光にかざすと姉の名が出た

雪明かりの紙漉き工房

「かあちゃん、これ、光る」

四つになった実が、漉き上げたばかりの紙を明かり取りの窓へ持ち上げて、そう言った。

昭和四十七年の冬だった。

濡れた紙は冬の白い光を吸って、あの子の小さな指の影を、裏側にうっすらと映していた。

私はそのとき、簀桁を持つ手を止めた。

止めたことを、いまでも覚えている。

私は高知の山あいの、楮谷という集落で紙を漉いてきた。

仁淀の細い支流が谷を二つに割って流れ、その川べりに漉き場が七軒、屋根を並べていた。

いまは、うちの一軒きりになった。

十二月の水は、手を入れた最初の一瞬だけ熱い。

そのあとは、指の節から順に感覚が抜けていく。

五十五の冬、私はその熱さと痺れを繰り返してきた。

漉き場というのは、がらんとした場所だ。

土間に楮を煮る甑があって、板の間に舟が据えてあって、あとは壁いっぱいに簀が立てかけてある。

暖房は置かない。

暖を取れば紙料が傷むし、湯気で簀が反る。

だから冬の漉き場に残る音は、水の音と、簀桁が舟の縁に当たる、こつん、こつんという音だけになる。

私には一つ、誰にも言わずに続けてきたことがある。

一年に一枚だけ、売らない紙を漉く。

漉き入れという技で、紙料の薄い層のあいだに字を沈める。

乾いてしまえば、ただの白い紙にしか見えない。

光にかざしたときだけ、字が浮かぶ。

その一枚を、毎年、簞笥の一段目にしまってきた。

中身を人に見せたことは、一度もない。

一枚ずつしまうばかりで、並べて見たことは、一度もなかった。

姉の澄江が向こうへ行ったのは、昭和四十六年の十月十九日だった。

台風が抜けたあとの雨が三日降り続いて、集落の裏山が動いた。

姉と義兄の家は、川にいちばん近いところにあった。

私は二十歳で、まだ父の脇で楮を煮ていた。

明け方、消防団の人がうちの戸を叩いて、私の名を呼んだ。

呼んだきり、その人は何も言わなかった。

言わないというのが、答えだった。

二人はそのまま、戻らぬ人となった。

残ったのは、前の晩から熱を出してうちに預けられていた、三つの実だけだった。

実は、自分の家がなくなったことを知らなかった。

熱の下がった朝、うちの土間で甑から立つ湯気を見て、面白がって笑っていた。

私はそのとき、あの子の笑い方が、姉とまったく同じところで息を吸うことに気がついた。

年が明けた春、父が簀を洗いながら言った。

「町の親戚に出すか」

私は首を横に振った。

「うちで育てる」

父は長いこと簀を洗っていて、洗い終えたそれを、日の当たる壁に立てかけた。

「なら、姉の子ではのうて、お前の子として育てえ」

母は、私が幼いうちにいなくなっていた。

だからこの家には、母のいない子を育てた前例が、すでに一つあった。

父はその秋に腰を痛めて漉き場を降り、私が舟の前に立つことになった。

役場の人は、戸籍は変えられんと言った。

変えられなくてよかった、と私は思った。

紙に沈めた字と同じで、見えないところに置いておけばいい。

集落の誰も、実に本当のことを言わなかった。

山が動いた谷では、言わずにおくというのが、一つの弔い方だった。

実は私を「かあちゃん」と呼んだ。

三つの子が覚える言葉は、まわりが呼ばせたい言葉だ。

私は二十歳で、その言葉を受け取った。

受け取ってしまえば、返す方法はもうなかった。

冬の漉き場は寒い。

それでも実は、私の足元の板の間に座って、簀から落ちる水の音を聞いていた。

舟の中の紙料を、私は一日に何百回も汲み上げる。

前へ流して、横へ振って、余った水を捨てる。

その揺れの音が子守唄になったらしく、あの子はよく板の間で眠ってしまった。

眠ったのを確かめてから、私は例の一枚を漉いた。

姉の名を、二文字だけ、紙の中に沈める。

澄江。

誰にも読まれないところに、姉を一年に一度だけ置いた。

