
「かあちゃん、これ、光る」
四つになった実が、漉き上げたばかりの紙を明かり取りの窓へ持ち上げて、そう言った。
昭和四十七年の冬だった。
濡れた紙は冬の白い光を吸って、あの子の小さな指の影を、裏側にうっすらと映していた。
私はそのとき、簀桁を持つ手を止めた。
止めたことを、いまでも覚えている。
※
私は高知の山あいの、楮谷という集落で紙を漉いてきた。
仁淀の細い支流が谷を二つに割って流れ、その川べりに漉き場が七軒、屋根を並べていた。
いまは、うちの一軒きりになった。
十二月の水は、手を入れた最初の一瞬だけ熱い。
そのあとは、指の節から順に感覚が抜けていく。
五十五の冬、私はその熱さと痺れを繰り返してきた。
漉き場というのは、がらんとした場所だ。
土間に楮を煮る甑があって、板の間に舟が据えてあって、あとは壁いっぱいに簀が立てかけてある。
暖房は置かない。
暖を取れば紙料が傷むし、湯気で簀が反る。
だから冬の漉き場に残る音は、水の音と、簀桁が舟の縁に当たる、こつん、こつんという音だけになる。
私には一つ、誰にも言わずに続けてきたことがある。
一年に一枚だけ、売らない紙を漉く。
漉き入れという技で、紙料の薄い層のあいだに字を沈める。
乾いてしまえば、ただの白い紙にしか見えない。
光にかざしたときだけ、字が浮かぶ。
その一枚を、毎年、簞笥の一段目にしまってきた。
中身を人に見せたことは、一度もない。
一枚ずつしまうばかりで、並べて見たことは、一度もなかった。
※
姉の澄江が向こうへ行ったのは、昭和四十六年の十月十九日だった。
台風が抜けたあとの雨が三日降り続いて、集落の裏山が動いた。
姉と義兄の家は、川にいちばん近いところにあった。
私は二十歳で、まだ父の脇で楮を煮ていた。
明け方、消防団の人がうちの戸を叩いて、私の名を呼んだ。
呼んだきり、その人は何も言わなかった。
言わないというのが、答えだった。
二人はそのまま、戻らぬ人となった。
残ったのは、前の晩から熱を出してうちに預けられていた、三つの実だけだった。
実は、自分の家がなくなったことを知らなかった。
熱の下がった朝、うちの土間で甑から立つ湯気を見て、面白がって笑っていた。
私はそのとき、あの子の笑い方が、姉とまったく同じところで息を吸うことに気がついた。
※
年が明けた春、父が簀を洗いながら言った。
「町の親戚に出すか」
私は首を横に振った。
「うちで育てる」
父は長いこと簀を洗っていて、洗い終えたそれを、日の当たる壁に立てかけた。
「なら、姉の子ではのうて、お前の子として育てえ」
母は、私が幼いうちにいなくなっていた。
だからこの家には、母のいない子を育てた前例が、すでに一つあった。
父はその秋に腰を痛めて漉き場を降り、私が舟の前に立つことになった。
役場の人は、戸籍は変えられんと言った。
変えられなくてよかった、と私は思った。
紙に沈めた字と同じで、見えないところに置いておけばいい。
集落の誰も、実に本当のことを言わなかった。
山が動いた谷では、言わずにおくというのが、一つの弔い方だった。
実は私を「かあちゃん」と呼んだ。
三つの子が覚える言葉は、まわりが呼ばせたい言葉だ。
私は二十歳で、その言葉を受け取った。
受け取ってしまえば、返す方法はもうなかった。
※
冬の漉き場は寒い。
それでも実は、私の足元の板の間に座って、簀から落ちる水の音を聞いていた。
舟の中の紙料を、私は一日に何百回も汲み上げる。
前へ流して、横へ振って、余った水を捨てる。
その揺れの音が子守唄になったらしく、あの子はよく板の間で眠ってしまった。
眠ったのを確かめてから、私は例の一枚を漉いた。
姉の名を、二文字だけ、紙の中に沈める。
澄江。
誰にも読まれないところに、姉を一年に一度だけ置いた。
