出口に近いほうの席に座る父

出口に近いほうの席に座る父

親父が家で座る場所は、いつも決まっていた。

居間なら襖に近いほう。食堂なら通路側。法事の座敷でも、末席というより、廊下に出やすい端だった。

俺はそれを遠慮のかたちだと思っていた。人の輪の真ん中に座りたがらない、無口な人の座り方だと。

親父は、どこに座るときも、必ず出口に近いほうの席に座る人だった。

その癖に名前がついていると知ったのは、倒れた親父の病室で、丸椅子をどこに置くか少し迷った日のことだ。

当直明けの、鳴り止まない着信

電話が来たのは十一月の終わり、当直明けで仮眠室の毛布に潜り込んだ直後だった。

着信音が遠くから届いて、最初は夢の中のものだと思った。だが鳴り止まなかった。

手探りでスマートフォンをつかみ、画面に「母」という文字を見た。

その前の晩、俺は本厚木の駅裏の木造アパートにいた。

一階の台所から出た火で、二階の一室に高齢の女性が残っていた。

煙は思ったより低いところまで降りていて、階段の三段目からもう何も見えなかった。

手すりを右手で数えながら上がって、廊下の突き当たりで、布団ごと抱えて降りた。

軽かった。人ひとりが、あんなに軽いはずがないのに、軽かった。

署に戻って報告書を書いて、仮眠室に倒れ込んで、そこで母の電話が鳴った。

だから最初、俺はまだ煙の中にいるつもりで目を開けた。

脳梗塞だった。軽症で、三週間ほどで退院できるという。

それでも俺は着替えて、厚木の実家へ向かった。疲れは残っていたが、それより速く動かなければならない気がした。

小田急の窓に映る自分の顔が、思ったより白かった。

十年以上この仕事をしてきて、倒れた人の家族の顔なら何百と見てきた。あの顔をしていた。

親父が俺の採用を知った日のことを、今でも覚えている。

「危ない仕事だ」

それだけ言って、親父は新聞に戻った。

採用通知を見せたときも、配属が決まったときも、初出勤の朝も、返ってくる言葉は変わらなかった。

「そうか」と言って、次の話題に移る。表情も変えない。

俺は長いあいだ、親父がこの仕事を軽く見ているのだと信じていた。体を張るだけの道を選んだ息子を、どこかで持て余しているのだと。

だから親父と話すときは、いつも少し身構えていた。認めてほしいだけなのに、それを口にするのが恥ずかしくて、黙ったままでいた。

靴箱の上に、ずっとあった布袋

病院から実家へ戻って、玄関に入ったとき、靴箱の上に小さな布袋があるのに気がついた。

火防せのお守りだった。紐が少し黄ばんでいる。台地の上の秋葉神社のものだ。

手に取って、裏返して、もう一度表を見た。布には薄いシミがあった。長くそこにあったものの色をしていた。

「ずっとそこに置いてあるよ」と母は言った。「あなたが消防士になった年から」

俺は何も言えなかった。

その夜、母が台所で洗い物をしながら、思い出したように付け足した。

「正月に、お父さん、一人で出かけるでしょう。あれ、あそこに行ってるのよ」

「初詣だろ」

「初詣なら私も誘うわよ。お父さん、誰も誘わないの」

俺はそのとき、その話を深く考えなかった。

親父が正月に一人で歩いて出ていくのは、俺が中学の頃から見てきた光景で、ただの散歩だと思っていたからだ。

ドアに近いほうのベッド

入院していた三週間、俺は休みをまとめて取り、毎日病院に通った。

