
私は3年のあいだ、先生の右手の薬指を、一度も見なかった。
見なかったというより、見せてもらえなかった。
毎月第1火曜の夕方、先生は決まってその指だけを軽く折り、手のひらの内側へ隠してしまう。
「そこはいいから」
それが合図だった。
私が塗らせてもらえるのは、いつも9本。
3年で36回、私は同じ指を避けて筆を動かしてきた。
理由を訊かなかったのは、この椅子が、もともと先生のものだったからだ。
浜見駅の東口を出て、線路沿いに2分。
古い中央ビルの4階に、私の店はある。
「ハコ」という名前をつけたのは先生だ。
四畳半ほどの部屋にベッドが1台と椅子が2脚、それだけの箱だから、という理由だった。
エレベーターは昇るのに時間がかかり、扉が開くたび、1階のカレー屋の匂いを一緒に運んでくる。
窓の外はすぐ線路で、上りの各駅停車が通ると、ガラスが低く鳴る。
冬は暖房の効きが悪いので、私は開店の30分前から電気ポットの湯を沸かし、タオルを温めておく。
これは先生のやり方を、そのまま真似ているだけだ。
先生――深沢佐和子さんは、65歳になる。
30年以上この部屋で人の爪を塗り続け、3年前に筆を置いた。
手が震えるようになったからだ。
本態性振戦という名前を、私はそのとき初めて知った。
病気ではあるが、命に関わるものではない、と医者は説明したらしい。
命に関わらないというのは、便利な言い方だと思う。
筆を持つ人の手からまっすぐな線を奪っても、それは「関わらない」の側に入るのだから。
先生が引退したその月から、私はこの部屋を借りている。
つまり私は、先生が座れなくなった椅子に、座った人間だ。
3年経っても、その事実の角は、まだ少しも丸くなっていない。
賃貸の名義を書き換えた日のことを、私はよく覚えている。
不動産屋の窓口で、先生は私より先に判を出して、さっさと押してしまった。
「早くしないと、あんた泣くでしょ」
泣きませんと言い返したのに、駅までの道で、結局ひとりで泣いた。
※
初めて先生に会ったのは、19歳の春だった。
駅前の専門学校の実習室は、除光液の匂いが天井まで染みついていて、換気扇はいつも力なく回っていた。
私は手先が器用なほうだと、そのときまでは思っていた。
最初の実習で、先生は教室をひと回りして、私の手元だけで足を止めた。
「あんた、迷いすぎ」
そう言って、私の引いたラインを指の腹でこすって消した。
「筆は正直だからね。迷った分だけ、線が太くなる」
私はむっとして、もう一度引いた。
今度は何も言わず、先生は代わりに自分の手を差し出した。
「じゃあ、塗ってみて」
差し出されたのは、右手だった。
19歳の私は、震えもしない、よく手入れされた乾いた手に、生まれて初めて他人のための色を置いた。
緊張して根元を空けすぎ、白い隙間が三日月みたいに残った。
「根元を空けすぎるのが、あんたの悪い癖」
先生はその指を目の高さまで上げて、しばらく黙って見ていた。
それから、笑いもせずにこう言った。
「でも、まっすぐだ」
卒業して、私はそのまま「ハコ」で働くことになった。
5年間、私は先生の隣で、湯を沸かし、タオルを畳み、人の爪を削り続けた。
先生は客の名前を、顔ではなく匂いで覚える人だった。
「今の、宮田さんでしょ」
エレベーターの扉が開いた音だけで、そう言い当てる。
「なんで分かるんですか」
「ハンドクリームが違うもの。宮田さんは、あの薬っぽいやつ」
実際、宮田さんは毎回、孫の写真を10枚は見せてくる人で、先生はその全部に律儀に感想を言った。
「この子、目はお父さん似ね」
「そうなの、それがねえ、困るのよ」
宮田さんが帰ったあと、先生は小さな声で私に言った。
「あの子の父親、私、一度も見たことないけどね」
