母のボタンは毎朝ひとつ増えた

老婦人

母が倒れたのは、私が初めて担任を持った四月のことだった。

母のボタンの帯に出会うのは、その一か月後のことになる。

朝、保育園に着いてすぐ、妹の美和から電話が来た。

「お母さん、脳梗塞で救急搬送された」

その短い一文が、耳の中でしばらく意味をなさなかった。

そばでは、新しく受け持った年中組の子どもたちが、上履きをそろえて並べていた。

「先生、どうしたの」と、ひとりが私の顔をのぞきこんだ。

「ううん、なんでもないよ」と答えた声が、自分のものではないように聞こえた。

園長先生に事情を話し、午後から車を飛ばして、母の運ばれた病院へ向かった。

高速道路の路肩に車を停めて、私は一度だけ、ハンドルに額をつけた。

窓の外では、桜が、風もないのに散っていた。

母に最後に電話をしたのは、いつだっただろう。

思い出そうとして、思い出せなかった。

幸い、命に別状はなかった。

けれど母は、そのまま長いリハビリに入った。

右手と右足に麻痺が残り、言葉も思うように出てこない。

商店街の外れにある小さな手芸店は、ひとまず閉めることになった。

母のボタンの話を、私は今でもうまく人に説明できない。

それでも、あの春のことを、順番に書いておこうと思う。

シャッターの下りた店

母は商店街の外れで、四十年近く手芸店を営んでいた。

十坪もない店だった。毛糸、布地、ファスナー、レースのテープ。

棚の一段を丸ごと使って、ボタンが色と大きさ別に並んでいた。

その棚の下に、ガラスの大きな瓶がひとつ置いてあった。

中身は、ばらばらのボタンだった。

片方だけになったもの。服から取れて、持ち主が分からなくなったもの。

母はそれを「迷子ボタン」と呼んでいた。

店に来た子どもは、退屈すると、その瓶の前にしゃがみこんだ。

「ひとつだけ、持って帰ってもいいよ」

母がそう言うと、子どもたちは真剣な顔で、いちばんの一個を選んだ。

小さかった私も、その中のひとりだった。

ある日、私は赤いボタンを選んで、母に聞いた。

「迷子のままだと、かわいそうだね」

母は針箱から針を出して、私の袖口に、そのボタンを縫いつけてくれた。

「縫いつけてしまえば、もう迷子にならんのよ」

母の手元で針が布を通るたびに、ちいさく糸が鳴った。

その音が、私は好きだった。店の中でいちばん静かな音だと思っていた。

中学の頃、私は放課後に店番を手伝った。

レジの横に座って、ボタンを色ごとに数えて分けた。

母は客と話すとき、必ず相手の袖口を見た。

「そのボタン、取れかけとるよ。座って、座って」

店の隅に小さな椅子を出して、その場で縫いつけてやる。

お代は、いつも受け取らなかった。

「ボタンひとつで、お金はもらえんよ」

そう言って、母は笑った。

商店街の誰もが、母の店の椅子に、一度は座ったことがあった。

七五三の日になると、母は店の前に小さな机を出した。

取れかけた晴れ着のボタンや、解けた紐を、無料で直してやるのだ。

写真館へ向かう家族が、毎年、母の店の前で足を止めた。

けれど高校生になった私は、それが恥ずかしくなった。

ある日、校門の前で、母が私の友達の制服のボタンを縫いはじめた。

たまたま通りかかって、取れかけているのを見つけたのだという。

友達は「ありがとうございます」と頭を下げて、笑っていた。

その夜、私は母に言った。

「学校には来ないで。みんなの前で、恥ずかしいから」

母は針箱を持ったまま、少し黙ってから、「ごめんね」と言った。

それきり母は、私の学校の近くには、一度も来なくなった。

あの「ごめんね」の小ささを、私は長いあいだ、忘れたふりをしていた。

私が保育士になったのは、あの店の景色があったからだと思う。

子どもが何かを選ぶときの、真剣な横顔が好きだった。

それは、母からもらったものだった。

後回しにした電話

