水曜の朝の青い弁当箱

春の教室でランチタイム

私の青い弁当箱は、へりの塗りが剥げて、下の金物が覗いている。

買い替える機会なら、十年のあいだにいくらでもあった。

それでも私は、この青い弁当箱を毎朝、鞄の内ポケットに入れていく。

理由をきちんと言えるようになったのは、三十六の年の夏だ。

始まりは、四月の二日目の教室だった。

花ちゃんに初めて会ったのは、四月の二日目だった。

始業式が終わり、教室がまだ春の匂いをしていた日。

転校生が来ると聞いていたから、私は朝から少し気を張っていた。

石川花と書いて、はなと読む。

七歳で、髪の毛を二本の三つ編みにしていた。

教室の入口で立ち止まって、「よろしくお願いします」と言ったきり、俯いてしまった。

背が低いほうから三番目の席に座らせると、机の縁を両手で握ったまま動かなかった。

一時間目の国語で、教科書を出すのがいちばん遅かった。

周りの子が読んでいるページを、横目で確かめてから開いていた。

転校の日の子どもは、たいていそうやって一日を乗り切る。

給食の時間が来て、花ちゃんはランドセルの中を何度もまさぐっていた。

うちのクラスは、月曜だけ給食で、それ以外は弁当持参だと伝え忘れていたことに、私はそこで気づいた。

「先生の勘違いだった。ごめんね」

そう言ったら、花ちゃんは首を振った。

「ちがう。お家に弁当が、なかった」

担任をして十年になるが、あの言葉の意味を聞き取るのに、一瞬かかった。

お家に弁当が、なかった。

家庭訪問の記録を見返すと、花ちゃんの母親は一人で花ちゃんを育てていた。

朝の六時には工場に出て、帰宅は夜の七時を過ぎることが多い。

昨夜、夕食の準備が精一杯で、朝の弁当まで手が回らなかった。

花ちゃんはそれをわかっていて、黙っていた。

私は自分のアルミの弁当箱を開けて、おかずを半分取り分けた。

蓋を裏返して、皿の代わりにした。

たまごやきと、ひじきと、昨夜の残りの鶏の照り焼きを、蓋の上に並べた。

白飯は半分こにできなかったので、自分の分を三口ぶん、そのまま押し付けた。

「先生と一緒に食べよう」

花ちゃんは小さな声で「ありがとうございます」と言って、箸を持った。

食べ終わった後、「たまごやき、おいしかった」と教えてくれた。

それだけだった。

それだけのことが、どうしてこんなに胸に残るのか、私には今でもうまく説明できない。

食器を返しに来たとき、花ちゃんは弁当箱の蓋を、両手で持っていた。

蓋のへりを、指の腹でなぞっていた。

「先生、これ、青い」

そのときは、色の話をしているだけだと思った。

たまごやきの形

次の日から、私は少し多めに弁当を作るようにした。

特に打ち合わせはしていない。

ただ、前の晩に夕食の残りをあと少しだけとっておいて、翌朝もう一仕切り多い弁当箱に詰めた。

花ちゃんは最初の三日間、何も言わなかった。

ただ、弁当箱を受け取る時の顔が、少しずつ変わっていった。

入学式の日のように俯いてはいなかった。

ちゃんと私の顔を見て、両手で受け取るようになっていた。

一週間が過ぎた頃、花ちゃんが給食の時間に言った。

「先生、今日のから揚げ、昨日のより柔らかかった」

「昨日は揚げすぎた。ごめんね」

「ううん。両方好き」

また別の日には、蓋を開けるなり「玉子焼きが三角だ」と言って笑った。

「型を持ってないから」と答えたら、「先生の玉子焼きはいつも形がちがう」とまた笑った。

たまに四角で、たまに三角で、たまに崩れている。

それが気に入っているらしかった。

六月に入ると、花ちゃんは弁当箱を開ける前に、必ず一度だけ振るようになった。

中でおかずが動く音を聞いて、何が入っているか当てる遊びだった。

「今日は、汁のあるやつが入ってる」

「煮物だよ」

「当たった」

当たっても外れても、花ちゃんは同じ顔で笑った。