私は笑いをこらえながら、使い終わったコットンを捨てた。
忘れられない客がいる。
私が働きはじめて2年目の秋に来た、20代のはじめくらいの女の人だった。
爪を噛む癖のある人で、10本とも、指の腹のほうが爪より高く盛り上がっていた。
その人は椅子に座るなり、両手をぎゅっと握って、こう言った。
「笑わないでください」
私は、どう返せばいいのか分からなかった。
先生は、その握った手を上から包んで、ゆっくり開かせた。
「うちは、爪を見に来るところじゃないの」
そして、盛り上がった皮膚を避けて、根元の細い三日月にだけ色を置いた。
その人は、それから月に一度、1年半通った。
最後のほうには、先端に白いラインが引けるくらいまで伸びていた。
ラインを引き終えたとき、先生は何も言わず、私にだけ聞こえる声でこう言った。
「人の爪はね、その人が何を我慢してるかを、勝手にしゃべるのよ」
私はそのとき、それをきれいな言葉だと思って、手帳に書き写した。
自分の先生の指に当てはめて考えることは、10年近く、一度もなかった。
隣は丸尾さんの整体院で、壁が薄いので、施術中の呻き声がときどき漏れてくる。
「深沢さん、うちの客が痛がってる横で、よく笑えるね」
「丸尾さんこそ、うちの客がくつろいでる横で、よく人を痛めつけられるね」
2人はその挨拶を、私が働きはじめてから辞めるまで、飽きもせず繰り返していた。
※
異変に最初に気づいたのは、たぶん私だった。
6年目の冬、先生の引いたフレンチのラインが、0.5ミリだけ膨らんでいた。
0.5ミリは、客には見えない。
けれど、隣で5年見てきた人間には見える。
「今日は湿度がね」
先生はそう言って、その指をやすりで削り直した。
湿度の話は、その冬のあいだに5回聞いた。
翌年の春、先生のラインは、誰の目にもはっきりと二重になった。
塗られていたのは、20年通っている常連の方だった。
その人は自分の指をしばらく眺めてから、明るい声で言った。
「あら、これ、流行りのやつ?」
先生は「そう、最近こういうのが」と答えて、二重の線をそのままにした。
その日の帰り、先生はビルの階段の踊り場で、右手を左手で強く握っていた。
握れば止まると、まだ思っていたのだと思う。
実際には、止まらなかった。
翌月から、先生は自分の予約枠を少しずつ減らしはじめた。
客には「弟子のほうが上手いから」と言い、私には何も言わなかった。
最後の1年、先生が受け持ったのは、色を置くだけでいい人ばかりになった。
線を引かなくていい人、という意味だ。
その年の暮れ、宮田さんが「深沢さんにお願いしたい」と予約を入れてきた。
先生は受話器を置いてから、しばらく棚のほうを向いていた。
当日、先生は宮田さんの爪に、線を1本も引かなかった。
桜色を薄く2度重ねて、それで終わりにした。
宮田さんは、いつもより長く自分の手を眺めてから、こう言った。
「深沢さん、私、この色がいちばん好きよ」
孫の写真は、その日は1枚も出てこなかった。
先生が筆を置くと決めた日、私は先に泣いてしまって、まるで役に立たなかった。
先生は道具箱を私の膝に押しつけて、こう言った。
「持って帰って。捨てるの、面倒だから」
中には、柄の削れた筆が7本入っていた。
私が「使えません」と言うと、先生は「使えとは言ってない」と返した。
それから、エレベーターの前で、思い出したように振り向いた。
「あんた、この店3年もたせてごらん」
「もたせたら?」
「3年もったら、いっぺんだけ、あんたの爪を私に塗らせてよ」
私は笑った。
「先生、3年後には忘れてますよ」
「忘れないよ」
扉が閉まった。
※
翌月の第1火曜の夕方、先生は客として、この部屋に来た。
予約表に自分で「深沢佐和子様」と書き込むとき、私はいつも少し息を止める。
