母が見せた涙

母が見せた涙

母が泣くのを初めて見たのは、俺が二十歳の冬だった。

それまでの二十年間、俺は母の涙を一度も見たことがなかった。

通夜でも、警察の帰り道でも、家庭裁判所の廊下でも。

あの人は、泣かなかった。

※

うちは、母と俺の二人きりの家だった。

父は俺が四つの年に出て行って、顔もろくに覚えていない。

母は市場の仲卸で帳場に立ち、夕方からは駅前の総菜屋で揚げ物を揚げた。

朝の四時に家を出て、夜の九時に帰ってくる。

そういう暮らしを、二十年続けた人だった。

家は、市場の裏の長屋だった。

二間きりで、冬は隙間風が畳を這った。

それでも母は、玄関に季節の花を欠かさなかった。

市場の花屋が、売れ残りを安う分けてくれるんよ、と言っていた。

貧乏の家に、花だけがあった。

あれは母の、たった一つの贅沢だったのだと、今なら分かる。

小学生の頃、一度だけ母の職場に行ったことがある。

冬の市場は、氷と魚と潮の匂いがした。

ゴム前掛けの男たちが怒鳴り合う中で、母は帳場の隅に立って、かじかむ手で伝票を繰っていた。

指先はあかぎれだらけで、ひびの上にまたひびが割れていた。

「母ちゃんの手、痛くないんか」

「痛いよ」

母は笑って、俺の頭をその手で撫でた。

ざらざらして、温かい手だった。

夜、総菜屋から帰る母は、いつも油の匂いをまとっていた。

売れ残りのコロッケが、夕飯に並ぶ日は御馳走だった。

「またコロッケかあ」

「贅沢言いんさんな」

そう言いながら、母は自分の分のコロッケを、俺の皿にそっと移した。

あの頃の俺は、それに気づかないふりをするのが、精一杯の意地だった。

参観日には、一度だけ母が来たことがある。

小四の秋だった。

教室の後ろに、仕事着のままの母がいた。

授業が終わる前に、母はいなくなっていた。

帳場を三十分だけ抜けて、走って来たのだと、後で聞いた。

「あんたが手ぇ挙げたとこ、見たよ」

その晩の母は、少し自慢げだった。

手なんか、挙げていない。

挙げたのは、隣の席のやつだ。

それでも俺は、訂正しなかった。

正月には、母と二人で市場の初売りに行った。

顔なじみの魚屋が、鯛のあらをただ同然で分けてくれた。

「坊主、母ちゃんの手ぇ見てみい。市場一の働きもんの手じゃ」

俺はその意味を、ずっと分からないでいた。

※

中学に上がる頃から、俺は曲がり始めた。

うちが貧乏なこと。

父親がいないこと。

授業参観にも運動会にも、母が一度も来られなかったこと。

そういうもの全部が、恥ずかしくて、腹立たしかった。

夜遊びを覚え、学校をさぼり、教師に食ってかかった。

母はその度に頭を下げに来た。

仕事着のまま、油の匂いをさせて、廊下で深々と頭を下げる母を見るのが、俺は何より嫌だった。

担任が家庭訪問に来た晩もあった。

「このままでは、進級が難しい」

母は畳に手をついて、頭を下げた。

俺は隣の部屋で、布団をかぶって聞いていた。

先生が帰った後も、母は俺に何も言わなかった。

ただ台所で、いつもより長く、水音がしていた。

嫌だったくせに、やめられなかった。

一度だけ、母に手を上げかけたことがある。

財布から金を抜こうとして、見つかった夜だ。

振り上げた手を、母は避けなかった。

まっすぐに俺を見て、立っていた。

手は、下ろすしかなかった。

あの夜の母の目を、俺は今でも夢に見る。

高校は一年ももたずに中退した。

働きもせず、先輩の溜まり場に転がり込んで、朝方に帰る毎日。

母はもう、何も言わなくなっていた。

ただ、俺が何時に帰っても、台所には飯と味噌汁が、布巾を掛けて置いてあった。

俺はそれを、食べたり、食べなかったりした。

食べなかった朝、母がそれを黙って自分の弁当に詰め替えているのを、俺は一度だけ見てしまった。

見なかったことにした。

中退を告げた日、母は箸を置いて、長いこと黙っていた。

