
私の仕事場の棚に、掌に乗るほどの小さな木の舟が一艘ある。
帆もなければ、舵もない。
ただ一本の樫を、根気よく削り出しただけの舟だ。
もう五十年近く、私はこの舟を手放せずにいる。
埃をかぶることはあっても、捨てられたことは一度もない。
幾度かの引っ越しでも、家財の大半を手放したときでさえ、この舟だけは行李の底にあった。
弟子たちは、棟梁がなぜこんな玩具のような舟を後生大事にするのか、誰も知らない。
私も、誰にも話したことがない。
だが、今日は少しだけ、この舟の話をしようと思う。
私は船大工だ。
瀬戸内のちいさな造船の町で、親方に拾われ、来る日も来る日も鑿を握って生きてきた。
親の顔も、生まれた家も知らない。
物心がついた頃には、もう作業場の隅の木屑の上で寝起きしていた。
親方は無口な人で、私を叱るときも、ただ黙って自分の手元を見せた。
油の匂いと、潮の匂い。
鉋をかける音と、遠くの船台で響く木槌の音。
それが私の故郷の、すべてだった。
昭和の四十年代、まだ町の入り江に、大きな船台がいくつも並んでいた時分の話だ。
朝は霧が低く垂れ、昼には金物のような陽が、削りたての白い木肌を照らした。
私はその木肌の匂いだけを頼りに、人になっていったのだと思う。
志津と出会ったのは、私が二十二になった春の、ある進水式の朝だった。
その日、私たち職人が半年かけて仕上げた漁船が、初めて海へ下りた。
丸太の上を滑り落ちた船体が、白い飛沫を高く上げて、潮を抱いた。
海面に浮かんだ船は、しばらく行きつ戻りつして、ようやく己の重さに馴染んでいった。
その様子を、私はいつも、生き物が初めて息を吸う瞬間のようだと思っていた。
見物の人垣の中に、一人だけ、場違いなほど身なりのいい娘が立っていた。
白い半襟に、藍の細かな絣。
廻船問屋の一人娘で、志津という名だと、あとで親方が小声で教えてくれた。
この町の海の荷を一手に握る、いちばんの分限者の家だった。
娘は進水の瞬間、子供のように両手を打って笑っていた。
周りの大人たちが行儀よく拍手する中で、その笑い方だけが、妙に剝き出しだった。
なぜだか、その笑顔が、長く目の裏に残った。
式が済んで人が引けたあとも、娘はまだ、空になった船台の前に残っていた。
そして油まみれの私のところへ、裾を気にもせず、まっすぐに歩いて来た。
「あの船、あなたが造ったの」
私は手拭いで指の油を拭きながら、ぶっきらぼうに答えた。
「親方と、みんなで造りました。私はまだ、見習いです」
「海に下りていく時ね、あの船、生きてるみたいに見えた」
私は、返す言葉を持たなかった。
職人でもない娘が、私がいつも胸の中だけで思っていたことを、言い当てたからだ。
「また、造るところを見に来ても、いい」
「……勝手にどうぞ。汚れますよ。鉋屑だらけになります」
娘は声を立てて笑い、汚れた船台のへりに、なんの躊躇いもなく腰を下ろした。
その背中の向こうで、進水したばかりの船が、夕凪の海をゆっくりと揺れていた。
※
それから志津は、ほんとうに作業場へ顔を出すようになった。
問屋の箱入り娘が職人の小屋に出入りするなど、町ではすぐに、妙な噂の種になった。
分限者の娘が、どこの馬の骨とも知れぬ見習いと。
私と志津とでは、住む世界が、海と山ほども違った。
それでも志津は、潮が満ちてくるように、当たり前の顔をして、やって来た。
鉋屑の匂いが世界でいちばん好きだと言って、削りかけの板に、そっと頬を寄せた。
私が墨壺で線を引き、鑿を入れていく手元を、飽きもせずに眺めていた。
「どうして、釘を使わないの」
「いい船は、木と木を組んで、水を呑ませて締めるんです。釘は、いつか錆びて泣くから」
「木を、締める」
「木は生きてます。海の水を吸って、ふくらんで、互いを抱き合うんです」
志津は、その話を聞くときだけ、子供のような目をした。
いつしか志津は、木の良し悪しが、見分けられるようになっていた。
立てかけた板を指の節で叩き、澄んだ音と、こもった音を、聞き分けた。