置いておかないと、忘れてしまいそうだったのだと思う。
実が六つになった年、隣町の紙屋から縁談が来た。
相手は私より三つ上の、無口だが真面目な人だった。
仲人の人は座敷で、「子はあちらの籍に入れてもええ言いよる」と言った。
私は湯呑みを両手で持ったまま、しばらく黙っていた。
それから、断った。
理由は言わなかった。
言えば、その理由がいつか実の耳に入る日が来ると思った。
集落では「子がおるき断った」という話になった。
そのほうが、ちょうどよかった。
それきり、縁談の話は来なくなった。
私はその年、少し痩せた。
そのぶん、紙は薄く漉けるようになった。
実が小学一年になった春、家庭訪問があった。
先生が座敷で、あの子の描いた家族の絵を広げた。
画用紙には、大きい人が一人と、小さい人が一人。
大きいほうの頭の上に、鉛筆で「かあちゃん」と書いてあった。
先生が「お父さんは」と聞いた。
実は「おらん」と答えた。
それだけ答えて、あとは麦茶を飲んでいた。
先生が帰ったあと、私は台所で洗い物をした。
実が後ろから来て、私の割烹着の紐を引いた。
「かあちゃんの手、紙のにおいがする」
それはたぶん、褒め言葉だった。
同じ年の秋、あの子は学級の作文に、親の仕事を「かみすき」と平仮名で書いた。
先生がそれを「神好き」と読んで、実の家は神さまをよほど大事にする家だと思い込んだ。
しばらくのあいだ、うちには町の神社の話を聞きに来る人が何人か来た。
私は訂正するのが面倒になって、そのまま茶を出していた。
実はその話を、大人になってからも人にした。
そのたびに笑いながら、「うちのかあちゃんは神さんを漉きよった」と言うのだった。
※
楮の皮を晒すのは、いちばん寒い時期の仕事だ。
刈った楮を蒸して皮を剥ぎ、その皮を川の浅瀬に沈めて、水に灰汁を抜かせる。
実が九つの冬、初めてその川晒しを手伝わせた。
長靴の中まで水が入るから、上がったあとは足の指が赤く腫れる。
あの子は文句を言わなかった。
川の中でしゃがみ込んで、皮についた黒い筋を爪で剥いでいた。
指先の感覚がなくなると、皮の傷が分からなくなる。
だから、時々手を上げて、息を吹きかけながらやる。
私が教えるより先に、あの子は自分でそうしていた。
家に戻って、囲炉裏の縁に二人で足を並べて温めた。
湯気の中で、実が言った。
「かあちゃんは、なんで冬にばっかりやるが」
水が冷たいほど、雑菌がわかんき、紙が長持ちする。
そう答えると、あの子は「ふうん」と言って、赤い足の指を握った。
長持ちさせる、という言葉を、そのときのあの子がどう聞いたのかは分からない。
※
実が十になる年の正月、簞笥の紙を数えた。
一枚足りなかった。
その年だけ、簞笥の紙が一枚足りなかった。
数え違えたか、鼠にやられたのだと思った。
足りないのは、いちばん古い、昭和四十六年のものだった。
なくなったと分かったとき、少しだけ、ほっとした自分がいた。
あの一枚だけは、毎年数えるのが、いちばん重かった。
その年の秋のことだ。
十月の十九日だった。
その日、あの子は朝から一言も、私を呼ばなかった。
「お茶」とだけ言って湯呑みを差し出し、「帰る」とだけ言って学校から戻った。
主語のない言葉ばかりだった。
私は、学校で何かあったのだろうと思った。
聞いても答えないだろうと思って、聞かなかった。
次の日には、いつものように「かあちゃん」と呼んだ。
だから私は、あの一日を、ただ機嫌の悪かった日として覚えた。
十歳の秋の一日だけ、あの子は私を呼ばなかった。
※
実が高校に上がった年の冬、父が寝付いた。
腰から始まって、そのうち起き上がれなくなった。
最後の何日か、父は天井の木目をずっと見ていた。
ある晩、私が湯呑みを片づけていると、父が言った。
