育ててくれてありがとう

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 | 心温まる話 | |

親子(フリー写真)

中学生の頃はちょうど反抗期の真っ最中だった。

ある日、母と些細な事で喧嘩になり、母から

「そんな子に育てた覚えはない!」

と言われました。

売り言葉に買い言葉で、

「産んでくれなんて頼んだ覚えは無いよ!」

と、つい言ってしまいました。

お前なんて産まなきゃ良かったくらいの言葉が返ってくるかと思ったのに、母は私のその言葉を聞いてから黙ってしまい、返事をする事はありませんでした。

それから月日は経ち、私が大学入学する時に戸籍抄本を提出しなくてはいけなかったので、役所へ取りに行きました。

その戸籍には『養女』の文字が…。

私は父と母の本当の娘ではなかったのです。

そんな事実は全く知らずに、あの日に言ってしまったあの言葉。

悔やんでも悔やみ切れませんでした。

養女だと知った時、私は全くショックは受けませんでした。

寧ろ、お父さんとお母さんの子として育った私は何て幸せなんだろうと、胸が一杯になったのをよく覚えています。

お母さん、あの日はごめんなさい。

私を本当の子以上に大切に育ててくれた事、感謝しています。

私も自分の子供達に、母が私に注いでくれたような愛情を持って育てたいと思います。


note 開設のお知らせ

いつも当ブログをご愛読いただき、誠にありがとうございます。
今後もこちらでの更新は続けてまいりますが、note では、より頻度高く記事を投稿しております。

同じテーマの別エピソードも掲載しておりますので、併せてご覧いただけますと幸いです。

泣ける話・感動の実話まとめ - ラクリマ | note

最新情報は ラクリマ公式 X アカウント にて随時発信しております。ぜひフォローいただけますと幸いです。

関連記事

野球のグローブ(フリー写真)

カーブ!

今はお通夜の最中です。兄貴が死にました。 4つ年上の兄貴は40歳の若さで、この世を去りました。胃癌でした。 私の家は母子家庭でした。だから初めて野球を教えてくれたのは、親父…

お茶碗(フリー写真)

テーブルのお皿

私と淳子は、結婚して社宅で暮らし始めました。 台所には四人がやっと座れる小さなテーブルを置き、そこにピカピカの二枚のお皿が並びます。 新しい生活が始まることを感じました。 …

お見舞いの花(フリー写真)

父の唯一の楽しみ

私の家系は少し複雑な家庭で、父と母は離婚して別々に暮らしています。 私は三姉妹の末っ子で、父に会いに行くのも私だけでした。 姉二人なんて、父と十年近く会っていません。 ※…

手を繋ぐ恋人(フリー写真)

握り返してくれた手

今から6年前の話です。 僕がまだ十代で、携帯電話も普及しておらずポケベル全盛期の時代の事です。 僕はその頃、高校を出て働いていたのですが、二つ年上の女性と付き合っていました…

男の子の横顔

あした かえるね

私の甥っ子は、母親である妹が病気で入院したとき、しばらくの間、私たち家族のもとで過ごすことになりました。 「ままが びょうきだから、おとまりさせてね」 そう言って、小さな…

インドネシアの朝焼け(フリー写真)

インドネシア建国の神話

1602年、オランダはジャワ島に東インド会社を設立し、植民地経営を始めました。 首都のジャヤカルタはバタヴィアに改称され、以降350年間に渡って、オランダは東ティモール以外の領…

病室(フリー背景素材)

またどこかで会おうね

俺は以前、病院勤務をしていた。と言っても看護婦や医者などの有資格者じゃないんだけどね。 それでさ、掃除しようと思ってある病室に入ったんだよ。 よく知らずに入ったらさ、どうや…

山からの眺め(フリー写真)

命があるということ

普通に生きて来ただけなのに、いつの間にか取り返しのつかないガンになっていた。 先月の26日に、あと三ヶ月くらいしか生きられないと言われた。 今は無理を言って退院し、色々な人…

廊下

涙の中の絆

僕は小さい頃、両親に捨てられ、孤独な日々を過ごしていた。 「施設の子」「いつも同じ服を着た乞食」という言葉が常に僕を追いかけた。 同級生と遊びたくても、その家の親に拒まれ…

海

忘れ得ぬ誓い

彼女の心は遠くへ旅立ってしまいました。普段の彼女からは想像もつかないような瞬間が、次第に日常となっていきました。 夜中になっても突如として昼食を準備し始める彼女。 そして…