燃える紙にだけ私の名があった

夕暮れの工房で穀物をふるう女性

私はあの人に、五十年のあいだ、一度も名前を呼ばれなかった。

「おい」か、「そこの」か、あとは何も言わずに顎で工場のほうを示すか。

それだけだった。

三戸留次郎。

町の者は留さんと呼び、私も留さんと呼んだ。

血は、一滴もつながっていない。

※

昭和四十八年の春、私は七つだった。

福島の内陸、阿武隈の山を削って流れる川に沿って、桑折沢という小さな町がある。

町には煙火工場が一軒だけあった。

杉戸煙火。

私の父はそこの職人で、留さんは父の三つ下の弟弟子だった。

その春、父と母は借金の証文を一枚だけ残して、町を出た。

朝、目を覚ますと、土間の油紙の上に、空の財布と、私の名を書いた紙が置かれていた。

紙には「ちづるをたのみます」とだけあった。

宛名は、なかった。

誰に頼んだのかもわからないその紙を、留さんは竈の火にくべた。

「読んだか」

「読んだ」

「なら、もういらん」

紙は青い炎を立てて縮れた。

火薬を扱う男の手つきは、紙を焼くときでさえ丁寧だった。

その日から、私はあの人と暮らした。

※

留さんは二十六だった。

工場の裏の、屋根の低い小屋に住んでいた。

そこに私の布団が一組増えただけで、あとは何ひとつ変わらなかった。

朝は五時に起きて、川の水で顔を洗う。

冬は、指の関節が芯から痛くなるほど冷たい。

飯は麦の多い飯と、味噌汁と、たいてい煮すぎたうどん。

留さんの打つうどんは、箸で持ち上げると必ず途中で切れた。

「まずい」と私が言うと、あの人は黙って自分の丼に汁を足した。

まずいとも、うまいとも、一度も言わなかった。

言葉の少ない人だった。

けれど、朝の味噌汁の椀は、いつも私のほうが先に置かれていた。

私が箸をつけるまで、あの人は自分の椀に手を伸ばさなかった。

そういう順番だけが、あの小屋の言葉だった。

※

杉戸煙火の朝は、硫黄と杉の木くずの匂いから始まる。

玉皮を張る糊の匂いが、それに重なる。

私は八つで工場の土間に立ち、十で星掛けを覚えた。

星というのは、夜空で色になって散る火薬の粒のことだ。

芥子粒ほどの種に、薬を少しずつまぶしては乾かし、またまぶす。

それを何十日も繰り返して、ようやく小指の先ほどの星になる。

気の遠くなる仕事だった。

星掛け機の木の柄は、留さんの掌の形にへこんでいた。

私が握ると、指が三本ぶん余った。

「握るな」

最初にあの人が私に言ったのは、それだった。

「握るな。添えろ」

力を入れれば、星は割れる。

割れた星は、空で色にならない。

私はその冬いっぱい、柄に手を添えることだけを教わった。

※

十四の夏、私が掛けた星が、空で色にならなかった。

尺玉の一発が、開いた瞬間に半分だけ暗く欠けた。

川原の人たちは気づかなかったと思う。

でも工場の者は全員わかっていた。

握ってしまったのだ。

乾きの浅いうちに焦って、私は掌に力を込めた。

その晩、私は小屋の隅で膝を抱えていた。

留さんは怒鳴らなかった。

土間で道具を洗う音だけが、長いあいだ続いた。

翌朝、あの人は自分の掛けた星を、笊ごと私の前に置いた。

その年の分、全部だった。

「掛け直せ」

「留さんのを」

「全部だ」

私は三か月かけて、あの人の星を一粒ずつほどいて、掛け直した。

指の腹の皮がむけて、薬の色が爪の際に染みついた。

掛け直したところで、あの人の星が上手くなるわけではない。

私の手が覚えるだけだ。

そのために三か月ぶんの仕事を差し出す人だった。

言葉では、ひとことも言わなかった。

※

その秋、私は熱を出して町医者にかかった。

受付で名を聞かれ、私が「佐野千鶴」と答えようとしたとき、留さんが前に出た。

そして診察券に、自分の名を書いた。

三戸留次郎。

続柄の欄は、空けたままだった。

「なんで留さんの名前なの」

帰り道でそう聞いた。

「そのほうが早い」

「早くないよ。私の病気なのに」

「早いんだ」