「あの子には、言わんでええ」
私は「言わん」と答えた。
父は少し笑って、それから何も言わなくなった。
年の暮れに、父は静かに眠った。
葬いの席で、実は誰よりも長く座敷に残っていた。
「じいちゃん、最後に何か言いよったが」
そう聞かれて、私は「腰が痛い言うちょった」と答えた。
嘘をつくのは、そのときが初めてではなかった。
けれどそのときの嘘だけは、いまも喉の奥に残っている。
※
実は高校から、川を下った町の学校へ出た。
週末に帰ってきては、楮の皮を剥ぐのを手伝った。
その手つきが、だんだん私より速くなった。
中学の終わりごろには、一度だけ喧嘩をした。
あの子が、乾かしていた紙を一枚、風で落として踏んだ。
私は思わず声を上げた。
実は踏んだ紙を拾って、そのまま真ん中から破いた。
「売れもせん紙を、なんでそんなに大事にするが」
破れる音は乾いていて、思ったより大きかった。
その晩、あの子は板の間で、破いた紙をつなぎ合わせようとしていた。
私は何も言わずに、糊を出してやった。
高校三年の春、実は家に残ると言い出した。
紙を継ぐ、と。
私はその晩、初めてあの子を怒鳴った。
こんな仕事に一生を使うな、と言った。
自分がしてきたことを、自分で否定した言葉だった。
実は何も言い返さず、次の朝、願書を書き直して町の短大へ出した。
出ていく日、あの子はバスの窓から一度も振り返らなかった。
そのほうが、お互い楽だった。
※
楮は、育てる人がいなくなると、山からいなくなる。
昭和が終わるころ、谷の畑は次々に杉に変わっていった。
紙の注文も減った。
最後まで残った得意先は、町の役場だった。
表彰状に使う紙を、毎年二百枚だけ買ってくれる。
その二百枚のために、私は冬ごとに水へ手を入れた。
漉き場は一軒、また一軒と、簀を裏返して仕舞っていった。
私はそれでも、水に手を入れることをやめなかった。
手を入れるほかに、姉に会う方法を知らなかった。
実は二十六で嫁いだ。
相手は隣県の、山の測量をする人だった。
婚礼の日、あの子は控えの間で私の前に来て、何か言いかけて、やめた。
やめた顔だけが、その日の記憶に残っている。
実に娘が生まれたのは、嫁いだ二年後だった。
美津という名を、実が電話で読み上げたとき、私は「ええ名や」としか言えなかった。
その子は夏になると谷へ来て、川で足を冷やして帰っていった。
高校生になった年、美津は一週間だけ泊まり込んで、楮の皮を剥いだ。
爪の先を黒くして、飽きもせず剥いでいた。
「おばあちゃん、これ、いつまで続けるが」
そう聞かれて、私は「手が動くまで」と答えた。
美津は「ほんならまだ長いね」と笑った。
その笑い方も、息を吸うところが姉と同じだった。
血というのは、しつこいものだと思う。
私はそのころから、十月の十九日は市に出るようにしていた。
高知の街の紙の市は、たまたまその日に立った。
家にいると、その日はうまく息ができなかった。
だから、いないことにした。
※
令和八年の一月、私は漉き場を畳むと決めた。
指が、もう水の熱さを覚えていない。
役場の表彰状も、三年前から印刷の紙に変わっていた。
最後の一枚を漉く日を、私は誰にも言わなかった。
それなのに、その日の朝、実が土間に立っていた。
五十八になっていた。
「手伝いに来た」
それだけ言って、鞄から自分の割烹着を出した。
二人で楮を煮て、叩いて、舟に落とした。
昼を過ぎて、水がいちばん冷たくなるころ、実が濡れた手を拭いて、鞄からもう一つ、封筒を出した。
中から、白い紙が一枚出てきた。
端が茶色くなっていた。
実はそれを、明かり取りの窓へ持ち上げた。
「かあちゃん、これ、光る」
光の中に、二つの字が浮かんだ。
澄江。
三十年前に足りなくなった、その一枚だった。