私はその音を聞きたくて、前の晩の煮物を少しだけ多く残すようになった。

五月が終わる頃には、花ちゃんがクラスの女の子たちと一緒に帰るようになっていた。

転校してきた日に俯いていた子が、今は名前を呼ばれて走っていく。

その後ろ姿を見送りながら、私はこの仕事を選んで良かったと思った。

そういう瞬間が、教師を十年続けさせてきた。

学級通信にも、そのことは書かなかった。

書けば、誰かの家の事情を紙にすることになる。

教室の中で起きた一番大事なことは、たいてい記録に残らない。

五月の終わりに、花ちゃんがこう言った。

「先生の弁当箱、お母さんのと同じ色だ」

私の弁当箱は、青いアルミ製だ。

蓋のへりが少し錆びていて、口が閉まるゴムのパッキンがへたっている。

十年以上使っている。

買い替えようと何度か思ったが、なぜかそのままにしていた。

「お母さんも青い弁当箱?」

「うん。前のおうちの台所の引き出しにある。今は使ってないやつ」

使われなくなった弁当箱が、台所の引き出しにある。

その言葉が、しばらく頭の中に残った。

すみれの散らし寿司

盛岡の実家に、同じ色の弁当箱があった。

母が小学校から中学の頭まで、私のために毎朝詰めてくれていた弁当箱だ。

アルミ製で、青くて、蓋にうっすら私の名前の傷が残っている。

里子、とひらがなで。

たぶん、消しゴムの角で引っかいたものだと思う。

母の弁当には、季節の花が入っていることがあった。

春は庭先で摘んできたすみれを、散らし寿司の上にそっと置いてあった。

夏には茗荷の花、秋にはコスモス。

蓋を開けるたびに小さな庭がそこにあって、私はそれが恥ずかしいような、でも少し誇らしいような気持ちで眺めていた。

友達に見せたくなかったし、でも友達に見せたかった。

あの弁当の蓋を開ける時の匂いを、三十六歳になった今でも覚えている。

米の蒸気と、出汁の匂いと、醤油が少しだけ焦げたきんぴらの匂い。

それが母の台所の匂いだった。

母は、毎朝五時に起きる人だった。

目覚まし時計は使わず、階下の柱時計が四つ鳴るのを聞いて起きていた。

米びつの前にしゃがんで、升で量る音が、二階まで上がってきた。

母の米びつには、升が二つ入っていた。

三合の升と、一合の升。

どちらも木で、角が黒ずんでいた。

ただ、一合の升だけ、内側の角が白くすり減っていた。

子どもの私は、そういうものだと思って見ていた。

中学に上がった春、私はその弁当箱を断った。

入学式の翌日だった。

曜日まで覚えている。

水曜だった。

ごみ袋を出しに行く母の背中に向かって、私は台所から言った。

「もういらない」

「コンビニで買う」

「手弁当なんて、中学生が持ってくるものじゃない」

母は何も言わなかった。

「そうか」とだけ言って、台所に戻った。

その背中が今でも目に浮かぶ。

振り返らなかった。

でも、足が一瞬だけ止まった気がした。

それから私は弁当を持っていかなくなった。

次の水曜も、その次の水曜も、母は何も言わなかった。

朝の台所の音だけが、以前と同じ長さで続いていた。

私はそれを、母がもう諦めた音だと思っていた。

高校でも、大学でも、就職してからも。

東京に出てきてからは、ますます手弁当から遠ざかった。

コンビニで買うのが当たり前になって、それを疑問に思ったことも、しばらくはなかった。

お昼のおにぎりを食べながら、あの弁当箱のことを思い出すことはなかった。

少なくとも、意識の上では。

でも十年以上使ってきた私のアルミの弁当箱が、今でも青いままである理由を、私は自分でうまく説明できない。

付箋のきんぴら

六月の初めに、花ちゃんの母親が学校に来た。

石川美代さんといって、三十三歳だという。

仕事を少し抜けてきたと言いながら、制服のまま職員室に入ってきた。

「先生、あの子から話を聞きまして」

深々と頭を下げた。

「本当に助かりました。なんとお礼を言えばいいか」

