弟の行李と出せなかった手紙

静かな夕暮れの作業部屋

弟から電話が掛かってきたのは、生まれて初めてのことだった。

昭和三十四年、二月。

朝から雪で、仕立台の上の白い布が、窓明かりで青く見える日だった。

私は炭鉱町のはずれで、仕立物を請け負って暮らしている。

婦人服の直し、学生服の裾上げ、坑夫さんたちの作業着の継ぎ当て。

針一本で女が独りで食べていけるのは、この町に人が溢れているからだ。

山の上のズリ山には一年中うっすらと湯気のような煙がかかっていて、選炭場の音が、風向きによっては夜中でも聞こえてくる。

電話は、店先の黒電話だった。

取り次ぎの交換手さんの声の後に、聞き覚えのある低い声がした。

「姉ちゃんか。晴夫だ」

弟だった。

三つ下の晴夫は、中学を出るとすぐにヤマに入り、独身寮――飯場に移ってからは、盆と正月にしか顔を見せない。

その弟が、電話である。

胸の奥が、すっと冷えた。

「どうした」

「……あのな。こんど、街の病院さ、一緒に行ってくれんか」

「病院」

「うん。……父ちゃんと母ちゃんには、内緒で」

受話器の向こうで、遠く選炭場の音がしていた。

飯場の事務所から掛けているのだろう。

嫌な話だということは、それだけで分かった。

内緒で、という言葉の重さくらい、姉なのだから分かる。

「なんも」

私は、努めていつもの調子で言った。

「なんも、いいよ。いつだ」

次の日曜、私と弟は、街へ出る一番の汽車に乗った。

煤の匂いのする客車の窓の外を、雪の野原がゆっくり流れた。

弟は窓側に座って、ずっと外を見ていた。

作業着ではない、よそ行きの詰襟のような上着を着て、その襟のところだけ、糸がほつれていた。

あとで直してやろう、と思った。

「腹の具合が、ずっとおかしくてな」

弟は、外を見たまま言った。

「飯場の飯が合わんのだと思っとった。したけど、診療所の先生が、街の大きい病院で診てもらえって」

「うん」

「こないだ検査してな。結果が出たから、家族の人と一緒に来なさいって言われた」

「うん」

「……すまんな、姉ちゃん。仕事、忙しいのに」

出た、と思った。

すまんな。

それは、物心ついた頃からの、弟の口癖だった。

晴夫は、子どもの頃から、そういう子だった。

うちは貧乏で、父もヤマの坑夫だったが、身体の丈夫な人ではなかった。

配給の並びも、水汲みも、たいてい私と晴夫の仕事だった。

吹雪の日、二人で共同の水場へ行って、私が手袋を落として、かじかんだ手で雪を掘ったことがある。

晴夫は黙って自分の綿入れの前を開けて、私の両手を、自分の腹のところに挟んでくれた。

「あったかいべ」

得意そうに言ったくせに、その後で、小さく付け足した。

「……すまんな。俺が先に、見つけてやればよかった」

八つかそこらの子どもが、である。

欲しがらない、甘えない、謝ってばかりいる。

弟のそういうところを、私は可愛いと思い、同じくらい、切ないと思って育った。

去年、父がヤマを下りた。

長年の坑内仕事で胸を悪くして、医者に止められたのだ。

いまは母と二人、長屋の端で小さな乾物屋をやっている。

晴夫がヤマに入ったのは、父が最初に倒れた年だ。

「俺が掘るから、父ちゃんはもう、いいべ」

それだけ言って、十五の春に、願書を出してきた。

ヤマに上がる前の晩、私は徹夜で、支給されたばかりの作業着の裏に、名前を縫い取った。

は、る、お。

一針ごとに、この名前が坑口の名簿で読み上げられる朝が、何千回も来るのだと思った。

無事に、下りて来ますように。

糸を切るたび、祈るように結び玉を作った。

出立の朝、駅まで送っていくと、弟は改札の手前で振り返って、頭を下げた。

「姉ちゃん。……行ってくる」

行ってきます、ではなく、行ってくる、と言えるようになっていた。

その背中が、父に似はじめていて、私は帰り道、少しだけ泣いた。