「そう」

それだけ言って、あとは味噌汁を啜った。

怒鳴られた方が、どれだけ楽だったか。

母の沈黙は、いつも俺の一番痛いところに、静かに沈んでいった。

※

十八の冬、俺はやってしまった。

先輩に誘われて、造成地の資材置き場から、銅線の束を運び出したのだ。

「余りもんじゃけえ、売っても誰も困らん」

先輩はそう言った。

嘘だと、本当は分かっていた。

深夜の造成地は、霜で白かった。

軍手の中の指先が、痛いほど冷えた。

母もこの寒さの中で働いとるんじゃ、と思った。

思ったくせに、俺は銅線を担いだ。

軽トラの荷台で震えながら、俺はずっと、市場の帳場に立つ母の手を思い出していた。

分け前を受け取った夜は、一睡もできなかった。

天井の木目が、全部母の顔に見えた。

翌朝、俺は一人で交番に行った。

良心が咎めたなんて、上等なものじゃない。

ただ、怖かった。

このまま行ったら、二度と戻れない場所まで行ってしまう気がした。

交番の巡査は、青い顔の俺を見て、まず茶を出した。

「よう自分で来たの」

それから、長い長い一日が始まった。

警察に呼ばれた母は、仕事着のまま飛んできた。

ゴム前掛けを外し忘れて、魚の鱗が袖に光っていた。

母は取調室の外の長椅子で、背筋を伸ばして座っていた。

泣いていなかった。

怒鳴りもしなかった。

係の人に何度も頭を下げて、書類に何度も判を押して、それから俺を連れて帰った。

警察署の玄関を出るとき、母は一度だけ立ち止まって、空を見た。

一月の、灰色の空だった。

「寒うなったねえ」

母が言ったのは、それだけだった。

俺の罪の話は、しなかった。

できなかったのだと、思う。

帰り道、母は一言だけ言った。

「腹、減っとらんの」

俺は、何も答えられなかった。

その晩の食卓には、湯気の立つうどんが出た。

卵が二つ、落としてあった。

うちで卵が二つ出るのは、正月だけだった。

俺は、汁の味が濃いのか薄いのか、まるで分からないまま食べた。

母は向かいで、白湯だけを飲んでいた。

※

家庭裁判所には、路面電車で行った。

一月の窓ガラスは、内側まで冷え切っていた。

審判は、保護観察になった。

被害弁償は、母が立て替えた。

帳場で数える他人の金は、あんなに速い母の指が、自分の通帳の前では、ずっと止まっていたはずだ。

その姿を思うと、今でも胸の奥が軋む。

市場と総菜屋の給金を、何年も掛けて貯めた金だということは、通帳を見なくても分かった。

帰りの電車は、夕方で混み始めていた。

吊り革につかまる母の手が、目の前にあった。

ひびだらけの、あの手だった。

俺は窓の外を見たまま、ぼそっと言った。

「……ごめん」

しばらく、返事はなかった。

車輪がレールを叩く音だけが、足の下で続いた。

それから母は、窓の外を見たまま、静かに言った。

「お母さんの方こそ、ごめんな」

「……なんで母ちゃんが謝るんじゃ」

「小遣いもろくにやれんで。寂しい思いばっかりさせて。お前が曲がったんは、お母さんのせいじゃけえ」

違う。

違う、違う、違う。

声に出したかったのに、喉が塞がって、出てこなかった。

代わりに、涙が出た。

十八の男が、夕方の路面電車で、声を殺して泣いた。

隣で母は、泣いていなかった。

ただ、俯いて、ひびだらけの手で、俺の背中を一度だけ、ゆっくり撫でた。

市場の朝と同じ、ざらざらして温かい手だった。

電車を降りて、家までの道を、親子で黙って歩いた。

商店街の軒下に、正月飾りの売れ残りが下がっていた。

母は八百屋で、大根を一本だけ買った。

何事もなかったように夕飯の算段をする母の横顔を、俺はその日初めて、まともに見た気がした。

※

それから、俺は変わった。

変わるしか、なかった。

月に二度、保護司の家に通った。

白髪の元教師で、毎回、茶と最中を出してくれた。

「君の話より、母さんの話をしようか」

