
お義母さんは、体温計を、いつも二本持ち歩く人だった。
割烹着の胸のかくしに、手縫いの布の筒が入っている。
筒の内側は真ん中で仕切ってあって、細いガラスの体温計が二本、並んで立っていた。
私はそれを、看護の仕事を長くした人の癖だと思っていた。
あるいは、自分の体のことばかり気にしている人なのだと。
そう思っていたことを、私はいまでも恥ずかしく思っている。
※
夫の家は、富山の砺波平野の、南の端にあった。
あのあたりは、家が一軒ずつ、田の中にぽつんと離れて建っている。
散居村という。
一軒ごとに屋敷林が植わって、家をぐるりと囲んでいる。
地元ではカイニョと呼んだ。
杉と欅、風の当たる西側にだけ、丈の高い槻の木が並んでいた。
はじめてその家を見たとき、私は、家が緑に沈んでいるようだと言った。
夫は笑って、風から家を守る林だと教えてくれた。
「雪と風が、平野をまっすぐ来るんや」
「林がないと、屋根がもたん」
家は、この地方でアズマダチと呼ばれる造りだった。
正面の妻側に、太い柱と梁をわざと見せて組む、いかつい顔の家である。
座敷に立つと、頭の上で黒い梁が交差していた。
その家で、義父と姑は三社柿を作っていた。
渋柿である。
十月の終わりから十一月にかけて、家の中も外も柿でいっぱいになる。
皮を剝いた実を紐に吊って、二階の風の通る座敷に何百と垂らす。
あの家の秋は、部屋そのものが橙色になった。
私は金沢の生まれで、柿は買うものだと思って育った。
だから最初の秋、二階に上がって声が出なかった。
「これ、全部、家で吊るんですか」
「吊るんよ」
姑はそう言っただけで、こちらを見なかった。
※
姑の名は澄江さんという。
足を悪くするまで、駐在の保健婦をしていた人だった。
平野のはずれの集落を、自転車と、雪の日は歩きで回っていたのだと、義父から聞いた。
姑本人は、自分の昔の仕事をほとんど話さなかった。
私の実母は、笑うと家の外まで声が届くような人である。
怒るときも大きな声で怒って、そのあとすぐに笑う。
だから私は、人の機嫌というものは音で分かるものだと思って育ってきた。
姑は、まるで逆だった。
喜んでも困っても、顔がほとんど動かない。
台所での動きは早く、包丁も鍋も、迷いなく置く。
シャキシャキ、パキパキ、と音だけが立って、その間に言葉がない。
私は、その静かさの前で、いつも身構えていた。
意地の悪いことを言われたことは、一度もなかった。
それでも私は、月に一度、心の中で同じことを思った。
私は、あまり好かれていないのだろう。
だからその頃の私は、当たり障りのない話ばかりしていた。
天気と、子供と、柿の値段。
それで足りるようにしていた。
※
結婚して三年目の六月に、私は二人目を産んだ。
上の咲希が二つで、下の翔太が生まれたばかりだった。
その年の十月、私たちは柿の手伝いに帰ることになった。
皮むきの季節はどの家も人手が足りない。
夫は金沢の会社に勤めていたから、休みを二日つないで帰った。
車を降りると、家の裏の段丘の斜面が、もう赤く色を変えていた。
庭には皮むきの機械が出してあって、義父が油を差していた。
「圭介、遅いぞ」
「渋滞やったんや」
義父はそう言いながら、私の抱いた翔太のほうを先に見た。
この家の人は、みんな言葉が短い。
姑は土間にいて、剝いた実を紐に結わえる手を止めずに、
「よう来たね」
と言った。
顔は上げなかった。
その晩、私は姑の隣に座って、皮むきの機械に実を差す役をやった。
蔕を金具に噛ませて回すと、螺旋の皮が長く垂れる。
「下から剝くんよ」
姑がはじめて手を止めて、私の手元を見た。
「上からやると、実が抜ける」
言われたとおりに向きを変えたら、皮が切れずに一本につながった。
それを見て、姑は、うん、と言った。
褒められたのかどうかは、分からなかった。