「七つのとき、簞笥を開けたがよ」
実は窓を見たまま言った。
「なんか光るもんが入っちゅうと思うて」
七つの子は、まだ「澄江」が読めなかった。
読めるようになったのは、九つのときだ。
学校の名簿に、同じ字を使う子がいた。
それで、仏壇の小さな札を見に行った。
「そこで、ぜんぶ分かった」
私は、簀を持ったまま動けなかった。
三十年、この子は知っていた。
知っていて、私を「かあちゃん」と呼び続けた。
「なんで、言わんかった」
やっと出たのは、それだけだった。
実は少し笑って、紙を下ろした。
光が消えて、字も消えた。
「言うたら、かあちゃんが、かあちゃんでのうなるやろ」
私は、舟の水の音だけを聞いていた。
「けんど、一日だけ」
実の声が低くなった。
「十月の十九日だけ」
「あの日だけは、かあちゃんを返しよったがよ」
十歳の秋の一日だけだと、私は思っていた。
あの日だけではなかったのだと、そのとき知った。
毎年、その日だけ、あの子は私を呼ばなかった。
私が市に出ていた三十年ぶん、この家には、呼ばれない一日があった。
誰もいない座敷で、あの子は仏壇に向かって、その言葉を使っていたのだ。
呼ばれていないことに、私は一度も気づかなかった。
気づかないでいられるように、あの子は日を選んだのだと思う。
高校三年の春に私が怒鳴ったのも、思えばその年の秋の少し前だった。
あの子は怒鳴られた次の日に願書を書き直して、それでも十月十九日には家に帰ってきていた。
実は、紙を膝の上に置いた。
「かあちゃんの縁談を潰したがは、私やと思うとった」
声が震えていた。
「あの人と一緒になっちょったら、かあちゃんの人生は、もっと」
最後まで言わせなかった。
私は板の間へ上がって、簞笥の一段目を開けた。
五十四枚の紙を、両手で抱えて持ってきた。
一枚ずつしまうばかりで、並べて見たことは一度もなかった。
土間の明かり取りの下に、私はそれを順番に置いていった。
昭和四十七年から、令和七年まで。
実が一枚ずつ、光にかざした。
最初の何枚かには、澄江と浮かんだ。
六枚目まで、澄江だった。
七枚目で、実の手が止まった。
昭和五十三年の紙だった。
そこに沈んでいたのは、姉の名ではなかった。
実、と浮かんでいた。
八枚目も、九枚目も、そのあとの四十七枚も、全部そうだった。
私は自分で漉いておきながら、その並びを見たことがなかった。
だから、いつ入れる字を変えたのか、自分でも覚えていなかった。
覚えているのは、その年の秋に、あの子が私を呼ばなかったことだけだ。
実は、最後の一枚を持ったまま、土間に膝をついた。
私は何も言わなかった。
言うことは、もう紙が全部やっていた。
実は、紙をもう一度だけ光にかざした。
「姉さんに、貸してもろうた三十年やき」
私は簀を舟に落とした。
水がはねて、割烹着の胸が濡れた。
冷たいはずだった。
その日は、なぜか熱かった。
※
最後の一枚は、二人で漉いた。
実が簀桁を持ち、私が後ろから手を添えた。
前へ流して、横へ振って、余った水を捨てる。
五十五年、私の体がしてきたとおりに、あの子の腕が動いた。
教えた覚えは、なかった。
板の間で聞いていた水の音を、体のほうが覚えていたのだろう。
紙料の層のあいだに、今度は姉の名を入れなかった。
春に生まれてくる、実の孫の名を入れた。
乾いた紙は、やはり、ただの白い紙だった。
三月に、その子は生まれた。
夏、実がその子を抱いて谷に帰ってきた。
座敷の明かり取りの下で、私は紙を、その小さな体の上に掲げた。
まだ何も見えていないはずの目が、白いほうを向いた。
実が横から覗き込んで、小さく言った。
「かあちゃん、これ、光る」
私は簀を洗いに、川へ下りた。
十二月ではないのに、水は、手を入れた最初の一瞬だけ熱かった。