初めての給料日には、油紙の包みを提げて、私の下宿に来た。

開けると、裁ち鋏だった。

「姉ちゃん、いつか自分の店を持つんだべ」

それだけ言って、照れて、茶も飲まずに帰った。

いま私の仕立台で使っている鋏が、それである。

研ぎに出すたび、研ぎ屋の親父さんが「ええ鋏だ」と褒める。

飯場暮らしの十五の子の、ひと月分の稼ぎである。

ええに、決まっている。

街の病院で、弟は先に診察室に入り、それから私だけが呼ばれた。

先生は、弟を廊下に出してから、話を始めた。

「率直に申し上げます」

弟の腹の中には、悪いものが出来ていた。

それも、思ったよりずっと、進んでいると。

「手術はします。しかし、開けてみなければ分からない。……ご家族には、覚悟をしておいていただきたい」

覚悟、という言葉が、他人事のように耳を通り過ぎていった。

診察室を出ると、クレゾールの匂いのする廊下の長椅子で、弟は古い雑誌を読んでいた。

私の顔を見ると、笑った。

「初期なんだと。手術すれば、取れるんだと。……よかったべ」

弟がそう聞かされているのか、それとも。

私はその時、深く考えないことにした。

考えたら、顔に出る。

「そうかい。よかった」

「うん。あ、手術の金なら心配いらんぞ。組合の共済もあるし、貯金もある。俺、あれで案外、貯めとるんだ」

「なんも、そんな心配してないよ」

「父ちゃんと母ちゃんには、手術が終わってから言うから。父ちゃんは胸を悪くしたばっかりだべ。母ちゃんは、ほれ、ああいう人だべ」

母は、気の細い人だった。

隣の夫婦喧嘩を聞いただけで、三日寝込むような人だった。

「だから、姉ちゃんだけ呼んだ。……すまんな。迷惑かけて」

「なんも」

私は、それしか言えなかった。

「なんも、迷惑でないよ」

帰りの汽車で、弟はよく喋った。

飯場の飯のこと、気の合う相棒の政やんのこと、切羽で歌うと声がよく響くこと。

私は相槌を打ちながら、窓の外の雪ばかり見ていた。

先生の言った「覚悟」の二文字が、膝の上の風呂敷包みより、重かった。

その晩から、私は針を持っても、手が進まなくなった。

運針は身体が覚えているのに、気がつくと、同じところを二度縫っている。

夜中に目が覚めて、暗い天井を見る。

弟の腹の中にいる悪いものが、自分の腹の中にもいるような気がした。

誰かに言いたかった。

言えば、半分になる気がした。

でも、言うなと、あの子に言われている。

言われた通りにすることが、あの子の望みを守ることが、姉の務めのはずだった。

十日ほどして、私は乾物屋の店先に立っていた。

言うつもりは、なかったのだ。

繕い上がった父の股引を、届けに寄っただけだった。

でも、火鉢の前で店番をしていた父が、「晴夫のやつ、正月も帰ってこんで」と笑った時、堪えていた糸が、切れた。

私は、全部話した。

病気のこと、手術のこと、先生の言った覚悟のこと。

内緒にしてくれと、言われていたことも。

父は、火鉢の縁を摑んだまま、長いこと動かなかった。

やがて、絞り出すように言った。

「……あいつは、なして、いつもそうなんだ」

叱る声ではなかった。

奥で聞いていた母はその晩から床に就いて、片方の耳の奥で鈴が鳴りやまないと言って、しばらく起きられなかった。

それでも二人は、次の面会日に、揃って汽車に乗った。

両親が帰った後、弟は私を病室の廊下に呼んだ。

「なして、言うた」

声は、怒鳴っていなかった。

怒鳴らないのが、いちばん堪えた。

「言わんでくれって、言うたべや。父ちゃんの胸に障ったらどうする。母ちゃん、寝込んだんだべ」

「……ごめん」

私は、謝ることしか出来なかった。

もしもの時に、二人があの子の顔を見られなかったら、と思った。

それは、本当だ。

でも、本当の本当は、違う。

私は、独りで背負っているのが、辛かったのだ。

