六十年分の桜のしおり

静かな春の読書時間

桜が散ったばかりの縁側に、横浜から手紙が届いた。

差出人の名前を見ても、しばらく誰のものか分からなかった。

古田千夏。

七十四になった私の指先が、その活字をなぞるうちに、ひとつだけ覚えのある三文字が、薄い紙の向こうから滲んできた。

古田。

能登の海から吹き上げてくる風が、軒先の鯉のぼりを揺らしていた。

夫を見送ってから三年が経ち、教え子から届く年賀状の枚数も、毎年ひとりぶん、ふたりぶんと減っていく。

そんな春に、見覚えのない筆跡の封筒が、縁側に置かれた郵便受けの底で、静かに私を待っていた。

「初めてお便りいたします。古田圭吾の長女、千夏と申します。」

その一行で、私は手紙を取り落とした。

古田圭吾という五文字が、六十年の時間を一気に巻き戻して、私の胸に小石を落とすように沈んだ。

圭吾さんに、娘さんがいたのか。

当たり前のことなのに、頭のどこかで信じられなかった。

私の中の彼は、いつも十六歳のままで止まっていたのだ。

畳に正座して、震える指で、続きを読んだ。

「父はこの冬、若年性アルツハイマー型の認知症と診断されました。記憶がまだ多く残っているうちに、どうしてもお伝えしたいことがあると申しまして、家族に頼んで、あなた様のご住所を探させました。突然のお手紙、どうかお許しください。」

遠い町の名前と電話番号が、最後にそっと添えられていた。

家のことを誰にも聞いたつもりはないのに、千夏さんはきちんと私の住所を突き止めて、丁寧な万年筆の文字で、それを綴ってくれていた。

私は便箋を膝に置いたまま、海のほうを、ぼんやりと見ていた。

潮の匂いに、昭和三十八年の夏の風が、ふっと混じった気がした。

あの夏、私は十五歳だった。

能登の中学三年生で、髪を二つに結んで、海女の母親の手伝いに毎朝磯まで降りていた。

圭吾さんは、東京から父親の転勤で来たばかりの高校一年生で、夏の間だけ、私たちの集落の借家に住んでいた。

言葉の訛りが違って、最初は近所の子供たちに笑われていたけれど、彼は怒らずに、ただ静かに笑い返していた。

盆の夜、海辺で一緒に花火を見た。

私が「東京に帰っても、能登の海を忘れんでね」と言ったら、彼は「忘れません」と、変な丁寧語で答えた。

そのときの彼の真剣な横顔が、私の十五歳の真ん中に、しっかりと焼きついた。

九月の頭、彼が東京に戻る前の晩、私は祖母の手仕事を真似て、桜の花びらを和紙に挟んで作ったしおりを、彼の手に握らせた。

朱色の組紐をひとつだけ結んだ、不器用な、子供の手仕事だった。

「これ、本に挟んで使うてね」と言ったら、彼は黙ってうなずいて、それから初めて、私の名前を呼んだ。

芙美子さん、と。

東京と能登で、文通は二年ほど続いた。

彼の手紙は、いつも空色の便箋に万年筆で書かれていて、最後の行には必ず「能登の桜のしおりは、今日も机の上にあります」と添えられていた。

私が高校を出るころ、漁師の家の長男との縁談がまとまった。

断る理由は、何ひとつなかった。

母も祖母も泣いて喜んだ家のことだった。

私は最後の手紙で、結婚することと、もう手紙は出せないことを、震える文字で書いた。

「圭吾さん、私のことは、どうかお忘れください」と。

その手紙を出してから、三月たっても、半年たっても、彼から返事は来なかった。

結婚したのだから、来なくて当然だと思った。

私は彼の名前を、心の奥のいちばん深い引き出しに仕舞って、海女の妻として、母として、教師の妻として、五十年以上を生きてきた。

夫はいい人だった。

娘も二人、無事に育ち上がった。

その奥の引き出しを、私は本当に開けないつもりでいた。

千夏さんに電話をかけたのは、手紙を受け取った三日後だった。

受話器の向こうの声は、不思議なほど穏やかで、私が能登の山際芙美子です、と名乗ったとき、ほっとしたような吐息が、線の向こうで小さく漏れた。

「父は、もう新しい記憶を留めておくのが難しい状態です。けれど、古い記憶のほうは、今もはっきり残っているところがあります。お会いいただけるなら、なるべく早いうちに。」