けれど仕事が忙しくなるにつれ、私は母と連絡を取らなくなった。

実家までは、車で一時間もかからない。

それでも「仕事が落ち着いたら」と言って、半年が過ぎた。

一年が過ぎた。

同僚の先生に「お母さん、お元気?」と聞かれると、私は決まって「元気みたいです」と答えた。

みたい、というのは、自分で確かめていない証拠だった。

確かめる時間を、私は一度も作らなかった。

母から電話が来ても、行事が重なっていれば折り返せなかった。

去年の正月、私は「当直があるから」と嘘をついて、帰らなかった。

本当は、ただ家で眠っていたかった。

母はおせちを二人分、重箱に詰めて、宅配便で送ってくれた。

箱の隅に、小さなメモが入っていた。「食べすぎないでね」。

私はそのメモを、冷蔵庫の扉に貼った。貼ったまま、電話はかけなかった。

「お母さん、今忙しいから。夜にかけ直すね」

運動会の前の週にも、そう言って切った。

夜になって家に帰ると、靴も脱がないまま、玄関で眠ってしまった。

朝になって着信を見たが、かけ直す時間は、もうなかった。

母はいつも「ああ、そうか。気をつけてね」と言うだけだった。

私はそれを、母は分かってくれている、と都合よく解釈していた。

倒れる三日前にも、母から着信があった。

出られなかった。留守番電話に、短い声が残っていた。

「律子? 元気にしとる? 用事はないの。またね」

私は再生しただけで、折り返さなかった。

用事はないの、という声が、いまは耳に痛い。

商店街に足が向かなくなった理由は、もうひとつある。

帰るたびに、シャッターの下りた店が増えていく。

母の店だけが、ぽつんと灯りをつけていた。

その灯りが、なんとなく後ろめたかった。

母が倒れたその夜、妹から電話があった。

「お姉ちゃん、店のこと、どうする?」

「閉めるしか、ないでしょう」

「うん。……お母さんにはね、まだ言ってない」

「どうして」

「あの店、お母さんの全部だから」

私は何も言えなかった。

全部、という言葉の重さを、私はそのとき知らなかった。

言い出せないまま過ぎた時間の話は、止まった腕時計にも綴りました。遠くにいる人へ宛てた言葉なら、夕焼けの絵葉書も、どうぞ。

押し入れの菓子箱

入院から一か月のあいだに、私が見舞いに行けたのは二度だけだった。

二度とも、母の右手は、膝の上で丸まったままだった。

母は何か話そうとして、そのたびに、言葉を飲み込んだ。

言語療法の先生が、絵のカードを見せると、母は左手で、ゆっくり指をさした。

いつも同じ、針と糸の絵だった。

帰り際、看護師さんが声をかけてくれた。

「お母さん、朝になると、右手の指をつまんで、空中で針を通すような仕草をなさるんです」

「針、ですか」

「ええ。何度も、同じ形で。ご商売で、縫い物を?」

私は曖昧にうなずいて、病院を出た。

その意味を、考えようとはしなかった。

一か月が過ぎて、私はひとりで実家の片付けに行った。

妹は仕事の都合で来られない。父は十年以上前に旅立っている。

玄関を入る前に、向かいの乾物屋の和子さんが、道を掃いているのに気づいた。

「律子ちゃん。お母さん、どう」

「リハビリ、がんばっています」

「そう。あの人ね、毎朝、店を開ける前に、奥で十分くらい座っとってね」

「座って、ですか」

「祈っとるみたいやった。声は、かけられんかったけど」

「律子ちゃんが保育士さんになったとき、商店街の店を、全部まわって報告しとったよ」

「あの人があんなに喋ったの、あとにも先にも、あの日だけやった」

和子さんは箒を止めて、シャッターの下りた店を見た。

台所には、倒れた朝のままの空気が残っていた。

食卓に、湯呑みがひとつ。底に、乾いた茶の輪が残っている。

流しの横には、まだ畳まれていない布巾が、ぽつんと掛かっていた。

私は黙って、その湯呑みを洗った。

