うちの仏壇には、一回り小さい位牌が一つある。
高さが、他の半分もない。
子どもの頃、俺はあれを「練習用」だと思っていた。
位牌に練習用があるわけがない。
それでも、そう思っておかないと、家の中の説明がつかなかった。
位牌には、要という字が入っている。
生まれる前に亡くなった、俺の兄貴のものだと聞かされていた。
「要ちゃんの分も、お前は頑張らんとな」
親父もお袋も、事あるごとにそれを言った。
通信簿を見せたとき。
風邪で寝込んだとき。
茶碗を割ったときですら、言われた気がする。
顔も声も知らない相手の分まで、なぜ俺が頑張らねばならないのか。
うっとうしかった。
心底、うっとうしかった。
お袋は毎朝、仏壇の扉を開けた。
水を替えて、線香を一本立てて、鈴を二度鳴らす。
チーン、と間を置いて、もう一度チーン。
それが済むと、必ず扉を閉めた。
開けっぱなしにしているところを、俺は一度も見たことがない。
「なんで閉めるの」
小学生の頃、一度だけ聞いた。
「風邪ひくから」
お袋はそう答えた。
位牌が風邪をひくわけがない。
それでも、俺はその日から聞かなくなった。
聞いてはいけないことだと、子どもなりにわかったのだと思う。
名前をつけたのは、親父だそうだ。
要。
扇の、要の字だ。
「これが折れると、ばらばらになる」
親父は、それだけ説明した。
名前の意味を聞いたのは、後にも先にもその一度きりだった。
盆には、膳が一つ多く並んだ。
要の分だ。
小さい茶碗に、小さい箸。
飯を軽く盛って、味噌汁の椀に蓋をしないで置く。
「熱いと食べられんから」
お袋はそう言って、湯気が抜けるまで待った。
生きていれば俺と同い年の男に、幼児用の茶碗を出す。
その矛盾を、うちでは誰も指摘しなかった。
お袋の中で、要はずっと三つのままだった。
いま思えば、それも理由のあることだ。
三つの俺と、あの子は同じ言葉を聞いていたのだから。
※
うちは、越後の山際にある小さな鉄工所だった。
親父が旋盤を回し、お袋が電話を取る。
従業員は近所の爺さんが二人。
納期が近づくと、家の壁が一晩じゅう低く鳴った。
油の匂いが、玄関の靴にまで染みていた。
俺は高校に入ってすぐ、絵に描いたような不良になった。
髪を抜いて、学校をさぼって、駅裏のゲームセンターにいた。
別にやりたいことがあったわけじゃない。
ただ、家の中にいると、あの小さい位牌がこっちを見ている気がした。
見ているはずがない。
位牌に目はついていない。
それでも、そう感じるほうが、自分の腹立ちに理屈がついた。
駅裏のゲームセンターは、いつも同じ匂いがした。
煙草と、両替機の油と、じゅうたんの湿気。
そこに、夕方から夜まで座っていた。
金がなくなると、他人の台の後ろに立って画面を見ていた。
ある晩、うちの爺さん工員の一人が、扉のところに立っていた。
仕事帰りの、油の染みた作業着のままで。
俺と目が合った。
何か言われると思って、俺は身構えた。
爺さんは何も言わなかった。
缶コーヒーを一本、両替機の上に置いて、帰って行った。
俺はそれを飲まずに、朝まで握っていた。
あとで知った。
あの晩、うちを探しに出たのはお袋で、爺さんはそれに付き合っていたのだそうだ。
見つけたことを、爺さんはお袋に言わなかった。
「若いのには、若いのの時間があるすけ」
そう言ったらしい。
俺は、周りじゅうに黙って庇われながら、それを一つも知らずに腹を立てていた。
※
あの日は、雨だった。
梅雨の終わりの、生ぬるいやつだ。
三度目は、金額が大きかった。
先輩に立て替えてもらった分を、返す期限が来ていた。
台所の財布は、いつも同じ引き出しにあった。
お袋は、その引き出しに鍵をかけなかった。
かけていれば、俺は諦めたかもしれない。
いま思えば、かけなかったのが答えだった。
