
兄の手帳を開いたのは、二月の函館の、雪の降り出した夕方だった。
黒い表紙に、兄の字で「記録」とだけ書いてあった。
中身は撮影の記録ばかりで、私に関わることなど何もないと思っていた。
思っていたから、私はそのページを、ずいぶん軽い気持ちでめくったのだ。
私が写真を始めたのは、その部屋で古いフィルムカメラを見つけた、あの冬からだった。
それまで、カメラに触ったことは一度もなかった。
ただ、その重さと冷たさが、いまも手のひらに残っている。
あの部屋には、暖房の灯油の匂いと、現像液の酸っぱい匂いが残っていた。
兄が使っていた石油ストーブは、上に薬缶が置いたままだった。
薬缶の底には、白い水垢が輪になってこびりついていた。
毎日、同じ量の湯を沸かしていた人の輪だった。
窓の下の机には、ルーペと、豆電球のついた小さなライトが置いてあった。
引き出しを開けると、使いかけの鉛筆が十本ほど、芯の長さを揃えて並んでいた。
几帳面という言葉が、そのとき初めて手触りを持った。
私はその引き出しを、すぐには閉められなかった。
函館からの二時間
兄は北海道の小さな漁村で写真家をしていた。
函館から車で二時間ほど走った、海が見える山のふもとの集落だった。
民宿の一室を借りながら、雪や海や、漁師たちの仕事を撮り続けていた。
私とは四つ違いで、子どもの頃は仲が良かった。
兄が買ってきたフィルムカメラで二人並んで撮った写真は、いまも実家のアルバムに残っている。
でも、私が中学二年の春に、両親が離婚した。
兄は父について北海道へ渡り、私は母と一緒に東京に残った。
以来、兄とはほとんど顔を合わせていない。
正月に短いメールが届くくらいで、電話で話したことも数えるほどだった。
もともと口数の少ない人だったから、それが自然なことのように思っていた。
子どもの頃、兄は私の宿題を手伝うのが下手だった。
「わかるまで待つ」と言って、隣に座ったまま何も言わない。
一時間そうしていて、結局、私が自分で解いた。
解けた瞬間に、兄は「うん」とだけ言って部屋を出ていった。
褒められた記憶が、ほとんどない。
その代わり、私が風邪をひいた冬に、兄は学校を休んで氷枕を替え続けたことがある。
言葉ではないところで、あの人は全部やってしまう人だった。
私はそれを、冷たさだと思って育った。
離婚が決まった夜、兄は私の部屋の扉を叩いた。
「どっちに行く」と、それだけ訊いた。
「お母さん」
「わかった」
扉は開けなかった。
廊下の明かりが、扉の下の隙間に細く差していたのを覚えている。
その明かりが消えるまで、兄はしばらくそこに立っていた。
翌朝、私の机の上に、フィルムが一本置いてあった。
未使用の、二十四枚撮り。
意味がわからなくて、引き出しにしまった。
そのフィルムは、いまも実家のどこかにあるはずだ。
三十二歳の誕生日に、兄からメッセージが届いた。
「今度、東京に行っていいか」
見た瞬間、少し戸惑った。
兄が東京に来ると言い出したのは、初めてのことだった。
でも私はちょうど大きな案件の佳境で、週末も予定が埋まっていた。
「今は忙しい時期だから、落ち着いたらまた」
そう返すと、返信は来なかった。
既読はついていた。
私はそれきり、兄に連絡を取らなかった。
落ち着いたら、というのがいつのことだったのか、自分でもよくわからなかった。
仕事が落ち着いた頃には、送ることをすっかり忘れていた。
忘れていた、と書くのは、いまでも少し卑怯だと思う。
正確には、送らなくてもいいと思っていた。
兄との距離は、放っておいても縮まらない代わりに、広がりもしない。
そう決めつけていた。
人間関係の中に、期限のないものなど一つもないのに。
その年の暮れ、私は昇進した。
祝いの席で、同僚に兄弟の有無を訊かれて、「兄がいます」と答えた。
