第二日曜に母は出かける

夕暮れの駅、花と旅立ち

母の鞄には、よく晴れた日にも折りたたみ傘が入っていた。

訳を聞くと、母はいつも同じ答え方をした。

屋根のないところがあるから、と。

どの屋根のことなのか、私は一度も尋ねなかった。

母には、月にひとつだけ、空けている日があった。

第二日曜。

その日だけは、何を誘っても駄目だった。

映画も、外食も、私の引っ越しの手伝いも。

「第二日曜は用事があるから」

電話の向こうで、母は決まってそう言った。

用事の中身を、母は一度も明かさなかった。

私も、深くは訊かなかった。

訊いたところで、はぐらかされる。

そういう気配が、声のどこかにあった。

私は訪問看護師をしている。

人の家に上がって、血圧を測り、傷を洗い、薬の残りを数える。

玄関を開けた瞬間に、その家のにおいが分かるようになった。

煮物のにおい。湿布のにおい。閉め切った部屋の埃のにおい。

他人の家のことなら、たいてい見当がつく。

自分の母のことは、何ひとつ知らないままだった。

母は22年間、坂の上のマンションで管理員をしていた。

朝7時に管理室を開け、掲示板を張り替え、ごみ集積所を水で流す。

住人の名前と、その人が何曜日に何を出すかを、全部覚えていた。

傘立てから誰かの傘が消えたときは、母が探しに行った。

一度、小学生の子が置き忘れた黄色い傘を、母は三日かけて探した。

見つけたのは、四階の非常階段の踊り場だったという。

その子の名前を、母は退職したあとも覚えていた。

人の建物を、22年間見守り続けた人だった。

そのあいだ、母は自分の娘の部屋を一度も見ていない。

私が家を出たのは18歳の春だった。

看護の学校に通うために、二つ隣の市に部屋を借りた。

母は何度も来ようとした。

米を持って行く。カーテンを縫った。使わない鍋がある。

そのたびに、私は断った。

忙しいから。狭いから。散らかっているから。

理由はいくらでも作れた。

ほんとうは、自分の暮らしを採点されるのが嫌だっただけだ。

ある晩、電話で言い過ぎた。

「もう来なくていいよ」

受話器の向こうが、少しのあいだ無音になった。

「そう」と母は言った。

「じゃあ、行かない」

その約束を、母は守った。

それから18年、母は一度も私の部屋の玄関を見ていない。

父のことは、あまり覚えていない。

私が6歳のときに家を出て、それきりになった。

母はその話を一度もしなかった。

悪く言うことも、懐かしむこともなかった。

ただ、うちの傘立てには、いつも傘が二本立っていた。

一本は母ので、もう一本は誰のものでもなかった。

私が中学に上がる頃、その一本は静かに消えた。

捨てたの、と訊いたら、母は「折れたの」と言った。

母の手は、いつも乾いていた。

洗剤と、掲示板の糊と、階段の手すりで荒れた手だった。

子どもの頃、その手で頭を撫でられるのが少し痛かった。

痛いと言ったら、母は撫でるのをやめた。

それきり、母は私の頭を撫でなかった。

家を出てから、母とは月に一度くらい電話をした。

たいてい母からかかってきて、五分で終わる。

血圧の話。ごみの日の話。テレビでやっていた料理の話。

最後はいつも「じゃあね」で切れた。

「元気でね」とも「またね」とも、母は言わなかった。

また、が約束になるのが怖かったのだと思う。

膝に水がたまる

母から連絡が来たのは、5月の連休が明けた週だった。

「ちょっと膝を切ることになった」

前置きも何もなかった。

変形性膝関節症。左膝の人工関節。入院は3週間。

仕事柄、その手術がどういうものかは知っている。

命に関わるものではない。

それでも、22年ぶんの階段が母の膝を削ったのだと思った。

電話を切ったあと、しばらく息がうまく吸えなかった。

母の膝に水がたまるようになったのは、ずいぶん前からだ。

月に一度、坂の下の整形外科で抜いてもらっていた。

「注射のほうが痛いのよ」と母は笑っていた。

私はその通院を、第二日曜の用事だと思い込んでいた。

膝を抜いて、そのあと友達とお茶でも飲んでいるのだろうと。

訊けばすぐ分かることを、私は勝手に埋めていた。

その埋め方が、いちばん楽だったからだ。

入院の日、私は着替えを詰めた鞄を病室まで運んだ。

四人部屋の窓際。カーテンを引くと、雨樋の錆が見えた。

ベッドの脇で中身を出していると、鞄の底から傘が出てきた。

紺色の、骨が一本だけ曲がった折りたたみ傘だった。