信じていたわけじゃない。
鍵をかけたら、疑ったことになると思っていたのだと思う。
金が要って、俺はお袋の財布から札を抜いた。
三度目だった。
二度目までは気づかれていないと思っていた。
台所の入口に、お袋が立っていた。
エプロンの紐を握ったまま、動かなかった。
「返しなさい」
「うるせえ」
「返しなさい」
「うるせえって言ってんだろ」
お袋の声が、そこで一段上がった。
「あんた、そんなことして、要ちゃんに顔向けできんの」
それだった。
それが、いちばん言われたくない言葉だった。
俺は札を床に叩きつけて、怒鳴った。
「だったら要が生きてりゃよかっただろ」
「なにを」
「俺じゃなくて、要のほうを産みゃよかったんだ」
言ってしまってから、部屋が静かになったのがわかった。
雨の音だけが、屋根で鳴っていた。
お袋の顔から、色が抜けていった。
そして、叫んだ。
「そうだね」
「あんたのほうが、いなくなればよかった」
※
その瞬間だった。
『そんなこと ゆったら、めーっ』
声が、頭の中で鳴った。
耳ではない。頭の、後ろのほうだった。
舌の回っていない、高い声だった。
三つか四つの子どもが、精一杯に怒っている声。
俺は思わず振り返った。
お袋も、同じほうを向いていた。
「え」
「今の」
「聞こえた」
「聞こえた」
二人で、同じ言葉を繰り返した。
それから、仏間のほうを見た。
仏壇の扉が、開いていた。
拝むとき以外は、必ず閉めてある扉だ。
お袋が閉めるところを、俺は毎朝見ていた。
その扉が、両側とも開いていた。
風は入っていない。
雨の日で、窓は全部閉まっていた。
それを見た瞬間、お袋が崩れた。
膝から落ちて、腹の底から声を出して泣いた。
あんな泣き方を、俺は見たことがなかった。
喧嘩していたことも忘れて、俺は肩を支えた。
お袋は、同じことを何度も呟いていた。
「許してくれた」
「許してくれてたんだ」
「ずっと、許してくれてたんだ」
※
その晩、お袋は初めて要の話をした。
要は、流産ではなかった。
俺と一緒に、生きて生まれてきた。
俺と要は、胸のところで繋がっていた。
要のほうは、体がずっと小さかった。
手のひらに載るくらいだったという。
腕も足も、途中までしか育っていなかった。
それでも、顔立ちははっきりしていた。
目も、開いていた。
「切り離せば、要ちゃんは助からない」
「切り離さなければ」
「二人とも、長くはもたない」
医者はそう言ったのだそうだ。
親父とお袋は、俺を生かすほうを選んだ。
選んだ、という言い方は正確じゃない。
選ばされたのだと思う。
手術の朝、お袋は要に謝った。
保育器のガラスに手をついて、名前を呼んで、謝った。
「ごめんね」
「ごめんね」
要は、その間ずっとお袋の顔を見ていたそうだ。
泣きもせず、じっと。
「あの目が、忘れられんかった」
お袋は、そこで初めて俺の顔を見た。
「恨まれてると思ってた」
「十七年、ずっと」
手術の話を、お袋はそこで止めなかった。
止めたら二度と話せないと思ったのだろう。
「切ったあと、あの子は二日、生きたんだよ」
俺は、顔を上げた。
「二日」
「保育器の中でな。ちゃんと息してた」
看護婦さんが、一度だけお袋に抱かせてくれたのだそうだ。
手袋をして、消毒をして、ほんの数分。
「軽かった」
お袋は、両手を少し持ち上げた。
何も持っていない手を、そのままの形で止めた。
「あんたのほうは、ずしっと来たのに」
「同じ日に生まれたのにな」
「そう。同じ日に」
それから、お袋は自分の手のひらを見た。
十七年、あの人はその重さの差を、毎朝の鈴の音で数えていたのだと思う。
話が途切れて、しばらくしてから、お袋がぽつりと言った。
「さっきの声な」
「うん」
「あの言い方はな、母さんがあんたを叱るときの口癖だった」
俺は箸を置いた。
