転校生の父が歌い出した日
北関東の工業団地の町に転校してきた、日本語のたどたどしい同級生。わたしは一度だけ、彼を見捨てた。合唱コンクールの日、耳の聞こえないはずの彼の父が客席で立ち上がり…
続きを読む北関東の工業団地の町に転校してきた、日本語のたどたどしい同級生。わたしは一度だけ、彼を見捨てた。合唱コンクールの日、耳の聞こえないはずの彼の父が客席で立ち上がり…
続きを読む継母の買い物メモは、いつも大根と卵の絵だった——静かに沁みる泣ける話。東京の大学へ行くと告げた夜に母が言った「うちには読めん」の本当の意味を、わたしは三十八年間…
続きを読む教室で一年間声が出せなかった十四歳のわたしに、担任は給食の献立だけを読ませた。〈壁に読め〉と鉛筆で書かれた藁半紙。十四年後、声を失った恩師が病室で綴った一枚の筆…
続きを読む子どもは望めないと告げられた日、私は好きだからこそ、彼に別れを切り出した。けれど彼は、裏の畑に植えた二本の若木の根元に、生まれるはずだった子の名を彫った名札を、…
続きを読む昭和三十三年、山の村を巡る映写技師だった俺と、声の出ない少年・耕作。ダムに沈む村での最後の上映会は失敗し、別れの言葉を言えないまま俺は坂を下りた。二十三年後に届…
続きを読む兄の嫁として来た佐和子さんを、私は二十年「姉さん」と呼べずにいた。秋の川が兄を連れて行った日、親族の前で「この子は私の妹です」と言い切った人。その言葉の本当の意…
続きを読む昭和二十二年の秋、台風で汽車が止まり、山あいの酒蔵に二十数人が流れ着いた。米は尽きた。義父は翌年の仕込みのために三年かけて隠した一俵を釜に空け、酒造りの櫂で粥を…
続きを読む昭和四十三年の瀬戸内、造船の町。船大工の俺は時化で兄夫婦を失い、遺された甥の修を四年育てた。その修が静かに眠り、削りかけの賽子だけが作業台に残る。半年後、納屋に…
続きを読む十七の冬、厳しい父と衝突し家を捨てた俺は、雪の北の港町で行き場を失った。飯にありつけず座り込む俺に声をかけたのは、腰に藍色の手ぬぐいをさげた老いた船頭だった。名…
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