そう言って、その人は俺より母のことを心配した。

「あの人はね、君の話をするとき、一度も君を悪う言わんのよ」

帰り道は、いつも足が重かった。

保護観察の面接で紹介された造園会社に、頭を下げて入れてもらった。

親方は、俺の経緯を全部知った上で、一言だけ言った。

「木は、人の昔を訊かんけえの」

意味が分かったのは、ずっと後だ。

最初の仕事は、掃除だけだった。

落ち葉を掃き、道具を磨き、親方の長靴を洗った。

半年経った頃、初めて鋏を持たせてもらえた。

松の枝を一本落とすのに、親方は一時間、後ろで黙って立っていた。

「切った枝は、戻らんけえの」

ぽつりと言われたその一言が、俺には別の意味に聞こえて、しばらく手が動かなかった。

人を裏切った俺を、この人は枝の話で叱っている。

そう思った。

朝は現場で土を運び、石を据え、木を担いだ。

夜は定時制高校に通い直した。

眠くて、何度もノートに顔から突っ込んだ。

検定の前の晩、台所の机で図面を引いていると、母が夜食を置いていった。

握り飯と、沢庵と、湯呑みの白湯。

「早う寝んさいよ」

そう言った母の方が、隣の部屋でいつまでも起きている気配がした。

襖越しの気配に見守られて、俺は朝方まで机に向かった。

それでも辞めなかったのは、意地だった。

定時制の教室には、いろんな年の生まれが並んでいた。

六十を過ぎた漁師のじいさんが、隣の席だった。

「若いうちの学びは、荷にならんけえのう」

消しゴムを借りるたび、そう言われた。

母を安心させたい、という気持ちも、もちろんあった。

でもそれ以上に、あの路面電車の「ごめんな」を、あのままにしておけなかった。

母は相変わらず、朝の四時に家を出た。

俺も朝の五時に家を出た。

台所ですれ違う五分だけが、親子の時間だった。

「行ってきます」

「気を付けんさいよ」

たったそれだけの遣り取りが、あの頃の俺には、じゅうぶんだった。

俺の弁当が、いつの間にか二段になっていた。

現場仕事は腹が減るじゃろう、と母は言った。

売れ残りのコロッケは、もう入っていなかった。

味は、正直、揚げたてより売れ残りの方が好きだった。

そう言ったら、母は変な顔で笑った。

「あんたは昔から、へそ曲がりじゃけえ」

朝に揚げた、揚げたてのが入っていた。

初めての給金が出た日、俺は薬局でハンドクリームを買った。

一番高い、瓶入りのやつだ。

「肌に合うか分からんけえ」と、ぶっきらぼうに渡した。

母は「もったいない」と眉を寄せた。

眉を寄せながら、その晩から毎晩、寝る前に少しずつ使っていた。

ひと月経っても、瓶はほとんど減らなかった。

減らさないくせに、空になっても、母はその瓶を捨てなかった。

台所の窓辺で、あの瓶は今も、輪ゴム入れになっている。

※

二十歳の冬、造園技能士の検定に受かった。

定時制の担任と親方が、二人がかりで尻を叩いてくれた資格だった。

合格通知が届いた日、俺は封筒を作業着の胸に入れたまま、一日仕事をした。

手を止めるたび、胸の中で封筒が鳴った。

親方には、昼のうちに報告した。

「おう」

それだけ言って、親方は片頬で笑い、俺の頭に手拭いを投げた。

「早う帰って、母ちゃんに見せちゃれ」

夜、台所で母を待った。

九時過ぎ、油の匂いと一緒に母が帰ってきた。

「なんな、まだ起きとったん」

「母ちゃん。ちょっと、見せたいもんがあるんじゃ」

俺は、封筒を差し出した。

母は前掛けで手を拭いてから、両手でそれを受け取った。

中の紙を開いて、しばらく黙っていた。

「……難しい字ばっかりで、母さんにはよう読めんけど」

「合格、いうことじゃ。国家資格じゃけえ、いっぱしの職人いうことよ」

「……そう。……すごいんじゃねえ」

「それでな、母ちゃん」

俺は、ずっと言えなかったことを、やっと言った。

「俺、もう大丈夫じゃけえ。二度と、母ちゃんを裏切らんけえ」

