詰め替えられていた遠足のおやつ
母が入院していた小学四年の春、焼津のかつお節工場で焙乾をしていた父が、遠足の前夜に私のリュックを詰め直しました。店へ行ったのではなく三軒の家の戸を叩いていたと知…
母が入院していた小学四年の春、焼津のかつお節工場で焙乾をしていた父が、遠足の前夜に私のリュックを詰め直しました。店へ行ったのではなく三軒の家の戸を叩いていたと知…
学生の頃、市立美術館の公募展の受付で、彫刻の審査員の先生と並んで座りました。私が咳をするたびに「手を出しなさい」と言い、のど飴の缶を三度振って、一粒だけ手のひら…
山形・新庄の母子家庭で育った私は、帰省の朝にタクシー代をせがんで母に怒鳴られ、口をきかないままタクシーに乗りました。家じゅうの時計が五分進んでいたのに、台所の時…
香川・小豆島の全校八十人ほどの中学校で、一年ぶりに退院して戻ってくる同級生のために、弟が誰にも言わずに丸坊主になりました。翌朝の教室は坊主だらけ。島にたった一軒…
耳の聞こえない私の手話には、左右が入れ替わる癖がある。教わった父が、図書館の本と洗面所の鏡だけで覚えたからだ。鏡の前の手話しか知らなかった父の三年間を、私は十七…
父の作業台の抽斗には、売り物にしない蝋細工の膳が、年にひとつずつ増えていた。失敗作だと聞かされていたので、抽斗を開けたのは十三回忌の今日が初めてだ。十七の膳に書…
岡山・蒜山高原で酪農を営んでいた母は、牛舎のラジオを二十一年ものあいだ、ただの一度も消しませんでした。目を潰されて捨てられ、声を失った猫ナギ。十一年帰らなかった…
実家のアルバムは中学二年の夏で写真が途切れ、そこから先は白いままの台紙だった。二十三の私を写真館に連れて行き、赤に黒の振袖を撮らせた母が「私の宝物」と呼んだもの…
熊本・山鹿の灯籠師だった友人は、電話をかけると必ず三回目のコールで出ました。半年に及ぶ入院のあいだ一度も見舞いに行かなかった私が、遺品整理の日に古いマグカップを…
無愛想で友だちの少なかった私を、電車で四十分かかる高校にまで、中学の頃の噂といじめが追いかけてきた。なぜか半年でそれが消えていった頃、心臓の弱い隣の家のジュンが…
母の家の三和土には、誰も履かない小さなサンダルが、いつも同じ角度で揃えて置いてあった。妹のお古だと、俺はずっと思っていた。彼女の親に別れさせられた秋、母は泣きな…
県外への進学を、父だけが最後まで大反対しました。理由は一度も言ってくれません。勝手に決めて出て行った娘が、父の車のダッシュボードから折りたたんだ地図を見つけたの…
事故で恋人を失い、右脚も失った彼女は、ある朝、彼がいちばん好きだった紺のワンピースで駅へ向かった。券売機の前で落とした百円玉を拾ったのは、見覚えのない年配の男性…
新潟の町の裏で拾った、耳の折れた白い猫。首には大きなしこりがあり、余命は一ヶ月と告げられた。その子は毎朝きまって五時の座布団に座り、戸の外をじっと見ていた。五週…
諫早から松戸まで訪ねてきた母は、三日のあいだ一度も私のポケベルを鳴らしませんでした。使い方を知らないのだと、私は十五年ものあいだ思い込んでいたのです。冷蔵庫に残…