先生は必ず17時ちょうどに来て、必ず114番を選んだ。
くすんだ桜色で、20年前から棚にある、いちばん売れない色だ。
そして椅子に座るなり、決まってこう訊いた。
「今日は何分?」
私が「たぶん、50分くらいです」と答えると、先生は小さく頷いて、目を閉じる。
腕を測られている。
ずっとそう思っていた。
9本を塗り終えると、先生は右手を裏返して、薬指だけを折る。
「そこはいいから」
私は「はい」と言って、コットンを畳む。
3年で36回。
私は一度も、訊かなかった。
正直に書いておく。
第1火曜の17時が近づくと、私は少し息が浅くなった。
試験の日みたいだ、と思っていた。
売上のことも考えた。
材料費は上がり、予約アプリの手数料も上がり、SNSに載せる写真は、私より若い子たちのほうがずっと上手い。
月に一度だけ来て、いちばん売れない色を選ぶ65歳の客は、経営という意味では何の助けにもならない。
それでも私は、その1枠だけは誰にも売らなかった。
気を遣って通ってくれているのだ、と自分に言い聞かせていた。
先生は私の腕を確かめに来ていて、薬指を隠すのは、動かなくなった指を見せたくないからだ、と。
その説明で、3年ぶんの火曜日に、私は蓋をしていた。
※
3年目の9月。
第1火曜の予約表に、先生の名前がなかった。
電話もメッセージも来なかった。
17時から18時まで、私は誰も座っていない椅子を二度拭いて、湯を沸かし直した。
棚から114番を出して、また戻した。
18時を過ぎてから、こちらから連絡しようとして、やめた。
年に一度くらい、体調で来られない月はあったし、そのたび先生は理由を言わなかった。
訊かない、というのが、この3年で私たちのあいだにできた形だった。
翌日の昼、丸尾さんが壁を叩いて私を呼んだ。
「深沢さん、転んだって」
川沿いの道で自転車を避けてよろけ、右の手首を折ったのだという。
知らせてきたのは、月に何度か様子を見に来ている姪の真柴さんだった。
私はその日の予約を2件ずらして、道具箱を提げて、川沿いのアパートへ向かった。
9月の終わりだというのに、その日は蒸し暑かった。
階段の踊り場には、蜘蛛の巣が張ったままの消火器が置いてあった。
ドアを開けたのは真柴さんで、こちらが名乗る前に「あ、ハコの」と言った。
「叔母、頑固で。病院も、ひとりで行くって聞かなくて」
奥から「聞こえてる」と声がした。
真柴さんは肩をすくめて、買い物に行ってきますと言って出ていった。
先生の部屋は、店とよく似た匂いがした。
アセトンと、ハンドクリームと、少しの埃。
右手は手首から先を白く固められて、指だけが外に出ていた。
「みっともないから、来なくていいって言ったのに」
「言われてません」
「今、言った」
私は笑って、湯を沸かしていいですかと訊いた。
先生は台所を顎で指した。
扇風機が首を振るたび、テーブルの上の薬袋がかさりと鳴った。
台所は、驚くほどきれいに片づいていた。
流しの縁に、使い込んだやすりが3本、輪ゴムでまとめて立ててあった。
爪を整えるためのものだが、3年も塗らない人が、なぜ手元に出しているのだろうと思った。
そのときは、それだけだった。
湯が沸くのを待つあいだに、私は見てしまった。
ギプスから出た右手の、薬指を。
そこに、桜色が乗っていた。
114番だった。
ただし、私が塗るものとは、まるで違った。
厚ぼったくて、二度塗りの境目が段になっていて、先端の縁だけが妙に薄い。
そして根元には、白い三日月がひとつぶん、きれいに空いていた。
「……誰かに、塗ってもらったんですか」
「ヘルパーさんがね。暇なときに」
「ヘルパーさん、お上手ですね」
「下手でしょ」