私は、行きます、と答えた。

受話器を置いた手のひらが、ずっと冷たかった。

娘たちには、古い友人を見舞いに行く、とだけ伝えた。

夫の遺影に手を合わせて、ごめんなさい、と一度だけ呟いた。

夫は写真の中で、いつもの優しい目で、ただ笑っていた。

横浜の山の手は、ちょうど桜が散ったところだった。

坂を登った住宅街の途中に、白い壁の小さな家があった。

玄関に出てきた千夏さんは、四十代後半くらいで、目元が圭吾さんによく似ていた。

「ようこそ、遠くから」と、彼女は深々と頭を下げた。

居間の籐椅子に、痩せた老人が座っていた。

白髪の、肩の落ちた、知らない人のような姿で。

けれど、よく見ると、目元の柔らかさだけが、十六歳のあの夏のままだった。

千夏さんが、お父さん、能登の方がお見えよ、と耳元で告げると、圭吾さんはゆっくりと顔を上げて、私の顔を見た。

視線は、私の背後の壁を、遠くまで通り抜けていくようだった。

「能登から、参りました」と私は震える声で言った。

圭吾さんは、何度かまばたきをして、それからとても小さな声で、「能登」とだけ繰り返した。

その能登の二文字が、半世紀の海を渡ってきた波のように、しずかに私の胸に届いた。

「能登の桜は、今年も綺麗に咲きました。」

私が、自分でも思いがけないほど落ち着いた声で、そう続けたとき、圭吾さんの瞳の奥に、ほんのわずかに光が戻った。

桜、と圭吾さんが呟いた。

桜です、と私は応じた。

軒先の山から海まで、坂道いっぱいに、今年も白い桜が降りました、と。

圭吾さんはしばらく黙って、それから一度だけ、私の方に視線をきちんと合わせた。

その目の中に、たしかに十六歳の彼が、ひとり立っていた。

千夏さんが、そっと立ち上がって、隣の書斎に私を招いた。

「父にお見せしたいものが、あるのです。」

私はためらいながら、廊下に出た。

書斎の壁いちめんが、本棚だった。

背表紙の文字は、日本語、英語、ロシア語、そして読めない国の文字も混じっていた。

「父は商船の船員でした。世界中の港を回るうちに、寄港した町の本を一冊ずつ買って帰る癖がついたのです。」

千夏さんが、棚のいちばん下から、古い革表紙の本を抜き出した。

『マルセイユ港の歴史』と、タイトルが背に金文字で押されていた。

彼女が本を開くと、半ばのページに、薄黄色く変色した和紙のしおりが、すっと挟まれていた。

朱色の組紐が、ひとつだけ結ばれていた。

桜の花びらが、和紙の中で透けるように、静かに眠っていた。

私は、声を出せなかった。

千夏さんは、隣の本を抜いた。

『リスボンへの航路』。

同じ形のしおりが、同じ位置に挟まっていた。

『シアトル波止場物語』にも、『マニラ湾覚え書』にも、『サンクトペテルブルクの夜』にも。

千夏さんが本を抜くたびに、和紙のしおりが、桜の押し花を抱いたまま、するりと顔を出した。

七十冊を数えたあたりで、私は本棚の前に、しゃがみ込んでしまった。

「父は、寄港した町に桜に似た花が咲いていると、必ず一枝もらって帰って、寄宿舎で和紙に挟んでいたそうです。」

千夏さんが、私の隣に膝を折って、ゆっくりと話しはじめた。

「リスボンには、日本人が戦後植えた桜の並木があるのです。マニラには、現地の方がハワイ桜と呼んでいるピンクの花があって、サンクトペテルブルクには、雪の中で咲くベニヤエザクラというものがあるそうです。」