置いておかないと、忘れてしまいそうだったのだと思う。

実が六つになった年、隣町の紙屋から縁談が来た。

相手は私より三つ上の、無口だが真面目な人だった。

仲人の人は座敷で、「子はあちらの籍に入れてもええ言いよる」と言った。

私は湯呑みを両手で持ったまま、しばらく黙っていた。

それから、断った。

理由は言わなかった。

言えば、その理由がいつか実の耳に入る日が来ると思った。

集落では「子がおるき断った」という話になった。

そのほうが、ちょうどよかった。

それきり、縁談の話は来なくなった。

私はその年、少し痩せた。

そのぶん、紙は薄く漉けるようになった。

実が小学一年になった春、家庭訪問があった。

先生が座敷で、あの子の描いた家族の絵を広げた。

画用紙には、大きい人が一人と、小さい人が一人。

大きいほうの頭の上に、鉛筆で「かあちゃん」と書いてあった。

先生が「お父さんは」と聞いた。

実は「おらん」と答えた。

それだけ答えて、あとは麦茶を飲んでいた。

先生が帰ったあと、私は台所で洗い物をした。

実が後ろから来て、私の割烹着の紐を引いた。

「かあちゃんの手、紙のにおいがする」

それはたぶん、褒め言葉だった。

同じ年の秋、あの子は学級の作文に、親の仕事を「かみすき」と平仮名で書いた。

先生がそれを「神好き」と読んで、実の家は神さまをよほど大事にする家だと思い込んだ。

しばらくのあいだ、うちには町の神社の話を聞きに来る人が何人か来た。

私は訂正するのが面倒になって、そのまま茶を出していた。

実はその話を、大人になってからも人にした。

そのたびに笑いながら、「うちのかあちゃんは神さんを漉きよった」と言うのだった。

楮の皮を晒すのは、いちばん寒い時期の仕事だ。

刈った楮を蒸して皮を剥ぎ、その皮を川の浅瀬に沈めて、水に灰汁を抜かせる。

実が九つの冬、初めてその川晒しを手伝わせた。

長靴の中まで水が入るから、上がったあとは足の指が赤く腫れる。

あの子は文句を言わなかった。

川の中でしゃがみ込んで、皮についた黒い筋を爪で剥いでいた。

指先の感覚がなくなると、皮の傷が分からなくなる。

だから、時々手を上げて、息を吹きかけながらやる。

私が教えるより先に、あの子は自分でそうしていた。

家に戻って、囲炉裏の縁に二人で足を並べて温めた。

湯気の中で、実が言った。

「かあちゃんは、なんで冬にばっかりやるが」

水が冷たいほど、雑菌がわかんき、紙が長持ちする。

そう答えると、あの子は「ふうん」と言って、赤い足の指を握った。

長持ちさせる、という言葉を、そのときのあの子がどう聞いたのかは分からない。

実が十になる年の正月、簞笥の紙を数えた。

一枚足りなかった。

その年だけ、簞笥の紙が一枚足りなかった。

数え違えたか、鼠にやられたのだと思った。

足りないのは、いちばん古い、昭和四十六年のものだった。

なくなったと分かったとき、少しだけ、ほっとした自分がいた。

あの一枚だけは、毎年数えるのが、いちばん重かった。

その年の秋のことだ。

十月の十九日だった。

その日、あの子は朝から一言も、私を呼ばなかった。

「お茶」とだけ言って湯呑みを差し出し、「帰る」とだけ言って学校から戻った。

主語のない言葉ばかりだった。

私は、学校で何かあったのだろうと思った。

聞いても答えないだろうと思って、聞かなかった。

次の日には、いつものように「かあちゃん」と呼んだ。

だから私は、あの一日を、ただ機嫌の悪かった日として覚えた。

十歳の秋の一日だけ、あの子は私を呼ばなかった。

実が高校に上がった年の冬、父が寝付いた。

腰から始まって、そのうち起き上がれなくなった。

最後の何日か、父は天井の木目をずっと見ていた。

ある晩、私が湯呑みを片づけていると、父が言った。

「あの子には、言わんでええ」

私は「言わん」と答えた。

父は少し笑って、それから何も言わなくなった。

