが置いてあった。
私は悲鳴を上げた。
伯母は悲鳴も上げずに、新聞紙で包んで裏へ持って出た。
戻ってきて、下駄を井戸端で洗った。
そして、濡れたままの下駄を、また履いた。
「捨てんの」
「まだ減っとらん」
その日から、刷り上がりの紙の隅は、欠けなくなった。
伯母は紙を竈にくべなくなり、代わりに、竈の火の前で背を丸めて茶を飲むようになった。
テンは、その背中と竈のあいだに座った。
伯母は、どけなかった。
その年の夏の昼だ。
昼休みは、平台機のわきの板の間で、伯母は必ず三十分だけ横になる。
機械の余熱で、板の間は夏でも人肌より少しぬるい。
呼びに行くと、伯母は目を開けたまま天井を睨んでいた。
腹の上で、テンが丸くなっていた。
「いつまで寝とるんじゃ」
伯母は言った。
「腹が焼ける」
私は声を上げて笑った。
「伯母さん、動けんね」
「動けんことがあるか」
そう言いながら、伯母は右手を腹の脇に置いたまま、指一本、動かさなかった。
三十分が過ぎて、機械の油差しの時間になっても、伯母は起きなかった。
テンが自分から降りるまで、伯母はずっと天井を睨んでいた。
不思議なもので、テンは私よりも伯母になついた。
昼は文選台の下の座布団。
夜になると、必ず二階の伯母の部屋へ上がっていく。
二階へ上がる階段は急で、板が反っていて、私でも手すりがいる。
それをテンは、一段ずつ跳ねるようにして上がった。
それでも伯母は、一度も名前を呼ばなかった。
「おい」
「そこの」
呼び方は、いつもそれだけだった。
秋になると、香典返しの礼状を組む仕事が増えた。
この町では、秋から冬にかけて、年寄りが多く旅立つ。
礼状の文面はどれも同じで、変わるのは差出人の名前だけだ。
文面は私が組み、名前のところだけは伯母が組んだ。
名前の活字を拾うとき、伯母の手つきは変わった。
ふだんは箱から拾って、そのまま文選箱へ置く。
一秒に一本、拍子木のような音がする。
けれど名前だけは、一度、手のひらに載せた。
そして指の腹で印面を撫でてから、そっと置いた。
「なんで名前だけ、そうするん」
一度だけ訊いたことがある。
「名前は、人の代わりじゃ」
伯母は言った。
「代わりのもんを、放るもんじゃない」
秋になって、私は伯母の前掛けを洗おうとした。
ポケットに硬いものが二つ入っていた。
活字だった。
二本とも、印面が擦り切れて、字が読めなくなっていた。
「摩耗もんじゃ」
伯母は言った。
「捨てるつもりで入れとる」
それから何年経っても、伯母はその二本を捨てなかった。
※
十七の冬、私は学級だよりで誤植をやった。
「先生」を「先性」と組んだ。
五百枚を刷ってしまってから気づいた。
青くなって伯母のところへ持っていくと、伯母は一枚を電球にかざして、それから言った。
「刷り直しじゃ」
紙代は、その月の稼ぎの半分になった。
夜、伯母は詫び状を組んだ。
差出人の名前のところに、伯母は自分の名を組んだ。
私の名前は、どこにも入っていなかった。
「わたしが間違えたのに」
「拾うたのはお前でも、置いたのはわしじゃ」
伯母は言った。
「文選は、二人で一本じゃ」
十八の秋、隣町にオフセットの工場ができた。
写真で版を作るのだという。
字を拾わずに済む。
その年、清野活版の仕事は半分に減った。
町の広報も、農協の帳票も、隣町へ流れた。
残ったのは、香典返しの礼状と、店の名刺と、小学校の学級だよりくらいだった。
冬の初め、私は名古屋の職業安定所の紙を、伯母の前に置いた。
「わたし、名古屋に行く」
伯母は活字を拾う手を止めなかった。
拾って、置いて、拾って、置いて。
その音が十回ほど続いてから、伯母は言った。
「引き取ったが、飼うたつもりはない」
行きたければ行け、という意味だと、私は受け取った。
その晩、私は二階に上がらず、文選台の下の座布団でテンを抱いて泣いた。
