散歩の記録が今日も届く

川辺の夕暮れと赤い郵便箱

私は、母の犬を最後まで飼えなかった人間だ。

そのくせ、散歩の記録だけは、今も毎日、私のスマホに届いている。

2.4キロ、38分。

通知が鳴ったのは、新潟行きの夜行バスが、真夜中のサービスエリアに停まったときだった。

消灯した車内で、膝の上の画面だけが白く光った。

『クウの散歩を記録しました』

指が止まった。

クウは、去年の秋に静かに眠った犬の名前だ。

もう、どこも歩けるはずがない。

それなのに画面の中の犬は、その日も2.4キロを歩いていた。

そのときの私は、私であることをやめるつもりで北へ向かっていた。

住んでいた一室の鍵は、不動産屋のポストに落としてきた。

荷物は段ボールが二つきりで、それも朝のうちに処分場へ持って行った。

財布には14,000円と、崩れかけたレシートが数枚。

新潟に着いたらスマホを解約して、名前を呼ばれない仕事を探すつもりでいた。

誰かに恨みがあったわけではない。

ただ、自分がこの世界のどこにも噛み合っていない気がして、その噛み合わなさを人に見られているのが、耐えられなくなっていた。

母の療養が長引くあいだに、私は編集の仕事を手放していた。

母が旅立ったあと、戻れると思っていた場所には、もう私の席がなかった。

それだけの話だ。

それだけの話に、人はこんなに簡単に潰れる。

バスの窓に額をつけると、ガラスが冷たくて、少しだけ現実の感触があった。

私はもう一度、通知を開いた。

アプリの地図に、細い線が引かれていた。

川沿いを下って、市営住宅の角で折り返して戻ってくる、見覚えのある線だった。

※

クウは、母が保護施設から連れて帰ってきた雑種だった。

柴の血が混じっているらしく、耳は立っていたのに、尻尾だけがだらしなく垂れていた。

母は「クウちゃん」とは呼ばず、いつも呼び捨てで「クウ」と言った。

私が高校生で、いちばん家に帰りたくなかった時期のことだ。

父はとうに家を出ていて、母はスーパーのパートと、夜の弁当工場を掛け持ちしていた。

帰っても、台所の電気は消えていた。

学校から家まで、まっすぐ歩けば15分。

私はわざわざ川沿いを回って、40分かけて帰るようになった。

誰にも会わずに済む道が、そこしかなかったからだ。

その道の途中に、市営住宅の角があった。

赤い郵便ポストの塗装が剥げて、下から錆の色が滲んでいる角だ。

クウは決まって、市営住宅の角の郵便ポストの手前で、道の端に座り込んだ。

リードの先には、いつも母がいた。

作業着の上にウインドブレーカーを羽織って、少しだけ離れた電柱のところに立っていた。

「なんでここにおるん」

私が聞くと、母は決まって同じことを言った。

「クウが勝手にこっち来るんよ」

「見張っとるみたいやからやめて」

「ほんなら、クウに言うて」

母は笑って、リードを持ち直した。

謝らない人だった。

言い訳もしない人だった。

私はその笑い方が嫌いで、母を追い越すように早足で歩いた。

後ろでクウの爪がアスファルトを掻く音がして、それがずっとついてきた。

あの音を、私は監視の音だと思っていた。

その頃の私は、母の何もかもが気に入らなかった。

進路の三者面談のあと、私が映像の専門学校に行きたいと言うと、母は畳の上で洗濯物を畳みながら、たった一言だけ言った。

「お金は出すよ」

それだけだった。

やめとけとも、頑張れとも言わなかった。

「無理して言わんでええし」

「無理しとらんよ」

「工場、週に何回入っとるん」

母はタオルの角を合わせる手を止めなかった。

「クウのごはん代くらい、稼がなあかんやろ」

私は襖を強く閉めて自分の部屋に入った。

犬の餌代のために母が夜中まで働いていると思うと、その犬まで憎らしかった。

今思えば、母は私の学費のことを、犬の餌代という言い方でしか口にできない人だった。

※

一度だけ、私がクウを散歩に連れて出た夜がある。

母が工場のシフトから帰らず、クウが玄関でひっきりなしに鳴いた晩だ。