相模川沿いの大きな病院で、廊下の窓からは河原の枯れ草が風に伏せるのが見えた。

最初の一週間、親父はほとんど眠っていた。点滴の管がつながれた手が、布団の上で小さく見えた。

あんなに大きな手だと思っていたのに、と俺は思った。

子供の頃、その手に引かれて初めて自転車に乗った。何も言わずに後ろを支えていたのに、気づいたら手を離していた。

振り返ると親父はずっと遠くに立っていた。俺がふらつくたびに、少しだけ前に出てきた。転ばないように見ていた。

あのときも、何も言わなかった。

四人部屋だった。親父のベッドは、窓側ではなくドア側だった。

看護師さんが「窓側が空きましたけど、移りますか」と聞いたとき、親父は首を横に振った。

「ここでいい」

景色より、日当たりより、廊下に近いほうがいいらしかった。

俺は丸椅子を、ベッドの足元に置くか、頭のほうに置くかで少し迷って、結局、親父の視界を塞がない足元に置いた。

そのとき初めて、この人はいつもこういう位置に自分を置いてきたな、と思った。

二週目になって少し話せるようになったが、俺たちはいつもどおり、たいした話をしなかった。天気のこと、夕飯のこと、テレビの野球。

積もり積もった何かが、二人のあいだに静かに横たわっていた。

「仕事はどうだ」

ある日の昼下がり、薄い冬の日が斜めに入る病室で、親父がぽつりと聞いた。

「まあまあです」

本当はお守りのことを聞きたかった。なぜ黙っていたのかを。

なぜ採用のとき、おめでとうも頑張れもなかったのかを。

でも言葉が見つからなかった。親父に何かを聞くということが、俺にはずっと難しかった。

拒まれる気がして、いつも一歩手前で引っ込めてしまう。

三週目に入ったある朝、リハビリ室から戻ってくる親父を、廊下で待った。

歩行器を押しながら少しずつ進む親父の横顔は、記憶にある顔よりずっと老いていた。

それでも、歩き方だけはまっすぐだった。前を向いて、一歩ずつ。

窓の外では、河原の枯れ草が同じ向きに伏せていた。

子供の頃、自転車の練習をしたのは、あの堤防だった。

病室の窓から見えるのが、その同じ堤防だと気づいたのは、通いはじめて十日も経ってからだった。

親父は毎日、その景色のほうではなく、廊下側を向いて寝ていた。

無口な親と、その一言を二十年かけて受け取る子の話は、たぶんどこの家にもある。父が三十年通った店に初めて連れて行かれた夜の話を読んだときも、俺は自分の家のことだと思って読んだ。

廊下で声をかけてきた人

退院の三日前、リハビリ室の前の廊下で、見知らぬ男性に声をかけられた。

「もしかして、大吾さんの息子さんですか」

六十代くらいの、肩の厚い人だった。白髪交じりの短髪。目の奥が穏やかだった。

「安田と申します。お父さんとは昔、一緒に働いていた仲で。消防の」

俺は一瞬、言葉の意味をつかみ損ねた。

消防。

親父と同じ署に八年いたと、安田さんは続けた。俺は長椅子に座って話を聞いた。

親父が消防士を辞めたのは三十二の年だった。俺が生まれた年だ。

現場で足首を折って、完全には戻らなかった。しばらく内勤にいたが、ある日「子供が生まれた」と言って辞表を出したという。

「大吾さん、現場が好きでしたよ。誰よりも走った人でした。怖いものなんてないような顔をして、それでいて、あとで手が震えてることもあった。それが人間だって言ってたな」

