
大学の食堂の茶碗は、どれも同じ柄だった。
縁のところに、うすい藍色の線が一本だけ入っている。
それなのに、私の前に置かれる一つだけが、いつも重かった。
底の厚い茶碗だった。
受け取るたび、手首がすこし下がる。
私はそれを、3年のあいだ、外れくじのようなものだと思っていた。
いま私は、道内の乳業会社の品質管理室にいる。
週に一度、社員食堂の配膳当番が回ってくる。
先週、その当番の途中で、私は自分の手を見て動けなくなった。
遅番の人のトレーにだけ、厚手の器を置いていた。
誰にも頼まれてはいない。
いつからそうしていたのか、自分でも分からなかった。
その大学は、北海道の東のはずれにある。
農学系の単科で、キャンパスの裏はもう牧草地だった。
11月の終わりには、朝の水たまりが白く固まる。
私は修士の1年生で、乳酸菌の培養をやっていた。
培養は時間で動く。
人の都合では動かない。
3時間おきに数えなければならない日が、週に二度あった。
だから私が第二食堂に着くのは、いつも閉店の15分前だった。
カウンターの向こうに、タニさんが立っていた。
白い帽子から、灰色の髪が少しだけ出ている。
背は私より低い。
食券を出すと、黙って受け取る。
お盆にごはんを置くときだけ、かすかに音がした。
ことん、と底の鳴る音だ。
ほかの学生の茶碗は、その音がしない。
私はその音を、毎日聞いていた。
最初に気づいたのは、学部の4年のときだったと思う。
友だちと並んで受け取って、トレーを持ち上げた瞬間だった。
私のほうが、あきらかに重い。
中身は同じはずだった。
ごはんの量を比べてみたこともある。
盛りの高さも、表面のかたちも、変わらなかった。
重いのは器だった。
ひっくり返してみると、高台が分厚い。
指でつまむと、ふつうの茶碗の倍はある。
柄は同じだった。
藍色の線も、同じ位置に入っている。
外から見ているぶんには、何ひとつ違わなかった。
そのころの私は、研究がうまくいっていなかった。
秋の中間発表で、指導教員に言われた言葉がある。
「きみのデータは、間違ってはいない」
そこで一度、区切られた。
「ただ、面白くはないな」
間違っていないものを、どう直せばいいのか分からなかった。
その日から、私は人と食べる時間をずらすようになった。
閉店の15分前は、都合がよかった。
誰にも会わない。
修士の1年目、私は誰とも研究の話をしなくなった。
面白くない、と言われたデータの束が、机の上で厚くなっていく。
グラフはきれいに並ぶ。
並ぶだけで、何も起きない。
恒温器の扉を開けて、シャーレを数える。
数えて、書く。
また3時間待つ。
待っているあいだ、私は窓の外を見ていた。
10月の終わりには、もう16時半で暗くなる。
実験棟の灯りが、牧草地のほうまで細く伸びていた。
ことん、という音だけが、そこで待っている。
券売機の一番下の段
第二食堂の券売機は、古い型だった。
ボタンの文字がすり減って、上の段から読めなくなっていく。
一番下の段に、日替わりBがあった。
330円。
ごはんと味噌汁と、主菜がひとつ。
その時間に残っているのは、たいていそれだけだった。
私は3年間、ほとんどその一枚しか押していない。
指が勝手に下がる。
タニさんは口数が少なかった。
「はい」と「おつかれ」しか言わない日もある。
ただ、手は速かった。
味噌汁の玉じゃくしを、椀の縁に一度だけ当てる。
かん、と鳴って、雫が落ちない。
その音が、食堂の終わりの合図みたいだった。
一度、私が茶碗を落としかけたことがある。
手袋をしたまま受け取ろうとして、指がすべった。
タニさんがカウンター越しに手を出して、下から受けた。
厚い底が、その手のひらにことんと乗った。
「こういうの、重いっしょ」
私はうなずいた。
「重い茶碗は洗いにくいしょ。みんな軽いほう先に取るのさ」
そう言って、タニさんは笑った。
笑うと、目のまわりだけが動く人だった。
