幸せの在り処

手を繋ぐカップル(フリー写真)

もう五年も前になる。

当時無職だった俺に彼女が出来た。

彼女の悩みを聞いてあげたのが切っ掛けだった。

正直、他人事だと思って調子の良いことを言っていただけだったが、彼女はそれで救われたらしい。

そして彼女の方も、俺が無職になった経緯を親身になって聞いてくれた。

そうやって二人の距離は縮まって行った。

彼女と居ることは幸せだった。

大好きだった。

ただ、結婚は考えていなかった。

無職だからというのもあるが、俺は彼女と一緒に居たいだけで、結婚しなきゃいけない理由が思い付かなかった。

子供も嫌いだったし。

いつか仕事を始めたら一緒に住みたいとは思っていた。

要は結婚しなくても一緒に居られると思っていたのだ。

二人が幸せであることが重要だった。

彼女と付き合って一年が過ぎた頃だった。

彼女に病気が見つかった。

子宮の病…癌だった。

彼女はもう子供が産めなくなるのだという。

泣きながら別れを告げて来た。

彼女はいつか一人は子供が欲しいと言っていた。

そんな彼女の願いは叶わなくなった。

そんな彼女が、

「私はもう普通の女じゃないから、普通の女の子を探して、幸せになってね」

と言って来た。

今、彼女はどれだけ辛い思いをしてるのだろうか。

子供は産めなくなるし、癌が転移していれば死んでしまうかもしれない。

辛くて心細いだろうに、俺との未来を考えて、別れを切り出して来たのだ。

「俺が支えてやるから、そんなこと言うな!

確かに俺達に子供の居る未来は失くなったかもしれない。

でもお前との未来まで失くさないでくれ。

側に居させてくれ」

他人事だから言えた訳じゃない。

俺には彼女が必要だった。

こんな時でも優しくて、笑うと可愛くて、知らない子供ともすぐに仲良くなって、子供と遊んでいると楽しそうで…。俺はそんな彼女が大好きだった。

失いたくなかった。

もっと幸せそうな彼女を見ていたい。

時は過ぎ、現在。

俺は無職をやめて仕事を始めていた。

お互いの仕事の都合もあり、遠距離で一緒に暮らしたりは出来ないが、まだ関係は続いている。

今では俺が仕事の悩みを聞いてもらっている。

彼女はこう言う。

「あんたは二度もあたしを救ってくれた。

今度はあたしがあんたを守る番なんだ」

俺が本当に支えてやれる日はいつ来るのやら。

今は仕事をしているが、それまで俺は親の脛をかじって生きて来た親不孝者だ。

子供の生めない彼女を紹介するというのは簡単なことではない。

親不孝をこれ以上重ねることは出来なかった。

彼女はそんなことを解っていて、あの日に別れを切り出したのだ。

彼女と一緒に居ること自体、きっと親不孝なのだろう。

でも俺は俺達の幸せのかたちを探して行きたい。

この先に二人の未来があるのか分からない。

でも今、遠距離で彼女の姿は見えなくても、幸せは確かにここにある。

航空自衛隊の戦闘機(フリー写真)

一生の宝物

航空自衛隊に所属する先輩から聞いた話。 航空自衛隊では覚えることが山ほどあり、毎日24時まで延灯願いを出して勉学に励んでいた。 座学(学課)でも指定の成績を取れないとパイ…

女の子の後ろ姿(フリー写真)

温かい家庭

兄家族が俺達の家にやって来て、長女を押し付け引っ越して行った。 兄も兄嫁も甥っ子だけが生き甲斐みたいなところがあったんだよね。 甥っ子は本当に頭が良かったんだ。 勉強…

おむすび(フリー写真)

母の意志

僕が看取った患者さんに、スキルス胃がんに罹った女性の方が居ました。 余命3ヶ月と診断され、彼女はある病院の緩和ケア病棟にやって来ました。 ある日、病室のベランダでお茶を飲み…

桜吹雪(フリー写真)

母さんのふり

結構前、家の固定電話に電話がかかってきた。 『固定電話にかけてくるなんて、誰かなぁ』 と思いながらも、電話に出てみた。 そしたら、 「もしもし? 俺だけど母さん…

シャム猫(フリー写真)

父親と猫のミル

家にはもう十年飼っていた猫が居たんだ。 家の前は昔、大きな広場で、その猫はその広場の片隅にある車の中で寝ていた子猫だった。 俺と姉ちゃんでその猫を家の庭まで連れ帰って来ちゃ…

コスモスの花(フリー写真)

余命半年の彼女

今日、彼女と別れた。 原因は彼女の病気、癌だった。 最初に聞いた時、冗談だと思った。 つい昨日まで普通に遊んで、喋って、ご飯を食べて、笑っていたのに。 俺は、 …

浜辺で手を繋ぐカップル(フリー写真)

彼女の面影

彼女が痴呆になりました。 以前から物忘れが激しかったが、ある日の夜中に突然、昼ご飯と言って料理を始めた。 更に、私は貴方の妹なのと言ったりするので、これは変だと思い病院へ行…

誕生日ケーキ(フリー写真)

父への反抗期

これは反抗期の頃の話なのだけど、今でも忘れられない。 幼い頃からずっと片親で育って来た私は、父親と二人暮らしをしていた。 父は友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に…

沖縄のビーチ(フリー写真)

母の唯一のワガママ

「沖縄に行かない?」 いきなり母が電話で聞いて来た。 当時は大学三年生で、就活で大変な時期だったため、 「忙しいから駄目」 と言ったのだが、母はなかなか諦めない…

夕陽(フリー写真)

親父からの感謝の言葉

俺の親父は我儘な人だった 小遣いは母親から好きな時に好きなだけ貰い、そのくせ下手なギャンブルでスっては不機嫌な様子で家に帰って来て、酒を飲みまくり暴れるような人だった。 幸…