安田さんはゆっくり話した。急かすところのない話し方だった。

「足はね、正直、やり方次第で戻せたと思うんです。本人もそう言われてた。辞めたのは足のせいだけじゃない」

「じゃあ、何でですか」

安田さんは少し間を置いた。

「怖くなったって、言ってました。子供が生まれてから、煙の向こうが怖くなったって。怖いと思ったら、あそこには立てんのですわ。自分より後ろにいる隊員が危ない」

それは、俺が現場で何度も言われてきたことだった。

安田さんは、そこで一度、膝を叩くようにして笑った。

「一回ね、材木屋が燃えたんですわ。乾いた材が積んであるから、火の回りが尋常じゃない」

「危ないやつですね」

「危ないやつです。大吾さんが真っ先に入って、そのあとすぐ出てきて、全員下げたんです。二分後に屋根が落ちた」

「よく判断できましたね」

「本人は、材の匂いが変わったからだって。誰にも分からんですよ、そんなの」

安田さんは湯呑みを持つ手つきで、何も持っていない手を少し動かした。

「それを誰にも言わなかった。俺も、あとから古い同僚に聞いたくらいで。大吾さんらしいと思いましたよ」

俺は膝の上で手を組んだまま、前を向いて聞いていた。

「息子さんが消防に入ったって聞いたとき、大吾さんがどんな顔をしたか、見たかったですよ」

安田さんは立ち上がって、思い出したように振り返った。

「そういえば、あの人の口癖。危ない仕事だ、って言いませんでした」

「……言います」

「あれね、消防学校で、教官が一日目に言う言葉なんですよ。危ない仕事だ、だから覚えろ、って」

安田さんは一礼して、廊下の奥へ歩いていった。しばらくすると、その背中は曲がり角の向こうに消えた。

俺はしばらく動けなかった。

親父はあの日、祝いの言葉を惜しんだのではなかった。

自分が最初に受け取った言葉を、そのまま渡していた。渡せるものが、それしかなかった。

道具箱の底にあったもの

その晩、実家の物置で、親父の道具箱を開けた。

ペンチや水糸に混じって、底に古い菓子の缶があった。

蓋を開けると、布袋が重なって入っていた。数えると十四あった。

どれも火防せのお守りで、どれも紐の色が違って、古いものほど布が薄くなっていた。

お守りは、年ごとに神社へ納めて、新しいものを受けるものだ。俺でも知っている。

親父はそれを、一度も納めていなかった。

母に聞くと、母も缶のことは知らなかった。

「返さないの、あの人らしいわね」

「なんでだろ」

「返したら、その一年が終わっちゃう気がするんじゃないの」

母はそれ以上言わなかった。

ただ、正月の朝の支度のことは教えてくれた。

親父はその日だけ、前の晩に靴を磨く。

雑煮を食べ終わると、誰にも何も言わずに出ていって、昼前には帰ってくる。

「お土産は」

「一度もないわよ。お守りも見せない。手ぶらで帰ってきた顔で入ってくるの」

「どこ行ってきたって言うの」

「歩いてきた、って」

母は笑って、それから少しだけ真顔になった。

「私ね、あの人がどこに行ってるのか、二十年知ってて、二十年黙ってたのよ」

缶の中の十四は、俺が消防士になってからの年数と、ぴったり同じだった。

玄関の靴箱の上にあるのが十五体目だ。

だが、そこで一つ合わないことに気づいた。

正月に受けてくるのは一体だ。納めていないなら、缶には十四体たまる。それはいい。

玄関にあるのは、いちばん新しい一体。それもいい。

では、去年の一体はどこへ行った。

缶の中でいちばん新しいものは、紐の色がもう褪せていた。少なくとも五、六年は経った布だった。

納札所に、一度も置かれなかったもの

翌日、俺は台地の上の秋葉神社まで歩いた。

子供の頃に一度だけ来た覚えがあるが、こんなに小さい社だったとは思っていなかった。

石段の脇に古い消防団の寄付者板が立っていて、いちばん端に、掠れた字で親父の名字があった。

社務所には七十くらいの宮司さんがいて、俺が火防せの話をすると、少し考える顔をした。

「正月にね、一体だけ受けていかれる方がおられます。もう長いこと」

「歩いて来られる方ですか」

「歩いてです。車の方はここまで上がってこられませんから」

宮司さんは、境内の隅の納札所を指した。屋根のついた木の箱で、古い札や守りを納めるところだ。

「あの方はね、納めていかれない」

「受けるだけ、ですか」