そのときも、私は深く考えなかった。
みんなが軽いほうを取る。
だから残ったものが、最後に来た私に回る。
理屈は通っている。
通っていたから、それ以上は考えなかった。
閉店の15分前に来るのは、私だけではなかった。
夜勤明けの警備の人が、たまに来る。
工学部の留学生が、実験の合間に走ってくる日もある。
名前は知らない。
顔だけ知っている、という間柄が、あの時間には何人かいた。
みんな、黙って食べて、黙って帰る。
カウンターの照明は、もう半分落ちている。
その薄い明るさのなかで、タニさんだけが動いていた。
坂西くんに言われたのは、その冬だ。
同じ研究室の後輩で、いつも18時前に来て、私の向かいに座る。
「それ、外れくじっすよ」
彼は自分の茶碗を箸で持ち上げてみせた。
ひょい、と軽く上がる。
「こっちが普通。あれ持つと手首くるんす」
「何個あるの、あれ」
「7つ。洗い場のバイトしてたんで数えました」
底の厚い茶碗は、7つしかないのだという。
私は笑った。
笑いながら、少しだけ嫌な気持ちになった。
みんなが避けたものが、毎日、私のところに来ている。
そのときの私には、そう見えていた。
読めない黒板の字
第二食堂の入口の横に、小さな黒板があった。
「本日のおすすめ」と書く欄がある。
書くのはタニさんだった。
そして、その字は誰にも読めなかった。
崩れているわけではない。
一画ずつ、律儀に書いてある。
ただ、線の太さが全部同じで、文字と文字の間が空かない。
「ほっけ」と「ほうれん草」の区別が、最後までつかなかった。
学生が聞きにいく。
「今日のおすすめ何すか」
「書いてあるしょ」
「読めないんすよ」
「読みなさい」
それで会話が終わる。
誰も怒らなかった。
読めない黒板は、あの食堂の名物みたいなものだった。
坂西くんが一度、黒板を写真に撮って画像検索にかけたことがある。
結果は「手書き風フォント」だった。
私たちはカウンターに背を向けて笑った。
タニさんは聞こえていたはずだ。
玉じゃくしが、いつもより強く縁に当たった。
かん、と鳴って、雫はやっぱり落ちなかった。
一度だけ、私は黒板が読めたことがある。
2月の、ひどく冷えた日だった。
外は零下15度まで下がっていて、玄関のマットが凍っていた。
黒板には、五文字だけ書いてあった。
「あったかい」
それがおすすめの料理名なのか、ただの挨拶なのか、分からなかった。
私は少し笑って、券売機の一番下を押した。
一度、厨房の中が見えたことがある。
返却口の扉が、風で開いていた。
大きなシンクが二つ並んでいて、片方から湯気が上がっている。
ステンレスの台に、かごが積んであった。
かごの目は四角く、器がきっちり収まるようになっている。
そのかごを、タニさんが両手で持ち上げて、機械の口に押し込んだ。
がしゃん、と鳴った。
私は見ていただけで、何も思わなかった。
洗い物というのは、そういうものだと思っていた。
タニさんのことを、私はほとんど知らない。
年は60を過ぎていたと思う。
名札には「谷」とだけあった。
出身を聞いたことがない。
家族の話も聞いたことがない。
三度に一度、手の甲に絆創膏が貼ってあった。
洗剤で荒れているのだろうと思っていた。
実際、その手は年じゅう赤かった。
指の関節のところが、乾いて白く粉をふいている。
私はそれを、水仕事の人の手だと思っていた。
思っただけで、何も聞かなかった。
底の厚い茶碗の重さ
私は、ごはんを最後に食べる。
子どものころからの癖だ。
おかずを先に片づけて、白いごはんだけを残す。
それから、ゆっくり食べる。
理由は自分でもよく分からない。
好きなものを最後に置いておく、という単純なことなのだと思う。
修士の1年の冬、私は食べるのがいっそう遅くなっていた。
トレーの横に論文を広げて、1ページ読んでは一口食べる。
30分はかかった。
閉店を過ぎても、タニさんは何も言わなかった。