「この木は、いい音がする。あなたの船になりたがってる」
親方は、そんな志津を、はじめは苦い顔で見ていた。
だがある日、志津の選んだ一枚を、黙って舳の板に使った。
それが、親方なりの、不器用な認め方だったのだと思う。
志津は、家から持って来た端切れで、私の鑿を包む袋を、縫ってくれた。
不揃いな縫い目の、藍色の小さな袋だった。
「下手でしょう。でも、毎日あなたの手に触れるものを、作りたかったの」
私は今でも、その袋を、道具箱の底に仕舞っている。
昼飯どきには、家から握り飯を二つ、余分に持って来て、黙って私の膝の横に置いた。
梅干しの種を、二人で誰が遠くへ飛ばせるか、競ったこともある。
私たちは、多くを語らなかった。
組みかけの船板を挟んで、ただ同じ潮風の中に、並んで座っていた。
それだけで、私の胸の奥はいつも、囲炉裏に近づいたように温かかった。
夏の盛りに、大きな野分が町を襲った晩のことだ。
私は船台に組みかけの船が気がかりで、雨の中、作業場へ走った。
すると、軒下に、ずぶ濡れの志津が、菰を抱えて立っていた。
「あなたの船が、流されたら、嫌だと思って」
私は呆れて、それから、何も言えなくなった。
二人で夜通し、船体に菰をかけ、縄で縛り、風の唸る音を聞いていた。
朝、雨が上がると、船は無事だった。
志津の濡れた髪から、潮の匂いがした。
秋祭りの晩には、二人で浜の祭り提灯を、遠くから眺めた。
志津は人混みが苦手で、いつも輪の外から、賑わいを見ているのが好きだと言った。
「みんなの楽しそうな声を、こうして遠くで聞いているのが、わたしには、ちょうどいいの」
その横顔が、なぜだか少しだけ、寂しそうに見えた。
一度だけ、志津の母が、作業場まで娘を迎えに来たことがあった。
上等な羽織を着た、品のいい人だった。
その人は、油と汗にまみれた私を、つま先から頭まで、ひと目で値踏みした。
そして、娘の腕をそっと取ると、こちらを見もせず、言った。
「志津。あなたの行く道は、ここではありませんよ」
私は、何も言い返せなかった。
言い返す言葉も、地位も、私は何一つ、持ち合わせていなかった。
去り際、志津だけが振り返り、口の形だけで「また明日」と言った。
その「また明日」が、私には何よりも、まぶしかった。
梅雨の晴れ間に、二人で浜へ出たことがある。
志津は波打ち際で、桜貝を拾っては、私の硬い手のひらに、一つずつ並べていった。
「あなたの造る船で、いつか、ずっと遠くへ行ってみたい」
「漁船じゃ、遠くへは行けませんよ」
「じゃあ、わたしのための船を、いつか、造って」
私は冗談だと思って、笑って受け流した。
だが、桜貝を並べる志津の目は、笑っていなかった。
その指先が、なぜか、いつもより冷たかった。
その夏の終わり、志津は胸を患った。
もともと、体の弱い娘だったのだ。
医者の勧めで、空気の良い山陰の親類の家へ、長く療養に行くことになった。
瀬戸内のこの町から、山をいくつも越えた、遠い遠い土地だった。
発つ前の晩、志津は作業場へ来て、いつものように、船台のへりへ腰を下ろした。
「向こうに行っても、わたし、文を書くから」
「……はい」
「あなたも、書いてくれる」
「字は、下手です」
「下手でも、いい。あなたの字が、見たいの」
私はその夜、棚の隅から、ずっと手をつけずにいた樫の小片を取り出した。
いつか、と思いながら、削りかねていた木だった。
志津が発った翌朝から、私は仕事の合間に、その木を少しずつ削り始めた。
掌に乗るほどの、小さな小さな舟を彫ろうと思った。
漁船でも、荷船でもない。
志津ひとりを乗せて、迎えに行くための、たった一艘の船だ。
文は、はじめのうち、月に一度の割で届いた。
療養先の庭の梅のこと、雨戸に来る雀のこと、夜更けに遠く聞こえる汽笛のこと。
細やかな景色が、いつも丁寧な字で綴られていた。
そして、どの文の終いにも、決まって同じ一行が、添えられていた。
「迎えに来てね」
私はその一行を、ランプの下で、何度も指先でなぞった。