年の暮れに、父は静かに眠った。

葬いの席で、実は誰よりも長く座敷に残っていた。

「じいちゃん、最後に何か言いよったが」

そう聞かれて、私は「腰が痛い言うちょった」と答えた。

嘘をつくのは、そのときが初めてではなかった。

けれどそのときの嘘だけは、いまも喉の奥に残っている。

実は高校から、川を下った町の学校へ出た。

週末に帰ってきては、楮の皮を剥ぐのを手伝った。

その手つきが、だんだん私より速くなった。

中学の終わりごろには、一度だけ喧嘩をした。

あの子が、乾かしていた紙を一枚、風で落として踏んだ。

私は思わず声を上げた。

実は踏んだ紙を拾って、そのまま真ん中から破いた。

「売れもせん紙を、なんでそんなに大事にするが」

破れる音は乾いていて、思ったより大きかった。

その晩、あの子は板の間で、破いた紙をつなぎ合わせようとしていた。

私は何も言わずに、糊を出してやった。

高校三年の春、実は家に残ると言い出した。

紙を継ぐ、と。

私はその晩、初めてあの子を怒鳴った。

こんな仕事に一生を使うな、と言った。

自分がしてきたことを、自分で否定した言葉だった。

実は何も言い返さず、次の朝、願書を書き直して町の短大へ出した。

出ていく日、あの子はバスの窓から一度も振り返らなかった。

そのほうが、お互い楽だった。

楮は、育てる人がいなくなると、山からいなくなる。

昭和が終わるころ、谷の畑は次々に杉に変わっていった。

紙の注文も減った。

最後まで残った得意先は、町の役場だった。

表彰状に使う紙を、毎年二百枚だけ買ってくれる。

その二百枚のために、私は冬ごとに水へ手を入れた。

漉き場は一軒、また一軒と、簀を裏返して仕舞っていった。

私はそれでも、水に手を入れることをやめなかった。

手を入れるほかに、姉に会う方法を知らなかった。

実は二十六で嫁いだ。

相手は隣県の、山の測量をする人だった。

婚礼の日、あの子は控えの間で私の前に来て、何か言いかけて、やめた。

やめた顔だけが、その日の記憶に残っている。

実に娘が生まれたのは、嫁いだ二年後だった。

美津という名を、実が電話で読み上げたとき、私は「ええ名や」としか言えなかった。

その子は夏になると谷へ来て、川で足を冷やして帰っていった。

高校生になった年、美津は一週間だけ泊まり込んで、楮の皮を剥いだ。

爪の先を黒くして、飽きもせず剥いでいた。

「おばあちゃん、これ、いつまで続けるが」

そう聞かれて、私は「手が動くまで」と答えた。

美津は「ほんならまだ長いね」と笑った。

その笑い方も、息を吸うところが姉と同じだった。

血というのは、しつこいものだと思う。

私はそのころから、十月の十九日は市に出るようにしていた。

高知の街の紙の市は、たまたまその日に立った。

家にいると、その日はうまく息ができなかった。

だから、いないことにした。

令和八年の一月、私は漉き場を畳むと決めた。

指が、もう水の熱さを覚えていない。

役場の表彰状も、三年前から印刷の紙に変わっていた。

最後の一枚を漉く日を、私は誰にも言わなかった。

それなのに、その日の朝、実が土間に立っていた。

五十八になっていた。

「手伝いに来た」

それだけ言って、鞄から自分の割烹着を出した。

二人で楮を煮て、叩いて、舟に落とした。

昼を過ぎて、水がいちばん冷たくなるころ、実が濡れた手を拭いて、鞄からもう一つ、封筒を出した。

中から、白い紙が一枚出てきた。

端が茶色くなっていた。

実はそれを、明かり取りの窓へ持ち上げた。

「かあちゃん、これ、光る」

光の中に、二つの字が浮かんだ。

澄江。

三十年前に足りなくなった、その一枚だった。

「七つのとき、簞笥を開けたがよ」

実は窓を見たまま言った。

「なんか光るもんが入っちゅうと思うて」

七つの子は、まだ「澄江」が読めなかった。