「これ、いらないでしょ」

「入れといて」

「病院、屋根あるよ」

母は笑わなかった。

「入れといて」

同じ言葉を、同じ調子で繰り返した。

私は傘を引き出しの奥に戻した。

指先に、傘の布のひんやりした感触が残った。

隣のベッドの人が、カーテン越しに声をかけてきた。

「娘さん? 毎日来てえらいねえ」

母が「そうなの」と答えた。

少しだけ、得意そうな声だった。

その調子の声を、私は久しぶりに聞いた。

手術の前の日、母が思い出したように言った。

「悪いけど、うちの冷蔵庫を空にしといて」

「3週間も留守にするから」

「あと、管理室に返す鍵が居間の座卓にある」

「あれ、返しといてくれる」

私は頷いた。

実家に上がるのは、4年ぶりだった。

その帰り道、ひとつ思い出したことがある。

働きはじめて3年目の秋だった。

私は自分の駅のホームで、母によく似た後ろ姿を見たことがある。

細い肩に、見覚えのある茶色の鞄を下げていた。

声をかけようとして、やめた。

母がここに来るはずがない。

来なくていいと言ったのは、私だ。

他人の空似だと決めて、私は改札を出た。

そのことを、17年ものあいだ忘れていた。

その週、私は担当している家を三軒まわった。

二軒目は、ひとり暮らしの八十代の女性の家だった。

血圧を測っているあいだ、その人はいつも同じ話をする。

「娘がね、東京にいるの」

「忙しい子だから、来ないのよ」

「でもね、来なくていいって私が言ったの」

私は袖を戻しながら、そうですか、と答えた。

「来なくていいって言うとね、ほんとうに来なくなるのよ」

その人は笑って、湯呑みの縁を親指でなぞった。

私はそのとき、何も思わなかった。

自分のこととして、まるで結びつかなかった。

第二日曜の予定表

実家の台所は、驚くほど片付いていた。

冷蔵庫を開けると、卵が2個と、味噌と、小さな豆腐だけがあった。

調味料の瓶は、ラベルを全部こちら向きに揃えて並べてある。

誰も見ないところを、母はいつも揃えたがった。

私はそれを、几帳面な人の癖だと思っていた。

奥の部屋の襖を開けた。

私が使っていた部屋が、そのままになっていた。

机の上に、教科書ではなく、洗濯した布巾が畳んで置いてある。

母はここを、物置ではなく、まだ部屋として使っていた。

布団は上げてあった。

いつでも敷ける向きに、押入れの手前に寄せてある。

18年間、一度も敷かれていない布団だった。

居間の棚に、写真立てが三つ並んでいた。

七五三。小学校の入学式。高校の卒業式。

いちばん新しいものが、18歳だった。

その先が、一枚もない。

私は自分の写真を、母に一度も送っていなかった。

年賀状に刷ったことすら、なかった。

棚の埃は、写真立てのところだけ拭かれていた。

居間の壁に、去年のカレンダーが掛かったままだった。

めくり忘れ、という感じではなかった。

12ヶ月ぶんの紙が、下に重ねたまま画鋲で留めてある。

どの月にも、同じところに丸がついていた。

第二日曜。

丸の中に、母の細い字で数字が書き込んである。

14:07。

次の月も、14:07。

その次も、14:07。

12ヶ月、ひとつ残らず同じ時刻だった。

押入れを開けた。

上の段に、輪ゴムで束ねたカレンダーが積んであった。

埃をはらって、いちばん下の一冊を引き抜いた。

2006年のものだった。

どの年も、第二日曜にだけ丸がある。

書き込まれた時刻だけが、少しずつ違っていた。

13時52分。14時20分。14時07分。

ダイヤが変わるたびに、母は書き直していたのだと思う。

20年ぶんの紙が、輪ゴムで四つの束になっていた。

束の中に、時刻表の切り抜きが一枚だけ挟まっていた。

新聞ではない。駅に置いてある、小さな折りたたみのものだ。

何度も開いた紙は、折り目のところが白く毛羽立っていた。

赤いボールペンで、下りの一本に線が引いてある。

その隣の欄外に、母は駅の名前を書き写していた。

私が最初に借りた部屋の、最寄り駅だった。

座卓の上に、管理室に返す鍵と、母の財布が置いてあった。

入院に持って行くのを忘れたのだろう。

売店で使う小銭くらいは要る。

私は財布を自分の鞄に入れた。

カード入れに、交通系のICカードが一枚だけ挟まっていた。

角が擦り切れて、印字がほとんど消えかけている。

母は電車が苦手だと言っていた。

酔うから、と。

印字された二十年

