姉さんと呼べなかった二十年

静かな川辺の朝焼け

私は二十年ものあいだ、その人を「佐和子さん」と呼んでいた。

兄の嫁として家に来た人を、最後まで「姉さん」と呼べなかった。

呼べなかった理由を、うまく言葉にできないまま、私は大人になった。

その呼び名をようやく口にできた冬の朝のことを、これから書こうと思う。

私の生まれは、北陸の小さな城下町だった。

町の真ん中を澄んだ川が流れていて、川沿いには紺屋——藍染の工房が、低い軒を連ねていた。

父は、その紺屋のひとつで働く染物職人だった。

母は私を産んで間もなく、静かに旅立ったのだと聞いている。

だから私は、母の顔を知らない。

十二歳上の兄が、私にとっては親のようなものだった。

兄は中学を出るとすぐ、父と同じ紺屋に入った。

藍甕を覗き込む兄の広い背中を、私は工房の隅からよく眺めていた。

私が十二の春、今度は父が長い患いの末に、母のところへ逝ってしまった。

二十四になったばかりの兄は、涙を見せなかった。

「さと、心配すんな。俺がおる」

それだけ言って、次の朝もいつも通り、藍甕の前に立った。

それからの一年は、兄と二人の暮らしだった。

兄の作る飯は、焦げた卵焼きと、しょっぱすぎる味噌汁ばかりだった。

それでも私が箸を止めると、兄は不器用に笑って、明日はもっとうまいのを作る、と言った。

明日も、焦げていた。

私はそれを、まずいまずいと言いながら、いつも全部食べた。

兄が佐和子さんを連れてきたのは、その翌年の秋だった。

川向こうの仕立物屋で働く人で、歳は二十二。

色が白くて、声の小さい人だった。

「今日からこの人も、うちの家や」

兄はそれだけ言うと、照れたように首の後ろを掻いた。

祝言は、工房の座敷でささやかに挙げた。

佐和子さんは白無垢ではなく、自分で仕立てて、うちの甕で染めた藍の着物を着ていた。

藍は褪せん色やからな、と兄が自慢げに言って、職人衆にひやかされていた。

上座の兄は、宴のあいだじゅう、耳の先まで赤かった。

十三の私は、どんな顔をすればいいのか分からなかった。

お姉さん、と呼んでみなさいと近所の人には言われた。

けれど、その三文字は喉のところで固まって、どうしても出てこなかった。

私はその人を「佐和子さん」と呼んだ。

佐和子さんは気を悪くするでもなく、そうやね、それでええよ、と笑った。

その笑い方が、少しだけ寂しそうに見えたことを、今でも覚えている。

嫁に来て間もない頃、佐和子さんは私に藍染の前掛けをくれた。

自分で縫って、紺屋で染めさせてもらったのだという。

端のところに、白く「さと」と染め抜いてあった。

「名前が入るとね、その物はもう、家族なんやよ」

意味はよく分からなかったけれど、私はその前掛けを毎日つけた。

藍の匂いは、少しだけ父の匂いに似ていた。

前掛けの紐を結んでくれながら、佐和子さんは、よう似合うわ、と目を細めた。

三人の暮らしは、静かだった。

うちは裕福ではなかったから、食卓のおかずが二品しかない夜も多かった。

そういう夜、佐和子さんの皿には、いつも漬物だけが載っていた。

先にお食べ、と恩に着せるでもなく、ただ当たり前のようにそうしていた。

私がそれに気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。

私が流感で寝込んだ冬の夜のことも、忘れられない。

佐和子さんは一晩中、枕元にいた。

うとうとして目を開けるたび、行灯の灯りの中に、針を動かす横顔があった。

額の手拭いを替えてくれる指が、ひんやりと気持ちよかった。

朝方、熱の下がった私に、佐和子さんは林檎を擂ってくれた。

母親というものがいたら、こういう夜があるのだろうか、と思った。

思ってから、慌てて打ち消した。