洗い場で音をさせながら、私が立つのを待っている。
あるとき、返却口で声をかけられた。
「あんた、ごはん最後に食べるっしょ」
私は驚いた。
カウンターからは、隅の席は見えないはずだった。
「見えるんですか」
「皿が先に空くもの」
そう言って、タニさんは私のトレーを受け取った。
空の茶碗が、ことん、と鳴った。
その冬、私は一度だけ不思議に思ったことがある。
30分かけて食べても、最後のひと口がまだ温かいのだ。
研究室で弁当を食べるときは、10分で冷たくなる。
食堂の暖房がいいのだろうと思った。
そう思って、それきりにした。
坂西くんは、いつもごはんを先に食べ終える。
「米が冷たくなる前に食うのが正義っす」
彼の茶碗は軽い。
軽い茶碗のごはんは、たしかに早く冷めた。
そのことに、私は何の意味も見ていなかった。
1月に、培養を一度、全部だめにした。
恒温器の設定を、私が1度だけ間違えたのだ。
3か月ぶんが、一晩で使えなくなった。
その日、私は食堂に行くつもりがなかった。
それでも足が動いて、閉店の10分前にカウンターの前にいた。
券売機の一番下を押した。
タニさんは私の顔を見なかった。
いつもどおり、玉じゃくしを縁に当てた。
かん、と鳴った。
お盆に、ことん、と茶碗が置かれた。
「ゆっくり食べなさい」
それだけだった。
私はその日、45分かけて食べた。
最後のひと口も、まだ温かかった。
2月の終わりに、タニさんの手の甲の赤が、いつもより濃い日があった。
絆創膏が二枚になっている。
「洗剤、きついんですか」
私はそう聞いた。
3年でたぶん、いちばん踏み込んだ質問だった。
タニさんは自分の手を見てから、袖をおろした。
「そんなもんさ」
そして、券売機のほうを見て言った。
「あんた、遅いんだから、早く出しなさい」
私は食券を出した。
底の厚い茶碗が、その日もお盆に置かれた。
食器を入れ替える春
修士2年の秋、私は研究をやめようと思っていた。
データはそろっていた。
そろっていて、やはり面白くなかった。
学会の予稿を書きながら、何度も画面を閉じた。
12月に、食堂の入口に紙が貼られた。
委託業者が3月で替わる、という知らせだった。
A4の紙が一枚。
説明会の日時と、連絡先の内線番号だけが書いてある。
厨房の人がどうなるのかは、どこにも書かれていなかった。
紙が貼られてから、食堂の空気は少しだけ変わった。
学生が、レジの前で「どうなるんすか」と聞く。
タニさんは「さあね」と言う。
それ以上は誰も聞かなかった。
聞いても、たぶん同じ答えだった。
私は一度、聞こうとした。
券売機の前で、うしろにもう並ぶ人がいなくて、聞けるはずだった。
「タニさん、あの」
「はい」
そこで言葉が出てこなかった。
タニさんが待っている。
玉じゃくしを持ったまま、待っている。
「……日替わりBで」
「わかってるしょ」
それで終わった。
2月の終わりに、食堂の営業最終日が決まった。
3月14日、と貼り紙に書いてあった。
その日、私は札幌にいた。
学会の前日で、宿の場所が分からなくて、地図を見ながら歩いていた。
坂西くんから写真が届いたのは、19時すぎだ。
カウンターの前に、学生が20人くらい並んでいる。
「最終日、人来すぎです」
次の写真には、黒板が写っていた。
いつもの読めない字で、何か書いてある。
拡大しても読めなかった。
坂西くんに聞いたら、本人も読めなかったと言った。
「谷さんに聞いたら、読みなさいって言われました」
私はホテルのロビーで、少しだけ笑った。
3月の第2週に、私は学会で札幌にいた。
発表は、15分で終わった。
質問は2つ来て、どちらにも答えられた。
帰りの特急のなかで、私はやめないことに決めた。
理由はうまく言えない。
発表のあと、知らない大学の先生に「その菌、うちにもいる」と言われた。
たぶん、それが全部だった。
大学に戻ったのは、3月の20日すぎだった。