それから彫りかけの豆舟を行李の底から取り出しては、また、ほんの少し削った。
舟が一彫りずつ姿を現すたびに、志津に近づいているような気がした。
※
はじめの一年は、それでも、穏やかに過ぎていった。
文の中の志津は、いつも、笑っているようだった。
だが、二年目に入った頃から、文と文の間隔が、少しずつ延び始めた。
月に一度が、二月に一度になり、やがて三月、間が空くこともあった。
届く便りの字も、以前より細く、頼りなく、震えるようになっていった。
私はその細い字を目でなぞるたびに、胸の底が、潮の引いた砂のように冷えていくのを感じた。
返事を急かすこともできず、ただ、次の文を待つことしか、私にはできなかった。
ある雪のちらつく晩、作業場の古い電話が、けたたましく鳴った。
出ると、聞いたことのない、低い男の声だった。
志津の父からだった。
抑えてはいたが、その奥に、刃のようなものを隠した声だった。
「お前か。……もう、娘に文を寄越さんでくれ」
「……どうして、ですか」
「あれの体は、もう、長くは持たんのだ。お前にできることなど、何もありはせん」
そう言い捨てて、電話は、一方的に切れた。
受話器の中に残った無機質な音を、私はしばらく、握りしめたまま聞いていた。
窓の外では、雪を含んだ夜の海が、ずっと低く、唸り続けていた。
お前にできることなど、何もない。
その言葉が、夜通し、頭の中で繰り返された。
だが、夜が白む頃、私の胸には、まるで違う答えが残っていた。
何もできないなら、せめて、側にいたい。
私はその朝、作業場で、親方に深く頭を下げた。
暇をくれと。
志津の療養先の町へ、行かせてくれと。
親方は、長いこと、煙管をくわえたまま、黙っていた。
灰を落とす、小さな音だけが、土間に響いた。
そして、ただ一言、こう言った。
「行け。鑿は、どこの土地へ持って行っても、飯の種になる」
私は、頭を上げられなかった。
育ててもらった恩を、こんな形で返すしかない自分が、情けなかった。
親方は、私の肩を一度だけ、ごつい手で叩いた。
その手は、言葉よりもずっと多くのことを、私に伝えていた。
私は道具箱を一つと、志津が縫ってくれた鑿の袋、そして彫りかけの豆舟を行李に詰めた。
売れる物はすべて売り、できる限り身軽にして、私は生まれ育ったその港町を、出た。
汽車を乗り継ぎ、山を越えるたび、瀬戸内の潮の匂いが、少しずつ遠ざかった。
窓に映る自分の顔を見ながら、私はただ、志津の最後の文の一行を、繰り返していた。
迎えに来てね。
今、ようやく、私はその迎えに、向かっているのだ。
船台の並ぶ入り江が、霧の向こうに消えるまで、私は何度も振り返った。
※
山をいくつも越え、山陰の町に着いた私は、療養所のすぐ近くに、小さな部屋を借りた。
離職票が間に合わぬ前に、頭を下げて、なんとか契約だけは済ませた。
昼間は土地の船宿に頼み込み、傷んだ艜の修繕をして、糊口をしのいだ。
見知らぬ土地の、見知らぬ木の癖を、手探りで覚えていった。
そして夕方、仕事を終えると、まっすぐ療養所へ通った。
だが、はじめのうちは、私は病室に入れてもらえなかった。
昼間は志津の母が付き添っていて、私の姿を見ると、頑なに背を向けた。
私は廊下の長椅子に座り、面会の刻が終わるのを、ただ、待った。
硝子戸の遠く向こうに、横たわる志津の白い布団を、見るだけの日が続いた。
それでも、同じ建物の中に、同じ空気の中に、志津がいる。
それだけで、私は不思議と、心が凪いだ。
硝子戸の向こうの志津が、ふと窓の外へ目をやる。
その視線の先を追うと、廊下の窓からも、遠く、入り江の海が見えた。
志津も今、同じ海を見ているのだと思うと、それだけで、廊下の冷たさも忘れられた。
昼間、艜の修繕をしながら、私は何度も、瀬戸内の親方のことを思い出した。
あの不器用な手が、今頃どんな船を組んでいるだろうかと。
見知らぬ土地の木は、瀬戸内の木より硬く、私の手にはまだ、馴染まなかった。
