深煎りの匂いは二階まで上がる
深煎りの匂いは、坂の途中の焙煎所から二階の窓まで上がる。娘が学校へ行かなくなって一年、俺はその匂いを焼くのをやめた。きらい、とあの子が言うたからだ。北風の強い夜…
深煎りの匂いは、坂の途中の焙煎所から二階の窓まで上がる。娘が学校へ行かなくなって一年、俺はその匂いを焼くのをやめた。きらい、とあの子が言うたからだ。北風の強い夜…
ついたちの朝にだけ、私は疎開してきた四十二人の背を測り、庫裏の柱に小刀で線を入れた。食べるものは減る一方なのに、柱の傷あとはどの子も毎月きっかり三分ずつ上がって…
断水した町の体育館で、給水の列のいちばん後ろに、その人は青いポリタンクを二つ提げて立っていた。一世帯20リットルまでのはずだ。私は勝手に腹を立てていた。やがて列…
遠足の広場で包みを開けると、私のおにぎりだけが白かった。海苔がない。手抜きだと言った翌年から巻かれるようになったが、それはいつも裏返しの海苔だった。祖母は下手な…
団地の商店棟で37年、鋏だけを握ってきた。妻は3年前から丘の施設にいて、俺を先生と呼ぶ。理容椅子は客が座る前に半回転させる。それがうちの店のやり方だった。壊れた…
今日は三袋な。兄は毎晩そう言って白い袋を提げて帰ってきた。家には製氷機があるのに、兄は夏のあいだ毎日コンビニの氷を買って帰る。私はそれを十年、無駄遣いだと思って…