久しぶりに入った母の部屋は、思ったより整っていた。

机の上には、色とりどりの端切れが、ひもで束ねて積んである。

引き出しには、使いかけの糸巻きが、色の順に並んでいた。

こんな部屋だったろうか、と思った。

最後にこの部屋へ来たのがいつか、思い出せなかった。

コンロの横の引き出しには、老眼鏡が畳んで入っていた。

蔓には、補修用の糸が、ぐるぐると巻きつけてある。

母らしい、と思って笑いそうになり、笑えなかった。

押し入れの奥に、大きな缶の菓子箱があった。

引っ張り出すと、ずしりと重い。

蓋を開けると、中身は布だった。

蓋の裏には、黄ばんだ付箋が貼ってあった。

「律子が熱を出した日は、翌朝ふたつ」。

幅五センチほどの、生成りの帯布が、くるくると巻いてある。

そこに、ボタンがびっしりと縫いつけてあった。

白、紺、赤、べっ甲色。木のもの、貝のもの、金属のもの。

大きさも形もばらばらのボタンが、端から端まで、隙間なく並んでいる。

帯の端には、鉛筆で小さく「1」とあった。

最初のボタンは、赤だった。

私が子どもの頃、袖口に縫いつけてもらったのと、同じ色だった。

巻きを解いていくと、帯の縁に、数字が書き込まれていた。

「1000」「5000」。

いちばん端には、「11847」とあった。

そのボタンには、糸を通した針が、刺さったままだった。

針は、縫いかけの位置で止まっている。

私はまだ、その意味を考えなかった。

箱の底に、封筒が一通あった。

宛名は「律子へ」。母の字だった。

母のボタンの数え方

手が震えた。

封筒を開けると、便箋が何枚か畳んであった。

——律子へ。これを読んでいるなら、お母さんは、もう店にはいないのかな。ちゃんと見つけてくれて、よかった。

——この帯は、あなたが生まれた朝から縫いはじめたものです。

——産院のベッドで、眠っているあなたを見ながら、最初のボタンを縫いました。あなたの産着から取れた、小さな赤いボタンです。

——迷子にならんように、って。それから毎朝、店を開ける前に、ひとつずつ。

——熱を出した日は、翌朝にふたつ縫いました。だから数は、ずれていません。

私は文字を追いながら、息をするのを忘れていた。

——千個になった日、渡そうかとも思いました。でも、まだ渡す時じゃないな、と思って。

——結婚の時かな、赤ちゃんができた時かな。待っているうちに、こんなに長くなってしまいました。笑ってください。

——あなたは、いつも忙しそうでした。お母さんは、電話をするのを遠慮してしまって。

——忙しいと聞くたびに、そうか、元気にやっているんだな、と思いました。寂しいとは思いませんでした。本当に。

——ただ、たまに声が聞きたいな、とは思いました。

——店のボタンの棚はね、あなたが並べ方を教えてくれたのよ。中学の放課後に、色の濃い順がいいよって。

——あの並べ方のまま、いまも棚は動かしていません。

——高校の頃、学校には来ないでと言われた日のことは、ちゃんと覚えています。あれは、お母さんが悪かった。娘の居場所に、勝手に入ってはいけませんでした。

——保育士になると聞いた日は、嬉しかった。店に来た子どもたちを見ていた、あの目と同じ目をしていたから。

——毎朝ボタンを縫うとき、あなたの一日を考えます。今日は、どんな子と遊んでいるかな。ごはんは、食べたかな。

——ひとつ縫い終わると、一日があなたのところに届いた気がして。それで、十分でした。

母のボタンの数え方は、いつも、私の一日の数え方だった。

私は手紙を胸に抱えて、畳に座り込んでいた。

窓から入る午後の光が、ボタンの影を、畳の上に並べていた。

一万一千八百四十七個。

母は、私が電話をしなかった夜も、針を持っていたのだ。

黙って、ひとつずつ、私の一日を縫っていたのだ。

どうして電話一本くれなかったのだろう、と思いかけた。

でも、遠慮していたのは、お互いさまだった。