あの人は前を向いたまま歩いた。

土手の下で川が浅くなっていて、水の音が細かった。

私は、名前を出すのを面倒がられているのだと思った。

そう思ったまま、二十年を過ごした。

※

杉戸煙火の帳場には、玉名帳という帳面があった。

その年に上げた玉の号名を、一発ずつ書き入れる帳面だ。

「昇り曲付八重芯菊」。

「錦冠菊」。

「紅葉の宿」。

親方が墨で書き、職人が名を並べる。

玉の名は、作った者の名でもある。

私は十二のとき、初めてその帳面を隅から隅まで読んだ。

父の名は、七年前の行で途切れていた。

そして。

私の名は、どこにもなかった。

十二から十八まで、私は毎年その帳面を開いた。

星を掛け、玉皮を張り、割薬を詰め、玉を仕上げた。

それでも私の名は、一行も増えなかった。

工場の名簿にも、私の欄だけが空いていた。

※

番付のことも、覚えている。

桑折沢の夏祭りには、川原で百五十発ほどの花火が上がった。

町の家々が一発ずつ金を出し、番付という刷り物にその名が並ぶ。

「杉戸煙火有志」。

「桑折沢商工会」。

「三戸留次郎」。

そして番付の一番下には、毎年「余り一発」とだけ刷られた玉があった。

提供者の名はない。

留さんに一度だけ聞いたことがある。

「余り一発って、なに」

「余りだ」

「誰が出してるの」

「余ったもんが出す」

それきり、あの人は玉皮の紙を数え始めた。

一枚、二枚、三枚。

数えるときだけ、あの人の唇はかすかに動いた。

※

中学の授業参観に、留さんは来た。

作業着のまま来て、教室の一番後ろの壁に、背中をつけて立っていた。

掌の油の匂いが、廊下まで届いていたと思う。

母親たちの列から、二歩ぶんだけ離れて立っていた。

先生が出席をとった。

「佐野千鶴さん」

私は返事をした。

そのとき、後ろで留さんが顎を引いたのが、背中でわかった。

帰り道、川沿いの土手を二人で歩いた。

「今日、私の名前、呼ばれてたでしょう」

「呼ばれてたな」

「留さんも、呼べばいいのに」

あの人は立ち止まらなかった。

「呼ばんでも、聞こえるだろうが」

それだけだった。

夕方の川は水が減って、石が骨のように白く並んでいた。

※

十八の春、私は町を出た。

理由をひとつだけ挙げるなら、あの帳面だ。

六年ぶん働いて、玉名帳に一行も自分の名がないこと。

それを、私は「他人だからだ」と読んだ。

拾って育てはしたが、あの人にとって私は、最後まで他人なのだと。

出ていく朝、私は土間で言った。

「留さん、私、いなくなるよ」

「そうか」

「引き止めないの」

「引き止める筋合いがあるか」

筋合い。

あの人はそういう言葉を使う人だった。

私は玄関の柱を、爪で一度だけ引っ掻いた。

それから、駅まで一度も振り返らずに歩いた。

※

仙台の縫製工場に入り、そのあと結婚して、いわきに移った。

夫は穏やかな人で、子も二人生まれた。

花火のことは、二十年、口にしなかった。

けれど夏になると、遠くで玉の開く音がした。

どん、と腹に来る音のあとに、しゃらしゃらと星の散る音が続く。

その音の長さで、玉の大きさが今でもわかった。

子どもたちが「お母さん、上手だね」と笑った。

私は笑い返しながら、いつも指先が冷えていた。

下の娘が小学校に上がった年、家族で海沿いの花火大会に行った。

娘が私の袖を引いた。

「お母さん、あれ何色?」

「白菊」

「白いだけ?」

「白いだけの色が、いちばん長く残るの」

「誰が教えてくれたの」

私は答えられなかった。

夫が横から、そっと娘の手を引いた。

帰りのバスで、私は窓に額をつけて、ずっと外を見ていた。

桑折沢には、盆にも正月にも帰らなかった。

帰らない理由を、私はうまく言えなかった。

言えないまま、年賀状も出さなかった。

一度だけ、封筒に何も入れずに切手を貼って、そのまま捨てたことがある。

宛名は書いた。

三戸留次郎様。

あの人の名を紙に書いたのは、たぶんその一度きりだった。

※

