
父の車のダッシュボードには、いつも折りたたんだ地図が入っていました。
カーナビが付いてからも、父はそれを捨てませんでした。
助手席に座るたび、私はその紙の角が浮いているのを見ていました。
ただの物持ちのいい人なのだと、私は思っていました。
その地図をきちんと開いたのは、父がいなくなってからです。
※
小さい頃の夢は、お父さんのお嫁さん
私の小さい頃の夢は、お父さんのお嫁さんになることでした。
父を嫌いだと思ったことも、嫌だと思ったこともありません。
周りの友達より、うちは父娘の仲がよかったと思います。
父は市の水道局で、漏水の調査をしていました。
道路にしゃがみ込んで、細い棒を耳に当てて、地面の下の音を聞く仕事です。
「水の漏れとる音はな、ちょっと甘い音がすんねん」
音聴棒という、先の丸い金属の棒を使います。
父はそれを地面に当てて、反対の端を耳に押しつけて、じっと動かない。
通りかかった人が変な顔をしても、気にもしません。
私も一度、真似をさせてもらったことがあります。
聞こえたのは、ごうごうという自分の血の音だけでした。
「まだ耳が新しいからな」
父はそう言って笑いました。
擦り減った耳のほうが、細い音を拾えるのだそうです。
そう言われても、子どもの私にはさっぱりわかりませんでした。
休みの日には、父はよく私を車に乗せて出かけました。
行き先は決めず、地図を広げて、私に指を差させるのです。
助手席に広げた紙は大きすぎて、私の膝からはみ出しました。
父はその紙を、いつも同じ折り方で畳みます。
「地図はな、畳み方を変えたら破れるねん」
破れるのは折り目からだ、と教わりました。
同じところを何度も折るから、そこが先に傷む。
だから折り目は増やさない。
「ほな、そこ行こか」
たいてい、何もない場所に着きました。
それでも父は嬉しそうに、缶コーヒーを二本買って、車のボンネットに肘をついていました。
一本は父、一本は私。
私はまだ子どもでしたから、半分も飲めません。
残りは、いつのまにか父が飲み干していました。
「二本買わんと、格好つかんやろ」
それが父の口癖でした。
帰り道はたいてい寝てしまって、家に着くと、父が私を背負って階段を上がります。
起きているのに、寝たふりをしていた日が何日もありました。
※
初めての喧嘩
高校三年になって、私は進路で迷っていました。
やりたいことが県外の学校にしかなくて、両親に相談しました。
母は、私に反対をしたことのない人です。
「自分が後悔せんように、やりたいことをやりなさい」
「お母さんは応援するよ。頑張り」
その晩、父は夕飯のあいだ、一度も箸を置きませんでした。
置いてしまうと、何か言わなければならなくなるからだと思います。
父は、大反対でした。
「県外に行かんでも、同じような学校は地元にある」
「そこに通いなさい」
取りつく島もない言い方でした。
私は初めて、父と喧嘩をしました。
言い返す私に、父は最後まで理由を言いませんでした。
ただ、駄目だ、の一点張りです。
私はその頑固さを、単なる子離れのできなさだと決めつけました。
思い返せば、あの喧嘩のあいだ、父は一度も声を荒らげていません。
ただ、同じ言葉を繰り返していただけです。
怒鳴る人は、理由を言えないときには怒鳴りません。
そのことに気づくのに、私は何年もかかりました。
※
それから私は、母と二人で、父に内緒で受験の準備をしました。
受かったことも言わず、部屋を借りたことも言わず。
全部を終わらせてから、父に伝えました。
「来月、引っ越しするから」
「知らん。勝手にせえ」
父は新聞から目を上げませんでした。
出発の日、駅に来てくれたのは母だけでした。
改札の向こうで手を振る母を見ながら、私は少しだけ、勝った気になっていました。
母は、私が父に内緒にすることを止めませんでした。
止めれば、私が父を憎むと思ったのだそうです。
母は私と父の両方に隠しごとをして、両方の味方をしていました。
あの人がいちばん、しんどかったはずです。
※
母からの電話
向こうでの生活が始まって、ひと月ほど経った頃です。
母から、話があると電話がありました。
父は、私が高校に入る前から病院に通っていたこと。
それを私に言うなと、母に口止めしていたこと。
そして、近く手術を控えていること。
反対を押し切って出て行った娘の邪魔をしたくない、と父が言っていたこと。
母は、私と受験の準備をしていたことを、実は父にこっそり伝えていました。
母は、そのことを父に伝えたあと、三日ほど返事がなかったと言いました。
四日目の朝、父は母に一言だけ言ったそうです。
「あの子の行くとこの地図、買うといてくれ」
母はその意味を、そのときは深く考えなかったそうです。
そして、出発の日。
父も、内緒で駅に来ていたこと。
「帰って来てあげて」
母は最後にそう言いました。
私は受話器を置いてから、しばらく立てませんでした。
自分のことだけを考えて、わがままを通してきたことが、急に重くなりました。