「受けるだけです。ふつうは古いのを納めて、新しいのをお受けになる。あの方は、二十年近く、受けるだけです」

俺は納札所の前に立った。

竹の格子の隙間から、色の褪せた札の束が見えた。誰かの一年が、そこで静かに終わっていた。

親父は、その終わらせ方をしなかった。

「ご家族の方ですか」と宮司さんが聞いた。

「息子です」

「そうですか」

宮司さんはそれだけ言って、社務所の窓を閉めた。

坂を下りながら、俺は、缶の中の十四体の順番のことを考えていた。

いちばん古いのが底で、いちばん新しいのが上だ。だが上の一体でも、布はもう十分に古い。

受けた数と、しまわれた数が合わない。

一年に一体受けて、一体もしまわれない年が、どこかにあるということだ。

ダッシュボードの、灰色の布袋

翌朝、実家の前に停めた自分の車に乗り込んで、俺はしばらく動かなかった。

ダッシュボードの物入れを開ける。車検証と、使わなくなったETCカードの控えと、その奥に、小さな布袋がある。

免許を取った年から、そこにあると思っていた。

母が入れたのだろうと思っていたし、そもそも、そんなものを意識したことがなかった。

取り出して、灯りにかざした。紐は新しかった。布のシミもない。

俺の車にずっとあったお守りは、毎年、入れ替わっていた。

親父は正月に一人で歩いて出て、新しいのを受けてくる。

いちばん新しいのを玄関に置き、玄関にあった前の年のを、俺の車に移す。

そして、俺の車から下げた一昨年のを、缶にしまう。

十四年、誰にも言わずに、それをやっていた。

玄関の分は家のためだ。俺の車の分は、俺のためだ。

缶の中の分は、たぶん、返してしまうと終わってしまう年のためだった。

俺は缶をもとの場所に戻して、物置の電気を消した。

暗がりの中で、道具箱の金具が一度だけ小さく鳴った。

親父が現場を離れた年に生まれた息子が、親父が離れた現場に立っている。

その十四年ぶんを、この人は缶に詰めて、返さずに持っていた。

退院の日と、いちばん端の席

退院の日、病院の玄関で親父がゆっくり靴を履くのを見ながら、俺は声を出さずに泣いた。

気がついたかどうか、親父は何も言わなかった。

「送っていきます」

「いい」

「送っていきます」

親父はしばらく黙ってから、「そうか」と言った。

その「そうか」は、今まで聞いたどの「そうか」とも違って聞こえた。

車に乗せるとき、親父は助手席のドアの前で少し立ち止まって、それから後部座席に回ろうとした。

「前でいいよ」と俺は言った。

親父は助手席に座って、ドアの内側の取っ手に、右手をそっと置いた。

出口に近いほうに座るのは、消防学校で、いちばん初めに教わることだった。

どんな部屋に入っても、まず逃げ道を見る。人の前を通らずに立てる位置に座る。

体に入れてしまえば、辞めても抜けない。俺も同じで、飲み会でも法事でも、気づくと端にいる。

去年、妻に笑われた。あなた、いつも通路側ね、と。

親父は三十二で現場を離れて、それから四十年、出口の側に座り続けていた。

逃げるためではない。先に立つためだ。

次の出動まで

実家に戻って、俺は靴箱の上のお守りを手に取った。

紐の具合を確かめて、布の縫い目を指でなぞって、そっと元の場所に戻した。

そこにあり続けるべきものだと思ったから。

ダッシュボードのほうは、何も言わずに戻した。

言えば、来年から親父が入れ替えにくくなる。それだけは、したくなかった。

次の現場に出るとき、俺はたぶん、あの缶のことを思い出す。

親父が走っていた夜明けの街を、俺も走る。

足首を壊して、家族のために次の道を選んだ人の息子として。

煙の中に飛び込む瞬間も、誰かを抱えて階段を降りるときも、俺はいちばん先に出口を見る。

あの人が四十年、座り続けてきた側から。

渡されていたものに、あとになって気づく話は山ほどある。母が一度も鳴らさなかった呼び出しの話も、そういう一つだった。

俺の場合は、まだ間に合っている。

今年の正月は、一緒に歩いて行くつもりだ。

誘えば、たぶん「いい」と言われる。

そうしたら、もう一度言う。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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