私は首を振った。

「私も楽しくて。花ちゃんが毎朝喜んでくれるから、続けられてます」

「でも、先生のご迷惑じゃないですか」

「迷惑なわけないですよ。先生だって一人暮らしだと弁当作るのが億劫で、こうやって誰かのために作ると思うと、ちゃんと起きられる」

それは本当のことだった。

花ちゃんの分があると思うと、前の晩から食材を用意するようになった。

四時半に起きることが億劫でなくなった。

弁当を詰めている時間が、一日の中で一番静かで好きな時間になっていた。

台所に立って、前の晩の残りを一つ一つ詰める。

窓の外がまだ暗くて、鳥がさえずり始める前の、あの時間。

誰かのために作るということが、こんなに温かいものだったとは、三十六年間知らなかった。

母が欠けさせなかった茶碗の話を、どこかで読んだことがある。

毎日のことは、だいたい理由を言わずに続けられる。

言わないから、受け取るほうは気づかない。

美代さんが帰り際に、紙袋を渡した。

「昨晩作ったものです。口に合うかどうかわかりませんが」

中には、プラスチックの保存容器が二つ入っていた。

一つにはきんぴらごぼう、もう一つには煮卵が三つ。

付箋に、「先生へ。いつもありがとうございます。石川美代」とだけ書いてあった。

その夜、私はきんぴらごぼうをつまみながら、電話を見ていた。

最後に盛岡に帰ったのは、去年の正月だった。

母は変わらず、台所に立っていた。

正月の朝には雑煮を作って、昼にはほっけを焼いて、夕方には芋煮を鍋ごと出してきた。

私は食べながら「うまい」とだけ言って、スマートフォンをいじっていた。

母は「そうか」とだけ言って、また台所に戻っていった。

いつもそうだった。

母は作って、私は食べて、「ありがとう」を言わないままでいた。

「ありがとう」を言うのが、照れくさかった。

いつの間にか、言い方を忘れていた。

きんぴらごぼうを箸でつまみながら、思った。

美代さんは昨晩、これを作った。

仕事から帰ってきて、疲れていたはずなのに、私のために一品多く作った。

私の弁当箱の青を、娘が覚えていたから。

私の母も、そういう人だった。

庭のすみれを摘んで、散らし寿司の上に置いた人だった。

里子、と弁当箱に刻んだ人だった。

「もういらない」と言われた時、足を一瞬止めた人だった。

台所の呼び出し音

私は電話を取り上げた。

画面に、お母さんと表示された名前を押した。

呼び出し音が三回鳴った。

四回目が鳴る前に、繋がった。

「もしもし、里子か」

「うん。お母さん、今大丈夫?」

壁のカレンダーが目に入った。

六月の、水曜だった。

「なんも、ちょうど台所にいた」

少し間が空いた。

何を言おうかと考えていたわけでもないのに、言葉が出てこなかった。

「来月、帰ろうかなって思って」

「そうか。いつ頃だ」

「お盆の前。一週間くらい」

「ああ、いつでもいい」

また少し、間が空いた。

今度は、私が先に口を開いた。

「お母さん、弁当作ってもらえる?」

電話の向こうが静かになった。

三秒か、四秒か。

母が「え」とも「なんで」とも言わなかったのは、聞き間違えたのかもしれないと思ったくらいだった。

「学校の帰りに食べながら来たくて。昔みたいな弁当。すみれとか入ってる」

今度こそ、母は長い間黙っていた。

私は電話を持ったまま、きんぴらごぼうの容器を見ていた。

食べかけのまま、蓋が開いていた。

やがて母が言った。

「さっき作ったとこだ」

「え?」

「里子の好きなきんぴら。さっき詰めたとこだ」

何を言っているのかわからなかった。

「来月って言ったばかりじゃない。なんで」

「なんもなあ」と母は言った。

「なんとなくだ」

受話器の向こうで、水を止める音がした。

それから、蛇口をもう一度ひねる音がした。

青い弁当箱のへり

電話の向こうで、何かを詰める音がした。