「めーっ、って」
「そう。悪さするたび、母さんがそう言ってた」
「憶えてねえ」
「あんたが三つの頃までだもの」
お袋は、湯呑みを両手で包んだまま動かなかった。
「あの子は、それをどこで聞いたんだろうね」
言われて、背中が冷えた。
要は、二日しか生きていない。
言葉なんて、一つも知らないはずだ。
知らないはずの言い方で、あいつは俺たちを止めた。
つまり、そういうことだ。
あいつは、聞いていた。
三つの俺が叱られていた台所も、その後の十四年も、全部。
仏壇の扉が閉まっていようが、いまいが。
ずっと、うちにいたのだ。
※
あの小さい位牌に手を合わせるたび、お袋は謝っていたのだ。
俺に要の話をしていたのも、たぶん、俺のためじゃない。
忘れないため。
忘れたら、要を二度捨てることになると思っていたのだと思う。
「要ちゃんの分も頑張れ」
あれは、命令じゃなかった。
祈りだった。
うっとうしいと思っていたものの正体が、それだった。
十七年、俺は祈りに舌打ちをして育ったことになる。
親父がその話をしたのは、それから何年もあとだ。
俺が大学から帰った夏で、事務室で二人になった時だった。
「同意書は、俺が書いた」
唐突にそう言った。
「母さんは、手が動かんかった」
「そうか」
「三時間かかった」
「三時間」
「名前を書くのに、三時間かかった」
親父は、旋盤の刃先を布で拭きながら話した。
こっちを見ないのは、あの人のいつものやり方だ。
「あれが、俺の人生でいちばん長い三時間だ」
それきり、親父はその話をしていない。
聞き返しもしなかった。
聞き返してはいけない種類の話だと、そのときの俺にはわかった。
※
あの声が要のものだという証拠は、何もない。
生きていれば、俺と同い年だ。
十七の男が、あんな舌足らずの声を出すわけがない。
寝不足の頭が、両方で同じ幻を聞いただけかもしれない。
扉は、地震か何かで開いていたのかもしれない。
理屈は、いくらでも立つ。
ただ、あの声には、恨みも憎しみもなかった。
あったのは、焦りだけだった。
家族が言い争っているのが悲しくて、必死で止めようとしている。
止め方を、まだ知らない子どもが。
「めーっ」
というのは、そういう言い方だ。
叱っているのではない。
やめてほしいのだ。
※
翌日から、俺は学校に行き始めた。
急に真面目になったわけじゃない。
ただ、兄貴に怒られた手前、格好がつかなかった。
十七年ぶりに会った兄貴の第一声が「めーっ」では、こっちも立つ瀬がない。
担任は驚いていた。
「どういう風の吹き回しだ」
「兄貴に怒られたんで」
「お前、一人っ子だろ」
「二人ですよ」
それ以上は説明しなかった。
説明しても、たぶん伝わらない。
担任は、しばらく黙って俺を見ていた。
それから、進路の紙を一枚くれた。
「二人ぶん書くのか」
「一人ぶんです」
「そうか」
「一人が、二人ぶん頑張るんです」
言ってから、自分でも歯が浮いた。
担任は笑わなかった。
「なら、机はうちの教室にある」
それだけ言って、職員室に戻って行った。
あの一言で、俺はもう逃げられなくなった。
※
数学は、一年の教科書からやり直した。
夜、鉄工所の事務室の机を借りた。
壁の向こうで、親父の旋盤がずっと鳴っていた。
納期の月は、朝まで鳴っていた。
勉強は、面白くもなんともなかった。
公式が頭に入らない日は、事務室の壁を蹴った。
壁の向こうで、旋盤の音が一瞬止まる。
止まって、また回り出す。
何も言われない。
言われないから、続けるしかなかった。
夏に一度、模試の判定が最低のまま動かなくて、机に突っ伏した。
顔を上げたら、湯呑みの茶が両方とも冷めていた。
俺の分も、空のほうも。
冷めているものが二つあるだけで、なぜか一人ではない気がした。
馬鹿な話だ。
それでも、その夜から俺は蹴るのをやめた。
