継母は私を名前で呼ばなかった

雪景色を望む暖かな囲炉裏端

表具屋の土間に、使わない甕が三つならんでいる。

五十年、そこにある。

封は、いちども切っていない。

厚手の油紙をかぶせ、その上から縄を十文字にかけただけの、粗末な封だ。

切ろうと思えば、鋏ひとつで足りる。

それを五十年、しなかった。

私は表具師をしている。

掛軸や襖の、紙を貼る仕事だ。

紙を貼るというと糊でくっつけるだけのことに聞こえるが、そうではない。

表具の糊には、新糊と古糊がある。

新糊はよくつく。かわりに、紙を固くする。

古糊は、寒の水で炊いた小麦の澱粉を甕に寝かせ、十年置いたものをいう。

十年経つと、糊は飴色の水になり、指ですくってもほとんど力がない。

その力のない糊で打った紙だけが、百年後にやわらかいまま残る。

強い糊で貼った紙は、いずれ自分の力で割れてしまう。

弱い糊で貼った紙は、割れない。

四十年この仕事をして、私が本当に分かったのは、それくらいのものだ。

くめさんが家に来たのは、昭和四十三年の秋だった。

私は十四だった。

木曽の谷を街道が縫っている、舟坂という古い宿場町で、家は代々の表具屋だった。

実の母は、私が七つの春に家を出ている。

松本の親類の家へ行ったきり、戻らなかった。

理由は、いまでも知らない。

父は聞かせなかったし、私も、聞かなかった。

くめさんは、隣の谷の紙漉きの家から来た人だった。

背が低く、指の節が男のように太かった。

荷物は風呂敷ひとつきりで、中身は着替えと、砥石と、目の細かい篩がひとつ。

嫁入り道具に篩を持ってくる人を、私はそれまで見たことがなかった。

その晩、くめさんは框に手をついて、私に向かって頭を下げた。

「宗一さん」

たしかに、そう呼んだ。

私は上がり框に座ったまま、自分の足の裏を見ていた。

「あんたに名前呼ばれたないわ」

十四の子供が思いつくかぎり、いちばん短い刃物を選んだのだと思う。

くめさんは、はい、と言った。

それだけだった。

その日から、くめさんは私を「そこの人」と呼ぶようになった。

表具の古糊は、大寒の水でなければ炊けない。

正月が明けて十五日ほど経つと、父が縁側から空を見上げて、明日やな、と言う。

その朝は、まだ暗いうちに起こされた。

谷の水を汲みに行くのだ。

井戸ではだめだった。沢のいちばん上の落ち口の水でなければ濁るのだと、くめさんは言った。

私はてんびん棒の前を持たされ、くめさんが後ろを持った。

雪は、踏むと下のほうで軋む音がする。

その音が、上りと下りで違うことを、あの冬に覚えた。

空の桶は、かん、と乾いた音で揺れる。

水を入れた帰りは、ぐ、ぐ、と鈍く沈む。

「そこの人。止まらんといて」

くめさんが後ろから言う。

「止まると、揺れが桶に残るで」

私は返事をしなかった。

息が白く、前を歩く自分の吐いた息の中へ、自分でまた入っていくような朝だった。

家に着くと、土間の竈にもう火が入っていた。

くめさんは小麦の澱粉を篩にかけ、寒の水を細く落とし、木のへらで練りはじめる。

そのとき、必ず同じことを言った。

「火だけ見とれ。鍋は見んでええ」

私は不服だった。

鍋の中でどうなっているのかを見ないで、何を覚えろというのか。

「火が強すぎたら、糊が焦げる前に、あんたの顔が熱うなる。それで分かる」

くめさんは鍋から目を離さずにそう言った。

「顔が熱うなったら、薪を一本抜いとくれ」

私は薪を抜いた。

何度も抜いた。

抜きすぎて叱られ、抜かなさすぎて叱られた。

三年ほどして、私は薪を抜くのが上手くなった。

顔の熱さだけで、鍋の中を当てられるようになった。

炊きあがった糊は、粗熱をとってから、土間の奥の甕に移す。

甕は父の代からのもので、口が広く底の深い、飴釉のかかったものだった。

移し終えると、くめさんは指の腹に胡粉をつけて、甕の肩に数を書いた。

私はそれを、仕込んだ年の数だと思っていた。

四十三の冬に炊いたから四十三、その次は四十四、というふうに。