※
姑の足のことを、私はその秋にはじめて詳しく知った。
教えてくれたのは、隣の大西さんの奥さんである。
柿の籠を返しに行ったとき、縁側で漬物を切りながら、この人が話してくれた。
「澄江さんな、雪の日に転んだんやよ」
「訪問の途中でね。用水の蓋の上が凍っとったんやて」
膝の皿を割って、そのあと二度手術をして、それで仕事をやめたのだという。
「痛いって、いっぺんも言わん人やわ」
大西さんはそう言って、少しだけ声を落とした。
「あんた、気にしとるんやろ。好かれとらんて」
私は返事ができなかった。
「あの人はな、顔に出さんの。出さんように、自分で決めた人やから」
意味が分からなかった。
分からないまま、私は籠を持って帰った。
帰り道の田は刈り終わって、平野の向こうまで何もなかった。
遠くの家々の屋敷林が、島のように点々と浮かんでいた。
※
思い出すことが、もう一つある。
翔太を産んだとき、姑は金沢の産院に一度だけ来た。
六月の、雨の日だった。
病室に入って、赤ん坊の顔を五秒ほど見て、それだけだった。
「ちいさいね」
そう言って、廊下に出て行った。
私は、抱いてくれないのだと思って、少し悲しかった。
あとで看護師さんに聞いたら、姑はその日、洗濯室にいたという。
私の入院着と肌着を、二日ぶん全部洗って、干して、畳んで帰ったそうだ。
面会の時間はほとんど使わずに、それだけをして、バスに乗った。
実母はそれを聞いて、「変わった人やねえ」と笑った。
私も、そのときは笑った。
抱いてもらえなかったことのほうが、ずっと胸に残っていた。
いま思えば、あの人はいつも、手のほうを先に動かしていた。
それを、私は一度も数えていなかった。
※
義父は、口笛を吹く人だった。
それが、ひどく下手だった。
皮を剝きながら、同じところで必ず音が裏返る。
咲希はそれを面白がって、毎回、けらけら笑った。
「じいちゃん、へた」
「へたでええんや。柿の蔕といっしょや」
それを聞いて、姑が土間で肩を一度だけ揺らしたのを、私は見た。
笑ったのだと思う。
声はしなかった。
あの家の笑いは、いつも音がないところで起きていた。
咲希は、姑の杖の先のゴムを触るのが好きだった。
歩くたびに、たん、と音がする。
その音を真似して、廊下を歩き回っていた。
姑は、それを止めなかった。
止めない代わりに、咲希が転ばないよう、廊下の隅に置いてあった漬物石を、毎晩台所へ寄せていた。
私はそれに、その年、気づかなかった。
※
台風が来たのは、帰省して三日目の晩だった。
夕方から雨が横に走って、屋敷林が鳴りはじめた。
槻の木が鳴ると、家全体が低く唸るような音になる。
「カイニョが鳴っとるうちは大丈夫や」
義父はそう言って、風呂を早く済ませるように言った。
私は八時に翔太に乳をやって、座敷の隅に布団を敷いた。
寒くて、掛けるものを一枚足したいと思ったが、言い出せなかった。
言えないまま、私は「今夜は冷えますね」とだけ言った。
姑は「そうやね」と言って、それきりだった。
雨の音が変わったのは、夜中の二時過ぎである。
はじめは、屋根に石を撒くような音だった。
次に、地面の下から押し上げるような、重い音がした。
家の北側が、ぐ、と動いた。
梁が下がって、天井板が波打った。
裏の斜面が、家の北の下屋を押していた。
※
私は台所にいた。
翔太が泣いたので、白湯を作ろうとして起きていたのだ。
姑もいた。
朝釣りに行くと言っていた夫と義父のために、握り飯を作りかけていた。
立っていられなかった。
床が斜めになって、私は流しの前に座り込んだ。
食器棚の戸が勢いよく開いて、皿が上から降ってきた。
重ねた丼が、順番に落ちて、順番に割れた。
腕で頭を抱えたところで、名前を呼ばれた気がした。
目を開けたら、姑が私に覆いかぶさっていた。
