震災で亡くした彼女

浜に流れ着いた浮子(あば)は、底を上にして置く。

誰の家のものか、そこを見んと分からんからだ。

加瀬浦では、子どもでも知っていた。

私は今年で五十七になるが、いまだにその手つきだけが変わらない。

拾う。

砂を払う。

返す。

それだけのことを、四十年、繰り返している。

加瀬浦は、日本海に細長く突き出た半島の、内側の付け根にある。

冬は西からの風がまともに当たり、夏は逆に、油を流したように凪ぐ。

家は四十軒ほどだった。

そのうち十二軒が、定置網の株を持っていた。

網起こしは、まだ暗いうちに始まる。

私は小学校に上がる前から、父の船に乗せられていた。

甲板の氷は、素足で踏むと最初は熱いように感じる。

そのあとで、じわりと足の裏の形に融ける。

父はほとんど喋らない人だった。

かわりに、手のひらで私の背中を叩く回数で用件を伝えた。

一回なら、そこをどけ。

二回なら、綱を持て。

三回叩かれたことは、四十年で二度しかない。

網の浮子には、家ごとの印が焼いてある。

木戸の家は、丸に木。

うちは、角に一。

網が切れて流れれば、浮子は必ずどこかの浜に着く。

着いたら底を見て、印の家に返す。

返してもらった家は、次に誰かの浮子を拾ったときに返す。

それだけの決まりごとで、この浦は百年ばかり回っていた。

木戸ちづるは、その丸に木の家の、下の娘だった。

初めて口をきいたのは、中学三年の秋だ。

台風のあとの浜で、私が浮子を七つ拾って並べていたら、後ろから声がした。

「それ、五つはうちのやよ」

振り向くと、制服のまま、素足に長靴を履いた女の子が立っていた。

まだ底を返してもいないのに、なぜ分かるのかと訊いた。

ちづるは、浮子のひとつを持ち上げて、底を私のほうへ向けた。

「焼き印はな、押した人の癖が出るんや。うちのは、じいちゃんが左利きやったけん、丸がちょっとだけ潰れとる」

そう言われて見ると、たしかに、丸の右下がわずかに平たい。

言われるまで、私は十四年、それに気づかなかった。

その日から、浜で拾う浮子の底が、急に賑やかになった。

同じ丸に木でも、押した年によって潰れ方が違う。

祖父の押したものと、父の押したものと、母の押したものが、ひとつの砂の上に混ざっている。

浦の百年が、指先の下にあった。

高校は別々になった。

私は町の水産科に、ちづるは峠を越えた先の高校に通った。

朝のバスは、峠の下で二手に分かれる。

私は右、あの子は左。

それでも週に三度は浜で会った。

会うといっても、たいしたことはしていない。

ちづるは網の修繕小屋で母親の手伝いをし、私は父の下で浮子を仕分ける。

その合間に、防波堤の根元に並んで座って、菓子パンを半分こにするくらいのものだった。

あの子は、必ず自分のほうを先に選んだ。

そして必ず、大きいほうを私の膝に置いた。

「なんで先に選ぶんや」

「選ばれるの、待つの、しんどいけん」

そういうことを、平気な顔で言う子だった。

二年の冬に、いちどだけ喧嘩をした。

西風の強い日で、修繕小屋の戸が閉まらず、砂が床を這っていた。

私は網針の使い方をちづるに教わっていて、何度やっても目が揃わなかった。

苛々して、網を投げた。

ちづるは何も言わずに、それを拾って膝に広げ、私がほどいたところを黙って結び直した。

十分ほど、風の音だけがしていた。

それから、顔も上げずに言った。

「うち、あんたが下手なんは、なんとも思わん」

「じゃあ何や」

「投げたのが、いやや」

母親のミツヱさんが、奥から茶を持ってきて、私たちを見比べた。

それから、娘の頭を軽くはたいて言った。

「ちづる、あんたのは説教が長い。網より長い」

ちづるは口をとがらせたが、その口の端が、少しだけ上がっていた。

私は網針を握り直した。

その日、目は揃わないままだった。

木戸と、うちとは、昔から折り合いがよくなかった。

祖父の代に、瀬の使い分けで揉めたのだと聞いている。