留さんが倒れたと聞いたのは、平成十一年の秋だった。

工場の煙硝倉の前で、しゃがんだまま立てなくなっていたという。

病院の窓から、阿武隈の山が見えた。

あの逞しかった腕が、枯れ枝のようになっていた。

私はベッドの脇に座って、二十年ぶんの言葉を探した。

何も、出てこなかった。

「うどん、まだ切れるの」

そう聞くのが、精一杯だった。

留さんは天井を見たまま、口の端だけを動かした。

「切れる」

「下手ね」

「ああ」

それから、長いあいだ黙っていた。

窓の外で、川の音がしていた。

「玉名帳」

不意に、あの人が言った。

「玉名帳、持ってこい」

※

その日、看護師さんに頼んで、病室のロッカーを開けてもらった。

着替えと、財布と、煙草の空き箱がひとつ。

箱の中に、四つ折りの紙が入っていた。

広げると、仙台の縫製工場の社内報だった。

二十年前の、いちばん薄い号。

新入社員の紹介の欄に、豆粒のような顔写真が並んでいる。

そのうちのひとつが、十八の私だった。

名前は、載っていない。

その号だけ、名字も名前も刷られていない写真だけの号だった。

だからあの人は、この号を持っていたのだと思う。

折り目は、何度も開かれて、白く毛羽立っていた。

私は箱の蓋を閉じて、ロッカーに戻した。

病室に戻ると、留さんは眠っていた。

起こさずに、枕もとの椅子に座った。

点滴の落ちる音が、星掛け機の回る音に少し似ていた。

※

私は工場の帳場から、五十冊近い玉名帳を抱えて戻った。

留さんは自分では開けなかったから、私が一冊ずつめくった。

昭和四十八年。

四十九年。

五十年。

どの年にも、私の名はなかった。

あるはずがないと知りながら、私は最後まで探していた。

「ないな」

留さんが言った。

「ないよ」

「ないな」

あの人はそれから、しばらく息を整えた。

「割型を、見ろ」

割型というのは、玉を仕込む前に薬を張り込む半球の型のことだ。

その内側には、職人が仕事の目印を書きつける。

書いた紙は玉といっしょに空へ上がり、必ず燃えて消える。

「毎年の、余り一発の割型を見ろ」

私は病院を出て、工場へ戻った。

※

煙硝倉の奥に、使い終わった割型が年ごとに積まれていた。

昭和四十八年の束を引き出す。

半球の内側、薬をこそげた跡の下に、鉛筆の字が残っていた。

千鶴。

四十九年の割型を取る。

千鶴。

五十年。

千鶴。

五十一年、五十二年、五十三年。

千鶴、千鶴、千鶴。

私が町を出た年にも、書いてあった。

出ていった次の年にも。

その次の年にも。

二十年ぶん、一年も欠けずに、あの二文字はそこにあった。

玉名帳のどこにも、私の名前はなかった。

燃える紙にだけ、あった。

私は倉の土間にしゃがみ込んで、しばらく立てなかった。

硝石の匂いがした。

七つの春から、ずっと嗅いできた匂いだった。

それから私は、割型を全部並べ直した。

昭和四十八年から、平成十一年まで。

二十七の半球が、土間に二列で並んだ。

どの字も同じ鉛筆で、同じ角度で書かれていた。

上手な字ではない。

「鶴」の最後の一画だけが、いつも下へ落ちていた。

書き慣れた人の、落ち方だった。

私は指で、その一画をなぞった。

薬をこそげた跡の粉が、指の腹について白くなった。

洗っても、その晩は落ちなかった。

※

その晩、組合の会計をしていた志田さんという老人が、工場を訪ねてきた。

留さんに言われて来た、と言った。

志田さんは湯呑みを両手で包んだまま、話し始めた。

「ちづるちゃん、あんたが来た年な」

「はい」

「あんたの親父さんの証文を持った連中が、二度この町に来たんだ」

私は湯呑みを置いた。

「留は、あんたを名簿に載せなかった。玉名帳にも載せなかった。町の書き物のどこにも、あんたの名を出さなかった」

「どうして」

「紙に残せば、辿られるからだ」

志田さんは、湯呑みの縁を親指でなぞった。

「あいつはな、あんたの名を、燃える場所にだけ書いてたんだよ」