俺が机に向かっていると、親父は事務室の電気を消さなくなった。
何も言わない人だ。
ただ、湯呑みが二つ置いてあるようになった。
一つは俺の。
もう一つは、空だった。
一度だけ、聞いたことがある。
「これ、誰の」
空の湯呑みを指した。
親父は旋盤を止めずに、
「客用だ」
とだけ言った。
客なんて、夜中に来るわけがない。
それきり、俺も聞かなかった。
ただ、その日から俺は、机に向かう前に必ずその湯呑みにも茶を注ぐようになった。
翌朝、中身は減っていない。
減るわけがない。
それでも、注がない日は落ち着かなかった。
聞いたことはない。
聞かなくても、誰のぶんかはわかった。
※
合格発表の日は、朝から吐きそうだった。
雪が残っていて、大学の掲示板の前は靴が濡れた。
番号を探すのに、時間がかかった。
人の頭の間から、自分の番号が見えた。
見えた瞬間、俺は変な声を出した。
「うがああああ」
周りが振り返るくらいの、みっともない声だった。
その、自分の奇声に重なって、聞こえたのだ。
『やったあー』
あの高い声が。
半拍うしろから、俺の声を追いかけるように。
俺は掲示板の前で、立っていられなくなった。
雪の残る地面に手をついて、本気で泣いた。
缶コーヒーは、いまも事務室の棚にある。
開けずに、二十年。
底が錆びて、ラベルの色も抜けた。
あの爺さんは、俺が大学に入った年の冬に逝った。
通夜の帰り、親父が一度だけ口を開いた。
「あの人はな、お前が来るのを毎晩待ってたんだ」
「工場にか」
「ゲーセンの前でだ。缶コーヒー持って」
俺は、雪の道で立ち止まった。
あの一本は、たまたま持っていた一本じゃなかった。
毎晩、渡せずに持ち帰っていた一本だったのだ。
十七年、うっとうしいと思っていた相手が、いちばん喜んでいた。
※
家に電話した。
公衆電話だ。
お袋が出た。
「受かった」
それだけ言うのが精一杯だった。
受話器の向こうで、お袋は何も言わなかった。
代わりに、遠くで旋盤の音が止まった。
あの音が止まるのを、俺は初めて聞いた気がした。
「今、父さんに言ってくる」
「いい。俺が帰って言う」
「そう」
「あと」
俺は少し迷ってから、言った。
「仏壇の扉、開けといてくれ」
お袋は、ふふ、と笑った。
「もう開けてる」
※
あれから二十年が経った。
俺は鉄工所を継いで、いま旋盤を回している。
娘が二人いる。
下の子は、まだ二つだ。
二人並んで仏壇の前に座らせると、真ん中に小さい位牌がくる。
扇の要というのは、そういう位置のことなのだと思う。
要は、いちばん細くて、いちばん目立たない。
折れたら、扇はただの板になる。
うちは二十年、ばらばらにならなかった。
親父もお袋も、まだ生きている。
お袋は、いまでも毎朝、水を替えて鈴を二度鳴らす。
チーン、と間を置いて、もう一度チーン。
ただ、そのあと扉を閉めない。
閉めなくなった日を、俺は憶えている。
合格発表の、あの日からだ。
上の子が、去年、仏壇の前で聞いてきた。
「この小さいの、だれの」
「父さんの兄ちゃんだ」
「あそぶ人」
「そうだな。遊ぶ人だ」
娘は納得して、位牌の前に飴を一つ置いた。
翌朝、飴はそのままあった。
当たり前だ。
当たり前なのに、俺は少しだけがっかりして、それから笑った。
あの声は、あれきり聞いていない。
二十年、一度もだ。
それでいい、とも思う。
必要なときにしか来ないのが、あいつのやり方だったから。
今年の正月、上の子が仏壇の前でひとりごとを言っていた。
誰と喋っているのか聞いたら、
「おにいちゃん」
と、当たり前みたいに答えた。
俺は、ふうん、とだけ言っておいた。
子どもの言うことだ。
それでも、湯呑みには茶を注いだ。
仏壇の扉は、いまは開けたままにしてある。
閉めておく理由が、うちにはもう一つもない。