私は父の病気を、まったく知りませんでした。
高校の三年間、父は毎月のように休みを取っていたそうです。
釣りに行くと言って出て行く朝を、私は何度も見送っていました。
竿を積んでいるところを、一度も見たことがなかったのに。
どうしてちゃんと相談して、説得しなかったんだろう。
反対されたら、勝つことばかり考えていました。
※
学校を休んで帰ろうと支度を始めたとき、父からメールが来ました。
絵文字も何もない、行間の詰まったメールです。
「自分で決めたことを途中で投げ出さないこと」
「お父さんは反対したけど、お前が決めたことなら見守りたいと思います」
「だから頑張れ」
「頑張れ」の後に、感嘆符が四つ並んでいました。
父がそんなふうに私を見ていたなんて、思ってもいませんでした。
嬉しくて、涙が止まりませんでした。
「お父さんありがとう。頑張るからね」
「だからお父さんも頑張って。夏休みにそっち帰るから、デートしようね」
そう返信しました。
※
お父さんよりいい男
手術は無事に済んで、夏休みには約束どおりデートをしました。
父は喫茶店でナポリタンを頼み、半分も食べずに私の顔ばかり見ていました。
喉の手術のあとで、飲み込むのがまだ辛かったのだと、あとで知りました。
そのとき私は、年をとって食が細くなったのだと思っていました。
会計のとき、父はレシートを財布にしまいました。
あの人はレシートを取っておく人ではありません。
財布の中から、そのレシートが出てきたのは葬儀のあとです。
日付のところに、鉛筆で丸が付けてありました。
けれど休みが終わって学校に戻ると、父の体調は目に見えて落ちていきました。
咽頭の癌が、大腸と横隔膜に転移していると母から聞きました。
長く見て、あと半年。
母は泣きながら電話をしてきました。
父はそれを知ったうえで治療を続け、入退院を繰り返していました。
私は父との約束どおり、投げ出さずに学校へ通い、就職も決まりました。
元気なうちは、毎日のように電話とメールをしました。
ただ、正直に書きます。
毎日ではありませんでした。
アルバイトが遅くなった週や、課題が詰まった週は、飛びました。
飛ばした週があることを、私は当時、なんとも思っていませんでした。
父は一度も、電話がないと責めませんでした。
卒業の頃には、薬の影響で意識がもうろうとする時間が増えていきました。
私は毎週末、夜行バスで病院に通いました。
四時間の道のりを、私は当時、ずいぶん遠いと感じていました。
父が同じ距離を、点滴の翌日に運転していたことなど知りません。
それでも意識のあるとき、父は口うるさく言うのです。
「早よ結婚しなさい」
「お父さんが品定めしたるから、彼氏を連れて来なさい」
「お父さんより、ええ男を選びなさい」
※
半年と言われた余命を、父は軽々と超えました。
担当の先生に、こんな例は珍しいと言われました。
「お父さんをそこまで励ましてるの、娘さんかな」
私はそのとき、少しだけ誇らしかったのを覚えています。
けれど意識の戻る回数は減り、痛いとも、さすってくれとも言わなくなりました。
半目を開けて天井を見ているだけの目。
口を開けて、苦しそうにする息。
あばら骨と骨盤の形が、はっきりわかるようになった体。
見ているのが辛くて、私は病室から何度も出ては泣き、また戻って手を握りました。
父の手のひらは、指の腹だけが妙にすべすべしていました。
音聴棒を長年握った人の手だと、後輩の方が教えてくれました。
細かいものを触るために、そこだけ皮が薄くなるのだそうです。
地面の下の音を拾ってきた指でした。
腕をさすって、筋肉を動かして、話しかけて。
最後の週、父は一度だけ、はっきりと目を開けました。
私の顔を見て、口を動かしました。
声にはなりませんでした。
形からすると、「かえり」と言っていたように見えました。
帰りなさい、なのか、お帰り、なのか。
私はいまも決めかねています。
父は、静かに逝きました。
葬儀には、父の友人や職場の方が百人以上も来てくださいました。
受付に立っていると、作業服の男性が私の前で立ち止まりました。
父の後輩だという方でした。
「お父さん、いっつも金曜に有給取らはって」
「月曜の朝はな、いちばん眠そうな顔で来はるんですわ」
私はそのとき、意味がわかりませんでした。
「お父さんには、水道のことでほんまに世話になって」
そう言って泣く人が、何人もいました。
職場の方だけでなく、近所の人も来てくださいました。
道でしゃがんでいる父に、よく声をかけていた人たちです。
「あの人、うちの前の道だけ、やたら念入りに聞いてくれてはった」
そう言って笑う人がいました。
父はきっと、どの家の前でもそう言われていたのだと思います。
母は「主人は人徳のある人でした」と言いました。
その意味を、私はその日いちばんよくわかった気がしました。
※
ダッシュボードの地図
四十九日が過ぎて、父の車を手放すことになりました。
掃除をしていて、ダッシュボードの地図が出てきました。