網を張る場所は、浦の中でも一等地と、そうでないところがある。

その線引きで、二軒はひと冬、口をきかなかったらしい。

私が生まれたころには、もう表向きは収まっていた。

収まってはいたが、寄合の席で、父と木戸の父親が並んで座ることはなかった。

浜で行き合っても、互いに顎を引くだけだ。

ちづるとのことを、私は父に一度も話していない。

話さないほうがいい、と、あの子のほうが先に言った。

「うちの親父も、あんたの親父も、面倒くさいけん」

そのときは笑って済ませた。

二軒の印をひとつに重ねるということが、どれほどの話だったのか。

私はまだ、そこまで考えが及んでいなかった。

あの子には、妙な癖があった。

浮子を拾うたびに、底の焼き印を、必ず親指の腹でひとなでする。

拾ってすぐ、返す前に、一回だけ。

「なんでいちいち触るんや」

「触ったら覚えるやろ。目より、指のほうが覚えとる」

そのくせ私が同じことをすると、あの子は笑った。

「あんたのは、なぞっとるだけや」

兄の宏之さんは、そういう妹を持て余していた。

五つ上で、すでに網に出ていた人だ。

浜で私と行き合うと、顎をしゃくって、こう言うのが挨拶だった。

「あれ、まだ理屈言うとるか」

私が「言うとります」と答えると、宏之さんは鼻から息を抜いて、何も言わずに行ってしまう。

その背中を見送りながら、ちづるは決まって同じことをつぶやいた。

「兄ちゃんは、しゃべらんのが優しさやと思うとる」

高校二年の春、ちづるは急に、同じことを何度も言うようになった。

「うちの印、ちゃんと覚えとってな」

丸に木。

丸の右下が、ちょっと平たい。

そんなもの、この浦の人間なら全員が覚えている。

私が「わかっとる」と返すと、ちづるは決まって首を振った。

「わかっとる、やない。覚えとって、や」

意味が分からなかった。

ただ、あの子が同じ言葉を三度以上繰り返すのは珍しかったので、そのときの声の高さだけは、耳に残った。

五月の半ばだった。

修繕小屋の前で、ちづるは長靴のかかとで地面をこすりながら言った。

「あさって、浜に来て。昼から」

「なんかあるんか」

「あるけど、まだ言わん」

「今日でもええやろ」

「あかん。あさってやないと、まだ出来とらんもん」

私は「ふうん」とだけ答えた。

あさってが来ないことなど、そのときの私は、考えたこともなかった。

翌日の昼過ぎに、地面が鳴った。

音が先で、揺れが後だった。

教室の窓枠が、外れかけの戸のようにがたついた。

収まってから、誰かが「海」と言った。

そこから先のことを、私は順番どおりには思い出せない。

覚えているのは、坂を駆け上がる人の背中と、境内の砂利の白さと、自分の口の中が塩辛かったことくらいだ。

加瀬浦の低いところは、その日の午後に、二度水をかぶった。

木戸の家は、浜からいちばん近い並びにあった。

私は境内から下を見ていた。

二度目の水が引いたあと、屋根がひとつ、防波堤の外側に浮いていた。

それが誰の家の屋根なのか、そこからでは分からなかった。

分からないまま、私は何度も瓦の数を数えた。

それからの一週間を、私は公民館で過ごした。

畳の上に毛布を敷いて、四十人ばかりが並んで寝た。

電気が戻らないので、夜は早く、朝も早い。

誰かのラジオが、朝と晩に短く鳴った。

三日目の朝、炊き出しの列で、宏之さんを見かけた。

並んではいなかった。

汁の入った鍋の脇に立って、椀を配る側にいた。

あの人は、その一週間、一度も座らなかったと後で聞いた。

夜になると、宏之さんは浜へ下りた。

暗いのに、何をしているのかと思って、いちど後をつけたことがある。

ただ、水際に立っていた。

足元に、拾い集めた浮子が、底を上にして並べてあった。

私は声をかけずに戻った。

戻る途中で、自分の指が、まだ砂を握ったままだったことに気づいた。

父に三度背中を叩かれた二度目は、その一週間の終わりだった。