夜中の天井が、怖かったのだ。

私は、弱くて、卑怯な姉だった。

手術の朝、手術室へ運ばれる前に、弟は寝台の上から、私の袖を引いた。

「姉ちゃん」

「うん」

「……すまんな。迷惑かけて」

私はやっぱり、

「なんも」

としか、言えなかった。

手術は、開いて、閉じただけだった。

取れる場所には、もう無かったのだと、先生は言った。

それから弟は、病室の人になった。

私は毎日、針箱と繕い物を風呂敷に包んで、汽車に乗った。

窓際の小さな台を借りて、手を動かしながら、弟のそばにいた。

「すまんな、姉ちゃん。仕事もあるべに」

「なんも。ここの方が窓が明るくて、針が進むんだわ」

嘘だった。

針目は、家で縫う時の倍、曲がった。

それでも病室には、思いがけず、笑い声のある日もあった。

相棒の政やんが、非番のたびに石炭の匂いをさせて見舞いに来て、切羽の歌をうたった。

節回しのおかしなところで、弟が笑い、笑うと腹に響くらしく、顔をしかめて、それでも笑った。

「晴夫。おめの分の切羽、掘らんで待っとるからな」

政やんは帰り際、いつも同じことを言った。

弟は、うん、とだけ答えた。

すまんな、と言わなかったのは、政やんにだけだった。

男どうしには、男どうしの言葉の仕舞い方があるのだろう。

ある日の午後、弟が、ふいに聞いた。

「姉ちゃんの店、名前は決めとるのか」

「店? まだ看板も出せんよ」

「出すべ、そのうち。決めとけって。……俺、字ぃ上手くないけど、看板くらい、書いてやれるかもしれんし」

窓の外は雪で、病室の硝子に、湯気がうっすら花を描いていた。

私は、考えとくわ、と笑った。

その日の帰りの汽車で、私は手帳の隅に、小さく店の名前を書いた。

誰にも、弟にも、言わなかった。

言ったら、それが叶わない気がして、怖かったのだ。

またある日、弟が、あの古い綿入れを直してくれと言った。

八つの吹雪の日、私の手を温めてくれた、あの綿入れである。

飯場まで、政やんが取りに行ってくれた。

袖口が破れて、綿が覗いていた。

「退院したら、着るから」

弟は、そう言って笑った。

私は病室の窓際で、一針ずつ、それを繕った。

生地はもう薄くなっていて、針を入れるたび、頼りなかった。

それでも縫った。

縫っている間だけは、この子は退院するのだと、信じていられた。

父は三日にあげず、店を閉めて汽車に乗った。

無口な父が、病室では、ヤマの古い話ばかりした。

落盤で三日閉じ込められて生きて戻った男の話、坑内で生まれた仔犬の話。

弟は目を閉じて、ひとつひとつ、うん、うん、と聞いていた。

母は来るたびに、湯呑みだの手拭いだの、りんごのすったのだの、細々したものを際限なく枕元に並べた。

弟は、それを一つも断らなかった。

断らないのが、あの子の精一杯の親孝行なのだと、私には分かった。

雪解けの少し前、弟の意識が、遠くなり始めた。

薄れる前の日、弟は枕の上から私を見て、言った。

「姉ちゃん。……父ちゃんたちに教えたこと、責めて、すまんなかった」

「なんも」

「……すまんな。迷惑、かけて」

「なんも。なんもだよ、晴夫」

それが、まともに交わした、最後の言葉になった。

春を待たずに、弟は逝ってしまった。

二十三だった。

四十九日が済んだ頃、飯場の親方さんが、弟の行李を届けてくれた。

「ええ坑夫でした」

親方さんはそれだけ言って、雪の上で深く頭を下げて、帰っていった。

行李の中身は、少なかった。

洗いざらしの作業着、歯磨き粉、給料袋の空、そして、私が病室で繕った、あの綿入れ。

作業着の裏には、十五の春に私が縫い取った、は、る、お、の字が、洗い晒されて薄くなりながら、まだ残っていた。

その綿入れの下に、新聞紙に包んだ、平たいものがあった。

開けると、手紙の束だった。

茶封筒が、十いくつ。