それでも、夕方に志津の眠る顔を硝子戸越しに見られれば、一日の疲れは、潮のように引いた。
私は、待つことには、慣れていた。
木が水を吸い、互いを締めるまで待つのが、船大工の仕事だからだ。
志津の心が、その両親の心が、ほどけるのを、私はただ、待った。
ある夕暮れ、いつもの長椅子に、先客が座っていた。
白髪の交じった、痩せた男だった。
志津の父だった。
私は会釈をして、黙って、その隣に腰を下ろした。
父は、遠い海でも見るような目で、廊下の窓の外を、じっと見ていた。
長い沈黙のあと、父が、口を開いた。
「お前は、なぜ、ここにいる」
「志津さんの、側にいたいからです」
「仕事も、故郷も、何もかも捨てて、なぜ、そこまでする」
「……好きな人の側にいるのに、何か、理由が要りますか」
父は、長いこと、黙っていた。
その膝の上で、節くれだった手が、固く握られたり、ほどけたりしていた。
やがて父は、絞り出すように、言った。
「すまなかった。わしは、お前という男を、見そこなっていた」
「そんな……」
「明日からは、わしらに気兼ねせず、好きな刻に、あれに会ってやってくれ」
その夜、私は借りた部屋で、声を殺して泣いた。
嬉しいのか、怖いのか、自分でも、分からなかった。
翌日から、私は毎日、志津の枕元へ通うことを、許された。
志津の母も、面会の終い際になると、そっと、廊下へ席を外してくれるようになった。
後で知ったが、父が母に、そうするよう言ってくれたのだという。
だが、その頃には、志津はもう、自分で起き上がることもままならなかった。
あの、桜貝を並べた柔らかな手は、骨が透けて見えるほど、細くなっていた。
頬はこけ、髪は薄くなり、声は掠れていた。
それでも私が病室に入ると、薄く目を開けて、懸命に、笑おうとした。
私は時々、志津の好きだった林檎をすりおろし、匙の先で、唇を湿らせた。
その時にだけ、志津の目に、昔の光が、ほんの少し戻った。
短い面会の刻に、私はよく、志津から届いた古い文を、枕元で読んで聞かせた。
庭の梅のこと、雀のこと、汽笛のこと。
志津が、まだ元気だった頃に、書いてくれた言葉たちだ。
「自分で書いたのに、忘れてた」
志津は、そう言って、掠れた声で、小さく笑った。
「あなたが読むと、わたしの言葉が、あたたかく聞こえる」
私は、声が震えそうになるのを、懸命に、こらえた。
ある日、私はとうとう彫り上げた豆舟を、行李の底から取り出した。
そして、それを志津の枕元に、そっと置いた。
「遅くなって、すみません。……迎えの舟です」
志津は、痩せ細った指を伸ばし、舟の小さな舳先に、そっと触れた。
「……ちゃんと、来て、くれたんだ」
その声は、引いていく潮のように、細く、遠かった。
志津は、舟を握ったまま、しばらく、子供のように笑っていた。
「この舟にね、乗ったら、どこへ行こうか」
「志津さんの、行きたいところへ。どこへでも」
「じゃあ、いちばん遠くまで、連れて行って」
「ええ。きっと、連れて行きます」
その約束を、私は果たせなかった。
いや、果たせたのか、今もって、私には分からない。
※
梅の花が散り始めた、ある夜更けのことだった。
宿の戸を、療養所の使いの者が、激しく叩いた。
私は夜着のまま、凍えた夜道を、転びそうになりながら駆けた。
病室には、医者と、目を真っ赤に腫らした、志津の両親がいた。
志津は、うつらうつらと、浅く、途切れがちな息をしていた。
夕方に会ったときには、まだ、あんなに穏やかに話せていたのに。
変わり果てたその姿に、私は戸口で、身動きが取れなくなった。
すると、志津の母が、進み出て、私の手を取った。
そして、娘の細い手を、私の掌の中へ、そっと握らせた。
「お願い。……この子の手を、握っていてあげて」
その時、固く閉じていた志津の瞼が、わずかに、開いた。
うつろだった瞳に、一瞬、たしかに光が差した。
そして、その唇が、ゆっくりと、動いた。
私は急いで、耳を、その口元に寄せた。
「迎えに……来てくれて……ありがとう」