アルミの蓋が閉まる、かちん、という音がした。

私はそれを聞きながら、声が出なくなった。

きんぴらごぼうの匂いが、鼻の奥に残っていた。

美代さんが昨晩作った、柔らかく甘辛い匂い。

母がいつも作ってくれていた、あの匂いと、どこか似ていた。

「里子、聞こえてるか」

「うん」

声が少し震えた。

「来月、帰る」

「ああ。待ってる」

電話を切った後、部屋に誰もいないのを確認してから、私は少し泣いた。

こっそり、声を出さないように。

そういう泣き方しか、もう知らない気がした。

翌朝、花ちゃんに弁当を渡した時、私のアルミの弁当箱が目に入った。

青くて、錆が浮いて、里子とひらがなで傷がついた弁当箱。

このままでいいと思った。

買い替えなくていいと思った。

花ちゃんが弁当箱を開けて、「今日は玉子焼き四角だ」と言った。

「頑張った」と答えたら、「えらい」と返ってきた。

担任を七歳の子にえらいと言われた朝だった。

盛岡に帰る日まで、あと三十二日ある。

母が蓋を開けるのを待ちながら、弁当を詰めるだろう。

すみれはもう季節が過ぎているかもしれないけれど、母なら別の何かを入れてくれる気がした。

庭にあるものを。

季節にあるものを。

里子のために、とっておいたものを。

そう思いながら、私は今夜の夕食の残りをとっておくことにした。

明日の朝、もう一仕切り多く詰める。

八月に入って、私は三十二日ぶりに盛岡へ帰った。

着いたのは火曜の夕方だった。

母は駅まで出てこず、家の玄関の三和土に、私のサンダルだけを出して待っていた。

その晩は、ほっけと味噌汁と、きんぴらだった。

翌朝、四時半に目が覚めた。

東京で弁当を詰めている時刻に、体が慣れてしまっていた。

階下で、米を研ぐ音がしていた。

水の音のあいだに、木が米びつの底をこする、かすかな音が混ざる。

私は階段の途中で足を止めて、その音を数えた。

三合の升が三回。

そのあとに、もう一回。

台所へ降りると、母が一合の升を持ったまま、こちらを見た。

「起きたんか」

それだけ言って、また手を動かした。

「お母さん、それ、多くない」

「なんもなあ」

母はそう言って、研ぎ汁を流しに捨てた。

升の内側の角は、子どものころに見たときより、さらに白くなっていた。

七時前に、隣の奥さんが茄子の漬物を持ってきた。

「あら里子ちゃん、水曜やもんね」

私は意味がわからずに、曖昧に笑った。

奥さんは、勝手に上がり框に腰かけて言った。

「お母さん、水曜だけ二人ぶん炊くんよ」

「あんたが中学に上がった年から、ずっとだで」

「余った日は、うちにおすそ分けに来なさる」

母は流しのほうを向いたまま、何も言わなかった。

背中が、あの日と同じように、少しだけ止まっていた。

母は三十年、水曜の朝にだけ、米を一合多く研いでいた。

断られた朝の曜日を、断られた側だけが覚えていたのだ。

八時に、母が弁当を差し出した。

青い弁当箱だった。

蓋に、消しゴムの角で引っかいた里子の字が、まだ残っていた。

「すみれはもう終わってしもた」

「かわりに、紫蘇の花にした」

縁側で蓋を開けると、白い小さな花が、散らし寿司の上に三つ置かれていた。

たまごやきは、三角だった。

「型、捨ててしもてな」

母はそう言って、湯呑みに茶を注いだ。

裏返しの海苔のような、言わずに置かれた工夫が、この家にはいくつもあった。

気づくのに三十年かかったものも、ひとつあった。

東京へ戻ってから、私は弁当箱を買い替えるのをやめた。

花ちゃんの分と、私の分。

水曜の朝だけ、私は米を一合多く研ぐ。

理由は、まだ誰にも言っていない。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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