第二食堂は、もう閉まっていた。
ガラスの向こうに、段ボールが積んである。
中身は食器だった。
底の厚い茶碗も、その中にあったはずだった。
黒板は、きれいに消されていた。
消した跡だけが、白く横に残っている。
4月から、新しい業者の食堂になった。
券売機はタッチパネルになり、日替わりは450円になった。
茶碗は全部、白い無地に替わった。
どれを取っても同じ重さだった。
私は修了まで、そこで1年間食べた。
ごはんは、いつも15分で冷めた。
洗浄機のラックの高さ
2年たった今年の6月、私は出張で十勝に行った。
取引先の工場が、大学のすぐ近くにあった。
昼の時間が空いたので、私は門を入った。
牧草地は変わっていなかった。
第二食堂の建物も、外から見るかぎり同じだった。
白い茶碗のごはんを持って、私は隅の席に座った。
返却口に運んだとき、洗い場の人と目が合った。
年配の女性で、私の顔を覚えているようだった。
「あんた、遅い時間に来てた子でないかい」
その人は、前の業者のときから洗い場にいた人だった。
業者が替わっても、洗い場の人だけは残ったのだという。
私は、タニさんのことを聞いた。
「谷さんね。旭川の娘さんとこ行ったよ」
元気だという。
膝を悪くして、去年から杖をついていると。
私は少し笑って、それから茶碗の話をした。
底の厚い、重い茶碗が7つあったこと。
3年間、自分にばかり回ってきたこと。
洗い場の人は、手を止めた。
「あれ、回ってきてたんでないよ」
「え」
「谷さんが入れてたのさ。遅い時間に来る子に」
厚い器は冷めない、とその人は言った。
底に厚みがあるぶん、器そのものが温まる。
温まった器は、なかの飯をゆっくりしか冷まさない。
冬の十勝で、30分かけて食べる子には、それが要る。
「谷さん、皿の空き方見て決めてたよ。ごはん最後に食べる子いるしょ」
私は、返却口の台に手をついた。
あの声が、耳の奥で鳴った。
――あんた、ごはん最後に食べるっしょ。
皿が先に空くもの、と言ったあの人は、私の食べ方を見ていた。
見て、器を選んでいた。
だから、あの茶碗だけが冷めなかったのだ。
そこまでは、まだ、よかった。
私は次の質問をしてしまった。
「7つ、毎日洗うの大変でしたよね」
洗い場の人は、少しだけ困った顔をした。
「洗浄機、入らないのさ」
底の厚い茶碗は、洗浄機のラックに入らなかったのだ。
高台が高いぶん、上の段に当たる。
無理に入れれば、縁が欠ける。
だから、あれだけは手で洗うしかなかった。
ラックに並ばないものは、シンクに残る。
閉店のあと、湯を張ったシンクに。
「谷さん、あれだけは自分で洗ってたよ。最後まで」
私は、タニさんの手を思い出した。
年じゅう赤かった手。
三度に一度の絆創膏。
乾いて粉をふいた関節。
洗剤ですか、と私は一度だけ聞いた。
そんなもんさ、と返ってきた。
タニさんの手の甲が赤かったのは、洗剤のせいではなかった。
厚い器は、冷めない。
湯に沈めれば、その湯の熱を、いちばん長く持っている。
私は、あの3年間で一度も、お礼を言っていない。
ごちそうさまは、たぶん毎日言った。
でも、重い、とは一度も言わなかった。
重いですね、と言えば、たぶん何か返ってきた。
外れくじだと思っていたから、言わなかった。
帰りのバスで、私は窓のほうを向いていた。
牧草地の緑が、6月の光で白っぽく見えた。
先週の配膳当番の日、私は自分の手を見て動けなくなった。
遅番の人のトレーにだけ、私は厚手の器を置いている。
誰にも言っていない。
言えば、重いと言われる気がした。
そう言われたら、私は笑ってうなずくのだと思う。
笑いながら、次の日もまた、同じものを置くのだと思う。
大学の食堂の茶碗は、どれも同じ柄だった。
いま、うちの社員食堂の器も、どれも同じ白だ。
それなのに、私が置く一つだけが、いつも重い。
底の厚い茶碗の重さを、私はもう、間違えない。