くめさんは字が書けない人だった。

だから数だけを、太い指で、いつも同じ大きさに書いた。

「ええ糊は、十年待たな、ものにならん」

蓋をしながら、くめさんはそう言った。

「十年経ったら、そこの人が使いんさい」

私はそのとき、この人は自分の子ができるまでの十年を、ここで数えているのだと思った。

父は、腕のいい表具師だった。

谷筋の寺から掛軸が下りてくると、他所へは出さず、うちに回ってきた。

裏打ちというのは、紙の上に刷毛で糊を置き、その上に別の紙を重ね、撫刷毛で叩いて空気を追い出す仕事だ。

叩く音は、雨に似ている。

遠くから近くへ、また遠くへと父の手が動くと、板の間に細かい雨が降っているようだった。

くめさんは、その部屋には入らなかった。

表具の仕事場は女の入るところではないと、この谷ではまだそう言われていた。

くめさんの持ち場は土間だけだった。

糊を炊き、濾し、甕を守る。

それだけを十年やった。

ただ、父が使うのはいつも、くめさんの糊だった。

「薄いに、剥がれん」

一度だけ、父が誰にともなくそう言ったのを聞いたことがある。

「あの人の糊は、薄いに、剥がれんのやなあ」

くめさんの篩の意味が分かったのは、来た年の暮れだった。

表具の糊に使う澱粉は、買うと高い。

だからくめさんは、自分でこしらえていた。

小麦の粉を布に包んで水の中で揉むと、白いものが桶の底に沈んでいく。

上の濁りを捨て、また水を張り、また揉む。

それを何日も繰り返す。

最後に篩を通して、日の当たらないところで干す。

「粉が細かいほど、糊がなめらかになるんやに」

土間に膝をついたまま、くめさんはそう言った。

「そこの人。手ェ、貸しんさい」

私は嫌々、桶に手を入れた。

十二月の水は、痛かった。

指が赤くなって、しまいには感覚がなくなった。

くめさんの手はもう白く、爪のまわりだけが紫になっていた。

「冷たいがな」

私が言うと、くめさんは笑った。

「冷たい水やないと、いい粉にならんの」

その冬、私は毎晩その桶に手を入れた。

嫌だったが、やめようとは思わなかった。

理由は自分でも分からなかった。

いま思えば、あの土間は、私が家の中で唯一、黙っていていい場所だったのだ。

中学を出る年の冬に、私は父に、この家を継ぐと言った。

父は、そうか、とだけ言って、湯呑みを置いた。

その晩、土間でくめさんに袖を引かれた。

「そこの人。この仕事は、やめとき」

私は聞き違いだと思った。

「なんで」

「ここでは、ええ仕事は教えられん」

「親父は腕がええって、寺の坊さんかて言うとるに」

「腕の話やない」

くめさんは竈のほうを見ていた。

「糊の話や」

意味が分からなかった。

分からないまま、腹だけが立った。

この人は他所から来て、土間で糊を炊いているだけの人だ。

その人が、うちの仕事をやめろと言う。

「あんたの子に継がせたいんやろ」

言ってから、しまったと思った。

くめさんは何も言わなかった。

手拭いで手を拭いて、篩を洗いに行った。

その背中に、私はもう一言、言えばよかったのだと思う。

言わなかった。

十九の春に、私は家を出た。

東京の、神田の裏にある表具の工房に住み込んだ。

親方は口の悪い人で、私の手を見るなり、木曽から来たにしては指が細い、と笑った。

十年、帰らなかった。

帰る理由を、自分で作らなかったというほうが正しい。

盆も正月も、仕事があると言えば、それで通った。

父からは年に二度、葉書が来た。

用件だけの、短いものだった。

くめさんからは、一通も来なかった。

親方の工房に、古糊はなかった。

神田の真ん中に、大寒の水を汲む沢はない。

京都の職人から一斗いくらで買ってくるのだが、値が高いので、普段の仕事には新糊を使った。

入って三年目に、私はある家の襖を四枚、任された。

新糊で打って、きれいに上がった。

親方も、悪くない、と言った。

その襖を、五年後に見た。

表具は、貼ったときが仕上がりではない。

何年か経って、はじめて仕事の答えが出る。