割烹着の背中で、皿の音を受けていた。
私を抱えている腕にも、肩にも、頭にも、血が出ていた。
「動かんで」
それだけ言った。
声は、いつもと同じ調子だった。
※
夫と義父が、子供二人を抱えて台所に飛び込んできた。
私たちを廊下へ引きずり出して、それから玄関を開けようとした。
戸が歪んで、半分しか動かなかった。
外に出ると、庭が変わっていた。
屋敷林の西側の槻が、根から返って門を塞いでいた。
道は用水があふれて、膝の高さまで水が来ていた。
その水が、ゆっくり南へ流れていた。
「早く行きなさい」
姑が言った。
言いながら、家の中へ戻って、みんなの上着とマフラーを抱えて出てきた。
咲希の合羽まで持っていた。
私は泣きながら訊いた。
「あなたたちって、お義母さんは」
「後から行くから、早く」
怖い顔だった。
はじめて見る顔だった。
足が悪くて水の中を歩けない自分は、足手まといになると思っているのだと、私にも分かった。
「母親を置いて行ったら、俺は子供に顔向けできん」
夫がそう言って、姑を背負おうと腰を落とした。
姑は、夫の頬を叩いた。
血のついた手だった。
音が、雨の中でも聞こえた。
「あんたが守るのは、子供と嫁や」
「産んで四月しか経っとらん嫁と、幼い子を二人。それだけ考えなさい」
夫は動けなくなった。
それから姑は、血だらけの手で私の髪を撫でて、
「ごめんね。帰らせんかったらよかったね。ごめんね」
と言って、笑った。
※
結局、義父が姑を連れて後から出るということになった。
隣の大西さんが軽トラックを段丘の上の道まで回してくれるという話がついて、私たちは先に水の中を歩いた。
咲希を夫が背負い、翔太を私が抱いた。
抱いた腕の下で、翔太は不思議なほど静かだった。
水は、思っていたよりも冷たくなかった。
生ぬるくて、土の匂いがした。
その匂いを、私はいまでも雨の晩に思い出す。
小学校の体育館に着いたのは、明るくなってからである。
毛布を配っている人の顔も、みんな同じように白かった。
姑と義父が入ってきたのは、それから二時間ほど経ってからだった。
姑は杖をついて、義父の肩に片手を置いていた。
私は言葉にならない声を出して、その割烹着に顔を押しつけた。
おう、おう、という自分の声が、他人の声のように聞こえた。
姑は、私の背中を二回叩いた。
それだけだった。
※
家は、三日後に取り壊すしかないと言われた。
北側の柱が根元から折れて、屋根の重みが逃げていなかった。
二階に吊った柿は、そのまま置いてくることになった。
あの部屋の橙色を、私はいまでも時々思い出す。
避難所での暮らしは、二十日ほど続いた。
私は、乳が出なくなった。
出ても詰まって、脇の下まで硬くなった。
熱が出て、痛くて、床に膝をついて自分でほぐしていた。
脂汗が畳に落ちるのが見えた。
そこへ、姑が来た。
産科にいたこともある人である。
「熱を持っとるね」
「痛いね。でも出さんと、もっと痛い」
手が、私の手の上に重なった。
「代わってあげられんで、ごめんね」
泣きながら、そう言った。
姑が泣いているのを、私はそのとき初めて見た。
※
その日、姑は割烹着のかくしから、あの布の筒を出した。
体温計を二本、抜いた。
一本を私の脇に挟ませて、もう一本を、自分の脇に挟んだ。
三分待って、二本を畳の上に並べた。
私は、意味が分からなかった。
「どうして、二本なんですか」
訊いたのは、嫁いで四年目で初めてだった。
姑は畳の上の二本を、指で少しだけ寄せた。
「片方は、わたしのぶんです」
「ひとりで熱を出しとるんじゃないと、並べて見せるためのもんですよ」
それから、はじめて私の顔を、まっすぐ見た。
「訪問しとった頃、家の人は、たいてい嘘をつくの」
「大丈夫です、いうて。だから、二本出すんよ」
私は、自分がこの四年、何を見ていたのかと思った。