県外の、私が住んでいた町の地図です。
父が地元しか走らない人だったことを考えると、それ自体が妙な話でした。
紙は柔らかくなり、折り目のところが白く裂けかけていました。
何度も開かれた紙は、こういう傷み方をします。父の宿帳の余白のように、余白のほうに人の癖が残るものです。
母に聞くと、父はカーナビを買ったあともそれだけは入れ替えなかったそうです。
開こうとして、うまく開けませんでした。
父の畳み方は独特で、順番どおりに戻さないと広がらないのです。
私は車のボンネットの上で、何度もやり直しました。
ようやく全部が広がったとき、私は手が止まりました。
私のアパートに、赤い丸が付いていました。
そこから駅までの道に、蛍光ペンで線が引いてあります。
線は一本ではありませんでした。
蛍光ペンの色は、黄、桃、緑、また黄。
同じ道の上を、色だけを替えて、何度もなぞってあります。
色の違う線が、何本も重なっていました。
※
父の手帳を見ると、日付と、走行距離だけが書いてある行がいくつもありました。
母は手帳を見て、しばらく黙っていました。
それから、自分の家計簿を持ってきました。
父が高速道路の料金を落としていた日が、母の手で書き留めてありました。
母に日付を照らし合わせてもらいました。
全部、私が電話をかけてこなかった週の翌日でした。
父は治療の合間に、片道四時間かけて、私の町まで車を走らせていました。
金曜に休みを取り、夜のうちに出て、朝に着く。
そして、その日のうちに帰ってくる。
月曜にいちばん眠そうな顔をしていたのは、そういうことでした。
抗癌剤の点滴を受けた週にも、線が引かれていました。
母はそれを知っていて、止めなかったそうです。
「止めたら、あの人、こっそり行くから」
「せめて、行ったことだけは知っときたかったんよ」
会いに来たのではありません。
会えば、帰って来いと言ってしまうからです。
アパートの前を通って、明かりが点いているのを確かめて、そのまま帰る。
私はあの町で、四年間、一度も父の車を見ていません。
父は車を、隣の区画のコインパーキングに停めていました。
領収書が、手帳の後ろに輪ゴムで留めてありました。
同じ駐車場のものが、二十枚以上ありました。
見つからないように停める場所まで、あの人は決めていたのです。
蛍光ペンの色が違うのは、そのたびに新しく引き直していたからでした。
※
地図の余白に、父の字で一行だけ書いてありました。
「今日は、カーテンが開いとった」
私は、その日が何の日だったか思い出せませんでした。
母に日付を伝えると、少し考えてから答えました。
「あんた、その週、電話くれへんかった週やわ」
カーテンが開いていた、というのはそれだけの意味です。
娘が起きている。娘が生活している。
それを確かめるためだけに、父は片道四時間を走りました。
思い出せないほど、なんでもない一日だったということです。
父が反対したのは、子離れができなかったからではありませんでした。
自分の体がどうなるかを、あの人だけが先に知っていたからです。
行かせたくなかったのではなく、間に合わないかもしれないと思っていた。
それでも「頑張れ」と打ったのが、あの人でした。
あのメールを、父は一晩かけて打ったと母から聞きました。
指が思うように動かない時期で、下書きが何通も残っていたそうです。
感嘆符が四つ並んでいたのは、勢いではありませんでした。
削れなかったのだと思います。
反対した言葉を取り消す方法を、あの人はほかに知らなかった。
畑を続けるために種だけを残していった人の話を読んだことがあります。父が捨てなかった種袋のように、黙って先の分だけを用意しておく人が、たしかにいるのです。
※
父が引いた線をたどると、駅の手前で毎回、同じところに寄り道がありました。
行ってみると、川沿いの何もない駐車場でした。
自動販売機が一台だけ置いてあります。
缶コーヒーのボタンの下だけ、塗装が剥げていました。
川の向こうに、私が通っていた学校の校舎が見えました。
ちょうど、屋上の給水塔が見える角度です。
水道の人が最後に確かめる場所を、私は初めて知りました。
父は地図を広げて、私に指を差させた場所で、いつも缶コーヒーを二本買う人でした。
一本は、私の分でした。
※
今度、結婚することになりました
そんな私ですが、今度、結婚することになりました。
お父さんに紹介した、あの人だよ。
お父さんよりいい男かは、正直わかりません。
あの人は、私が仕事で遅くなった日に、何も聞かずに味噌汁を温め直します。
どうしたのとは、絶対に聞きません。
ただ、あの人も、私に理由を言わずに黙っていることがあります。
その黙り方が、お父さんに少し似ています。
一緒にバージンロードは歩けないけれど。
式の朝、私はあの駐車場に寄ります。
缶コーヒーを二本、買います。
一本は、飲まずに置いてきます。
お父さん、わがままでごめんなさい。
勝手に決めて、ごめんなさい。
見守ってくれて、ありがとう。