四枚のうち二枚に、細かい折れが縦に走っていた。

糊が強すぎて、紙が動けなくなり、自分の力で割れたのだ。

指でなぞりながら、私は木曽の土間を思い出していた。

薄いに、剥がれん。

父が誰にともなく言った、あの一言を思い出していた。

それでも、私は帰らなかった。

帰れば、あの人に、あんたの言うとおりやった、と言わねばならない。

それが、二十代の私にはできなかった。

昭和五十年の暮れに、父の葉書の文面が変わった。

「くめが腹を悪くした。医者は、次の寒までと言うている」

それだけだった。

私は年が明けても帰らなかった。

帰らない理由を、いくつも並べた。

いま思えば、あれは理由でも言い訳でもなく、ただの怖さだった。

次の寒が来て、過ぎた。

葉書は来なかった。

その次の年も、寒が来て、過ぎた。

三年目の正月に、父から電話が来た。

家に電話が引かれたのは、その年が初めてだった。

「宗一。今年は帰ってこい」

父の声は、受話器の向こうで少し遠かった。

「今年で、しまいや」

昭和五十三年の一月、大寒の朝に、私は舟坂へ帰った。

十年ぶりの家は、思っていたより小さかった。

戸を引くと、土間に湯気が立っていた。

竈に火が入っていた。

くめさんが、鍋の前に立っていた。

痩せて、着物の背中が一枚の板のようになっていた。

私を見ると、くめさんは、はじめて会った日と同じ顔で、少しだけ笑った。

「そこの人。火だけ見とれ」

私は薪の前に膝をついた。

十年ぶりに、顔が熱くなった。

薪を一本抜いた。

抜きながら、私は言いつけを破った。

鍋を、見た。

くめさんは、立っていなかった。

竈の縁に肘を置いて、そこへ体の重みを、全部あずけていた。

足は、床についているだけだった。

へらを持つ手だけが、いつもと同じ速さで動いていた。

「見んでええと、言うたに」

くめさんは鍋を見たまま言った。

声に、怒っている調子はなかった。

「もう、ええわ。見んさい」

それから私は、鍋を見ていた。

澱粉が水を吸って、白い濁りが、だんだん透きとおっていく。

その透きとおる瞬間だけは、十年東京にいても、どこでも見たことがなかった。

炊きあがった糊を甕に移したのは、私の手だった。

くめさんは框に腰を下ろして、それを見ていた。

「肩に、書いとくれ」

胡粉を渡された。

「なんて書く」

「一」

私は指を止めた。

土間の奥を見た。

甕は三つ、ならんでいた。

いちばん奥の甕の肩に「三」。

その手前に「二」。

そして私の手の下に、書かれるのを待っている甕がひとつ。

年ではなかった。

あと何回、寒が来るかという数だった。

「なんで」

声が、うまく出なかった。

「なんで、三つも」

くめさんは框から、土間の三つの甕を見ていた。

「そこの人が、十年で戻ってくるで」

「戻るなんて、言うてないに」

「言わんでも、戻る」

くめさんは、そこで少し息を継いだ。

「十九で出て、十年で戻る。そしたら二十九や。二十九からは、ええ仕事をせなあかん」

私は何も返せなかった。

「ええ仕事には、十年寝た糊が要る。三つあったら、しばらくは困らん」

胡粉を持ったまま、動けなかった。

やめとき、と言われた晩のことを思い出した。

ここでは、ええ仕事は教えられん。

糊の話や。

父の代の古糊は、あの頃にはもう底をついていたのだ。

十年寝かせなければ使えないものを、この人は、自分がいない先の十年に向かって、毎年ひとつずつ炊いていた。

医者が次の寒までと言った日から三度の寒を越えたのは、気丈だったからではない。

数えていたのだと思う。

三、二、一、と。

「早う書き」

くめさんが言った。

「手が冷えたら、胡粉が乗らん」

私は「一」と書いた。

あれよりまっすぐな線を、私はその後の五十年で、一度も引けていない。

その晩、父と二人で酒を飲んだ。

父は十年前より小さくなっていて、猪口を持つ手が少し震えた。

「おまえが出てった年の寒から、あれは炊きはじめた」

