俺を育ててくれた兄貴

兄貴が正月に結婚した。

血は、一滴も繋がっていない。

祝いの席のあいだじゅう、俺はずっと、台所の抽斗にしまってある一本の菜切り包丁のことを考えていた。

兄貴が十年間、一度も研がなかった包丁だ。

俺が五つの年に親父が逝って、そこからは母と二人きりだった。

母は親父と一緒になるとき、双方の家から反対されて、縁を切られている。

だから盆にも正月にも、訪ねてくる親戚というものがいなかった。

年賀状は、母の職場の人からしか来ない。

それが普通だと思っていた。

母は三条の町工場で、金物の研磨をしていた。

帰ってくると、手のひらの皺の奥に、黒い粉が沈んでいた。

風呂で何度洗っても、爪の脇だけは灰色のまま残った。

その手で握られた飯が、正直、俺はあまり好きではなかった。

一度だけ、そう言ったことがある。

手が汚いから、と。

母は笑って、その日から握り飯にラップを使うようになった。

翌週から、俺の弁当は、ラップに包まれた握り飯が二つになった。

それが十日ほど続いて、ある朝、ラップが無くなっていた。

「買い忘れた」

母はそう言って、素手で握った。

俺は黙って食った。

今でも、あの十日ぶんのラップの値段のことを考える。

母の職場は、朝と夕方に工場の門から人が湧いて出る町工場だった。

機械油と、金物を削った時の焦げたような匂いがした。

俺は迎えに行くのが嫌いだった。

母が門を出てくるとき、他の女の人たちと違って、荷物がいつも一つ多かった。

うちで内職に回す分の袋だ。

中学に上がった年、母が再婚した。

相手は、五十嵐川の橋を渡った先で研屋をやっている家の人だった。

その人には先妻との間に息子がいて、二十三で、もう家を出て働いていた。

顔を合わせることなど滅多になくて、家族になったという感覚は、まるでなかった。

ただ、最初の挨拶の日のことだけは、妙に覚えている。

その息子は──英二さんは、菓子折りを持ってこなかった。

背が高くて、髪が短くて、目を合わせない人だった。

上着の袖口に、細かい鉄の粉が光っていた。

座ってすぐ、正座を崩していいですかと母に訊いた。

訊いておきながら、最後まで崩さなかった。

新聞紙に巻いた庖丁を一本、卓袱台の上に置いただけだった。

「研いできました」

それだけ言って、あとは黙って茶をすすっていた。

母が新聞紙を開いて、刃を蛍光灯にかざした。

かざしたまま、しばらく動かなかった。

「まあ」

母はそれきり何も言わなかった。

ただ、その晩の大根の味噌汁が、いつもより薄く切ってあった。

帰りぎわ、英二さんは玄関でもう一本の庖丁を新聞紙で巻き直していた。

刃のほうを自分の腹に向けて、脇に抱えて出て行った。

変な人だ、と俺は思った。

その夜、母が茶碗を洗いながら言った。

「あの人の研ぎ、たいしたもんだよ」

「工場の連中でも、あそこまでは出せん」

母が誰かを褒めるのを、俺はほとんど聞いたことがなかった。

「お母さん、あの人のこと好きなの」

訊き方が意地悪なのは、自分でも分かっていた。

母は泡のついた手を止めずに答えた。

「好きとかじゃなくて。ああいう手をしてる人は、嘘をつくのが下手なの」

そのときは、意味が分からなかった。

再婚して十ヶ月と少し。

両親は、二人で出かけた帰りに、峠の下りで事故に遭った。

雪の消え残る三月だった。

中学二年の俺は、警察の人が何を言っているのか、半分も頭に入らなかった。

遠くに住んでいた英二さんが、その日の晩には家に着いていた。

玄関で靴を脱ぐより先に、台所に立って、湯を沸かした。

「腹に何か入れろ」

それが、あの人の最初の言葉だった。

葬式の準備も、役所の書類も、全部あの人がやった。

俺は焼香の列を、ただ眺めていた。

母方の席には、誰も座らなかった。

座布団だけが、きれいに並んでいた。

親父の側の親戚は、遠縁が二人だけ来て、精進落としも取らずに帰った。

帰りぎわ、そのうちの一人が英二さんに封筒を渡そうとした。

