
あのドレスのしつけ糸が外されたのは、注文の日から十一年後の朝だった。
白い糸がすっと抜けていく、小さな音を今でも覚えている。
これは、私が一度あきらめた結婚式の話だ。
平成九年の春、私は二十六歳だった。
信州の湖のほとりにある真澄野という小さな町で、遊覧船の切符を売っていた。
窓口の小窓から見える湖は、朝は鏡で、昼は硝子で、夕方は葡萄酒の色になった。
圭吾は同じ会社の整備士で、船のエンジンだけを相手に十年働いてきたような人だった。
口下手で、そのぶん手がよく動く。
知り合ったのは、私が勤め始めた年の冬だった。
最終便の船がエンジンの不調で桟橋に戻れなくなり、乗客の苦情を一身に浴びていた私の横で、駆けつけた圭吾は一言も謝らず、ただ機関室に降りていった。
二十分後、湖の上でエンジンの音が変わった。
低く、太く、揃った音になった。
戻ってきた圭吾は油まみれの顔で、「音で分かる。機械は嘘つかんから」とだけ言った。
人間相手にはその半分も喋れない人なのだと知るのは、もう少しあとのことだ。
プロポーズは桟橋の突端で、指輪の箱を差し出す手が、油の染みた軍手のままだった。
「軍手くらい外してよ」と笑ったら、耳まで赤くなった。
式は翌年の五月、湖の見える会館でと決めた。
ドレスは、商店街の外れの守屋洋装店に頼むことにした。
母が娘の時分から世話になっている、古い仕立て屋さんだった。
守屋先生は、そのとき七十に近かったと思う。
背筋が定規のようにまっすぐで、白髪をきっちり結い上げて、首からいつも巻尺を提げていた。
「既製のドレスを直すんじゃありません。あなたの体から起こすんです」
先生はそう言って、私の肩から手首まで、ひんやりした指で寸法を取っていった。
生地は、湖の朝の色に近い、わずかに青みがかった白を選んだ。
「白にも百通りあります」と先生は言い、反物を三本、窓の光に並べてみせた。
真珠の白、雪の白、そして朝の湖の白。
指の腹で撫でると、それぞれ違う温度がした。
迷わず選んだ私に、先生は「湖の子ですね」と笑った。
仮縫いの日取りを決めて店を出るとき、先生が棚から白い糸の束を出して見せてくれた。
「しつけ糸はね、一年しかもたないんですよ。」
仮に留めておくための糸だから、強くは作られていないのだという。
一年も経てば黄ばんで、弱って、ぷつぷつと切れる。
「だから仕立て屋は、一年のうちに必ず仕立て上げるんです」
そのときの私は、きれいな話だと思って聞いていただけだった。
その糸に十一年をあずけることになるとは、思ってもいなかった。
※
夏の仮縫いの日、鏡の前に立った私は、まだ袖の付いていないドレスを着ていた。
縫い目という縫い目に白いしつけ糸が走って、体じゅうが、糸で描いた設計図のようだった。
「動かないで。針が入っていますからね」
先生は口の端に待ち針をくわえたまま、器用に喋った。
「うちの仮縫いで泣かなかった花嫁は、一人もいませんよ」
「泣きませんよ。まだ仮縫いだもの」
「あなた、いま鏡を三回見ましたね」
図星だったので、黙った。
窓の外を、湖へ下りる観光客がのんびりと歩いていた。
表の通りから、豆腐屋のラッパが聞こえていた。
幸せというのは、こういう昼下がりのことなのだと思った。
※
その年の秋、圭吾の職場の健診で、心臓に影が見つかった。
精密検査、再検査、県外の大きな病院。
聞き慣れない病名は、長い療養が要るという意味の言葉に、ゆっくりと置き換わっていった。
手術までに体を整える年月が要ること。
手術をしても、すぐには元の仕事に戻れないこと。
両家の親は、式は取りやめた方がいいと言った。
圭吾も、病院の白い廊下で、窓の方を向いたまま言った。
「待たせられん。日取りのある約束は、全部白紙に戻してくれ」
私は式をしたかった。