病院に戻る途中、駅の券売機に寄った。

残高が足りていれば、そのまま母に渡せる。

カードを差し込むと、画面の隅に履歴印字のボタンが出た。

押すつもりはなかった。

指のほうが先に動いていた。

券売機が小さく鳴って、細長い紙を吐き出した。

紙には20行ぶんの記録が並んでいた。

日付。時刻。入場。出場。運賃。

いちばん上は、去年の12月14日。

第二日曜だった。

入場が桜見台。出場も桜見台。

母の家の最寄り駅だ。

同じ駅から入って、同じ駅から出ている。

それなのに、運賃の欄には1,140円と印字されていた。

私はしばらく、その数字の意味が分からなかった。

分かってしまうと、券売機の光が急に白く見えた。

途中の駅で改札を出れば、そこが出場駅として印字される。

出ていないから、桜見台と桜見台になる。

母はどこかまで乗って、ホームで折り返して、帰ってきていた。

改札の外には、一歩も出ずに。

その下の行も、そのまた下も、同じだった。

桜見台。桜見台。1,140円。

日付だけが、月に一度ずつ遡っていく。

私は紙を持ったまま、券売機の前で動けなくなった。

後ろに人が並んで、すみません、と言って場所を空けた。

夕方の改札は、定期券を鳴らす音でいっぱいだった。

紙は、思っていたより温かかった。

印字されたばかりの熱が、まだ残っている。

その熱が指から抜けていくまで、私はそこに立っていた。

改札の向こうで、電車が一本、出て行く音がした。

その足で、私は実家に引き返した。

押入れの奥に、まだ何かある気がしていた。

カレンダーの束の後ろに、菓子の缶が押し込んであった。

蓋を開けると、細長い紙が輪ゴムで束ねてある。

券売機が吐き出す、あの紙だ。

束は五つあった。

いちばん古い紙の日付は、2006年の4月だった。

私が家を出て、来なくていいと言った、次の月だ。

何枚かの紙は、端が波を打っていた。

一度濡れて、乾いた紙の縮み方だった。

傘を差していても、風があれば横から濡れる。

私はその紙を、指の腹でそっと伸ばした。

伸ばしても、しわは戻らなかった。

紙を年代順に並べていくと、運賃が三度だけ変わっていた。

780円。920円。1,140円。

変わり目の年を、私は指で数えた。

私が引っ越した年と、全部同じだった。

母は、私が部屋を移るたびに、行き先を書き直していた。

住所を教えた覚えは、年賀状のほかにない。

紙の裏に、鉛筆で書き込みのあるものが何枚かあった。

「雨」

「工事で三番線」

「二本目に乗ってた人、似てた」

短い言葉ばかりだった。

日記でも、手紙でもない。

誰にも読ませるつもりのない、独り言だった。

その中に一枚だけ、こう書かれたものがあった。

「今日は来た」

翌日、私は坂の上のマンションへ鍵を返しに行った。

管理室の窓は閉まっていて、後任の人はまだ決まっていなかった。

受け取りに出てきたのは、理事をしている七十代の女性だった。

私が名乗ると、その人は「ああ」と言って、少しだけ笑った。

「第二日曜のね」

私には意味が分からず、黙っていた。

「お母さん、第二日曜だけ、私に留守番を頼んでたのよ」

「もう二十年になるかしらね」

「用事があるって、それだけしか言わないの」

その人は、掲示板の画鋲をひとつ押し直した。

「毎月、いちばんいい服で出かけるの」

「どこへ行くのか、誰も知らなかったわ」

屋根の切れる場所

手術は無事に終わった。

三日目には、母は手すりにつかまって廊下を歩いていた。

「思ったより痛くないの」と母は言った。

「先生が上手なんだって、看護師さんが」

私はベッドの脇の椅子に座って、膝の上に缶を載せた。

母が缶を見た。

それだけで、全部わかったようだった。

「見たのね」

「うん」

母は天井を見た。

それから、点滴の管を指でなぞった。

「怒ってる?」

「怒ってない」

「気持ち悪いでしょう」

「気持ち悪くない」

私の声は、自分で思ったより小さかった。

「どうして、改札を出なかったの」

母はしばらく黙っていた。

窓の外で、鳩が雨樋を歩く音がした。

「出たら、あんたの家まで行っちゃうから」

「行ったら、上がりたくなるから」

「上がったら、また来なくていいって言われるでしょう」

母は笑った。

笑ったけれど、目は窓のほうを向いたままだった。

「ホームでね、二本だけ見て帰るの」

「二本?」

「電車。あんたが乗ってるかもしれないから」

