底の厚い茶碗だけが冷めなかった
大学の食堂で、私の前に置かれる茶碗だけがいつも重かった。底の厚い茶碗は7つしかなく、みんなが避けた外れくじなのだと思っていた。3年間そう思い込んだまま、私は一度…
続きを読む:底の厚い茶碗だけが冷めなかった大学の食堂で、私の前に置かれる茶碗だけがいつも重かった。底の厚い茶碗は7つしかなく、みんなが避けた外れくじなのだと思っていた。3年間そう思い込んだまま、私は一度…
続きを読む:底の厚い茶碗だけが冷めなかった室井の補修跡は、いつも指二本ぶん左へ伸びていた。材料の無駄だと10年言い続けて、俺は一度も謝らないまま同期を見送った。一人で直した去年の穴は、春にぜんぶ左から割…
続きを読む:左の継ぎ目はいつも足りない深煎りの匂いは、坂の途中の焙煎所から二階の窓まで上がる。娘が学校へ行かなくなって一年、俺はその匂いを焼くのをやめた。きらい、とあの子が言うたからだ。北風の強い夜…
続きを読む:深煎りの匂いは二階まで上がるついたちの朝にだけ、私は疎開してきた四十二人の背を測り、庫裏の柱に小刀で線を入れた。食べるものは減る一方なのに、柱の傷あとはどの子も毎月きっかり三分ずつ上がって…
続きを読む:柱の傷あとが上がるついたちの朝断水した町の体育館で、給水の列のいちばん後ろに、その人は青いポリタンクを二つ提げて立っていた。一世帯20リットルまでのはずだ。私は勝手に腹を立てていた。やがて列…
続きを読む:青いポリタンクを置いていく朝遠足の広場で包みを開けると、私のおにぎりだけが白かった。海苔がない。手抜きだと言った翌年から巻かれるようになったが、それはいつも裏返しの海苔だった。祖母は下手な…
続きを読む:裏返しの海苔と遠足の朝トメはいつも階段の四段目にいた。三段目でも五段目でもなく、その段だけが家でいちばんくたびれている。12年ぶりに実家へ戻った俺は、母が直すなと言い張るその板を、入…
続きを読む:階段の四段目だけが沈んでいた団地の商店棟で37年、鋏だけを握ってきた。妻は3年前から丘の施設にいて、俺を先生と呼ぶ。理容椅子は客が座る前に半回転させる。それがうちの店のやり方だった。壊れた…
続きを読む:理容椅子はまだ半回転する今日は三袋な。兄は毎晩そう言って白い袋を提げて帰ってきた。家には製氷機があるのに、兄は夏のあいだ毎日コンビニの氷を買って帰る。私はそれを十年、無駄遣いだと思って…
続きを読む:兄はコンビニの氷を買って帰った店の奥、水道の脇の白いバケツには、売り物にならないはね出しの花が挿してある。毎月14日、そこから一輪だけが消える。電話をかけてくるのは毎回ちがう人で、みんな22…
続きを読む:はね出しの花が毎月消える砥石はいつ行っても濡れていた。誰も褒めない場所で手を動かし続けた人たちの、仕事の泣ける話を十四編ならべました。職人、恩師、同じ職場にいた人、そして誰かの夜を静か…
続きを読む:仕事の泣ける話14選 手と道具の記憶海沿いの営業所に入って二年目、私はまだ誰からも名前で呼ばれなかった。誰も乗っていないのに、夕方の便で辻堂前のボタンが鳴る。配線の不良だと思った私に、定年間近の先…
続きを読む:辻堂前のボタンは鳴る母の鞄には、よく晴れた日にも折りたたみ傘が入っていた。第二日曜だけは用事があると言って、私の誘いはいつも断られた。母が入院した週、財布に残っていた交通系ICカー…
続きを読む:第二日曜に母は出かける毎月第1火曜の夕方だけ、先生は9本だけ塗らせる客としてやって来た。右手の薬指はいつも「そこはいいから」と折り曲げて、私に触らせない。3年で36回。手の震えで筆を…
続きを読む:左手だけが知っている色夜になると、フクは玄関で一度だけ短く鳴いて出かけていった。前脚の内側を灰色に汚して、朝には帰っている。夜だけ出かける犬の行き先を、私は薄々知っていて、確かめには…
続きを読む:フクは夜だけ出かけていくラクリマを応援する
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