でも、点滴の管につながれた人の隣で、ドレスの話はできなかった。
会館を断り、招待状を刷る前でよかったねと母が言い、私は方々へ電話をかけた。
一番あとまで残ったのが、守屋洋装店だった。
受話器の向こうで、先生はしばらく黙っていた。
「わかりました。中止にしましょう」
それから、少しだけ声をやわらげて続けた。
「でも千夏さん。お直しの季節になったら、顔を見せてくださいね」
お直しの季節、という言葉の意味を、私は聞き返さなかった。
内金の残りを払いますと言うと、先生はきっぱりと断った。
「仕立て上がっていないものに、お代はいただけません」
電話を切ったあと、私は台所の床にしゃがみこんで、しばらく立てなかった。
※
それからの私の暦は、週末ごとの高速バスでできていた。
片道二時間半。湖の町から、圭吾の入院する街まで。
トンネルは七つあって、五つ目を抜けると病院の給水塔が見えた。
売店で買う湯呑みのお茶の温度で、季節がわかるようになった。
面会時間の終わりに手を振ると、圭吾はいつも、振り返す代わりに小さく頷いた。
見舞いに通ううちに、圭吾の手から、少しずつ油の匂いが消えていった。
それが、いちばん怖かった。
制服の袖口がほつれたのは、二年目の春だった。
商店街を歩いていたら、守屋洋装店の戸が開いて、先生に袖をつかまれた。
「そのほつれ、みっともない。お出しなさい」
「いいんです、自分で直します」
「切符を売る手が糸くずを出してどうします」
店の上がり框に座らされ、熱いお茶が出て、十五分で袖は直った。
お代を出すと、先生は財布ごと押し返してきた。
「お代はいりません。趣味です」
帰り際、先生は私の袖口を摘まんで、指二本ぶん、と小さく呟いた。
何のことか、そのときは分からなかった。
それから、季節が変わるたびに、私はなぜか守屋洋装店に呼び止められた。
上着の丈が合っていない。
スカートの裾が擦れている。
ボタンの糸が緩んでいる。
先生の目は、町でいちばん厳しい検札係のようだった。
「あなた、また痩せましたね。切符と一緒に自分まで渡してどうします」
叱られながら飲むお茶は、どうしてか、いつも少し甘い気がした。
母のズボンの裾上げまで、いつの間にか任せるようになった。
母は何も言わなかったけれど、今になって思う。
母はたぶん、あの店の奥に何があるのか、知っていたのかもしれない。
年に一度、葉書も届いた。
文面はいつも一行だけ。
「お直しの季節です。」
病院のベンチで、圭吾にその葉書を見せたことがある。
圭吾はしばらく眺めてから、妙なことを訊いた。
「あの洋装店、まだ開いとるか。」
「開いてるよ。私、しょっちゅう捕まってるもの」
「そうか」とだけ言って、圭吾は葉書を返した。
三年目の大晦日、見舞いの帰りに雪でバスが遅れ、町に着いたときには日付が変わりかけていた。
商店街は暗かったのに、守屋洋装店の窓にだけ、あかりが点いていた。
戸を叩いたわけでもないのに、中から「お入りなさい」と声がした。
先生はストーブの前で、ラジオを小さく鳴らしながら、誰のものとも知れない着物をほどいていた。
「年越しに針を持つと、縁起がいいんですよ」
「そんな話、聞いたことありません」
「今つくりました」
熱いお茶と、砂糖のかかった揚げ餅が出た。
ほどく、という仕事があるのだと、そのとき初めて知った。
「縫うより、ほどく方が難しいんです。糸を切らずに、布も傷めずに」
「先生でも難しいんですか」
「難しいから、七十年やっても飽きません」
ストーブの上で薬缶が鳴って、ラジオが除夜の鐘に変わった。
どうしてあの夜、あの店にあかりが点いていたのか。
それも、ずっとあとになって分かることのひとつだった。
その横顔が少し笑っていた理由を、私はずっとあとになって知ることになる。