テンは私の顎の下で、しばらく喉を鳴らしていた。
それから、するりと抜けて、階段を上がっていった。
一段ずつ、跳ねるようにして。
職業安定所の紙は、炬燵の上に置いたまま、日に焼けて反った。
そのうち、どこへやったのか分からなくなった。
それから七年、私は同じ町にいた。
活版の仕事は減り続けたが、伯母は棚の活字を一本も売らなかった。
テンは十になった。
昼は文選台の下、夜は二階。
階段の上がり方だけが、年ごとに、少しずつ遅くなった。
テンの様子がおかしくなったのは、その冬だ。
まず、鼻が詰まった。
息をするたびに、湿った笛のような音がした。
町には猫の医者などいない。
牛を診る大川さんに、頼み込んで往診に来てもらった。
「風邪じゃな」
大川さんはそう言って、注射を一本打った。
「じきに治る」
前の年、同じ風邪を五日で治した猫だ。
私も伯母も、そう思っていた。
三週間が過ぎても、笛の音は止まなかった。
階段の三段目で、テンは座り込むようになった。
そこから上がらずに、しばらく息をして、また下りてくる。
大川さんは二度目の往診で、少し長いあいだ、テンの腹を触っていた。
「生まれつき、血が薄いんじゃ」
そう言った。
「この子は、はじめからそういう体じゃ。よう十年ちかく、あんたらのとこに居ったな」
私は、その言葉の意味を、その場では受け取らなかった。
受け取らないまま、頷いた。
伯母は土間にいた。
聞こえていたはずだった。
けれど何も訊かず、平台機の油差しを始めた。
いつもは十分で終わる仕事だ。
その晩、油差しの音は、私が布団に入っても止まなかった。
一時間ほど経って、私は水を飲みに下りた。
伯母は機械の前にしゃがんで、同じ軸に、まだ油を差していた。
軸は、もう黒く光っていた。
「伯母さん」
「なんじゃ」
「大川さんが、言うとったこと」
「聞いた」
それだけ言って、伯母は油差しを置いた。
そして前掛けのポケットに手を入れ、中で何かを二度、握り直した。
翌朝、洗濯物を出すときに、私はまたあの二本の活字を出した。
はじめて見たときより、目に見えて短くなっていた。
指で擦られて、角が丸く、飴のようになっていた。
「摩耗もんじゃ」
伯母は同じことを言った。
「捨てるつもりで入れとる」
年が明けると、テンは自分で階段を上がれなくなった。
私は夜になると、テンを抱いて二階へ上げるようになった。
伯母の部屋の襖の前で下ろすと、テンは自分で襖の隙間へ入っていく。
一度だけ、その隙間から中を覗いたことがある。
伯母は電気を消していた。
暗がりで、壁のほうを向いて寝ていた。
テンは枕元まで行って、そこで丸くなった。
伯母は寝返りを打たなかった。
朝まで、同じ向きのままだったのだと思う。
下りるときの階段が、いやに長かった。
※
二月の、雪の夜だった。
町の電線が唸るほど風が出て、戸の隙間から粉のような雪が入ってきた。
私と伯母は、板の間の炬燵にいた。
テンはその日、朝から文選台の下から動かなかった。
夜の九時ごろ、作業場のほうで、何かが倒れる音がした。
段ボールが崩れるような、乾いた音だった。
行くと、テンが土間にいた。
砂箱は、土間の隅にある。
そこまで、三間ほどある。
テンは前脚を出しては、体を引きずり、また倒れた。
倒れては、また前脚を出した。
「もういい」
私は言った。
「もういいって。連れて行くから」
抱き上げようとして、手を伸ばした。
テンは、その手をよけた。
自分で行くのだ、と思った。
十年、この土間で、一度も粗相をしたことのない猫だった。
砂箱にたどり着いたテンは、そこで用を足して、それから同じ道を戻りはじめた。
また、倒れながら。
三度目に倒れたところで、テンは起き上がらなかった。
息が浅くなって、腹だけが速く動いた。
私は座り込んで、名前を呼んだ。