「二本見て、いなかったら帰る」

「それで足りた」

「毎月?」

「毎月」

母は、点滴の管から手を離した。

「電車、酔うんじゃなかったの」

「酔うよ」

「じゃあ、毎回」

「毎回、酔ってた」

母は、なんでもないことのように言った。

「窓、開けられないからね、あれ」

「いつも、いちばん端の乗車口に立ってた」

「どうして」

「あそこが、改札からいちばん遠いから」

私は自分の駅のホームを思い浮かべた。

私の駅のホームは、いちばん端の乗車口だけ屋根が途切れている。

雨の日はそこだけ濡れる。

だから、混んでいる日でも、あそこには誰も立たない。

紺色の、骨が一本だけ曲がった傘のことを思い出した。

20年ぶん、風に煽られ続けた骨だった。

「雨の日は」

「行ったよ」

「濡れるでしょう」

「濡れた」

母はそう言って、少しおかしそうにした。

「傘、風で裏返っちゃってね」

「骨が一本、折れたの」

「新しいの、買えばいいのに」

「あれでいいの」

母は、それきり傘の話をしなかった。

「一回だけね」と母が言った。

「あんたを見たよ」

「え」

「秋だった。紺色のコート着てた」

「改札のほうへ歩いてく背中を、見た」

「声、かけようとしたんだけど」

「電車が来ちゃって」

働きはじめて3年目の秋。

初めてのボーナスで、私は紺色のコートを買った。

あの秋、私たちは同じホームで、互いの後ろ姿を見ていた。

二人とも、声をかけなかった。

母は、電車が来たからだと言った。

私は、来なくていいと言った自分を思い出したからだ。

缶の中の、あの一枚を思い出した。

「今日は来た」

鉛筆の字は、少しだけ震えていた。

母はあの日、家に帰ってから、あれを書いたのだ。

母は昔から、言われたことを守りすぎる人だった。

痛いと言えば、二度と頭を撫でない。

来なくていいと言えば、二度と来ない。

そのかわりに、改札の内側までなら来てもいいと、自分で決めたのだと思う。

私は、二軒目の家の湯呑みを思い出した。

来なくていいと言うと、ほんとうに来なくなる。

あのとき、私は何も思わなかった。

思わなかった自分のことを、しばらく許せそうにない。

病室を出てから、私は缶の中の紙を一枚ずつ数えた。

240枚あった。

母は20年、改札の内側までしか来なかった。

改札の外の空気

退院の日は、6月のよく晴れた日だった。

私は車を使わなかった。

「電車で帰ろう」と言うと、母は少し困った顔をした。

「膝、平気なの」

「歩ける。ゆっくりなら」

桜見台から、上りの電車に乗った。

母は窓際に座って、外を見ていた。

膝の上に、あの折りたたみ傘を載せていた。

私の駅で、私たちは降りた。

いちばん端の乗車口だった。

そこだけ屋根がなくて、6月の光がまっすぐ落ちていた。

母は立ち止まって、線路の先を見た。

それから、私のほうを振り返った。

「行こう」

私は母の腕を取って、階段をゆっくり降りた。

改札を抜けるとき、母のカードが短く鳴った。

いつもと同じ、なんでもない電子音だった。

母はそこで一度、足を止めた。

改札の外の空気を、少しだけ吸った。

「近いのね」と母が言った。

「うん。歩いて8分」

「8分」

母はそれを、もう一度小さく繰り返した。

その8分を、私たちはずいぶん長くかけて歩いた。

歩きながら、母は何度も立ち止まった。

膝のせいではなかった。

電柱の広告や、ブロック塀の割れ目を見ていた。

「ここ、猫がいるでしょう」

「なんで分かるの」

「毛が挟まってる」

母は、22年ぶんの目でこの道を見ていた。

部屋に上がった母は、まず窓を開けた。

それから台所に立って、調味料の瓶を並べ直した。

ラベルを、全部こちら向きに揃えて。

私は何も言わずに、それを見ていた。

帰り際、母が玄関で言った。

「来月の第二日曜、空けとくね」

「用事は」

「ない」

母は笑った。

今度は、こちらを向いて笑った。

母を送って、私は部屋に戻った。

鞄を置いて、中を確かめる。

私の鞄には、よく晴れた日にも折りたたみ傘が入っている。

屋根のないところがあるから。

来月は、私が桜見台のホームに立つ。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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