椿油の小瓶を今も開けられない
取り壊しの報せが届いて、私は三十年ぶりに祖母の髪結いの家へ入りました。くもった鏡台の引き出しに転がっていた椿油の小瓶と、土間の棚で一本だけ歯を上に向けて立てられ…
続きを読む:椿油の小瓶を今も開けられない取り壊しの報せが届いて、私は三十年ぶりに祖母の髪結いの家へ入りました。くもった鏡台の引き出しに転がっていた椿油の小瓶と、土間の棚で一本だけ歯を上に向けて立てられ…
続きを読む:椿油の小瓶を今も開けられない弟との約束は、いつか私が迎えに行くこと。戦時中、出征する弟に一本の麦笛を持たせた姉。けれど遺された手帳に綴られた、たった一行で、私はようやく気づく。暗がりが怖い…
続きを読む:麦笛が鳴ったら昭和四十年代の炭鉱町、ボタ山の見える長屋で暮らす兄弟の話です。言葉がつっかえる弟が連れ帰った一頭の子山羊ユリが、借金と咳に疲れた父や母を変え、ばらばらだった家族…
続きを読む:家族の時間を繋いだ子山羊九官鳥のおかえりという二言だけが、四十年たった今も耳の奥に残っている。北の山あいの谷へ単身赴任した若き日、凍える独りの夜を支えてくれた一羽の鳥に、私はある約束を…
続きを読む:九官鳥のおかえり昭和の終わり、雪深い町の小学校。給湯室の窓辺に牛乳を出すようになった冬から、桟には茶のボタンが一つずつ置かれるようになった。猫の恩返しだと二十年思い込んでいた。…
続きを読む:猫が運んだ茶のボタン犬との別れを、私は父のせいだと三十年恨み続けた。だが父を見送ったのち、引き出しから現れた白い犬の赤い首輪と古いバスの半券が、語られなかった真実を静かに告げる。毎…
続きを読む:父が隠した首輪昭和の城下町で時計店を継いだ男と、北の港町へ移っていった人。季節の押し花を挟んだ文通は七年目の春に途絶え、誤解を抱えたまま二十数年が流れた。出されることのなかっ…
続きを読む:桜を綴じた最後の手紙いつか島へ行こう——七海と交わした親友との約束を、私は仕事を口実に先延ばしにし続けた。彼女がいなくなった夏、鳴らさないまま仕舞っていた水色の風鈴を抱え、私は初め…
続きを読む:鳴らさなかった風鈴昭和六十年の冬、夜勤の病室で、衰えた恩師が出席をとる仕草を始めた。吃音だった僕の名を、先生は昔いつも、あいうえお順を飛ばして一番に呼んでくれた。透明だった少年を…
続きを読む:先生が一番に呼ぶ名機械が牧場にやってきた昭和の冬、私は世話をしてきた三頭の馬を手放すことになった。最後の朝、ハナはそっと私の肩に額を押しあてた。北の開拓村で交わした別れと、今も引…
続きを読む:手放した三頭の馬と古い鈴昭和三十三年の秋、一夜の野分が稔りの田を流した。荒れる私に、妻はただ黙って耐えていた。妻の優しさに私が気づいたのは、亡き母の形見の鼈甲の櫛を手放してまで田を守ろ…
続きを読む:妻が手放した櫛色褪せて擦り切れた父の半纏が、子供の頃の私には恥ずかしくてたまらなかった。昭和の下町、寡黙な提灯職人だった父と息子の物語。その裏地に隠されていた、先立った母の縫…
続きを読む:父の色褪せた半纏昭和の山あいの村で、熱に伏せた少年の枕元に座り、黙って五分を数え続けた恩師。三十年あまり後、記憶を失って入院してきた先生の脇に、看護師長になった私は古い体温計を…
続きを読む:恩師の古い体温計ラクリマを応援する
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