燃える紙にだけ私の名があった

夕暮れの工房で穀物をふるう女性

私はあの人に、五十年のあいだ、一度も名前を呼ばれなかった。

「おい」か、「そこの」か、あとは何も言わずに顎で工場のほうを示すか。

それだけだった。

三戸留次郎。

町の者は留さんと呼び、私も留さんと呼んだ。

血は、一滴もつながっていない。

昭和四十八年の春、私は七つだった。

福島の内陸、阿武隈の山を削って流れる川に沿って、桑折沢という小さな町がある。

町には煙火工場が一軒だけあった。

杉戸煙火。

私の父はそこの職人で、留さんは父の三つ下の弟弟子だった。

その春、父と母は借金の証文を一枚だけ残して、町を出た。

朝、目を覚ますと、土間の油紙の上に、空の財布と、私の名を書いた紙が置かれていた。

紙には「ちづるをたのみます」とだけあった。

宛名は、なかった。

誰に頼んだのかもわからないその紙を、留さんは竈の火にくべた。

「読んだか」

「読んだ」

「なら、もういらん」

紙は青い炎を立てて縮れた。

火薬を扱う男の手つきは、紙を焼くときでさえ丁寧だった。

その日から、私はあの人と暮らした。

留さんは二十六だった。

工場の裏の、屋根の低い小屋に住んでいた。

そこに私の布団が一組増えただけで、あとは何ひとつ変わらなかった。

朝は五時に起きて、川の水で顔を洗う。

冬は、指の関節が芯から痛くなるほど冷たい。

飯は麦の多い飯と、味噌汁と、たいてい煮すぎたうどん。

留さんの打つうどんは、箸で持ち上げると必ず途中で切れた。

「まずい」と私が言うと、あの人は黙って自分の丼に汁を足した。

まずいとも、うまいとも、一度も言わなかった。

言葉の少ない人だった。

けれど、朝の味噌汁の椀は、いつも私のほうが先に置かれていた。

私が箸をつけるまで、あの人は自分の椀に手を伸ばさなかった。

そういう順番だけが、あの小屋の言葉だった。

杉戸煙火の朝は、硫黄と杉の木くずの匂いから始まる。

玉皮を張る糊の匂いが、それに重なる。

私は八つで工場の土間に立ち、十で星掛けを覚えた。

星というのは、夜空で色になって散る火薬の粒のことだ。

芥子粒ほどの種に、薬を少しずつまぶしては乾かし、またまぶす。

それを何十日も繰り返して、ようやく小指の先ほどの星になる。

気の遠くなる仕事だった。

星掛け機の木の柄は、留さんの掌の形にへこんでいた。

私が握ると、指が三本ぶん余った。

「握るな」

最初にあの人が私に言ったのは、それだった。

「握るな。添えろ」

力を入れれば、星は割れる。

割れた星は、空で色にならない。

私はその冬いっぱい、柄に手を添えることだけを教わった。

十四の夏、私が掛けた星が、空で色にならなかった。

尺玉の一発が、開いた瞬間に半分だけ暗く欠けた。

川原の人たちは気づかなかったと思う。

でも工場の者は全員わかっていた。

握ってしまったのだ。

乾きの浅いうちに焦って、私は掌に力を込めた。

その晩、私は小屋の隅で膝を抱えていた。

留さんは怒鳴らなかった。

土間で道具を洗う音だけが、長いあいだ続いた。

翌朝、あの人は自分の掛けた星を、笊ごと私の前に置いた。

その年の分、全部だった。

「掛け直せ」

「留さんのを」

「全部だ」

私は三か月かけて、あの人の星を一粒ずつほどいて、掛け直した。

指の腹の皮がむけて、薬の色が爪の際に染みついた。

掛け直したところで、あの人の星が上手くなるわけではない。

私の手が覚えるだけだ。

そのために三か月ぶんの仕事を差し出す人だった。

言葉では、ひとことも言わなかった。

その秋、私は熱を出して町医者にかかった。

受付で名を聞かれ、私が「佐野千鶴」と答えようとしたとき、留さんが前に出た。

そして診察券に、自分の名を書いた。

三戸留次郎。

続柄の欄は、空けたままだった。

「なんで留さんの名前なの」

帰り道でそう聞いた。

「そのほうが早い」

「早くないよ。私の病気なのに」

「早いんだ」