公民館の裏で、私がひとり、浮子を数えていたときだ。

父は何も言わずに、私の背中を三回叩いた。

それから、木戸の家があった並びのほうへ、顎を向けた。

行ってこい、という意味だったのだと思う。

私は動けなかった。

父はそれ以上、何もしなかった。

ただ、その日から浜へ出るとき、必ず私を連れて行くようになった。

寄合の帰りに、木戸の父親の位牌へ手を合わせて出てきたことも、あとで母から聞いた。

四十年、口をきかなかった相手の家である。

三日目に、浜へ下りることを許された。

砂の上に、家の中にあったはずのものが並んでいた。

茶碗。

片方だけの長靴。

ほどけた網。

そして、数えきれないほどの浮子。

大人たちは、まず浮子から拾った。

拾って、底を上にして、砂の乾いたところに並べていく。

四十年経った今でも、あの並びを思い出すことがある。

丸に木。

角に一。

三本線。

山に二。

誰も、ひとことも喋らなかった。

喋らずに、ただ、底を上にして置いていった。

浦の外から来た人が、それを見て不思議がった。

家も道もこんなになっているのに、なぜ木の玉ばかり並べているのか、と。

宏之さんが、その人に短く答えた。

「返す先が、まだあるけん」

ちづるとその両親が見つかったのは、それから四日後だと聞いた。

私は身内ではないので、そばへは行けなかった。

木戸の家の伯母さんが、私の肩に手を置いて、一度だけ強く押した。

それが、行くな、という意味なのか、済まん、という意味なのか、いまだに分からない。

私は浜へ戻って、また浮子を拾った。

拾うしか、することがなかった。

その中に、ひとつだけ、見たことのない印があった。

丸の中に、一が一本、まっすぐ通してある。

丸に木でもなく、角に一でもない。

加瀬浦の十二軒の、どこの印でもなかった。

焼きたてらしく、縁の木肌が、まだ薄く焦げて盛り上がっていた。

指を当てると、かすかに、松脂の匂いがした。

その浮子を、私は誰にも見せずに持ち帰った。

返す先が分からない浮子を持っているのは、この浦ではよくないことだ。

それでも返せなかった。

一週間ほどして、私は峠の下の鍛冶屋へ行った。

徳蔵さんという、耳の遠い爺さんがひとりでやっていた。

焼き印の鏝は、昔からこの人が打っていた。

土間に入ると、火床の炭がまだ赤く、犬が一匹、灰の脇で腹を出して寝ていた。

私が浮子を差し出すと、徳蔵さんは眼鏡を上げ下げしてから、鼻を鳴らした。

「これ、うちの仕事や」

「誰の頼みですか」

「木戸の下の娘」

徳蔵さんは、火床の脇の棚から、油紙にくるんだ小さな鏝を出してきた。

柄はまだ削りたてで、白かった。

持たせてもらうと、思っていたより重かった。

「三月から通うとった。丸の中に一を通す、いうて。何度も直させよってな、うるさい娘やった」

「何を直させたんですか」

「丸や。右下を潰せ、いうて聞かん。わしはまっすぐ打つのが仕事やのに、わざわざ歪めさせよる」

徳蔵さんは、そのときだけ、少しだけ笑ったように見えた。

「これは」

「あさって取りに来る、いうとった日の、前の日や」

私は、その鏝を受け取らなかった。

受け取れなかった、というほうが正しい。

徳蔵さんは、油紙を巻き直しながら、独り言のように言った。

「印は、家の数だけあるもんや。増えるときは、家が増えるときやな」

犬が、灰の中で寝返りを打った。

あの子が「覚えとって」と繰り返していたのは、木戸の印ではなかった。

これから作る印のほうだった。

丸に木の丸と、角に一の一。

二軒の印を、ひとつに重ねたものだった。

しかも、丸の右下は、じいちゃんの癖のまま潰してある。

新しくするのに、古いところだけは、そのまま持っていくつもりだったのだ。

あさっての昼に、浜で見せるつもりだった。

私はそれを、四十年かけて、少しずつ理解した。

一度に分かったのではない。

分かるたびに、また分からなくなった。