「父は、その町その町の桜のような花を、ひとつずつ和紙に挟んで、しおりにしてきました。」

「そして、その町の本に、一枚ずつ、挟んでいったのです。」

私は、和紙のしおりを一枚、ふるえる指先で受け取った。

朱色の組紐の結び方は、私が祖母から習った、能登の海女の網の結び方と、まったく同じだった。

圭吾さんは、世界中の港で、ひとりで、何度もその結び方を、やり直したのだろう。

「最後に、お父様から預かったものがあります。」

千夏さんは、棚の奥から、小ぶりな桐箱を取り出した。

蓋を開けると、中には、いちばん古い、薄茶色に変色した和紙のしおりが、たった一枚、紙の布団のうえに横たえられていた。

朱色の組紐は、ところどころほつれていた。

桜の花びらは、もう色を失っていた。

けれど、それは間違いなく、私が十五の夏に、震える手で結んだ、あのしおりだった。

居間から、圭吾さんが、ゆっくりと歩いてきた。

千夏さんに支えられながら、書斎の戸口に立って、桐箱の中をのぞき込んだ。

そして、はにかむように笑って、ひとことだけ、こう言った。

「これが、最初。」

その短い言葉が、私の胸の奥にいちばん深く沈んでいた小石を、するりと持ち上げた。

気づいたら、私は声をあげずに泣いていた。

千夏さんが、私の背中にそっと手をあてて、しばらく黙って待ってくれた。

圭吾さんも、何も言わずに、ただその場に立っていた。

やがて、千夏さんが、低い声で、父の話を始めた。

「父は私が小学生のころ、一度だけ夜に泣いていたことがあります。あの夏のひとに、一通の手紙が届かなかったのだ、と、繰り返し独り言を言っていました。」

「私には意味がわかりませんでした。あとで母から聞いたのです。母は、すべてを承知のうえで、父と一緒になった人でした。母は父にこう言ったそうです。あなたが届かなかった一通を、ずっと探し続けるなら、私はその旅にはついていきません、と。」

「だから父は、しおりを作り続けたのです。世界中の港で、その町の桜のような花を、和紙に挟んで。届かなかった一通の手紙の代わりに、ひとつずつ、しおりを増やしていったのだと、私は今、勝手に思っています。」

私は、思い出した。

結婚を知らせる、最後の一通。

あれは、台風の年だった。

能登の郵便局が、海沿いの集落だけ、しばらく郵便を集められなくなった年だった。

あの一通は、もしかしたら、本当に圭吾さんのもとに届いていなかったのかもしれない。

圭吾さんはずっと、私が突然、何も言わずに、消えてしまったと信じたまま、世界中の港を歩いてきたのだ。

そして、私もまた、返事が来ないことを、当然のように受け取って、彼の名前を引き出しの奥に閉じ込めた。

沈黙は、片方が沈めたものではなかった。

二人の手紙のあいだで、海と港と、何十年もの時間が、ひそかに流れていただけだった。

帰りぎわ、私は桐箱の中の、いちばん古いしおりを、もとの場所にそっと戻した。

「これは、ここにある方が、いいのです。」

そう言って、千夏さんに桐箱の蓋を閉めてもらった。

玄関で、圭吾さんがもう一度、私の顔を見上げた。

視線は、もう先ほどより、ずっと細い線になっていた。

けれど、彼は、その細い線の先で、確かに私の名前を見つけた。

「芙美子さん。」

たった四文字のその名前が、五十数年ぶりに、本当の声で呼ばれた。

私は、はい、と返事をした。

それ以上、何も言えなかった。

新幹線の窓の外を、知らない町と知らない川が、いくつも流れていった。

富山を過ぎて、海の色が変わったあたりで、私はやっと、膝の上のハンカチをほどいた。

千夏さんが、別れぎわに、薄黄色のしおりをひとつ、私の手のひらに載せてくれていた。

『リスボンへの航路』に挟まっていたしおりだ、と彼女は言った。

「父は、もう一度本を読み直すことは、たぶんありません。だから、これを、能登に持ち帰っていただきたいのです。」

私はそのしおりを、ハンカチに包み直して、胸のポケットに静かに収めた。

来年の春、能登の桜が満開になったら、私はもう一度、しおりを作ろうと思った。

朱色の組紐は、祖母の引き出しに、まだ何本か残っているはずだった。

能登の桜を、今度はこちらから、横浜の桐箱まで、届けに行こうと。

世界中の港の桜たちのとなりに、能登の桜が、ようやく一枚並ぶのだ。

そうして、書き残せなかった一通の手紙は、六十年と少しの時間を旅して、ようやく宛先に届くことになる。

列車の窓の向こうで、遠い山並みのうえを、白いものがふっと流れた。

桜だったか、雲だったか、私にはもう、はっきりと見分けがつかなかった。

能登の桜が、ようやく旅をする季節が、来たのだ。

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