リードを持つと、クウは私を引っ張るようにして外へ出た。

行き先は迷いもしなかった。

川沿いを下って、あの角へ、まっすぐ。

コンビニの前を通ったとき、私が買ったばかりの肉まんを、クウは飛び上がって半分持っていった。

「あんた最低やな」

私が言うと、クウは口の端に白い皮をつけたまま、しれっと前を向いていた。

そしてポストの角で、いつものように座り込んだ。

「もう帰ろ。誰も来んよ」

クウは動かなかった。

坂の上の、高校の裏門のほうをじっと見ていた。

リードを両手で引いても、腰を落として、四本の脚で踏ん張った。

結局、私は根負けして、ポストの横のガードレールに腰かけた。

街灯の明かりの下で、クウの背中の毛だけが金色に浮いていた。

十分ほどして、クウはふいに立ち上がって、来た道を戻り始めた。

まるで、待ち合わせの相手が来ないと分かったみたいな歩き方だった。

その夜のことを、私は母に話さなかった。

アプリを入れたのは、母のほうだった。

私が就職して家を出た年の春に、電話がかかってきた。

「歩数な、あんたにも見えるようにしとくわ」

「なんで」

「ちゃんと歩いとるって、証拠がいるやろ」

健康診断で引っかかったから、というのが母の説明だった。

私はスマホの操作を電話越しに30分かけて教えて、その夜のうちに通知をオフにした。

毎日、犬の散歩が終わるたびに画面が光るのが、煩わしかったからだ。

それきり、私は記録をほとんど見なかった。

ときどき思い出して開くと、いつも同じ数字が並んでいた。

距離はいつも2.4キロ、時間は38分だった。

判で押したように同じで、私は母のことを、変化のない人だと思った。

母が入院してからは、記録が途切れた。

病室の母は、自分の体のことをほとんど話さなかった。

点滴の管を気にしながら、決まって同じことを聞いた。

「クウ、散歩行っとる」

「吉見さんが連れてってくれとるよ」

「どこ回っとる」

「知らんよ、そんなん」

母は窓のほうを向いて、それきり黙った。

私はそのとき、犬の散歩の心配をする余裕があるなら、もっと自分の体のことを考えてほしいと思った。

母が気にしていたのは、犬の運動不足ではなかったのに。

途切れたまま、去年の春に母は旅立った。

四十九日が済むと、家を引き払わなければならなかった。

クウを連れていける部屋を、私は探さなかった。

探せばあったのかもしれないけれど、そのときの私には、自分の食事を作る力さえ残っていなかった。

母のパート仲間だった吉見さんが、電話口で「うちで預かる」と言ってくれた。

引き渡しの日、クウは軽トラックに乗らなかった。

四本の脚を突っ張って、あの市営住宅の角まで歩いて、ポストの手前で座り込んだ。

吉見さんが何度リードを引いても、動かなかった。

最後は吉見さんが抱き上げて、荷台ではなく助手席に乗せた。

「この子、頑固やねえ」

吉見さんはそう言って笑い、それから、私の顔を見ずに続けた。

「悦子さんの犬やもんね」

私は何も言えなかった。

去っていく軽トラックの助手席で、クウは後ろを見なかった。

半年前、吉見さんから電話があった。

「クウな、昨日の夜、静かに眠ったよ」

朝ごはんを残したから病院に連れて行って、点滴をして、家に帰って、毛布の上で丸くなったまま、そのまま向こうへ行ったのだという。

「苦しまんかったよ」

私は「そうですか」と言った。

「ありがとうございます」とも言ったと思う。

それ以上の言葉が出てこなかった。

吉見さんは、いつでも来てええからね、と言って電話を切った。

私は行かなかった。

行けなかったのではなく、行かなかった。

母を送ったときも、私はほとんど泣けなかった。

泣ける人には資格がある気がして、自分にはそれがないと思っていた。

犬一匹を引き受けられなかった人間が、今さら手を合わせに行っても仕方がない。

そう思って、私はスマホの中のアプリだけを消せずにいた。