テン、テン、と何度も呼んだ。
呼べば呼ぶほど、腹の動きは小さくなった。
そのとき、後ろで畳を蹴る音がした。
伯母だった。
伯母は炬燵から土間へ、下駄も履かずに下りてきた。
そして膝をつき、テンの胸に手を当てた。
親指と人差し指と中指の、三本だけを立てた形だった。
活字を拾うときと、同じ手だった。
「テン」
伯母が呼んだ。
「テン。おい、テン」
伯母が呼んだのは、たった二文字だった。
三十年、一度も拾わなかった二文字だった。
私はその場で、生まれてはじめてというほどの声を上げた。
伯母は、指を動かし続けた。
拾って、置いて、拾って、置いて。
そうしているうちに、テンの腹は動かなくなった。
伯母はそれでも、しばらく指を動かしていた。
土間の電球が、風で二度ゆれた。
私が泣きやんでからも、伯母はまだ膝をついていた。
最後まで泣いていたのは、伯母だった。
その夜、テンは板の間の炬燵のそばに寝かせた。
伯母は炬燵に入らず、板の間に座ったままだった。
私が毛布を掛けても、伯母は肩から落とした。
外の風は、明け方まで唸っていた。
翌朝、私は洗い場で、伯母の前掛けを手に取った。
ポケットに、あの二本が入っていた。
なぜかその朝は、印面のほうを、上に向けて置いてみた。
摩耗して、字は読めない。
けれど活字は、押せば読めるようにできている。
私は校正用の朱肉に、二本の腹を沈めた。
そして、反古の紙に、並べて押した。
紙の上に、二つの字が出た。
テ、と、ン。
字の輪郭は擦れて、湯気のように滲んでいた。
八年、いや、もっとだ。
伯母は毎日、その二本をポケットに入れて、指の腹で撫でていた。
拾って、置いて。
声には出さずに。
私は紙を持ったまま、作業場の引き戸のところへ行った。
下の板の、四角い切り欠き。
「前からあったんじゃ」と伯母が言った、あの穴だ。
しゃがんで、木口を見た。
切り欠きの木口は白いままで、鉋の跡が左から右へ斜めに走っていた。
十年ぶんの煤も、雪の湿りも、そこにはついていなかった。
いや、正しくは、十年ぶんしかついていなかった。
テンが来た冬より、前ではなかった。
鉋を左手で引く人は、この町に一人しかいない。
私は、その場から動けなくなった。
「引き取ったが、飼うたつもりはない」
あの言葉を、私はずっと逆さに読んでいた。
飼う、というのは、名前をつけて、自分のものにすることだ。
伯母は、私も、テンも、自分のものにしなかった。
名前を呼べば、その日から、自分のものになってしまうからだ。
母に置いていかれた十六の私に、伯母がくれたのは、「お前のもんじゃ」という一言だった。
私が誰かの持ちものではなく、何かを持つ側になれるように。
それだけのために、伯母は十年、二文字を口にしなかった。
そして声の代わりに、字を持ち歩いた。
※
名古屋へは、とうとう行かなかった。
清野活版はその五年後に畳んだ。
活字は業者が引き取りに来て、鉛の塊になった。
私は町に残って、判子を彫る仕事を覚えた。
逆さの字を彫る仕事なら、指が憶えていた。
伯母は九十を越えた。
耳が遠くなって、こちらの話は半分も届かない。
伯母は施設には入らず、まだ川沿いの家にいる。
私が週に二度、夕飯を作りに行く。
茶碗に卵を落とすと、伯母は黙って食べる。
好かん、とは、もう言わない。
先月、私は柘植の欠片で、小さな印を彫った。
二文字だけの印だ。
彫るあいだ、字はずっと逆さを向いていた。
日曜に持っていって、伯母の前で朱肉に沈め、白い紙に押した。
伯母は紙を手に取って、目から遠ざけたり近づけたりしていた。
それから、灰色の指の腹で、押したばかりの朱の上を、二度だけ撫でた。
字は、少し滲んだ。
伯母は何も言わなかった。
言わなくてもよかった。
その名前は、一度、声になっている。
私は、あの雪の夜の三本の指を、いまも憶えている。