あの人は前を向いたまま歩いた。

土手の下で川が浅くなっていて、水の音が細かった。

私は、名前を出すのを面倒がられているのだと思った。

そう思ったまま、二十年を過ごした。

杉戸煙火の帳場には、玉名帳という帳面があった。

その年に上げた玉の号名を、一発ずつ書き入れる帳面だ。

「昇り曲付八重芯菊」。

「錦冠菊」。

「紅葉の宿」。

親方が墨で書き、職人が名を並べる。

玉の名は、作った者の名でもある。

私は十二のとき、初めてその帳面を隅から隅まで読んだ。

父の名は、七年前の行で途切れていた。

そして。

私の名は、どこにもなかった。

十二から十八まで、私は毎年その帳面を開いた。

星を掛け、玉皮を張り、割薬を詰め、玉を仕上げた。

それでも私の名は、一行も増えなかった。

工場の名簿にも、私の欄だけが空いていた。

番付のことも、覚えている。

桑折沢の夏祭りには、川原で百五十発ほどの花火が上がった。

町の家々が一発ずつ金を出し、番付という刷り物にその名が並ぶ。

「杉戸煙火有志」。

「桑折沢商工会」。

「三戸留次郎」。

そして番付の一番下には、毎年「余り一発」とだけ刷られた玉があった。

提供者の名はない。

留さんに一度だけ聞いたことがある。

「余り一発って、なに」

「余りだ」

「誰が出してるの」

「余ったもんが出す」

それきり、あの人は玉皮の紙を数え始めた。

一枚、二枚、三枚。

数えるときだけ、あの人の唇はかすかに動いた。

中学の授業参観に、留さんは来た。

作業着のまま来て、教室の一番後ろの壁に、背中をつけて立っていた。

掌の油の匂いが、廊下まで届いていたと思う。

母親たちの列から、二歩ぶんだけ離れて立っていた。

先生が出席をとった。

「佐野千鶴さん」

私は返事をした。

そのとき、後ろで留さんが顎を引いたのが、背中でわかった。

帰り道、川沿いの土手を二人で歩いた。

「今日、私の名前、呼ばれてたでしょう」

「呼ばれてたな」

「留さんも、呼べばいいのに」

あの人は立ち止まらなかった。

「呼ばんでも、聞こえるだろうが」

それだけだった。

夕方の川は水が減って、石が骨のように白く並んでいた。

十八の春、私は町を出た。

理由をひとつだけ挙げるなら、あの帳面だ。

六年ぶん働いて、玉名帳に一行も自分の名がないこと。

それを、私は「他人だからだ」と読んだ。

拾って育てはしたが、あの人にとって私は、最後まで他人なのだと。

出ていく朝、私は土間で言った。

「留さん、私、いなくなるよ」

「そうか」

「引き止めないの」

「引き止める筋合いがあるか」

筋合い。

あの人はそういう言葉を使う人だった。

私は玄関の柱を、爪で一度だけ引っ掻いた。

それから、駅まで一度も振り返らずに歩いた。

仙台の縫製工場に入り、そのあと結婚して、いわきに移った。

夫は穏やかな人で、子も二人生まれた。

花火のことは、二十年、口にしなかった。

けれど夏になると、遠くで玉の開く音がした。

どん、と腹に来る音のあとに、しゃらしゃらと星の散る音が続く。

その音の長さで、玉の大きさが今でもわかった。

子どもたちが「お母さん、上手だね」と笑った。

私は笑い返しながら、いつも指先が冷えていた。

下の娘が小学校に上がった年、家族で海沿いの花火大会に行った。

娘が私の袖を引いた。

「お母さん、あれ何色?」

「白菊」

「白いだけ?」

「白いだけの色が、いちばん長く残るの」

「誰が教えてくれたの」

私は答えられなかった。

夫が横から、そっと娘の手を引いた。

帰りのバスで、私は窓に額をつけて、ずっと外を見ていた。

桑折沢には、盆にも正月にも帰らなかった。

帰らない理由を、私はうまく言えなかった。

言えないまま、年賀状も出さなかった。

一度だけ、封筒に何も入れずに切手を貼って、そのまま捨てたことがある。

宛名は書いた。

三戸留次郎様。

あの人の名を紙に書いたのは、たぶんその一度きりだった。

