育ててくれてありがとう
反抗期の朝、私は母に「産んでくれなんて頼んだ覚えはない」と言い放った。母は言い返さず、ただ黙って夕飯を作った。大学入学の日、戸籍抄本に記されていた「養女」の二文…
反抗期の朝、私は母に「産んでくれなんて頼んだ覚えはない」と言い放った。母は言い返さず、ただ黙って夕飯を作った。大学入学の日、戸籍抄本に記されていた「養女」の二文…
港町の小学校で受け持った九歳の柚は、遠足の弁当箱にりんどうを隙間なく並べて持ってきた。白いご飯と焦げた卵焼きを、あの子は仏壇の花で隠していたのだ。母を見送った、…
南の島の古い桟橋で、日本の歌を口ずさむ老人と出会った。太平洋戦争のさなか、共に陣地を築いた島の若者たちが、日本兵の隊長から浴びせられた一言の暴言。裏切られた——…
大阪から雪国の高校へ移った二年生の冬、私は訛りを笑われて口を閉じました。渡り廊下の隅で泣いていた私に声をかけたのは、いつも古いカメラを持つ七海さんです。フィルム…
全盲の彼女に告白した夜、涙を隠せない私に、彼女はそっと気付かないふりをしてくれました。手術で光を取り戻した彼女が最後にくれた一言。潮の匂う港町の小さな電気店を舞…
北陸の銭湯を継いで十七年。番台の上で妻の銀色の携帯が一度だけ震えた夜から、私は落ち着かなくなりました。綾が頑なに機種変更をしない理由は、脱衣所の棚に置かれた古い…
横浜へ単身赴任した私は、人混みが苦手だという母を、いつしかお義理でしか誘わなくなっていました。母の急逝後、遺品から出てきた横浜のガイドブック。赤鉛筆の線と、行き…
養護施設で育った兄弟。中学を出て和菓子職人になった兄は、弟の学費のため前借りまでして仕送りを続け、自分では菓子を口にしませんでした。就職を機に誘った蔵王の温泉宿…
下町の蕎麦屋そば処やなぎ。二十歳の暮れ、病床の父が引き出しから出したのは黄ばんだ封筒でした。差出人は、僕が十二の冬に逝った母です。角に重なったテープの跡が四つあ…
りんごの花が咲くころ、私はいつも父を思います。顔も写真も知らない父。仏壇の花立ては二つあるのに、花はいつも片方だけでした。中学二年の春、祖父に連れられて訪ねた畑…
感動する話をお探しの方に。山岳救助隊員だった無口な父は「情熱だけは持ち続けろ」とだけ言い遺し、雪の山で要救助者を庇って亡くなりました。押し入れに遺された私のサイ…
九歳で母を亡くし荒れていた私が、父のタンスの奥に見つけたのは「二十歳のあなたへ」と書かれた一本のビデオテープでした。病室の母が遺した十五分の言葉が人生を変えてい…
心肺停止で運ばれた八十八歳の夫に、八十四歳の妻が静かに願い出たのは、自らの手で行う心臓マッサージでした。雪の夜の救急外来で研修医が見届けた夫婦の最期の時間を描く…
活版からオフセットへ移る頃の印刷工場で、私がいちばん苦手にしていた部長は、薄荷の飴缶から一粒を取り出し、こつんと奥歯で鳴らす人でした。あの音を叱られる合図だと思…
雨の日曜、整理だんすのいちばん下から出てきた布張りのノート。そこには妻の昼ごはんが毎日、納豆ごはんかお茶づけだと書かれていました。小さくなった茶わん、棚の上の菓…