彼が名を彫った二本の若木
子どもは望めないと告げられた日、私は好きだからこそ、彼に別れを切り出した。けれど彼は、裏の畑に植えた二本の若木の根元に、生まれるはずだった子の名を彫った名札を、…
子どもは望めないと告げられた日、私は好きだからこそ、彼に別れを切り出した。けれど彼は、裏の畑に植えた二本の若木の根元に、生まれるはずだった子の名を彫った名札を、…
兄の嫁として来た佐和子さんを、私は二十年「姉さん」と呼べずにいた。秋の川が兄を連れて行った日、親族の前で「この子は私の妹です」と言い切った人。その言葉の本当の意…
弟から掛かってきた、生まれて初めての電話。昭和三十年代の雪深い炭鉱町を舞台に、詫びてばかりの弟と約束を破った姉の最後の冬を描く泣ける話。弟の行李の底に眠っていた…
駅前の小さな時計店を継いだ婿の俺と、一度も直し方を教えてくれない不器用な義父。国家試験の合格を病室から不器用に祝う電話と、義父が四十年止めたままの形見の振り子時…
昭和の城下町の貸衣装店を舞台にした泣ける話。先に逝った父の黒紋付を、息子の祝言のために仕立て直してほしい——そう持ち込まれた一枚の紋付の裏地から、二十年眠ってい…
昭和の港町を舞台にした泣ける話。風鈴職人の私のもとへ、海から戻らぬ父のために、泣いてばかりの母を笑わせたいという男の子が訪れた。豆粒ほどの小さな風鈴に託した祈り…
昭和の信州の宿場町を舞台にした泣ける話。峠の鍛冶屋として生きる私は、生き別れた父の顔を知らずに育った。ある雪の夜、村に担ぎ込まれた行き倒れの老人の巾着には、幼い…
昭和の瀬戸内の造船の町を舞台にした泣ける話。身寄りのない船大工の見習いだった私は、廻船問屋の一人娘・志津に恋をした。家格の壁と遠い療養先、月に一度届く文の終いに…
昭和の城下町の銭湯を舞台にした泣ける話。番台を継いだ俺が、だらしないと決めつけた路地裏の少年。先代が遺した帳面には、母を見送り独りで長湯をする子の姿が記されてい…
取り壊しの報せが届いて、私は三十年ぶりに祖母の髪結いの家へ入りました。くもった鏡台の引き出しに転がっていた椿油の小瓶と、土間の棚で一本だけ歯を上に向けて立てられ…
機械が牧場にやってきた昭和の冬、私は世話をしてきた三頭の馬を手放すことになった。最後の朝、ハナはそっと私の肩に額を押しあてた。北の開拓村で交わした別れと、今も引…
戦後すぐの山あいの貧しい村で病弱だった私の脇に、恩師の体温計を毎日挟みに来てくれた矢島先生。四十年後、記憶を失い私を忘れた先生に、私は同じ体温計で五分の検温を続…
昭和の終わり、北関東の城下町で三代続いた床屋を継いだ続かない俺。大叔父である先代から受け継いだ親方の革砥と、三十年分の常連カルテだけを頼りに刃を握る。嵐の朝、シ…
昭和六十年の米沢、紅花染めの白猫を私はいつも追い払っていた。寡黙な親方が四十年誰にも告げず欠けた茶碗で養い続けてきた本当の理由は、空襲で失った五歳の妹『文子』へ…
三重県四日市市の駄菓子屋『八重屋』を四十年営んできた私が、店を畳む夕方に出会ったのは、四十年前に消えた幼馴染の拓ちゃんだった。ラムネ瓶のビー玉に込めた五歳の約束…