土間の隅で、風が玉皮の紙をめくった。

一枚、二枚、三枚。

数えるときだけ唇が動く、あの人の癖を思い出した。

「留さん、私のこと、一度も名前で呼ばなかった」

「呼べば、誰かが覚える」

志田さんはそう言って、はじめて私の顔を見た。

「あの町で、あんたの名を一番たくさん書いたのは、あいつだよ。誰にも読ませずにな」

私は、二度来たという連中のことを聞いた。

志田さんは少し迷ってから、話してくれた。

一度目は、私が来た年の秋。

二度目は、その三年あとの夏。

どちらも工場の門の前で、留さんが一人で応対したという。

「子どもは、うちにはいない」

そう言い切って、名簿を見せたそうだ。

私の欄が空いた、あの名簿を。

「見せられる紙を、あいつは先に作ってたんだ」

志田さんは湯呑みを置いた。

「隠すってのはな、忘れることじゃないんだよ。書いて、燃やすことなんだ」

私は、竈にくべられた紙を思い出した。

「ちづるをたのみます」。

あの朝、あの人が火にくべたのは、私の名前が書かれた最初の紙だった。

※

留さんは、その年の秋の終わりに、静かに眠った。

最後の晩、私はベッドの脇で、あの人の掌を握った。

握るな、と教えた手だった。

だから私は、添えた。

留さんの指が、一度だけ動いた。

星掛け機の柄をなぞるときの、あの動きだった。

私は耳もとで言った。

「留さん」

五十年、そう呼んできた名を、そのまま呼んだ。

それでよかったのだと思う。

呼び方を変えなかったことが、あの人と私の五十年だった。

※

令和八年の夏。

私は六十八になり、杉戸煙火をたたむことにした。

職人は私と、二十四になる弟子がひとりきりになっていた。

最後の年の番付を刷るとき、私はその子に言った。

「一番下に、余り一発を入れて」

「名前はどうします」

「いらない」

その子は不思議そうな顔をしたが、何も聞かずに版を組んだ。

※

最後の玉は、私が仕込んだ。

三尺は上げられないから、尺玉にした。

星は、白菊の一色。

桑折沢の空にいちばん長く残るのは、結局この色だと、あの人が言っていた。

割型の内側に、私は鉛筆で二文字を書いた。

留次。

留次郎の、はじめの二文字だけ。

空へ上げれば、必ず燃えて消える紙だ。

それから帳場に戻って、玉名帳を開いた。

五十年ぶん、私の名のなかった帳面だ。

最後の行に、私は自分で墨を磨って書いた。

佐野千鶴。

書き終えてから、しばらく筆を置けなかった。

※

打上げは、八月の終わりだった。

川原に町の人が集まって、番付の順に玉が上がる。

そして一番下、余り一発。

どん、と腹に来る音がして、白菊が開いた。

星がしゃらしゃらと散って、川の水面に落ちるまでのあいだ、誰も何も言わなかった。

隣で、弟子の子が空を見上げたまま言った。

「親方、あの玉、名前ないんですよね」

「ないよ」

「もったいないな」

私は笑った。

「もったいなくないの」

「どうしてですか」

「名前ってね、残すためだけのものじゃないの」

白い光が消えて、川原がまた暗くなった。

硝煙の匂いが、風に乗って土手のほうへ流れていった。

七つの春から、ずっと嗅いできた匂いだった。

※

工場は九月に閉めた。

煙硝倉を空にして、割型の束は焚き上げてもらった。

二十年ぶんの、あの二文字ごと。

帳場の玉名帳だけは、私が持って帰った。

いま、それは仏壇の下の引き出しに入っている。

最後の行を開くと、私の名がある。

五十年ぶりに、紙の上に残ることを許された名前だ。

けれど、いちばん長く私の名を書いてくれた紙は、もうこの世のどこにもない。

毎年ひとつずつ、空でほどけて、消えていった。

あの人は五十年、私を名前で呼ばなかった。

呼ばないことで、呼び続けていた人だった。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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