あの頃の私は、この人に甘えることが、旅立った母や、逝った父への裏切りのような気がしていたのだ。

今思えば、「姉さん」と呼べなかった理由の半分は、そういう子どもじみた意地だった。

残りの半分は、たぶん、怖かったのだと思う。

呼んでしまえば、この人までいつか、いなくなる気がして。

兄の誕生日は、一月の終わりだった。

その日になると、兄は決まって、染め上がった反物を抱えて川へ下りた。

寒ざらしといって、真冬の川の水に反物を晒すと、藍の色がきりりと締まるのだそうだ。

「藍はな、冬の水で本当の色になるんや」

かじかむ手に息を吹きかけながら、兄は誇らしそうに言った。

佐和子さんと兄が初めて口をきいたのも、この寒ざらしの川べりだったという。

流されかけた反物の端を、通りがかりの佐和子さんが裾を濡らして押さえてくれた。

それが馴れ初めだと、兄は酔うたびに同じ話をした。

佐和子さんはそのたび、もうやめてよと言いながら、耳まで赤くなっていた。

誕生日の川べりには、いつも三人分の笑い声があった。

あの冬の川の冷たさを、私は今も手のひらが覚えている。

中学の授業参観の日、佐和子さんは仕立ての針を置いて、来てくれた。

教室の後ろに立つ細い姿を見つけたとき、嬉しさより先に、困った、と思ってしまった。

友だちに、あの人は誰と訊かれて、私は「兄のお嫁さん」と答えた。

お姉さん、と言えばそれで済んだのに。

帰り道、佐和子さんは「お母さんじゃなくて、ごめんね」と笑った。

違う、そうじゃない、と言いたかったのに、言葉は出てこなかった。

あの日の夕暮れの、少し前を歩く薄い背中を、私は何十年も忘れられずにいる。

私が十五の秋、川が増水した。

何日も降り続いた雨で、いつもは膝ほどの流れが、濁った渦に変わっていた。

工房の若い衆が誤って流した反物を追って、兄は川に入った。

反物は戻ってきた。

兄は、帰らなかった。

通夜の晩のことは、切れ切れにしか覚えていない。

ただ、白い着物の佐和子さんが、まばたきを忘れたように座っていたことだけを覚えている。

結婚して、まだ二年だった。

葬式が終わると、親族が座敷に集まって、これからの話になった。

十五の私と、二十四の佐和子さんが、残された。

母方の遠縁にあたる家が、私を引き取ると言った。

佐和子さんの実家のご両親は、娘はまだ若いのだから家に戻す、と言った。

あんたも子どもやないんやから分かるやろ、と誰かが私に言った。

私は畳の目を数えながら、はい、と答えようとした。

そのときだった。

それまで黙って俯いていた佐和子さんが、両手をついて、頭を下げた。

「この子は、私の妹です」

「血は繋がっていなくても、私のたったひとりの家族です」

「お願いします。この子と、暮らさせてください」

声の小さいはずの人の声が、座敷の隅々まで通った。

娘のように育てます、ではなかった――妹です、と佐和子さんは言った。

なぜ「妹」なのか、そのときの私は考えもしなかった。

ただ、この人の隣にいたい、とだけ思った。

親族は最後には折れて、私と佐和子さんの二人暮らしが始まった。

後で房江さんに聞いたことだが、佐和子さんはあの晩、実家のご両親と朝まで言い合ったらしい。

温和なあの人が親に声を荒らげたのは、後にも先にも、あの一度きりだったという。

稼ぎ手を失った家で、佐和子さんは朝から紺屋の下働きに出た。

夜は夜で、行灯のそばで仕立物の針を動かした。

藍に浸かった指先は、洗っても洗っても青いままだった。

その青い指で、佐和子さんは毎朝、私の弁当を包んでくれた。

それでも正月には、ちゃんと餅の入った雑煮が出た。

私の椀には餅が二つ、佐和子さんの椀には一つ。

どうして、と訊くと、姉さんは餅が苦手なんや、と笑った。

苦手なはずの餅を、私が残すと、もったいない、と言って旨そうに食べた。