消すという操作が、最後の一本の糸を切ることのように思えて、指が動かなかったのだ。

※

サービスエリアの明かりの下で、私はもう一度その通知を読んだ。

『クウの散歩を記録しました 2.4km 38分』

機種を変えたときに、切っていたはずの通知が元に戻っていたのだと、あとで気づいた。

けれどその夜の私には、そんな理屈は一つも浮かばなかった。

浮かんだのは、たった一つの言葉だけだ。

そんなはずがない。

クウは、もう歩けない。

それなのに記録は、半年ぶんそっくり残っていた。

雨の日は少し短く、風の強い日は少し長い。

生きている人間が歩いた記録の、まぎれもない揺らぎがそこにあった。

私は運転手に頭を下げて、途中の停留所でバスを降りた。

朝いちばんの高速バスで引き返せば、夕方には着く。

財布の中身を数えて、帰りの分は残らないと分かった。

それでもよかった。

確かめたら、そのまま歩いてどこかへ行けばいい。

始発の高速バスは、通勤の人ばかりで混んでいた。

スーツの人たちが、これから始まる一日の顔で座っていた。

私はいちばん後ろの席で、半年ぶんの記録を何度も上下にスクロールした。

雨の日は2.1キロ。

台風の翌日だけ、記録が一日ぶん抜けていた。

誰かが、たしかに毎日その道を歩いている。

それが誰なのか、私はいくつも筋書きを立てた。

吉見さんが私に気を遣って歩いているのだろう、というのがいちばんありそうな筋書きだった。

だとしたら、そんな親切に応えられる人間ではない、と私は思った。

会わずに、遠くから確かめて帰ろうとさえ考えた。

私は、確かめるためだけに戻ることにした。

※

吉見さんの家は、川を渡った先の古い平屋だった。

玄関先に、金木犀の匂いが濃く溜まっていた。

チャイムを鳴らすと、割烹着のままの吉見さんが出てきて、私の顔を見るなり眉を寄せた。

「あんた、痩せたね」

「すみません、急に」

「先にうどん食べ。話はそれからや」

台所には出汁の匂いが立ち込めていて、私は座らされて、丼を持たされた。

一口すすったら、喉の奥が急に熱くなって、私は下を向いたまま食べ続けた。

吉見さんは何も聞かずに、テレビの音を少しだけ大きくした。

吉見さんは、洗い物をしながら、クウの話を一つだけした。

「この子な、来て三日目に、うちの揚げたてのコロッケ、皿ごと持っていったんよ」

「皿ごとですか」

「皿ごと。縁側で、皿の上のやつをきれいに食べて、皿だけ返しに来たんよ」

私は思わず笑った。

笑ってから、自分が半年ぶりに声を出して笑ったことに気づいて、少し怖くなった。

「悦子さんに電話したら、笑うだけ笑って、それ、うちでもやりましたわって」

吉見さんは布巾で手を拭いて、それきり母の話をしなかった。

丼が空になった頃、吉見さんが立ち上がって、壁の時計を見た。

「ちょっと出るわ」

「どこにですか」

「散歩」

私は箸を置いた。

吉見さんの肩には、色の褪せた布の鞄が掛かっていた。

その底のあたりで、小さな金具が鳴っていた。

「クウの首輪、まだ持ってはるんですか」

吉見さんは鞄の口を開けて、中を見せた。

赤い首輪と、そこに付いたままの小さな四角い機械。

母がクウの首につけていた、位置を拾うタグだった。

「捨てられへんかっただけよ」

吉見さんはそう言って、鞄を肩にかけ直した。

「なんで、歩いてはるんですか」

私が聞くと、吉見さんは玄関の三和土でサンダルを履きながら、こちらを見ずに答えた。

「この時間になったら、体が勝手に出るんよ」

「私のために、やってはるんですか」

吉見さんは、そこで初めて振り返った。

心底きょとんとした顔だった。

「あんた、あれ見えとったん」

その一言で、私の中の勝手な筋書きが、音を立てて崩れた。

吉見さんは、誰かに見られていることすら知らずに、半年間、毎日その時間に外へ出ていたのだ。

※

私たちは並んで歩いた。

川沿いの道は、私が高校生の頃と何も変わっていなかった。