「もう、しゃべらなくていい」
「いちばん……しあわせな……航海、でした」
私は何も言えず、ただ、その手を、握り返した。
握り返す。
その力だけが、その時の私に、できるすべてだった。
志津の指が、私の指を、かすかに、握り返してきた気がした。
やがて、それまで不規則に鳴っていた枕元の機械の音が、ひとすじの、長い音に変わった。
医者が、懐中時計に目を落とし、静かに、瞼を閉じた。
志津の母が、堪えきれず、声を上げた。
気づくと、私も、あの気丈だった志津の父も、肩を震わせ、声を上げて泣いていた。
握っていた手が、ゆっくりと、しかし確かに、その温もりを失っていくのを、私は掌で感じていた。
窓の外で、いつのまにか、夜が明けようとしていた。
次の日、私は志津の父から、一着の喪服を、手渡された。
そして、二通の文も。
一通は、父の字だった。
硬い、武骨な筆で、便箋にたった二行だけ、書かれていた。
『すまなかった』
『ありがとう』
もう一通は、見間違えようもない、志津の字だった。
あの進水式の朝から、療養所の窓辺で過ごした日々までが、細い字で、びっしりと綴られていた。
その出来事の一つ一つに、自分がどれほど満ち足りて、どれほど救われていたかが、書き添えられていた。
野分の晩のことも、桜貝のことも、迎えの舟のことも。
そして、文の終いには、こうあった。
『わたしがいなくなっても、あなたは、ちゃんと幸せになってね』
『新しい誰かを見つけて、たくさん、笑ってね』
『わたしを好きでいてくれるなら、約束。きっと、きっと、幸せになって』
私は、その文を握りしめたまま、部屋で、いつまでも泣いた。
それから、渡された喪服に、袖を通した。
なぜか、寸法は、私のためにあつらえたように、ぴったりだった。
後で母から、志津が前もって、私の背格好を伝えていたのだと聞いた。
通夜の席で、私はいちばん近い場所に、座らされた。
志津の、両親よりも、近い席だった。
恐れ多くて辞退しようとした私を、志津の父が、静かに、諫めた。
「お前が、そこに座らんで、どうする。わしらに気を遣うなら、その席に座ってくれ」
※
あれから、長い、長い歳月が流れた。
私はとうとう瀬戸内の町には戻らず、この山陰の港に居着いて、ただ船を造り続けてきた。
漁船を、艜を、人を運ぶ渡しの舟を、数えきれぬほど、この手で組んだ。
私の造った舟はみな、海へ出て、荷を運び、人を渡し、そして夕暮れには、必ず港へ帰って来る。
一度、この港の渡し舟を新しく造ったとき、私はその舟に、志津の好きだった桜貝を、舳の裏に一枚、埋め込んだ。
誰も知らない、私と志津だけの、小さな印だ。
その渡し舟は、今も毎日、子供や年寄りを乗せて、入り江を行き来している。
志津が望んだ「遠くへ行く船」には、とうとうならなかったけれど。
それでも、誰かを向こう岸へ渡すたびに、私は少しだけ、約束を果たせた気がした。
独り身のまま、私はずいぶんと、年を取った。
幸せになってね、という志津の約束を、私はちゃんと守れたのだろうか。
今でも、よく分からない。
ただ、毎日この手で舟を組み、誰かを岸から岸へ渡してこられたことを、不幸せだとは、思わない。
私が造る舟はみな港へ帰る。あの小さな舟だけが、二度と戻らなかった。
棚の上の豆舟は、とうとう一度も、ほんとうの海を知らないままだ。
塩も、波も、知らないままだ。
それでも、と、年老いた私は思う。
あの舟は、たしかに、たった一人の人を、いちばん遠い岸まで、送り届けたのだ。
潮の匂いのする夕暮れには、今でも、あの細い声が、聞こえる気がする。
いちばん、しあわせな航海でした、と。
舟の舳先には、今でも、志津が最後に触れた、小さな指のあとが残っている気がする。
私は今日も、棚の豆舟の埃を、指の腹でそっと払って、また、鑿を握る。
次に組む舟もきっと、誰かを乗せて、夕暮れには港へ帰るだろう。
そして私は、その帰りを待ちながら、また一日、潮の匂いの中で年を取る。
それで、いいのだと思う。
長々と、お聞かせしました。