読めるようになったのは、九つのときだ。

学校の名簿に、同じ字を使う子がいた。

それで、仏壇の小さな札を見に行った。

「そこで、ぜんぶ分かった」

私は、簀を持ったまま動けなかった。

三十年、この子は知っていた。

知っていて、私を「かあちゃん」と呼び続けた。

「なんで、言わんかった」

やっと出たのは、それだけだった。

実は少し笑って、紙を下ろした。

光が消えて、字も消えた。

「言うたら、かあちゃんが、かあちゃんでのうなるやろ」

私は、舟の水の音だけを聞いていた。

「けんど、一日だけ」

実の声が低くなった。

「十月の十九日だけ」

「あの日だけは、かあちゃんを返しよったがよ」

十歳の秋の一日だけだと、私は思っていた。

あの日だけではなかったのだと、そのとき知った。

毎年、その日だけ、あの子は私を呼ばなかった。

私が市に出ていた三十年ぶん、この家には、呼ばれない一日があった。

誰もいない座敷で、あの子は仏壇に向かって、その言葉を使っていたのだ。

呼ばれていないことに、私は一度も気づかなかった。

気づかないでいられるように、あの子は日を選んだのだと思う。

高校三年の春に私が怒鳴ったのも、思えばその年の秋の少し前だった。

あの子は怒鳴られた次の日に願書を書き直して、それでも十月十九日には家に帰ってきていた。

実は、紙を膝の上に置いた。

「かあちゃんの縁談を潰したがは、私やと思うとった」

声が震えていた。

「あの人と一緒になっちょったら、かあちゃんの人生は、もっと」

最後まで言わせなかった。

私は板の間へ上がって、簞笥の一段目を開けた。

五十四枚の紙を、両手で抱えて持ってきた。

一枚ずつしまうばかりで、並べて見たことは一度もなかった。

土間の明かり取りの下に、私はそれを順番に置いていった。

昭和四十七年から、令和七年まで。

実が一枚ずつ、光にかざした。

最初の何枚かには、澄江と浮かんだ。

六枚目まで、澄江だった。

七枚目で、実の手が止まった。

昭和五十三年の紙だった。

そこに沈んでいたのは、姉の名ではなかった。

実、と浮かんでいた。

八枚目も、九枚目も、そのあとの四十七枚も、全部そうだった。

私は自分で漉いておきながら、その並びを見たことがなかった。

だから、いつ入れる字を変えたのか、自分でも覚えていなかった。

覚えているのは、その年の秋に、あの子が私を呼ばなかったことだけだ。

実は、最後の一枚を持ったまま、土間に膝をついた。

私は何も言わなかった。

言うことは、もう紙が全部やっていた。

実は、紙をもう一度だけ光にかざした。

「姉さんに、貸してもろうた三十年やき」

私は簀を舟に落とした。

水がはねて、割烹着の胸が濡れた。

冷たいはずだった。

その日は、なぜか熱かった。

最後の一枚は、二人で漉いた。

実が簀桁を持ち、私が後ろから手を添えた。

前へ流して、横へ振って、余った水を捨てる。

五十五年、私の体がしてきたとおりに、あの子の腕が動いた。

教えた覚えは、なかった。

板の間で聞いていた水の音を、体のほうが覚えていたのだろう。

紙料の層のあいだに、今度は姉の名を入れなかった。

春に生まれてくる、実の孫の名を入れた。

乾いた紙は、やはり、ただの白い紙だった。

三月に、その子は生まれた。

夏、実がその子を抱いて谷に帰ってきた。

座敷の明かり取りの下で、私は紙を、その小さな体の上に掲げた。

まだ何も見えていないはずの目が、白いほうを向いた。

実が横から覗き込んで、小さく言った。

「かあちゃん、これ、光る」

私は簀を洗いに、川へ下りた。

十二月ではないのに、水は、手を入れた最初の一瞬だけ熱かった。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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