コンクリートの護岸に夕日が当たって、水面が細かく光っていた。

吉見さんは早くもなく遅くもない速さで歩き、ときどき立ち止まって、何もない生け垣の下を見た。

「うちの人が先に逝ってから、夕方がいちばん長いんよ」

吉見さんは前を向いたまま言った。

「この子が来てくれてから、夕方が短くなった」

「それで、いなくなってからも」

「そう。四時半になったら、体が椅子から浮くんよ。おかしいやろ」

おかしくない、と私は言った。

言ってから、自分の声がひどく掠れているのに気づいた。

吉見さんは笑わなかった。

「歩いとったらな、この子がまだ横におる気ぃするんよ。それだけ」

「ここ、いっつも匂い嗅いどった」

「クウが、ですか」

「そう。ここと、あの電柱と、それから」

吉見さんの言葉が途切れた。

私は顔を上げた。

吉見さんは、犬もいないのに、その角の手前で足を止めた。

市営住宅の、赤い郵便ポストの角だった。

「ここでこの子、必ず座ったんよ」

吉見さんはポストの根元を指さした。

「何回引っ張っても動かんかった。五分でも十分でも、じっと向こう見て座っとった」

私は、その向こうを見た。

川沿いの道が、ゆるく曲がって、その先に高校の裏門へ続く坂がある。

私が三年間、遠回りに使っていた道だ。

「吉見さん、この道、誰かに聞いたんですか」

「なんも。この子が行きたがる道を、そのまま歩いとっただけよ」

私はポケットからスマホを出して、アプリの地図を開いた。

半年ぶんの線が、一本残らず重なっていた。

川沿いを下って、ポストの角で折り返す、2.4キロ。

それは私が、母に見られたくなくて選んだ遠回りの道と、一本も違わなかった。

指が震えて、画面を何度も取り落としそうになった。

私は記録の一覧に切り替えて、上へ上へとスクロールした。

半年前も、去年も、一昨年も。

母が入院する前の記録が、そこにぜんぶ残っていた。

スクロールしても、16時52分という数字だけが、同じ場所に並び続けていた。

私の高校は、掃除が終わって校門が開くのが、いつも17時ちょうどだった。

校門からあのポストの角までは、歩いて8分。

母は、私が校門を出るより先に家を出ていた。

私が遠回りを始めた春から、母が歩けなくなる冬まで、一日も欠かさずに。

私が家を出て、その坂を誰も降りてこなくなってからも、時刻は一度も変わっていなかった。

母は、迎えに行く相手のいない道を、それから何年も歩き続けたことになる。

記録の始まりは、どの日も16時52分だった。

※

その夜、吉見さんは客用の布団を出して、何も聞かずに私を泊めた。

枕元で、母のスマホの電源を入れた。

解約せずに、充電器ごと持ち歩いていたものだ。

アラームの一覧に、繰り返し設定のまま残っている項目があった。

『16:50 でる』

母は一度も、迎えに行ったとは言わなかった。

クウが勝手にこっち来るんよ、とだけ言って、あの電柱のところに立っていた。

私が追い越して先に行くのを、母はいつもそこから見送っていた。

追いかけてこなかったのは、私が嫌がったからだ。

私は布団の中で、声をこらえずに泣いた。

翌日の夕方、私は吉見さんの鞄を借りた。

赤い首輪をそのまま入れて、川沿いの道を歩いた。

金木犀の匂いが、風の向きが変わるたびに濃くなったり薄くなったりした。

市営住宅の角で、私の足は勝手に止まった。

剥げた塗装の下から、錆の色が滲んでいた。

私はそこにしゃがんで、ポストの根元に手を置いた。

アスファルトが、夕方の熱をまだ少しだけ持っていた。

坂の上の裏門のほうを見ても、もう誰も降りてこない。

それでも私は、しばらくそこにしゃがんでいた。

その日の記録は、2.4キロ、38分。

私は今も、母の犬に散歩へ連れ出されている。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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