新婦の父が持ってきた一本のビデオテープ
新婦の父が抱えてきた一本のビデオテープには、二十五年前の母の声が残っていた。式場の調整室で試写の音を聞いた私は、最後の十秒だけ音を絞ってほしいと頼まれる。試写の…
新婦の父が抱えてきた一本のビデオテープには、二十五年前の母の声が残っていた。式場の調整室で試写の音を聞いた私は、最後の十秒だけ音を絞ってほしいと頼まれる。試写の…
卒業式のあと、教員が三年生と保護者を視聴覚室に集めて行った最後の授業。目を閉じて親の手を握る数分間に、教室では見せなかった涙があふれました。両親への感謝を、まだ…
娘の成長を見つめる振り袖選びの日、表情に乏しかった母の記憶がよみがえる。二十三歳で撮った赤と黒の振り袖の写真、十九歳の病室で母が剥いてくれた林檎、受話器の向こう…
小学四年の春、親戚の農家で一番小さい子犬を選んだ。柴犬のナツは毎日、俺の靴下をくわえて玄関で待っていた。高校で不良仲間とつるむようになった俺は、ある日曜の朝、ま…
学費のために札幌のラウンジで働いていた私に、毎週通ってくれた七十歳のYさん。口癖は「うん。そうだね」だけだった。卒業して三年後、娘さんから届いたYさんの日記には…
七歳で祖父母に預けられた少年は、夜ごと窓辺の月に向かって手を合わせ、命と引き換えの願いを三度口にしました。三度とも叶わなかった祈りの先で、向かいの窓から二度だけ…
一九九五年一月十七日の朝、神戸・魚崎の文化住宅で私と倫子を隔てたのは一メートル半でした。前の晩の些細な言い合いで別々に敷いた布団。その位置に彼女の答えが隠れてい…
二十一歳で妻と授かった命を失い、半年も食卓から逃げていた私。隣家の六歳の娘が差し出した一杯の麦茶と、大学ノートに書いた再生の誓い。助産師になった彼女の結婚式で、…
国道沿いのファミレスで、毎月第三土曜日に会う父と娘。父の袖口には、午後四時五十分で止まった腕時計があった。新しいお父さんの話を終えた娘が、店員の私に借りたのは、…
高校二年の十月、古いフリーメールの受信箱を開くと、スパムの底に母のアドレスが六十三通も沈んでいた。遅れて届いた母からのメールの最後の件名は「あとで、でいいよ」。…
大阪府予選を目の前にした土曜の夜、野球部の息子が22時半を過ぎても帰らない。警察にまで電話をした母が知ったのは、補欠の仲間だけで開かれた引退試合と、洗濯機の前で…
四日市の社宅で母が作っていたミートソース。レシピを聞かないまま母を見送った兄弟が、父のひとことをきっかけに四日間かけてその味を追いかけました。缶の内側に残ってい…
葬儀の朝、腰まであった娘の髪が肩より上で切られていました。お洒落なママとのお別れやもん、と娘は言います。棺に添えられた細い髪の束の意味を、私は七年のあいだ思い違…
妻がいなくなって二日目の夜、私は台所の付箋を数えた。十一枚あり、どれも右下の角が小さく折ってあった。剥がす人のことを考えて貼る人だったのだ。三日目の朝、出汁パッ…
体育のあとの教室で、机の上に切り裂かれた文庫本が置かれていました。いじめのことを、私は母に言えませんでした。友達のいない私に、母が月に一冊だけ本を買ってくれる人…