あの筒は、自分のためのものではなかった。
※
避難所には、姑の昔の同僚が来ていた。
フミ江さんという、姑よりいくつか年上の人だった。
炊き出しの列で、この人が私に言った。
「澄江さん、あんたの前で顔を動かさんやろう」
はい、と私は答えた。
「あれね、癖じゃないんよ」
フミ江さんは、しゃもじを持ったまま話した。
保健婦が顔色を変えると、相手はそれを読む。
読まれると思うと、次から隠すようになる。
熱も、痛みも、家の困りごとも、みんな隠す。
「だから澄江さんは、どんな数字を見ても顔を動かさんことに決めたの」
「若いときにね。自分で決めたんやわ」
私は、味噌汁の器を持ったまま、列の途中で泣いた。
好かれていないのだと思っていた四年は、そういう四年ではなかった。
あの人は、私にだけ、いちばん長く仕事の顔をしていた。
それは、いちばん心配な相手にする顔だった。
※
三日目に、私は持ち出した布団を広げた。
座布団でくるんで、夫が引きずってきた一組である。
中から、紺の上着が出てきた。
姑のものだった。
私は最初、荷物に紛れたのだと思った。
けれど、袖が内側に折り込まれて、平らに畳んであった。
枕の下に敷く形に、きちんと畳んであった。
あの晩、私は「今夜は冷えますね」と一度だけ言った。
姑は「そうやね」と答えただけだった。
答えただけで、私が寝てから、枕の下に自分の上着を入れていた。
お義母さんの上着は、あの晩、私の枕の下にあった。
だから、家が押されたとき、あの人の手元には自分の上着がなかった。
みんなの上着を持って出てきて、自分はセーターに割烹着だけだったのは、そういうことだった。
持って来なかったのではない。
もう、なかったのだ。
私は上着を抱えて、体育館の壁のほうを向いて座っていた。
誰にも見せられない顔をしていたと思う。
※
避難所では、姑は働いていた。
「ブランクがあるし、知識も古いけど」
そう前置きしてから、血圧を測り、足の浮腫を見て、子供の熱を測っていた。
体温計は、やはり二本だった。
測った相手の隣に、自分のぶんを並べて置く。
それを見て、笑う人がいた。
笑ったあと、その人はたいてい、自分の困っていることを話しはじめた。
私は列の後ろから、それを何度も見ていた。
あの二本は、道具ではなかったのだと思う。
あれは、人が本当のことを言えるようになるための、たった一つの仕掛けだった。
※
あれから十七年になる。
あの晩に抱いていた翔太は、もう高校生である。
義父は、五年前に静かに旅立った。
最後まで口笛は下手だった。
病院の廊下でも吹いて、看護師さんに笑われていた。
姑は、いま私たちと一緒に暮らしている。
膝はさらに悪くなって、家の中でも杖を使う。
喜怒哀楽は、やっぱりほとんど顔に出ない。
けれど今は、何を考えているのか、私にはちゃんと分かる。
食卓で箸を止めたら、誰かの体を心配している。
湯呑みを両手で持ったら、言おうか迷っている。
あの人の顔は動かないが、手はいつも先に動く。
※
去年の冬、咲希が熱を出して帰ってきた。
もう二十歳を過ぎた娘である。
私は、割烹着のかくしから布の筒を出した。
自分で縫った筒である。
仕切りを真ん中に入れて、二本入るようにした。
体温計を二本抜いて、一本を娘の脇に挟ませ、もう一本を自分の脇に挟んだ。
三分待って、卓の上に並べた。
娘は、笑った。
「なんで二本なん」
私は、あの日に聞いた言葉をそのまま渡した。
片方は、わたしのぶんよ。
ひとりで熱を出しとるんじゃないと、並べて見せるためのもの。
娘は、それからようやく、学校でうまくいっていないことを話しはじめた。
台所の向こうで、姑が湯呑みを両手で持っていた。
顔は、動いていなかった。
※
ありがとう、おかあさん。
あの晩の、血の混じった手のひらを、私は忘れません。