英二さんは受け取らずに、両手で押し返した。

「うちの家の者ですから」

その言い方が、あまりに平坦だった。

俺は、その場では何とも思わなかった。

後になって、あれは俺のことを言ったのだと気づいた。

ひとりだけ、後ろの壁際に立っている女の人がいた。

紺色の上着を着て、焼香もせず、途中で帰った。

親戚だろうかと英二さんに訊いたら、

「近所の人だろ」

とだけ言った。

四十九日が済んだ晩、英二さんが座卓の向かいに座った。

「うち来い。中学もこっちに通え」

言い方は、頼み事というより、天気の話をするようだった。

英二さんの家には、加奈子さんという人が一緒に住んでいた。

気まずいという言葉では足りない。

中学生の俺には、なぜその人が笑っていられるのかが分からなかった。

最初の晩、加奈子さんは鮭のあらで汁を作った。

「うちの部で、あらは捨てるだけだから」

そう言って、椀に山盛りの身を入れてくれた。

骨が多くて、食べるのに時間がかかった。

時間がかかると、その分、下を向いていられた。

それが有難かった。

風呂の順番も、洗濯物の畳み方も、何もかもが違う家だった。

歯磨き粉の味まで違った。

二週目に、俺は学校で誰とも口をきかなくなった。

担任が家に電話をよこしたらしい。

その晩、兄貴は何も訊かなかった。

代わりに、研ぎ場の椅子をもう一つ出した。

「暇なら、水やってろ」

砥石に水をかけるだけの役だ。

それを一時間ばかりやった。

やっているあいだ、何も考えなくてよかった。

次の日も、俺は勝手に研ぎ場へ行った。

研屋の朝は、水の音から始まる。

砥石を水に沈める音。

それから、刃が石の上を滑る音。

しゃ、しゃ、しゃ、と一定の間で続く。

たまに、その間が止まる。

止まるのは、返りを親指の腹で確かめている時だ。

兄貴は──いつからか俺は、頭の中で英二さんを兄貴と呼ぶようになっていた──朝の五時から研ぎ場にいた。

夕方、俺が学校から帰る頃には、もう仕上げに入っている。

「刃はな、減らして立てるもんだ」

背中を向けたまま、そう言われたことがある。

「研ぐたんびに、痩せる。だから、なんぼでも研げるわけじゃない」

俺は生返事をした。

その時は、庖丁の話をしているのだとしか思わなかった。

研ぎ場には、客の庖丁が名前を書いた紙を巻かれて並んでいた。

料理屋の柳刃、床屋の鋏、床の間の鑿。

洋食屋のおやじが持ってくる牛刀は、いつも柄が緩んでいた。

兄貴はそれを毎回、黙って締め直して返した。

「言えばいいのに」

と俺が言うと、

「言うと、次から持って来なくなる人がいる」

と返ってきた。

三条の町には、そういう店と客の距離があった。

五十嵐川は、春先になると雪代で濁って、水の音が一段低くなる。

研ぎ場の窓からは、その川の土手がまっすぐ見えた。

高校の三年間、俺はその窓の景色を、四十回くらい季節が変わるのを見ながら宿題をした。

高校に上がる少し前だった。

母の遺品を詰めた段ボールから、一本の菜切り包丁が出てきた。

柄が黒ずんでいて、刃の真ん中あたりが、爪の先ほど欠けている。

母が嫁入りに持ってきたものだと、前に聞いたことがあった。

俺はそれを持って、研ぎ場に行った。

「これ、研いでもらえる?」

兄貴は手拭いで手を拭いて、包丁を受け取って、しばらく光にかざした。

それから、新聞紙に巻いて、返してきた。

「これは、いい」

「いいって」

「今は、いい」

それだけだった。

兄貴は、あの菜切りだけは、研ぎ台に載せなかった。

他人の包丁は毎日何十本と研ぐのに、あれだけは触らない。

俺は、そういうことなのだと思った。

血の繋がらない女の、置いていった物だ。

気が乗らないのだろう、と。

大学一年の夏に、一度だけ言い合いになった。

酔ってもいないのに、俺は台所でその包丁を出して、卓に置いた。

「なあ。なんで研がねえの」

兄貴は洗い物の手を止めなかった。