父は天井を見ていた。

「わしは止めたに。もう炊かんでええ、言うて」

「なんで炊いたんや」

「聞いても、答えん人やった」

父は猪口を置いた。

「ただ、去年の寒に、一遍だけ言うたわ。あと二回や、て」

私は何も言えなかった。

「わしはそれを、あと二回炊いたら楽になる、いう意味やと思うとった」

父は笑おうとして、うまく笑えなかった。

「ちがうな。あれは、日ィを数えとったんやない。甕を数えとったんや」

くめさんは、その年の三月の終わりに旅立った。

桜の咲く前だった。

最期まで、私を名前で呼ばなかった。

私も最期まで、おばさん、としか呼べなかった。

三つの甕は、そのまま土間に置いた。

十年経てば、使える糊だった。

使わなかった。

二十九になり、三十九になり、五十になった。

使えば、なくなる。

その理屈だけで、私は五十年、封を切らなかった。

父の代の道具は少しずつ入れ替わり、仕事場の板の間も一度張り替えた。

甕だけが、動かなかった。

今年の春、谷の奥の観音堂から、古い縁起絵が一幅下りてきた。

裏書きに、昭和四十九年、杉戸幸造、とあった。

父が打ったものだ。

つまり、くめさんの糊で打たれている。

五十年で絹が痩せ、細かい折れが出ていた。

打ち直すには、古い裏打ちを剥がさなければならない。

剥がすというより、湿らせて、離す。

剥がすのは、時間のかかる仕事だ。

濡らしすぎれば絵が動く。乾かせば紙が破れる。

霧を吹いて、少し待って、また吹く。

半日それを繰り返して、ようやく端が浮いてくる。

浮いた端を、竹のへらで、息を止めて起こしていく。

いい糊で打ってあれば、紙は素直に離れる。

父の仕事は、素直に離れた。

裏打ちに使われていたのは、この土地の、少し黄ばんだ楮紙だった。

表具では、裏打ちの紙に反故を使うことがある。

書き損じや、いらなくなった紙を、水で洗い、伸ばして使う。

その紙を、窓の明かりに透かした。

字が、あった。

「杉戸宗一様」

一枚めくると、また「杉戸宗一様」。

その次も。

その次も。

数えたら、二百枚に近かった。

はじめのほうの字は線が震えて、宗のうかんむりが屋根から落ちていた。

真ん中あたりで、落ちなくなった。

終わりのほうは、まっすぐだった。

十年分だった。

字の書けない人が、宛名だけを練習していたのだ。

手紙は、一通も来なかった。

書けなかったのだと思う。中身が。

いや、たぶん、宛名を書くだけで、その日は終わってしまったのだと思う。

父がそれを知って裏打ちに使ったのか、ただの反故として使ったのかは、もう聞けない。

ただ、うちの反故は、いつも土間の隅の籠に入れてあった。

糊を炊く人の、すぐ後ろに。

いちばん下から出てきた一枚だけ、字が違った。

「杉戸宗一へ」

最後の一枚だけ、様が取れていた。

私は、その紙を持ったまま、しばらく座っていた。

十四の秋に、あんたに名前呼ばれたない、と言ったのは私だ。

はい、と言ったあの人は、その約束を五十年、守り通した。

声では、守った。

紙の上では、二百枚、破っていた。

今朝、いちばん端の甕の封を切った。

縄を解き、油紙をめくると、五十年分の匂いが立った。

酸いような、乳のような、どちらとも言えない匂いだ。

中身は飴色の水になっていた。

指ですくうと、力はまったくなかった。

これで打った紙は、百年、割れない。

孫娘が、去年から仕事場に入っている。

濾すのは、この子の役だ。

土間に火を入れて、私は言いかけた。

火だけ見とれ、鍋は見んでええ。

言いかけて、言い直した。

「鍋も、見い」

孫娘が、なんで、と聞いた。

なんでやろな、と答えた。

表具屋の土間には、いまも甕が三つならんでいる。

そのうちのひとつだけ、封がない。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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