「また今度」と言いながら、後回しにしていたのは、私のほうも同じだった。

ふと、帯の端に目が戻った。

気づけば、窓の外の光は、橙色に傾いていた。

一万一千八百四十七番目のボタン。針が刺さったままの場所。

スマートフォンのカレンダーを開いて、息が止まった。

母が倒れた日の朝だった。

母は、あの朝も、店を開ける前に針を持ったのだ。

ひとつ縫いかけたまま、台所の床に倒れたのだ。

針の先は、ほんの少し、布を通りかけて止まっていた。

糸はまだ、玉結びのまま、引かれていなかった。

看護師さんの言葉が、耳によみがえった。

空中で針を通すような仕草。毎朝、同じ形で。

母は病室で、あの続きを縫おうとしていたのだ。

あの朝の母の背中を、私は想像した。

いつものように店の奥の椅子に座り、帯を膝に広げる。

赤い糸を針穴に通して、少し眠そうに、あくびをひとつする。

その背中が、そのまま床に崩れ落ちたのだと思うと、胸の奥が冷たくなった。

私は、針を抜かなかった。

帯を巻き直し、手紙と一緒に、バッグに入れた。

同じ穴を通した針

翌週、私はリハビリ病院へ母を見舞った。

病室の窓の外では、新緑が風に揺れていた。

母の枕元には、妹が持ってきた店の古い写真が、立ててあった。

シャッターの前で、若い母が、幼い私を抱いて笑っている。

窓際の棚には、妹が毎日取り替える小さな花が、一輪だけ挿してあった。

その花の名前さえ、私は知らなかった。

母は私の顔を見て、ゆっくり目を細めた。

私はバッグから帯を取り出して、母の膝に広げた。

「お母さん、これ、見つけたよ」

母の左手が、帯の端に触れた。

赤いボタンを、親指でゆっくり撫でた。

「いち……ばん、さいしょの」

途切れ途切れの声だった。

私は泣きながら、うなずいた。

「迷子にならんように、でしょ」

母の口の端が、かすかに動いた。

笑っているのかどうか、うまく読み取れなかった。

でも、その目は、ちゃんと私を見ていた。

そばで見ていた言語療法の先生が、そっと目頭を押さえた。

「この一か月、お母さんが自分から口にした言葉は、『はり』だけだったんです」

針、と母は言おうとしていたのだ。

私は何も言えずに、母の手を握った。

「ごめんね、お母さん。学校に来ないでなんて、言って」

母は、ゆっくりと首を振った。

首を振りながら、左手で、私の手の甲をとんとん叩いた。

子どもを寝かしつけるときの、母の癖だった。

「続き、縫おうか」

私が言うと、母の左手が、針を探した。

針は、あの朝のまま、一万一千八百四十七番目のボタンに刺さっている。

母は左手で針をつまみ、布の裏へ、ゆっくり押し込んだ。

指先が、ひどく震えていた。

私は母の手の下から、布を支えた。

裏から出てきた針先を、私の右手がつまんだ。

針は、母の左手と、私の右手で、同じ穴を通った。

糸が、ちいさく鳴った。

遠い昔、袖口で聞いた音と同じだった。

玉留めは、いつも母が二秒で作ってしまうものだった。

今日は、ふたりで、ずいぶん時間がかかった。

翌朝、保育園で、子どもたちが「先生、ボタンあそびしよう」とせがんできた。

古いボタンを床にひろげると、子どもたちは真剣な顔で、いちばんの一個を選んだ。

「これ、先生にあげる」

小さな手が、青いボタンをひとつ差し出した。

私は両手で受け取って、ポケットにしまった。

毎週、日曜は実家に帰ろう。電話も、こまめにかけよう。

「また今度」は、もうやめにした。

母のボタンが一日ずつ増えた数だけ、私に届いていた祈りがある。

その分を、これから、ちゃんと返しに行く。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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