それ以上、何も出てこなかった。
どんな仕事をしているのか、どこに住んでいるのか。
説明できることが、私には一つもなかった。
兄が旅立ったと知らされたのは、翌年の二月だった。
父からの電話だった。
肺に腫瘍が見つかって、半年前から治療を続けていたのだという。
電話を切った後、私はしばらくソファに座ったまま動けなかった。
半年前。
あのメッセージが届いたのは、ちょうどその頃だった。
私は返事を間違えた。
いや、間違えたというより、考えもしなかった。
ただ都合が悪かっただけで、そのメッセージの向こうに兄がいることを、ちゃんと考えていなかった。
兄の手帳の黒い表紙
葬儀を終えた翌週、兄の荷物を引き取るために北海道へ向かった。
二月の函館は、記憶の中よりずっと白かった。
空港を出た瞬間、冷気が頬を刺した。
レンタカーで山間の集落まで走ると、兄が借りていた民宿の一室に辿り着いた。
部屋は六畳ほどで、木造の窓から海が見えた。
海と空の境が溶けて、どちらがどちらかわからなかった。
雪原の向こうに、鉛色の水平線がぼんやりと続いていた。
こんな場所で、兄は何年も暮らしていたのかと思った。
部屋に入る前、私は父の言葉を思い出していた。
兄は治療のあいだも撮影に出ていたという。
点滴の日と、海の凪ぐ日が重なると、機材を積んで出かけていた。
「やめろと言ったんだがな」
父は電話の向こうで一度だけ、そう言って黙った。
「最後のほうは、カメラを持つ手が震えてな」
「それでも撮ってたの」
「三脚を使えばいい、と言っとった」
できない理由ではなく、できる方法だけを数える人だった。
部屋の中はきれいに片付いていた。
民宿の女将さんが「几帳面な方でしたよ」と教えてくれた。
「あまり話す方じゃなかったけど、いつも朝早く出て、夕方には戻ってきていました」
女将さんはそう話しながら、少し目を細めた。
「先生の写真は、うちにも飾ってあるんですよ」
壁を指さすと、そこに一枚の白黒写真が掛かっていた。
嵐の前の海だった。
波が高く、空が暗く、それでも水平線の向こうに細く光が差している。
額の下の壁紙だけ、日に焼けずに白く残っていた。
何年も、その位置から動かされていなかったのだろう。
「うちの宿がいちばん暇な時期に、撮ってくださったんです」
女将さんはそう言った。
「先生、宿代の代わりにって。こっちは困りましたけど」
何も言えなかった。
その写真の前に立って、私はただ黙っていた。
押し入れの奥に、段ボール箱が一つと古いカメラが三台あった。
段ボールを開けると、現像済みのフィルムと写真が何十枚も入っていた。
それから、黒い表紙の手帳が一冊。
表紙には「記録」とだけ、兄の字で書かれていた。
几帳面な字ではなかったが、丁寧な字だった。
私は兄の手帳を手に取り、ゆっくりとめくった。
表紙の裏に、細い字で「三冊目」と書いてあった。
三冊目ということは、同じものが二冊あったことになる。
段ボールの底を探したが、前の二冊は出てこなかった。
あとで父に訊くと、兄は古い手帳を毎年きちんと処分していたらしい。
残っていたのは、この三冊目だけだった。
几帳面な人が一冊だけ残したということは、残す理由があったということだ。
そう考えるのは、私に都合がよすぎるだろうか。
けれど手帳は、押し入れの段ボールの、いちばん上に置いてあった。
カメラの下でも、フィルムの下でもなく、いちばん上に。
毎日の撮影記録が書かれていた。
どのフィルムで何を撮ったか、天気と光の具合、露出の設定。
細かい内容はよくわからなかったが、日付とともに几帳面に綴られていた。
三月十四日の一行
途中のページで、手が止まった。
三月十四日、という日付があった。
私の誕生日だった。