「他人の母親のだからか」

言ってしまってから、背中が冷えた。

兄貴は蛇口を締めて、手を拭いて、包丁を抽斗に戻した。

「風呂、沸いてるぞ」

その晩は、それで終わった。

翌朝、研ぎ場からはいつも通り、しゃ、しゃ、と音がしていた。

高校の三者面談に、兄貴が来たことがある。

仕事場の前掛けを外しただけの格好で、教室の小さい椅子に座っていた。

担任が「お兄さんですか」と訊いた。

「はい」

それだけ答えて、あとは俺の成績表をじっと見ていた。

帰り道、自転車を押しながら兄貴が言った。

「大学、行きたいのか」

「金かかるだろ」

「訊いてんのは、行きたいかどうかだ」

俺は答えられなかった。

兄貴は少し先を歩いて、それから振り向かずに言った。

「行きたいなら、行きたいって言え」

「言われんと、こっちは何も用意できん」

合格発表の日、俺は公衆電話から家に掛けた。

出たのは加奈子さんで、受話器の向こうで、いきなり大きな音がした。

後で聞いたら、兄貴が研ぎ場の椅子をひっくり返したのだという。

金のことは、一度も言われたことがない。

大学の学費のことを訊いたら、

「奨学金の書類、書いといたぞ」

と言われて、あとから、書いてあったのは半分だけだったと分かった。

残りは、兄貴の研ぎ賃だった。

加奈子さんは冬になると、朝が早い。

鮮魚部のパートに出る前に、雪を掻いていく。

掻く順番が決まっていて、まず研ぎ場の戸口、次に俺の自転車のところ、最後に自分の車だった。

俺が代わろうとすると、

「順番があるの」

と言って譲らなかった。

理由を訊いたのは、卒業の年の冬だ。

「あの人、雪の日に一番先に研ぎ場に入るでしょ」

「戸口が凍ってると、あの人、素手でこじ開けるの」

だから先に掻くのだと言う。

「あんたの自転車が二番目なのは?」

加奈子さんは、雪をひと掻きしてから答えた。

「あんたが遅刻すると、あの人、口には出さないけど一日中こわい顔してるから」

と言って譲らなかった。

去年の内定式の後、兄貴と二人で駅前の居酒屋に行った。

卒業したら家を出る、と切り出した。

兄貴はしばらく黙って、それから串を置いて言った。

「お前が居るせいで、あいつと如何わしいことが全然できなかったんだぞ」

「もっと早く出て行ってほしかったわ」

そう言って、俺の頭を軽く叩いた。

叩いた手が、そのまま止まった。

止まったまま、兄貴はぼろぼろ泣き出した。

「家族がいなくなって、ひとりきりで」

「寂しかったろう」

「よく、頑張ったな」

店員が明らかに引いていた。

俺も泣いた。

店を出るとき、兄貴が財布を出すのに手間取っていた。

指先が、ずっと震えていた。

クリスマスに、三人で家の食卓を囲んだ。

兄貴が、鍋の火を止めてから言った。

「こいつももう卒業だ。今まで、本当に苦労かけたな」

「でも、申し訳ないが、これからも苦労に付き合ってくれ」

「できれば、ずっと。結婚しよう」

加奈子さんは、お玉を持ったまま笑った。

「ばか。いいわよ、当たり前じゃない」

俺は畳に手をついて、頭を下げた。

「今まで、本当にありがとうございました」

三人で、みっともないくらい泣いた。

婚姻届は、正月の三日に出したそうだ。

その正月の朝のことだ。

起きたら、研ぎ場に灯りがついていた。

戸を開けたら、兄貴が座っていた。

台の上に、母の菜切りが載っていた。

研ぎ台に載せたのは、あの正月が、はじめてだった。

「見てろ」

兄貴は水を回して、刃をゆっくり寝かせた。

しゃ、しゃ、しゃ。

音の間が、いつもより長かった。

そこへ、隣の佐久間さんが顔を出した。

先代の弟子で、もう八十近い人だ。

腰が曲がっていて、耳が遠い。

そのくせ、砥石の音だけは離れていても聞き分ける人だった。

正月から研ぎ場の音がしたので、様子を見に来たのだと言う。

台の上を覗き込んで、ああ、と声を出した。

「とうとう研いだか」

「はい」

