二十年先の材に引いた線
雨の降りだした駐車場で、二台の車から同時に送り合った二通のメール。余命の告白と妊娠の報告は、なぜか一行目だけが同じでした。和歌山・新宮の製材所で三代にわたって引…
雨の降りだした駐車場で、二台の車から同時に送り合った二通のメール。余命の告白と妊娠の報告は、なぜか一行目だけが同じでした。和歌山・新宮の製材所で三代にわたって引…
一九九五年一月十七日の朝、神戸・魚崎の文化住宅で私と倫子を隔てたのは一メートル半でした。前の晩の些細な言い合いで別々に敷いた布団。その位置に彼女の答えが隠れてい…
「沖縄に行かない?」という母の電話を、就職活動中の私は五分で切りました。半年後、母は逝きました。四十九日のあとに叔母が持ってきた絵日記の写真の裏には、母の字で七…
東京に来ないかと誘うたび、母は人ごみが苦手やからと断った。その母の鏡台の引き出しから出てきた十二年前のガイドブックには、浅草にも焼肉屋にも赤鉛筆の線が引いてあり…
山形・天童で将棋駒を彫る父が、三歳半の息子に初めて「とおしゃん」と呼ばれた朝の話です。妻は入院中の毎晩、おなかの子に三文字だけを教え、七年かけて二十三枚の歩兵を…
祖母の鏡台には、三センチまで削って止まった鉛筆が一本あります。戦後まもない教室で、島田先生の髪が腰まであった理由と、それが一晩で短くなった朝のこと。教壇に置かれ…
入院の前に一枚だけ撮った家族写真を、父は最後まで見ようとしませんでした。病院から荷物を引き揚げた日、その台紙は何十年も前の物のように白く曇っていたのです。写真の…
中学一年で図書委員だった彼が、転校の前日に真っ白なCDを黙って渡してきました。怖くて二十六年しまい込んだその一枚を再生した日、図書館の貸出カードの一つ上の欄が意…
福井・鯖江の眼鏡フレーム工場で、削りの音だけを頼りに生きてきた父親の話です。三歳の娘の難聴を告げられた冬、家じゅうの戸がいつも五センチだけ開けてあった理由と、台…
山口・下関の路線バスを二十六年運転した男性の話です。毎朝同じ便に乗る女子高生が、料金箱の前で必ず小銭を二度に分けて入れていました。その三秒が誰のために使われてい…
富山の氷見、網を繕う家の祖母は、月の出る晩だけ雨戸を一枚だけ閉め残した。潮風で網が湿るのに、なぜ。締め忘れだと思っていた孫は、三度の願いごとがどれも叶わないまま…
事故で足が動かなくなった私が通れる店は、なぜか毎年少しずつ増えていきました。商店街の入口にはめられた木のスロープは、どれも手前の角の落とし方が同じです。乾物屋の…
高知・四万十の川漁師の家に生まれた私が、二十七歳ではじめて知った自分の出生の話です。窪川の祖母の家の大黒柱に二本ずつ並んでいた鉛筆の傷。その薄い三本を刻んでいた…
二十二歳の老犬を連れて動物病院へ通う大谷さんは、診察のたびに首輪を外して自分の手首に巻く人でした。小雨の夕方にタクシーを断り、歩いて帰ったその背中の意味を、私は…
香川・小豆島の全校八十人ほどの中学校で、一年ぶりに退院して戻ってくる同級生のために、弟が誰にも言わずに丸坊主になりました。翌朝の教室は坊主だらけ。島にたった一軒…