そのページには撮影記録がなく、一行だけ書かれていた。
「さとこ、三十歳。元気にしているといいな」
翌年の同じ日のページを探すと、また一行あった。
「さとこ、三十一歳。今年も会えなかった。来年こそ行けるか」
その次の年も。
「さとこ、三十二歳。東京に行くとメッセージを送った。落ち着いたらと言われた。また来年にするか」
私は兄の手帳をそこで閉じた。
窓の外で、雪がまた降り始めていた。
細かい雪が、音もなく海のほうへ流れていった。
兄は毎年、私の誕生日を手帳に書いていた。
私は兄の誕生日を、もう何年も覚えていなかった。
部屋の中の空気が、急に重くなった。
手帳を膝の上に置いたまま、私はしばらく動けなかった。
三月十四日の欄には、毎年、天気だけが書き添えられていた。
晴。
雪のち曇。
風強し。
東京の天気ではない。
兄は自分のいる場所の空を見上げながら、私の歳を数えていたのだ。
ページの角が、その日だけ何度も折られた跡になっていた。
折って、伸ばして、また折る。
紙の繊維が白く毛羽立っている。
手帳の後ろのほうには、値段の書かれた紙が挟まっていた。
函館発の航空券の、控えだった。
日付の欄は、印字がかすれて読めない。
金額だけが、はっきり残っていた。
往復ではなく、片道の金額が二枚。
別々の日に買ったのだと、あとで気づいた。
三十歳の行の下には、消しゴムで消した跡があった。
斜めから光を当てると、鉛筆の溝がかすかに残っていた。
「電話」と書いて、消してある。
三十一歳の行にも、同じ跡があった。
三十二歳の行だけ、消した跡がない。
あの年、兄は消さなかった。
消さずに、メッセージを送ったのだ。
私は手帳を閉じて、窓の桟に額を押し当てた。
ガラスは冷たく、息で白く曇り、すぐにまた透けた。
しばらくしてから、最後のページに何かが挟まっていることに気がついた。
折り畳まれた便箋だった。
薄い紙を開くと、兄の字で数行書かれていた。
「さとこへ。病気のことは心配をかけたくなかったから、言わなかった」
「東京に会いに行こうと思っていたが、結局行けなかった」
「お前のことを覚えているか。小学五年の冬、俺が現像した白黒写真を見て、この雲がすごい、と言ったこと」
「俺はあの言葉が嬉しくて、ずっと写真を続けることができた」
「カメラを一台残しておく。使わなくてもいい。ただ、持っていてくれ。兄より」
私は何度も、その手紙を読んだ。
声が出なかった。
涙が頬を伝って、便箋の上に落ちた。
小学五年生のときのことなんて、すっかり忘れていた。
兄はずっと、覚えていたのだ。
角の丸くなった一枚
翌朝、私は段ボールの写真を一枚ずつ見ていった。
流氷。
番屋の屋根。
網を繕う手。
どれも白と灰色の世界だった。
漁師の顔は、どれも正面から撮られていなかった。
横顔か、後ろ姿か、手だけ。
人の正面を撮らない人だったのだと、そのとき初めて気づいた。
女将さんは「うちの主人のも、全部うしろ姿でした」と笑った。
「顔を撮られるのは恥ずかしいでしょう、って先生が」
恥ずかしいのは、たぶん撮るほうだった。
束の途中に、一枚だけ、毛色の違うものが混じっていた。
その一枚だけ、印画紙の角が丸くなるほど、何度も手に取られた跡があった。
写っていたのは、歩道橋の上から撮られた朝の人混みだった。
雪はどこにもない。
ピントは、人混みの手前の手すりに合っていた。
兄の写真にしては、めずらしく甘い一枚だった。
急いで構えたのだと思う。
人の正面を撮らない人が、正面から人混みを撮っている。
それだけでも、じゅうぶん不自然だった。
けれど私は、まだ気づいていなかった。
兄がこんな都会の写真を撮る理由を、頭のどこかで探しながら、探し当てられずにいた。
アスファルトが乾いていて、街路樹の影が短かった。
