貴女には明日があるのよ
彼女には親が居なかった。
物心ついた時には施設に居た。
親が生きているのか死んでいるのかも分からない。
グレたりもせず、普通に育って普通に生きていた。
彼女には同じ施設に恋人が居た。
三つ年上で、幼い頃からずっと一緒に育って来た恋人だった。
結婚の約束もした、彼女の唯一の家族だった。
※
そんな彼女と彼がデートの帰りに事故に遭った。
トラックに突っ込まれて、トラックの運転手と彼は即死。
彼女は右脚の腿から下と、右半身の感覚を失った。
その後の彼女は茫然自失だった。
何もやる気が起きなかった。
病院の中では死ぬことすら出来なかった。
彼女は死ぬ気でリハビリをした。
病院の中では死ねない。
死ぬためには動けるようにならなければならない。
文字通りの死ぬ気だった。
彼女の心は後ろ向きに前向きだった。
血反吐を吐くようなリハビリの末、彼女はまた一人で生活できるようになった。
義足の扱いにも慣れた。
右腕も多少は動く。
その日に突然、今しかないと思い立ち、駅へ向かった。
死ぬなら電車にしよう。
電車なら確実に死ねる。
賠償を求められても、私にはそれを求める遺族なんて居やしない。
お気に入りのワンピースで駅へ向かった。
彼が一番好きで、デートの度にそれを着させられ、ヘビーローテーションしていたワンピースだ。
義足が目に触れることを嫌って、事故以来一度も着ていなかったが、彼に会うならこの服しかない。
※
駅で入場用の切符を買おうとしていると、小銭を落としてしまった。
右半身の感覚の薄い彼女は、しゃがみ込むという動作が一番苦手だった。
仕方なしに拾おうとすると、落とした100円玉をすっと拾う手があった。
年配の男性だった。
小さな声で
「ありがとう」
と呟くと、男性は言った。
「3年ほど前に、○○駅で貴女と、一緒に居た男性に助けていただきました」
何のことだか解らない彼女に、男性はふと目線を後ろにやった。
目線の先には、年配の女性が車椅子に乗って微笑んでいた。
ああ、駅の階段で難儀していた夫婦を、彼と一緒に手伝ったことがあったなあ。
いつも車で移動していた二人が、珍しく電車に乗ってデートをしていた日だ。
彼は優しかった。
いつでも、誰にでも優しかった。
彼女が彼を思い出していると、車椅子の女性が近付いて来て言った。
「しんどいわねぇ…でも貴女には明日があるのよ」
その瞬間、彼女は号泣した。
男性にしがみ付くようにして、彼が居なくなってから一滴も流すことのなかった涙を絞り尽くした。
※
それから二年、彼女は年配夫婦の養子に迎えられることになった。
「これからは飛び込まれたら敵わないわね」
「うちに請求が来ちゃうからなぁ~」
夫婦はニヤニヤと彼女に言い、彼女は
「もうしないよ」
と困ったように笑う。
「老後の面倒見てもらわにゃな~」
と父は言う。
「その代わり、あたし達が死んだら保険金がっつり貰えるよ!やったね!」
と母は言う。
「じゃあ保険金のために頑張りますか」
と彼女は私に微笑む。
施設から、子供の出来ないこの夫婦の家に養子に迎えられた私には、二十歳を過ぎてから出来た素敵な姉が居る。
両親にも姉にも長生きして欲しい。