留さんが倒れたと聞いたのは、平成十一年の秋だった。

工場の煙硝倉の前で、しゃがんだまま立てなくなっていたという。

病院の窓から、阿武隈の山が見えた。

あの逞しかった腕が、枯れ枝のようになっていた。

私はベッドの脇に座って、二十年ぶんの言葉を探した。

何も、出てこなかった。

「うどん、まだ切れるの」

そう聞くのが、精一杯だった。

留さんは天井を見たまま、口の端だけを動かした。

「切れる」

「下手ね」

「ああ」

それから、長いあいだ黙っていた。

窓の外で、川の音がしていた。

「玉名帳」

不意に、あの人が言った。

「玉名帳、持ってこい」

その日、看護師さんに頼んで、病室のロッカーを開けてもらった。

着替えと、財布と、煙草の空き箱がひとつ。

箱の中に、四つ折りの紙が入っていた。

広げると、仙台の縫製工場の社内報だった。

二十年前の、いちばん薄い号。

新入社員の紹介の欄に、豆粒のような顔写真が並んでいる。

そのうちのひとつが、十八の私だった。

名前は、載っていない。

その号だけ、名字も名前も刷られていない写真だけの号だった。

だからあの人は、この号を持っていたのだと思う。

折り目は、何度も開かれて、白く毛羽立っていた。

私は箱の蓋を閉じて、ロッカーに戻した。

病室に戻ると、留さんは眠っていた。

起こさずに、枕もとの椅子に座った。

点滴の落ちる音が、星掛け機の回る音に少し似ていた。

私は工場の帳場から、五十冊近い玉名帳を抱えて戻った。

留さんは自分では開けなかったから、私が一冊ずつめくった。

昭和四十八年。

四十九年。

五十年。

どの年にも、私の名はなかった。

あるはずがないと知りながら、私は最後まで探していた。

「ないな」

留さんが言った。

「ないよ」

「ないな」

あの人はそれから、しばらく息を整えた。

「割型を、見ろ」

割型というのは、玉を仕込む前に薬を張り込む半球の型のことだ。

その内側には、職人が仕事の目印を書きつける。

書いた紙は玉といっしょに空へ上がり、必ず燃えて消える。

「毎年の、余り一発の割型を見ろ」

私は病院を出て、工場へ戻った。

煙硝倉の奥に、使い終わった割型が年ごとに積まれていた。

昭和四十八年の束を引き出す。

半球の内側、薬をこそげた跡の下に、鉛筆の字が残っていた。

千鶴。

四十九年の割型を取る。

千鶴。

五十年。

千鶴。

五十一年、五十二年、五十三年。

千鶴、千鶴、千鶴。

私が町を出た年にも、書いてあった。

出ていった次の年にも。

その次の年にも。

二十年ぶん、一年も欠けずに、あの二文字はそこにあった。

玉名帳のどこにも、私の名前はなかった。

燃える紙にだけ、あった。

私は倉の土間にしゃがみ込んで、しばらく立てなかった。

硝石の匂いがした。

七つの春から、ずっと嗅いできた匂いだった。

それから私は、割型を全部並べ直した。

昭和四十八年から、平成十一年まで。

二十七の半球が、土間に二列で並んだ。

どの字も同じ鉛筆で、同じ角度で書かれていた。

上手な字ではない。

「鶴」の最後の一画だけが、いつも下へ落ちていた。

書き慣れた人の、落ち方だった。

私は指で、その一画をなぞった。

薬をこそげた跡の粉が、指の腹について白くなった。

洗っても、その晩は落ちなかった。

その晩、組合の会計をしていた志田さんという老人が、工場を訪ねてきた。

留さんに言われて来た、と言った。

志田さんは湯呑みを両手で包んだまま、話し始めた。

「ちづるちゃん、あんたが来た年な」

「はい」

「あんたの親父さんの証文を持った連中が、二度この町に来たんだ」

私は湯呑みを置いた。

「留は、あんたを名簿に載せなかった。玉名帳にも載せなかった。町の書き物のどこにも、あんたの名を出さなかった」

「どうして」

「紙に残せば、辿られるからだ」

志田さんは、湯呑みの縁を親指でなぞった。

「あいつはな、あんたの名を、燃える場所にだけ書いてたんだよ」

