水曜の朝だけ卵がふたつ減る
夜勤明けの水曜の朝だけ、私の冷蔵庫から卵がふたつ減る。三年のあいだ、朝ごはんを作りに来る後輩を私は鬱陶しく思っていた。どうせ憐れまれているのだと。彼女が島へ発つ…
夜勤明けの水曜の朝だけ、私の冷蔵庫から卵がふたつ減る。三年のあいだ、朝ごはんを作りに来る後輩を私は鬱陶しく思っていた。どうせ憐れまれているのだと。彼女が島へ発つ…
夜行バスの中でスマホが光った。『クウの散歩を記録しました 2.4キロ 38分』。もう歩けるはずのない犬の記録が、なぜ今日も届き続けるのか。確かめるためだけに引き…
泣ける話・長編。半島の集落で俺を育てた隣家のトキさんは、渡船に乗らず峠を歩き、いつも俺を右側に立たせた。十五の夏の約束を果たせないまま別れて三十年、廃止される渡…
婚約者の長い療養で結婚式をあきらめた私と、注文の止まったウェディングドレスを十一年間しつけ糸のまま守り続けた仕立て屋の物語。袖口の白い糸に隠されていた約束と、病…
能登の小さな町では、秋祭りの曳山の笛をふたりの子どもが半分ずつ吹く。九つで戻らなかった息子の座は、二十三年空いたままだった。町が気を遣っているのだと信じていた母…
六十三歳で夜間の大学に入った元保線員の私は、講義室の窓の震えの中に線路の継ぎ目の音を聞いていました。十八年会っていない父と息子をもう一度つないだのは、私がかつて…
夫は毎晩、玄関で靴を外へ向けて並べ直しました。几帳面な小言だと思い、私は十年も腹を立てていたのです。隣の棟が燃えた冬の夜、その手つきの意味をようやく知りました。…
七つで両親に置いていかれた私を、血のつながらない花火師が引き取った泣ける話。五十年ただの一度も名前を呼ばれず、玉名帳にも名簿にも私の名はなかった。その理由は、空…
三つだった姪を自分の娘として育てた紙漉きの女の泣ける話。毎年一枚だけ漉いた売らない透かし紙が、三十年後に娘の手から返ってくる。十月十九日にだけ名を呼ばれなかった…
土曜の三時、最前列の右端にいつも同じ子が座っていた。照明が落ちた数秒だけ、その子は声を出せた。三十年後、閉館の決まったプラネタリウムに現れた整備士が、肘掛けに残…
湯屋の富士は、女湯の裾だけが四十三年ずっと白いままだった。絵描きが仕事を放ったのだと、私はずっと思っていた。廃業を決めた最後の夜、大阪から来た兄弟子が差し出した…
十四で継母を迎えた私を、くめさんは一度も名前で呼ばなかった。泣ける話としてお届けする長編の感動短編です。表具屋の土間に五十年、封を切らずに置いた三つの糊甕。五十…
十七で硝子工場に入った俺の瓶を、七つ上の検品係すずさんは毎日そっと合格の箱へ入れていた。泣ける話としてお届けする長編の感動短編。五十八年後に口の右へ寄った一本が…
結婚してから五十年、私は夫の隠しごとを恨み続けました。毎年八月十四日だけ、あの人は何も言わずに家からいなくなるのです。継ぎ当てだらけの萌黄色の蚊帳と、桶屋の指に…
寒天づくりの町に嫁いだ私は、四十年ものあいだ夫に小さな嘘をついていました。夫が毎冬とっておいた割れ寒天の行き先を、廃業を決めた最後の冬に、思いがけない訪問者から…