せかいでいちばんのしあわせ
母が遺したのは、ひらがなだけの短い手紙でした。押入れの箱の底から出てきた十九枚の書き損じと、右手の親指だけが少し太い七組の手袋。手袋の町で育った私が、二十八年目…
母が遺したのは、ひらがなだけの短い手紙でした。押入れの箱の底から出てきた十九枚の書き損じと、右手の親指だけが少し太い七組の手袋。手袋の町で育った私が、二十八年目…
保健センターの母子教室に迷い込んできた、おばあさんと二人の男の子。袖口のほつれを見もせずに継いだその手つきの意味を知ったのは、半年後、桐生の織物工場の休憩所でし…
祖母は六十年、毎朝仏壇に向かって貴様と呼びかけていました。悪態だと思っていたその一語の意味が、北満の守備隊にいた祖父の残した一枚の薬包紙と最後の軍事郵便で反転し…
浜に流れ着いた浮子は底を上にして置く——それが加瀬浦の決まりごとでした。あの子が繰り返した「うちの印、覚えとって」の意味を、私は四十年かけて知ります。約束の前日…
三度目の流産に泣く妻の隣へ、産科の待合室で見知らぬ五分刈りの男の子が二つの指輪を差し出しました。水色だけが白く曇っていた理由を知ったのは、六年後の祭りの夜のこと…
結婚の報告に帰省した晩、父から血の繋がりがないと打ち明けられました。知っているよ、と答えた息子。けれど三十年分の運行日誌の余白には、三歳の私が乗った日のことだけ…
淡路の線香屋のもとへ、五年も遅れて亡き妻からの手紙が届きました。同封されていた細い紙は、五年経ってもまだ匂ったのです。なぜ五年だったのか。香りの長さに託された約…
四歳の私に母は「日曜日かな」と言い残して出て行きました。筑豊の炭住で玄関を見つめ続けた三十年、物干しの黄色い洗濯ばさみだけがなぜ褪せなかったのか。祖母の手帳と五…
昭和三十四年、瀬戸内の小さな島でたった一人の医者だった私が立ち会った、忘れられない輸血の話です。注射の列でいつも最後尾に下がっていた少年が、その日だけは一番先に…
不倫を四年続けた私が、機械の苦手な妻に携帯メールを教えました。十日後に届いた一通は、濁点も改行も抜けた不器用な文章。後日カレンダーの裏に見つけた九枚の練習書きが…
十四年前の土砂災害の夜、暗い土の中で握られ続けた小さな手がありました。声を失っても口を動かし続けた元救助隊員と、その咳払いだけを頼りに朝を待った娘が再会する泣け…
地震で水道が止まった能登の坂道。豆腐屋の店先に伸びた列で、三度並んで三度とも順番を譲った彫り物の男は、湯気にだけ礼を言って去りました。誰も名前を知らないその人が…
十勝の除雪車に乗る私は、兄の長靴がなぜ右足だけすり減るのか知らずにいました。封も切られぬままロッカーの底に眠っていた合格通知、柱に一本もない兄の背比べの線、二十…
深夜の土石流で母と妹を失った、十四歳の夏でした。救助にあたった自衛隊員がこぼした「ごめんなぁ」という一言の本当の意味を、私は十九年後、堰堤の草を刈りながら知るこ…
雪深い温泉町で、十九歳の私は独りで娘を育てていました。玄関の履物をいつもそろえてくれた咲。あの子が遺した小さな習慣の本当の意味に私が気づいたのは、何年もあとのこ…