祖父の予約表に消えない名前がある
閉店を相談しに帰省した商店街の理容室で、八十一歳の祖父は毎朝十時に空の椅子へ白い布を掛けていた。祖父の予約表に十九年書かれ続けた名前と、その横の小さな点。父を見…
閉店を相談しに帰省した商店街の理容室で、八十一歳の祖父は毎朝十時に空の椅子へ白い布を掛けていた。祖父の予約表に十九年書かれ続けた名前と、その横の小さな点。父を見…
今日は三袋な。兄は毎晩そう言って白い袋を提げて帰ってきた。家には製氷機があるのに、兄は夏のあいだ毎日コンビニの氷を買って帰る。私はそれを十年、無駄遣いだと思って…
七つで両親に置いていかれた私を、血のつながらない花火師が引き取った泣ける話。五十年ただの一度も名前を呼ばれず、玉名帳にも名簿にも私の名はなかった。その理由は、空…
三つだった姪を自分の娘として育てた紙漉きの女の泣ける話。毎年一枚だけ漉いた売らない透かし紙が、三十年後に娘の手から返ってくる。十月十九日にだけ名を呼ばれなかった…
湯屋の富士は、女湯の裾だけが四十三年ずっと白いままだった。絵描きが仕事を放ったのだと、私はずっと思っていた。廃業を決めた最後の夜、大阪から来た兄弟子が差し出した…
十四で継母を迎えた私を、くめさんは一度も名前で呼ばなかった。泣ける話としてお届けする長編の感動短編です。表具屋の土間に五十年、封を切らずに置いた三つの糊甕。五十…
炭鉱の閉山で置いていかれた子を二十二人預かった母は、実の娘の私だけをいつも最後にした。子どもたちの茶碗は欠けたまま並び、私の茶碗だけがどこも欠けていない。三十年…
父が遺した十七の巣箱のうち、一箱だけがいつも空だった。三年ぶりに雪を掘り返した私を待っていたのは、いつのまにか増えた三つの箱と、十六の夏にこの高原へ来た青年の話…
三年ぶりに帰った実家で、祖母のラジオは今日も雑音だけを流していました。二人きりの食卓なのに、祖母は毎晩きまって大根を四つに切ります。その四つ目が誰の分なのかを知…
十九で畳屋に嫁いだ私は、十年ものあいだ仕事場に入れてもらえなかった。義母は褒めず、教えず、座敷の上座の一枚だけを誰にも踏ませなかった。二十六年ぶりに畳を上げ替え…
猫と家族の泣ける話。昭和四十七年、雪深い町の活版印刷所で、文選工の伯母は私が拾った子猫の名を十年間ただの一度も呼ばなかった。情のない人だと思っていた。前掛けに入…
兄の嫁として来た佐和子さんを、私は二十年「姉さん」と呼べずにいた。秋の川が兄を連れて行った日、親族の前で「この子は私の妹です」と言い切った人。その言葉の本当の意…
昭和四十三年の瀬戸内、造船の町。船大工の俺は時化で兄夫婦を失い、遺された甥の修を四年育てた。その修が静かに眠り、削りかけの賽子だけが作業台に残る。半年後、納屋に…
昭和四十四年の豪雪の峠。乗合バスが横転し、七歳の姪は座席の下に閉じ込められた。半狂乱の私を救い出したのは、黄色い合羽の若い除雪作業員だった。背中を裂かれながら笑…
昭和の岬に立つ灯台守の爺が、亡き娘の忘れ形見の孫を、しょっぱい味噌汁と誕生日ごとに彫った木彫りの小舟で、四十年かけて育て上げた。孫を初めての長い航海へ送り出す朝…