宛名は「父上様 母上様」と、「姉ちゃんへ」。

どれも切手を貼らないまま、封だけがしてあった。

封筒の隅に、鉛筆で小さく日付が書いてある。

いちばん古い日付は、去年の秋。

私と汽車で街の病院へ行った、あの日曜より、二月も前だった。

弟は、知っていたのだ。

診療所で言われた時から、自分の腹の中のことを、たぶん、全部。

「初期なんだと」と笑ったのも、取れるんだと言ったのも、あの子の嘘だった。

八つの吹雪の日に、綿入れの前を開けて「あったかいべ」と笑ったのと、同じ嘘だった。

父母宛ての手紙は、仏壇に上げてから、三人で読んだ。

長い間お世話になりました、から始まっていた。

親孝行らしいことを何一つ出来ませんでした、と続いていた。

店の火鉢の炭は同期の政やんに頼んであるから安く回してもらえだの、母ちゃんは耳の医者にちゃんと行けだの、店の勘定は姉ちゃんに見てもらえだの、細かいことばかり、幾枚にも書き連ねてあった。

わがままばかりで、心配かけました。すまんなかったです。

どうか身体を大切に。そればかりが、お願いです。

母は声を上げて泣き、父は読み終えた手紙を膝に置いたまま、いつまでも、火鉢の灰を掻きならしていた。

「姉ちゃんへ」の封筒は、一通だけ、日付が新しかった。

手術の、前の晩だった。

姉ちゃん。明日、手術だ。

先生は取れると言うが、俺は自分の身体だから、なんとなく分かる。

だから、書いておく。

父ちゃんと母ちゃんに話してくれて、ありがとうな。

怒ったのは、嘘でない。したけど、ほっとしたのも、本当だ。

俺の口からは、どうしても、よう言えんかった。

姉ちゃんが悪者になって、言うてくれた。

姉ちゃんは昔から、俺の言えんことを、先に言うてくれる人だった。

鋏、まだ使ってるか。

姉ちゃんの店の看板、見たかったな。

もし俺がおらんくなって、姉ちゃんが約束を破ったことを悔やんでいたら、これを読んでくれ。

なんも。

こんどは、俺が言う番だべ。

なんも、姉ちゃん。なんもだ。

台所の隅で、私は封筒を持ったまま、しゃがみ込んだ。

声は、出さなかった。

出せなかった。

八つのあの日から、あの子はずっと、綿入れの前を開けて、私を待っていてくれたのだ。

もうすぐ、弟の一周忌になる。

私はいまも、同じ町で針を持っている。

仕立台の引き出しには、あの手紙の束が入っている。

針が進まない夜は、封筒を開けずに、引き出しの上へ、そっと手のひらを置く。

それだけで運針が、すっと真っ直ぐになるから、不思議だ。

あの綿入れは、冬のあいだ、仕立台の椅子の背に掛けてある。

夜なべで指先が凍える晩は、袖を通す。

あったかいべ、と、まだ言われている気がする。

裁ち鋏は、今年も研ぎに出した。

「ええ鋏だ。あと五十年は切れる」

と、研ぎ屋の親父さんが言った。

五十年。

私はこれから五十年、あの子のくれた鋏で、この町の人の着るものを、縫っていくのだろう。

手帳の隅の店の名前は、まだ誰にも見せていない。

けれど、いつか小さな看板を出す日が来たら、字は誰に頼むか、もう決めている。

政やんに、書いてもらうのだ。

字の上手い下手ではない。

あの子の切羽を掘っている人の字が、いい。

父の店の火鉢には、政やんが届けてくれる炭が入っている。

母は耳の医者に、ちゃんと通っている。

「晴夫に叱られるから」

と、近頃は少し、笑うようになった。

ズリ山に、今年も雪が積もっている。

あの山の下で、弟は八年、掘っていた。

弟の分まで、と胸を張って言えるほど、私はまだ強くない。

けれど、いつかあちらで会ったら、言いたいのだ。

姉ちゃんは、ちゃんとやったべ、と。

そうしたらあの子はきっと、照れくさそうに笑って、あの言葉を言うのだろう。

なんも、と。

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