一月の終わりの寒ざらしも、二人になってから、絶えることはなかった。

最初の年、川べりに立った佐和子さんは、反物を抱えたまま、長いこと動かなかった。

「藍は、冬の水で本当の色になるんやてね」

兄と同じことを言って、佐和子さんは真冬の流れに反物を晒した。

濡れた指先が赤くかじかんでも、やめなかった。

二人分の白い息が、川面を流れていった。

それは私たちにとって、正月のような、法事のような、大事な儀式になった。

高校の入学式の朝、佐和子さんは箪笥の奥から一張羅の羽織を出してきた。

袖を通すのは、祝言の日以来やわ、と言った。

校門の前で、佐和子さんは何度も私の襟元を直した。

直すところなんて、もうどこにもなかったのに。

高校三年の進路相談の時期、私は就職すると決めていた。

これ以上、この人に苦労をかけるわけにはいかなかった。

けれど願書の話を切り出す前に、佐和子さんが先に言った。

「さとちゃん、学校へ行きなさい」

「お金はね、姉さんが何とかするから」

自分のことを「姉さん」と言ったのは、それが初めてだった。

私はうつむいて、膝の上の拳を握った。

血の繋がらない小姑のために、どうしてここまでしてくれるのか、分からなかった。

分からないまま、その夜は声を出さずに泣いた。

私は染色の学校へ進み、卒業して、町の紺屋に入った。

女の職人はまだ珍しい時代だったけれど、藍の匂いの中にいると、父と兄のそばにいる気がした。

初めて任された藍甕をだめにした日、私は川べりでひとりで泣いた。

探しに来た佐和子さんは、何も訊かずに、隣に腰を下ろした。

「兄さんもな、若い頃、甕を三本もだめにしたんやて」

「親方に頭を下げに行くとき、膝が震えとったらしいよ」

誰に聞いたの、と訊くと、本人、と言って、いたずらっぽく笑った。

帰り道、夕焼けが川をあかね色に染めていた。

この人の前でなら泣いてもいいのだと、あの日、初めて思った。

初めての給金で、私は佐和子さんに前掛けを誂えた。

自分で縫って、自分の甕で染めて、端に白く「さわ」と染め抜いた。

渡すとき、名前が入ると家族なんやろ、と私は言った。

佐和子さんは前掛けを胸に当てたまま、ありがとう、ありがとう、と繰り返した。

ありがとうを言わなければならないのは、私のほうだった。

それなのに、あの日もまだ、私は「姉さん」と呼べなかった。

二十八のとき、私に縁談があった。

相手は隣町の建具屋の次男で、口の重い、優しい人だった。

「良い人なんか」と佐和子さんは訊いた。

「うん。口は重いけど」

「ほんなら、兄さんと一緒やねえ」

そう言って、佐和子さんはくすりと笑った。

祝いの膳を二人で囲んだ夜、私は箸を置いて、畳に手をついた。

今日まで育ててもらって、ありがとうございました、と頭を下げた。

十三年分の礼には、あまりに短い言葉だった。

顔を上げると、佐和子さんは、箸を握ったまま泣いていた。

音もなく、ただ、ぽろぽろと泣いていた。

一緒に暮らしましょう、と夫も私も何度も言った。

けれど佐和子さんは、お婿さんに悪いから、と首を振るばかりだった。

娘が生まれると、佐和子さんは目を細めて、飽きもせず抱いていた。

その横顔は、どこからどう見ても、祖母の顔だった。

同居が叶ったのは、佐和子さんが台所で倒れてからだ。

幸い大事には至らなかったけれど、今度ばかりは私も引かなかった。

渋る人を半ば強引に連れてきて、それから十年、四人で暮らした。

佐和子さんは最後まで、家のことをしたがった。

取り上げようとすると、姉さんの仕事を取らんといて、と口を尖らせた。

その言い方が娘にそっくりで、食卓中が笑った。

あるとき娘が、さわおばちゃんはお母ちゃんの何なん、と無邪気に訊いたことがある。

私が答えに詰まっていると、佐和子さんが先に言った。

「姉さんはな、お母ちゃんの、姉さんや」