土間の隅で、風が玉皮の紙をめくった。

一枚、二枚、三枚。

数えるときだけ唇が動く、あの人の癖を思い出した。

「留さん、私のこと、一度も名前で呼ばなかった」

「呼べば、誰かが覚える」

志田さんはそう言って、はじめて私の顔を見た。

「あの町で、あんたの名を一番たくさん書いたのは、あいつだよ。誰にも読ませずにな」

私は、二度来たという連中のことを聞いた。

志田さんは少し迷ってから、話してくれた。

一度目は、私が来た年の秋。

二度目は、その三年あとの夏。

どちらも工場の門の前で、留さんが一人で応対したという。

「子どもは、うちにはいない」

そう言い切って、名簿を見せたそうだ。

私の欄が空いた、あの名簿を。

「見せられる紙を、あいつは先に作ってたんだ」

志田さんは湯呑みを置いた。

「隠すってのはな、忘れることじゃないんだよ。書いて、燃やすことなんだ」

私は、竈にくべられた紙を思い出した。

「ちづるをたのみます」。

あの朝、あの人が火にくべたのは、私の名前が書かれた最初の紙だった。

留さんは、その年の秋の終わりに、静かに眠った。

最後の晩、私はベッドの脇で、あの人の掌を握った。

握るな、と教えた手だった。

だから私は、添えた。

留さんの指が、一度だけ動いた。

星掛け機の柄をなぞるときの、あの動きだった。

私は耳もとで言った。

「留さん」

五十年、そう呼んできた名を、そのまま呼んだ。

それでよかったのだと思う。

呼び方を変えなかったことが、あの人と私の五十年だった。

令和八年の夏。

私は六十八になり、杉戸煙火をたたむことにした。

職人は私と、二十四になる弟子がひとりきりになっていた。

最後の年の番付を刷るとき、私はその子に言った。

「一番下に、余り一発を入れて」

「名前はどうします」

「いらない」

その子は不思議そうな顔をしたが、何も聞かずに版を組んだ。

最後の玉は、私が仕込んだ。

三尺は上げられないから、尺玉にした。

星は、白菊の一色。

桑折沢の空にいちばん長く残るのは、結局この色だと、あの人が言っていた。

割型の内側に、私は鉛筆で二文字を書いた。

留次。

留次郎の、はじめの二文字だけ。

空へ上げれば、必ず燃えて消える紙だ。

それから帳場に戻って、玉名帳を開いた。

五十年ぶん、私の名のなかった帳面だ。

最後の行に、私は自分で墨を磨って書いた。

佐野千鶴。

書き終えてから、しばらく筆を置けなかった。

打上げは、八月の終わりだった。

川原に町の人が集まって、番付の順に玉が上がる。

そして一番下、余り一発。

どん、と腹に来る音がして、白菊が開いた。

星がしゃらしゃらと散って、川の水面に落ちるまでのあいだ、誰も何も言わなかった。

隣で、弟子の子が空を見上げたまま言った。

「親方、あの玉、名前ないんですよね」

「ないよ」

「もったいないな」

私は笑った。

「もったいなくないの」

「どうしてですか」

「名前ってね、残すためだけのものじゃないの」

白い光が消えて、川原がまた暗くなった。

硝煙の匂いが、風に乗って土手のほうへ流れていった。

七つの春から、ずっと嗅いできた匂いだった。

工場は九月に閉めた。

煙硝倉を空にして、割型の束は焚き上げてもらった。

二十年ぶんの、あの二文字ごと。

帳場の玉名帳だけは、私が持って帰った。

いま、それは仏壇の下の引き出しに入っている。

最後の行を開くと、私の名がある。

五十年ぶりに、紙の上に残ることを許された名前だ。

けれど、いちばん長く私の名を書いてくれた紙は、もうこの世のどこにもない。

毎年ひとつずつ、空でほどけて、消えていった。

あの人は五十年、私を名前で呼ばなかった。

呼ばないことで、呼び続けていた人だった。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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