※
手術は、四年目の冬に成功した。
目を覚ました圭吾の第一声は「船は」で、私は泣きながら怒った。
けれど、そこからが長かった。
体力が戻らず、整備の現場には立てず、圭吾は湖の会社を離れて、街の部品倉庫で働き始めた。
三十を過ぎた。
今さら式でもない。
お前には別の道もある。
会うたびに、圭吾の言葉は少しずつ乾いていった。
七年目の秋、台風で遊覧船が三日続けて欠航になり、私は思い立って街の部品倉庫を訪ねた。
圭吾は伝票を抱えて棚の間を歩いていたが、搬入口にトラックが入ってくると、ふっと顔を上げた。
「二番の気筒、燃料が薄い」
通りすがりの運転手に言うと、運転手は目を丸くして、それから整備工場の場所を訊いていた。
帳場のおじさんが私に教えてくれた。
「あの人はここでも音で当てるんだ。もったいねえ耳だよ」
帰りのバス停まで、圭吾は黙って並んで歩いた。
「湖の音が、まだ耳に残っとる」
ぽつりとこぼれたその一言を、私は聞こえなかったふりをした。
聞いてしまったら、待っていることが、圭吾を縛る縄になる気がした。
父は一度だけ「お前の人生や」と言い、それきり何も言わなくなった。
私は切符売り場の小窓の中で、年を重ねた。
後輩たちの結婚式に呼ばれ、同じテーブルの誰かが私に気を遣って話題を変えるのが、分かるようになった。
帰り道、引出物の紙袋を提げて湖沿いを歩きながら、ためしに声を出して笑ってみたことがある。
笑い声は思ったより普通の音がして、それが一番こたえた。
※
十年目の冬、圭吾が言った。
「籍だけ入れて、式のことはもう忘れよう。俺は、それで十分や」
十分、という言葉に、私は初めて本気で腹を立てた。
喧嘩のまま年が明けて、私はひとつの区切りを決めた。
守屋洋装店に、残りのお代を払いに行こう。
あの注文を、私の手できちんと終わらせよう。
それが、待つことをやめるための、作法のような気がした。
二月の夕方、封筒を懐に入れて、私は店の戸を引いた。
「お直しの季節には、ちゃんと来ていたじゃありませんか」
先生は針を持つ手を止めずに笑って、それから私の封筒に目を落として、笑うのをやめた。
私が用件を言い終える前に、先生は立ち上がった。
「その前に、見ていただくものがあります」
通されたのは、店の奥の、北向きのひと間だった。
樟脳の匂いが、うっすらとした。
白い布をかけた人台が、窓の光の中に立っていた。
先生が、布を外した。
私のドレスが、そこにいた。
※
最初に思ったのは、違う、ということだった。
私が注文したのは、二十六歳の私のドレスだ。
目の前のドレスは、胴の線も、肩の落ち方も、袖まわりも、そのすべてが、三十七歳の今の私の形をしていた。
「着てごらんなさい」
震える手で袖を通すと、ドレスは吸い付くように体に沿った。
絹が肌の上をすべる、ひやりとした感触。
胸の下で、心臓の音が布に触れているのが分かった。
裾がふわりと足首に落ちて、床の上で朝の湖の色に広がった。
どこも、きつくない。
どこも、余っていない。
鏡の中の自分を見て、それから、袖口に目が落ちた。
袖のしつけ糸は、かけたばかりのように白かった。
生地のほうは十一年ぶん、静かに色を沈ませていたのに。
しつけ糸だけが、十一年、新しかった。
「しつけ糸は、一年しかもたないと言ったでしょう」
先生は鏡の中から私を見て、静かに言った。
「だから毎年、かけ直すんです。仕立て上げる日が、いつ来てもいいように」
裏返した縫い代は、驚くほど深く取ってあった。
ほどいては縫い直した針の穴が、縫い目に沿って幾筋も、年輪のように並んでいた。
胴の縫い代は、去年の秋に呟かれた指二本ぶん、そっくり出されていた。
袖口のほつれ。
裾の擦れ。
ボタンの緩み。
季節ごとに私を呼び止めた、上がり框の十五分。