佐久間さんは、俺のほうを向いた。

「坊、お前、この刃の欠けたとこ見てみ」

言われるままに覗いた。

「欠けを取るには、まわりを全部落とさんとならん。落とすと、幅がここまで減る」

指の腹で、刃の背から一センチほどのところを押さえた。

「そこまで来たら、もう菜切りじゃない。ただの鉄だ」

「……あと、何回研げるんですか」

「一遍だ」

佐久間さんは、あっさり言った。

「はじめから、一遍しか残っとらん」

兄貴は手を止めなかった。

佐久間さんが続けた。

「お前の母さん、一度ここに来たんだ。再婚してひと月くらいの頃かな」

「この包丁を持ってきて、あと何遍研げますかって、英二に訊いた」

「英二が、一遍が、いいとこですって答えた」

「そしたら、母さん、こう言うたんだ」

「あと一遍は、あの子が独り立ちする日に使ってください」

研ぎ場の水の音だけが、しばらく続いた。

兄貴の背中は、こちらを向かなかった。

肩が、一度だけ上下した。

それきり、また同じ間で音が続いた。

兄貴が研がなかったのは、あの包丁に、あと一遍しか残っていなかったからだ。

十年、兄貴はそれを減らさずに持っていた。

俺が卓に叩きつけた晩も、減らさずに戻した。

研ぎ上がった菜切りは、恐ろしく薄くなっていた。

新聞紙に巻くとき、兄貴は刃のほうを自分の腹に向けた。

それから、俺に差し出した。

「持ってけ」

柄を先にして渡された。

その持ち方の意味を、俺はその年になって初めて分かった。

渡す相手に、刃を向けないためだ。

佐久間さんは、帰りぎわにもう一つ置いていった。

「葬式の後ろに、紺の上着の人が立っとったろ」

覚えていた。

焼香もせずに帰った、あの人だ。

「お前の母さんの、妹さんだ」

縁を切られたまま、名乗れずに来ていたのだと言う。

「英二が、毎年写真を送っとった。お前の入学式やら、成人式やら」

知らなかった。

兄貴に訊いたら、湯呑みを置いてから答えた。

「一枚くらい、届いてる人がいたほうがいいだろ」

そういう理屈の立て方をする人なのだ、昔から。

春になってから、その人に会った。

紺の上着ではなく、薄い水色のカーディガンを着ていた。

新潟市の喫茶店で、二時間ばかり話した。

母のことを、その人は「姉ちゃん」と呼んだ。

「私ね、姉ちゃんの結婚式の日、駅まで行ったの」

「改札の内側で、電車が出るまで見てた」

「声、掛けられんかった」

四十年近く前の話を、昨日のことのように言った。

帰りぎわ、封筒を出された。

中身は受け取らなかった。

代わりに、写真を一枚もらった。

母が二十歳くらいで、髪をひとつに結んで、包丁を持って笑っている。

台所ではなく、どこかの店の板場だった。

「姉ちゃん、あの頃、割烹で働いとったの」

知らなかった。

母は、庖丁の善し悪しが分かる人だったのだ。

だから、あの晩、刃をあんなに長くかざしていたのだ。

今日、母の墓に行ってきた。

兄貴と加奈子さんの婚姻届の受理証明のコピーを、線香の脇に置いた。

それから、あの菜切りを新聞紙ごと供えて、また持って帰った。

使うつもりだからだ。

薄くなった刃は、大根なら透けるほど薄く切れる。

切っていると、母の味噌汁を思い出す。

あの晩、大根がいつもより薄かったのは、あの人が研いだ庖丁を、母が使ってみたからだった。

来月、俺は家を出る。

引っ越しの荷物に、あの包丁を新聞紙で巻いて入れた。

刃のほうを、自分の腹に向けて抱えた。

気づいたら、そういう持ち方になっていた。

血は、一滴も繋がっていない。

それでも、手の癖はうつるらしい。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

最後まで読んでくださって、ありがとうございます

この話が少しでも心に残ったなら、それだけで書いた甲斐がありました。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。