澄ました顔でそう言って、それから一瞬だけ、私の顔を見た。

私は、うん、と娘に頷いてみせることしかできなかった。

あのとき目が合った短い間の、佐和子さんの表情を、私は通夜の晩に思い出すことになる。

縁側で娘に針の持ち方を教える佐和子さんを見ながら、ああ、この景色を兄に見せたかった、と何度も思った。

その佐和子さんが、去年の暮れ、眠るように逝った。

前の晩まで、いつも通りに繕い物をしていた。

湯呑みも針箱も、きちんと片付けられていた。

最後まで、静かな人だった。

祭壇の写真の中で、佐和子さんは藍の着物を着て笑っていた。

祝言の日の、あの着物だった。

褪せん色やと兄が自慢した藍は、五十年経っても、深いままだった。

通夜の晩、房江さんが焼香に来てくれた。

佐和子さんの幼馴染で、川向こうの仕立物屋で一緒に働いていた人だ。

帰り際、房江さんは私の手を取って、あんたに話しておかんとならんことがある、と言った。

佐和子さんはね、若い頃の大病で、子どもの望めない体やったんよ。

初めて聞く話だった。

だから縁談が来るたびに、相手に迷惑がかかるからと、全部断っとった。

おたくのお兄さんの話も、最初は断ったんやと。

そしたらお兄さん、何て言うたと思う。

房江さんはそこで一度言葉を切って、目頭を押さえた。

「うちには妹がおる。あの子の、姉さんになってくれんか」――それが、兄の求婚の言葉だった。

嫁になってくれ、ではなかったのだという。

佐和子さんは一晩泣き明かして、翌朝、妹さんに会わせてください、と答えた。

せやからあの人、初めてあんたに会う日、前の晩から眠れんかったんやよ。

妹ができるんや、言うてね。

房江さんの声が、遠くで聞こえていた。

葬式の座敷で、両手をついた佐和子さんの声が甦った。

この子は、私の妹です――。

あれは、とっさの言葉でも、情けでもなかった。

佐和子さんは、兄の嫁になるより先に、私の姉になると決めていた人だった。

私が「姉さん」と呼べずにいた二十年のあいだ、あの人は最初の日から、ずっと姉だった。

そして呼ばれないまま、恨み言のひとつも口にせず、四十年、姉であり続けてくれた。

息が苦しくなるほど泣いたのは、あの夜が初めてだった。

夫が黙って、背中に手を当ててくれていた。

娘も泣いていた。

藍の染みた指の、あの温かい手の人がもういないことを、家中が泣いていた。

形見の整理をしていて、箪笥の一番上の抽斗を開けた。

私が贈った「さわ」の前掛けは、あちこちに小さな継ぎを当てられて、藍が白っぽくなるまで使い込まれていた。

その下に、もう一枚、畳まれた藍の布があった。

広げると、真新しい前掛けだった。

端には、白く「さと」の二文字。

四十年前に私がもらったものと、同じ形、同じ文字。

縫い目のところに、待ち針が一本、まだ残っていた。

仕立て直して、いつか渡すつもりだったのだと思う。

四十年使って、私の前掛けがくたびれてきたのを、あの人はちゃんと見ていたのだ。

名前が入ると、その物はもう、家族なんやよ。

あの声が、抽斗の奥から聞こえた気がした。

一月の終わり、兄の誕生日に、私は娘と川へ下りた。

自分の甕で染めた反物を、冬の水に晒した。

隣で娘が、見よう見まねで反物の端を押さえてくれていた。

裾が濡れるのもかまわず押さえるその姿が、いつか聞いた馴れ初めの日の、若い佐和子さんと重なった。

藍は、冬の水で本当の色になる。

手はかじかむのに、なぜだか少しも冷たくなかった。

姉さん、と川に向かって呼んでみた。

二十年、言えなかった三文字だった。

返事の代わりに、水の底で藍がゆれて、きりりと色を深くした。

真新しい前掛けの結び目を、私はもう一度、固く結び直した。

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