先生は指を隠さなかった。
ギプスのせいで、隠せなかったのだ。
私は湯を止めて、その指をもう一度見た。
根元の空け方。
先端で筆を寝かせて、最後に力を抜く癖。
19歳の私の癖だった。
※
台所の隅に、新聞紙が畳んで置いてあった。
先生はテレビも新聞も取らない人で、店の棚を拭くときにも、いつも布しか使わなかった。
私は湯呑みを探すふりをして、その新聞紙を持ち上げた。
下にもう1枚、その下にもう1枚。
どれにも、桜色が点々と落ちていた。
拭き取った跡ではない。
何かをそこに置いて、その周りにはみ出した色だった。
私は数えた。
9つ、18、30を過ぎたところで、やめた。
新聞紙に残っていたのは、どれも、右の薬指ひとつぶんの桜色だった。
「先生」
私が呼ぶと、先生は扇風機のほうを向いたまま答えた。
「湯呑みは、上の棚」
「先生」
しばらく、上りの電車の音がした。
店で聞くのと同じ音が、川を渡ってここまで届くのだと、そのとき初めて知った。
「左手で、塗ってたんですね」
先生は答えなかった。
私は続けた。
「私の、昔の塗り方で」
先生は、ギプスの縁を左手の親指でこすった。
その左手の、人差し指と中指の腹に、硬いものがあった。
筆を握る人間にできるタコだ。
3年前に筆を置いたはずの人の手に、新しいタコがあった。
「41分」
先生は、私の顔を見ずに言った。
「それが、私の持ち時間なの」
意味が分からず、私は黙っていた。
「震えの弱い日にね、机に肘をついて、息を詰めて、それでまっすぐでいられるのが、だいたい41分」
「……じゃあ、毎月訊いてた『今日は何分』って」
「あんたが1人にかける時間」
先生は、そこで初めてこちらを向いた。
「最初の年、あんた78分かかってた。去年、50分。この前、43分」
私が奪ったと思っていたものを、先生はずっと、借りていたのだ。
私は床にしゃがみ込んだまま、しばらく立てなかった。
「3年もったら、いっぺんだけ塗らせてって、言ったでしょ」
「……はい」
「言った以上は、下手なもの塗るわけにいかないじゃない」
先生は、そこで少しだけ笑った。
「9本は、あんたの手を見るため。1本は、私の手が、まだ間に合うかどうか」
「どうして、私の昔の癖で塗ってたんですか」
先生はしばらく黙ってから、こう答えた。
「あんたの手を、借りてるのよ」
「え」
「自分の手が言うことを聞かないんだから、覚えてる手つきを借りるしかないでしょう」
先生は、ギプスの中の指を少し動かした。
「19歳のあんたの手なら、いちばん近くで、いちばん長く見てたから」
湯はとっくに沸いて、勝手に切れていた。
私は結局、お茶を淹れなかった。
代わりに、持ってきた道具箱を開けて、柄の削れた筆を1本、テーブルに置いた。
先生は何も言わず、それを左手で取った。
指の腹の硬いところが、ちょうど筆の柄に収まるのが、私の場所からも見えた。
※
11月の第1火曜。
ギプスの取れた先生が、17時ちょうどに「ハコ」の扉を開けた。
私は椅子を先生のほうへ回して、自分が客の側に座った。
「今日は何分?」
先生が訊いた。
「41分で、お願いします」
先生は鼻で笑って、114番の蓋を開けた。
右手の薬指に筆が入ったとき、その手はやはり震えて、線は途中で一度、外へふくらんだ。
先生は直そうとして、やめた。
私も、何も言わなかった。
1本を塗り終えるのに、31分かかった。
持ち時間には、まだ10分残っていた。
「そこがいちばん、難しいのよ」
先生はそう言って、筆を置いた。
窓の外を、上りの各駅停車が通っていった。
私の右手の薬指には、まっすぐでない線が、いまも1本残っている。
落ちたら、また塗ってもらう。
そのために私は、この店を、もう3年もたせようと思っている。