「洋服屋はね、指で寸法を覚えるんです」
先生は、悪びれもせずに言った。
「あなたは十一年、うちの框で、ちゃんと採寸させてくださいましたよ」
先生の指は、十一年前よりも細く、節が高くなっていた。
その指が、毎年ひと針ずつ、黄ばむ前の糸を抜いて、新しい白をかけ直してきた。
私が病院で湯呑みを温めていた七十回の季節、この北向きの部屋でも、同じ数の季節が縫われていた。
声が出なかった。
泣くまいとして天井を見たら、「泣くのは式で、と言ったでしょう」と叱られた。
先生は茶箪笥から、古い畳紙を出してきた。
開くと、白い布が畳まれていた。
裁ち鋏さえ入っていない、ただの白い反物だった。
「うちは一枚だけ、渡せなかったことがあります」
昭和二十年の春に式の約束をした人は、南の海へ行ったきり、戻らなかったのだと先生は言った。
「布のままなら、いつまでも待てます。でもね、待たせたまま古びさせるのは、あんまり寂しい」
「だからうちの店から、渡せない白は、二度と出さないと決めたんです」
畳紙を仕舞う手つきは、眠っている子どもに布団を掛け直すのに似ていた。
それから先生は、部屋の隅の衣桁を、目で示した。
見覚えのない、仮縫いのままの男物の礼服が掛かっていた。
しつけ糸の白が、薄暗がりにぼんやりと浮かんでいた。
「そちらの注文主は、あなたじゃありませんよ」
手術の前の年、病院の売店の葉書で、注文が届いたのだという。
文面は、葉書らしく短かった。
「治ったら着ます。それまで、あいつのドレスを、ほどかんでやってください」
あの病室のベンチで、葉書を返してきた横顔。
「あの洋装店、まだ開いとるか」の、本当の意味。
私が式をあきらめた日から、圭吾もまた、この店に白い約束を預けていた。
その晩、私は街の圭吾に電話をかけた。
「ドレス、見てきた」
長い沈黙のあと、受話器の向こうで、圭吾は観念したように息を吐いた。
「言えんかった。待たせとる俺が、待っとってくれとは、よう言わんやろ」
「言ってよ」
「……すまん」
「言ってよ。十一年ぶん、ぜんぶ」
電話の向こうで、圭吾が洟をすする音がした。
あの口下手が、電話口で何度もつっかえながら、十一年ぶんを言おうとしていた。
待つことをやめに行った店で、私は、二人ぶんの待っていた時間を受け取って帰ってきた。
※
翌年の五月、私たちは湖の見える会館で式を挙げた。
朝いちばんに守屋洋装店へ行くと、先生は白衣の袖をまくって待っていた。
「はい、動かないで」
鋏の先が、袖口の白い糸をすくった。
白い糸がすっと抜けていく音は、十一年かけて結ばれてきた約束が、ほどけてやっと届く音だった。
「仕立て上がりです」
先生はそう言って、私の背中を、定規みたいな掌でとんと押した。
圭吾は仕立て上がったばかりの礼服を着て、会館の窓の下で、また耳まで赤くしていた。
油の匂いは、もう手に戻っていた。
式の間、先生は一番うしろの席で、背筋をまっすぐにして座っていた。
泣いてはいなかったと思う。
ただ、巻尺のない首元を、何度も手で押さえていた。
披露宴のあと、先生にあの大晦日のことを訊いた。
どうしてあの夜、店にあかりが点いていたんですか。
先生は少し考えてから、当たり前のことのように答えた。
「雪の日の最終バスは、遅れますからね」
※
守屋洋装店は、もうない。
先生は八十をいくつか越えた年に店を畳み、湖の見える施設で、今も小さな針仕事をしているらしい。
ドレスは畳紙に包んで、簞笥の一番上にある。
娘は、いつか自分が着るのだと言って譲らない。
そのときが来たら、私は娘の袖口を摘まんで、こう言うのだと決めている。
「しつけ糸はね、一年しかもたないんだよ」
だから人は、かけ直すのだ。
何年でも。
相手が戻るまで、何年でも。