母は、返事をしなかった。

返事の代わりに、崩れるように椅子に座って、声を上げて泣き出した。

両手で顔を覆って、子どもみたいに、しゃくり上げて泣いた。

合格通知が濡れんように、机の端に、きちんと置いてから。

俺は、立ち尽くした。

二十年間、この人の涙を一度も見たことがなかった。

警察でも、裁判所でも、泣かなかった人が、こんな紙切れ一枚で泣いている。

そこでようやく、俺は気づいたのだ。

母は、俺の前で泣かなかったんじゃない。

泣けなかったのだ。

母親が折れたら、この家は終わりだと、たった一人で歯を食いしばっていたのだ。

俺が眠った後の台所で、この人が何度泣いたか、俺は知らない。

知らないまま、二十年、守られていた。

台所の流しに、洗いかけの湯呑みがひとつ、伏せてあった。

母が毎晩、一人きりの台所で茶を飲んでいた湯呑みだ。

二十年、この湯呑みだけが、母の傍にいたのだ。

そう思ったら、もう駄目だった。

「……なんで母ちゃんが泣くんじゃ」

「嬉しいんよ」

母は顔を覆ったまま、くぐもった声で言った。

「嬉しゅうて泣くのは、初めてじゃけえ。……堪忍な、止まらんのよ」

俺も泣いた。

母より泣いたかもしれない。

台所の電灯の下で、親子二人、いつまでも泣いた。

途中から、どっちが泣いているのか、分からなくなった。

二十年分の涙というのは、一晩では、とても流しきれないものだった。

机の端の合格通知だけが、濡れずに残った。

※

あれから十五年になる。

親方は五年前に隠居して、俺は暖簾を分けてもらった。

今は若いのを一人、預かっている。

昔の俺と同じ目をした、口の悪いやつだ。

「木は、人の昔を訊かんけえの」

俺は受け売りの言葉を、そのまま渡した。

分かる日が来るのか、来ないのか。

それでも飯だけは、毎日食わせている。

あの頃の俺に、台所の布巾を掛けた飯がそうだったように。

俺は今も庭木を相手に働いている。

いっぱしの職人になったかどうかは、まだ自分では分からない。

母は市場を退めて、今は家の小さな庭で、野菜を作っている。

春には豆、夏には茄子、冬には大根。

出来の悪いのばかり俺に寄越すのは、昔のコロッケと同じ理屈らしい。

「不細工なんが、いちばん味がええんよ」

俺が仕立てた庭だ。

柚子の木の下に、母の好きな山茶花を植えた。

冬になると、母は縁側でそれを眺めながら、茶を飲む。

去年の冬、初めて母を温泉に連れて行った。

一泊だけの、近場の宿だ。

母は湯上がりに宿の庭の山茶花を見つけて、うちのより立派じゃねえ、と笑った。

それから、すぐに言い直した。

「うちのがええよ。あんたが植えたけえ」

その一言を、俺はしばらく忘れられなかった。

あかぎれは、もうない。

それでも母の手は、ざらざらして、温かいままだ。

この間、ふと訊いてみた。

「あの合格通知、まだ持っとるん」

「仏壇の引き出しに入っとるよ」

母は当たり前のように言った。

「お守りじゃけえ」

仏壇の引き出しには、もうひとつ入っているものがある。

あの家庭裁判所の日の、路面電車の切符だ。

二枚、並べて。

母がなぜあの日の切符を取っておいたのか、訊いたことはない。

訊かないまま、俺も自分の財布に、初任給でハンドクリームを買った日の領収書を入れている。

親子というのは、そういうものなのかもしれない。

俺はもう、何も言えなかった。

親孝行は、まだ途中だ。

けれど、あの夜の涙の意味を忘れない限り、道を間違えることは、もう二度とないと思う。

母さん、あの時、泣いてくれてありがとう。

あなたが泣けなかった二十年を、これからの二十年で、笑いに変えていくから。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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