なぜ、その日でなければいけなかったのか。

それを知ったのは、ずっと後になってからだ。

十年ほど前、宏之さんが酒の席で、思い出したように言った。

「あいつ、親父に一遍だけ、ものを頼みに行っとる」

「何をですか」

「浮子に、うちの印以外を焼いてええか、いうて」

木戸の家では、網の道具に他家の印を入れることを、決して許さなかったという。

ちづるは三度断られ、四度目に父親が折れた。

折れた日が、あの五月の、地震の二日前だった。

「親父はな、その晩だけ、酒をよう飲んどった」

宏之さんは、そこで一度、猪口を置いた。

「あさってでええ、いうて言うたのは、親父や。焼くとこを見てやる、いうて」

私は返す言葉を探して、見つからなかった。

宏之さんは、私の顔を見ずに、こう続けた。

「おまえに見せるんやのうて、おまえに押させるつもりやったんやと思う」

浦は、その後ゆっくりと形を変えた。

防波堤が高くなり、定置網の株は三軒に減った。

私は父の跡を継いで、網の道具を直す仕事をしている。

父は十二年前に、母は六年前に、それぞれ静かに逝った。

妻をもらわなかったことを、母は最後まで気にしていた。

だが、寂しいと思ったことは、不思議とない。

浜に下りれば、いつでも底を上にした浮子が並んでいる。

あれは、返す先を待っている形だ。

待たせている、という気持ちが、私をこの浦に留めた。

春先には、町から来た若い衆に、印の見方を教える。

丸の潰れ方が違うでしょう、と言うと、たいてい、みんな首をかしげる。

目では分からんよ、と私は言う。

親指で、と。

去年の秋、木戸の伯母さんの葬式で、久しぶりに親戚が集まった。

そのとき、伯母さんの娘さんが、私に古い菓子箱を差し出した。

中に、ちづるの手帳が入っていた。

五月の欄に、丸に一の印が、鉛筆で何十個も描いてあった。

どれも、丸の右下が、わずかに平たかった。

あの子は、じいちゃんの癖まで、そのまま写し取ろうとしていた。

その隣に、小さな字でこう書いてあった。

「ゆびでおぼえてもらう」

私は手帳を閉じて、しばらく箱の縁を見ていた。

あの子は、私が印を目で覚えることを、はじめから諦めていたのだ。

触らせるつもりだった。

あさっての昼に、私の親指を、焼きたての印の上に乗せるつもりだった。

徳蔵さんは、平成の終わりに亡くなった。

鍛冶屋はそのまま閉じ、峠の下の土間には、しばらく板が打ってあった。

今年の春先に、その孫だという人が、私の作業場を訪ねてきた。

五十くらいの、背の低い人だった。

油紙の包みを、両手で差し出された。

「祖父が、棚のいちばん上に、これだけ残しておりました」

包みを開くと、あのときの鏝が出てきた。

柄の白さは、飴色に変わっていた。

頭のところだけが、四十年前と同じ黒さで残っていた。

「渡す相手が、決まっとる、と申しておりました」

「名前は、言うとりましたか」

「いえ。浮子を持ってきた子や、とだけ」

私はその日、作業場の火を落としてから、鏝を握ってみた。

丸の中を、一本の線が通っている。

右下だけが、わずかに平たい。

押す木は、いくらでもある。

押さなかった。

印というのは、押す相手が要るものだからだ。

今も、拾った浮子は底を上にして置く。

四十年、私はそればかりしている。

丸の中に一を通した浮子は、あれ一つきりで、二度と浜に上がらない。

あの印を持つ家は、この浦には、まだ無い。

土曜の朝になると、今でも浜へ下りる癖が抜けない。

誰かが待っている気がするからではない。

私が、まだ返していないからだ。

ひとことでいい。

覚えとるよ、と、あの子の名前を呼んで言いたい。

指で、と。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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