どこで撮ったのかわからなかった。
裏を返すと、鉛筆で日付だけが書いてあった。
三月二十一日。
私が「落ち着いたらまた」と返した、その週の金曜日だった。
手帳のその週を開き直した。
月曜から水曜までは、いつもどおりの撮影記録がある。
木曜の欄に「移動」とだけ書いてあった。
金曜と土曜は、白紙だった。
日曜にまた「移動」とある。
それだけのことなのに、指が震えた。
「東京駅の箱菓子、まだありますか」
私が訊くと、女将さんは台所の棚から缶を持ってきた。
中身はとうに食べ終わって、裁縫道具入れになっていた。
蓋の裏に、値札のシールが残っていた。
日付は、三月二十一日。
朝の七時台に、駅の売店で買ったことになっていた。
人混みの写真の光の角度と、同じ時刻だった。
「先生、お土産を渡すとき、こう言いなさったんです」
女将さんは、缶の蓋を指でなぞった。
「用は済んだから、もういい、って」
「済んだ、って言ったんですか」
「ええ。会えたとは、おっしゃいませんでしたけど」
私は女将さんを呼んで、この写真のことを訊いた。
女将さんは少し考えてから言った。
「そういえば先生、一度だけ、三日ほど留守にされましたねえ」
「いつですか」
「三月の、彼岸の頃だったと思います。帰ってらして、その晩から熱を出されて」
「どこへ行ったか、言っていましたか」
「用があるとだけ。お土産に、東京駅の大きな箱菓子を買ってきてくださいました」
私は、その写真をもう一度、明るいほうへ向けた。
歩道橋の下を、通勤の人が川のように流れている。
人混みのいちばん端に、社員証を首から下げた私が写っていた。
紺色のコートの襟を立てて、耳に電話を当てて、早足で歩いていた。
兄は、東京に来ていた。
同じ橋の上に立って、レンズを向けて、それから帰った。
声もかけず、連絡もせず、熱を出して、また同じ集落の部屋に戻った。
手帳の三月二十一日の欄には、撮影記録がなかった。
代わりに、一行だけあった。
「よく歩いていた。元気そうだった。それでよかった」
光が回る場所
帰りの飛行機に乗る前に、私は押し入れから一番古いカメラを取り出した。
ずっしりと重くて、金属の匂いがした。
レンズを窓に向けると、雪原の向こうに灰色の海が見えた。
私はシャッターを押した。
カチッという音が、部屋に静かに響いた。
初めて聞く音のはずなのに、なぜか懐かしかった。
フィルムは入っていなかった。
それでも、その音を聞いた瞬間、何かが胸の中でゆっくりと溶けた。
兄はこの道を、何百回も一人で走ったのだろう。
助手席には、いつも機材のケースが置いてあったはずだ。
国道の路肩に停めて、白い空を一枚だけ撮った。
あれから二年が経った。
いまも、兄のカメラを持って撮り続けている。
先日、兄の手帳に書かれていた撮影地のひとつに行ってみた。
函館から南に下った岬の先で、海が三方から見える場所だった。
手帳には「光が回る場所」とだけ書かれていた。
行ってみると、本当に光が柔らかく回っていた。
朝の低い太陽が海の面を照らして、白い光が岩の上を流れていた。
私はそこで、一本のフィルムを使い切った。
雪の海の向こうを撮りながら、来ない流氷を告げた朝の話を思い出した。
帰りの車の中で、ハンドルを握りながら考えた。
兄は、見ることが好きで、上手に言葉にできなくて、だからシャッターを押し続けていたのだと。
兄が塗らせなかった富士の裾の話を読んだとき、私は兄の背中を思い出して、しばらく本を閉じられなかった。
歩道橋の写真は、いまも机の引き出しに入れてある。
私は三月になると、その写真を取り出して、光にかざす癖がついた。
角の丸さは、私が触るぶんだけ、少しずつ増えている。
あの日、私は電話をしながら歩いていた。
誰と何を話していたのかは、どうしても思い出せない。