縫い針が結んだ三十四年

静かな工房のひととき

納屋の戸を、軋ませながら横に滑らせた。

三十年ぶんの冬の埃が、午後の光の中で、細い柱のように立ち上がった。

四月の最後の週、植えたばかりの稲の青い影が、田んぼの水面に薄く伸びていた。

俺は、町の農協で借りた軽トラの荷台から下りて、納屋の暗がりを見つめた。

母が亡くなって、まだ百か日が過ぎていなかった。

妻と二人で、母の遺した家を片付ける、その三日目の午後だった。

左奥の棚の、湿気を吸って下に撓んだ段ボールを退けると、その下に、黒い鋳鉄の塊が、ひっそりと身を低くしていた。

母の足踏み式ミシンだった。

蛇の目印の、昭和四十年代の、古い、足踏み式のミシンだった。

母が十九で嫁入りのときにこの家に持ち込んだ、たった一つの嫁入り道具だった、と父が言っていた覚えがある。

俺は、軍手を外して、ミシンの板の上に積もった埃を、指の腹でそっと拭った。

木目の浮いた板は、思っていたよりも、温かかった。

裏側の油壺には、まだ、僅かに、米油の匂いが、残っていた。

足踏みの板を、指先で軽く押すと、長い眠りから戻るように、針棒が小さく上下した。

俺は、その小さな揺れの音を、子どもの頃に聴いたことがある気がして、息を止めた。

母は、滅多に笑わない人だった。

但馬の町立小学校の給食室で、四十年と少し、調理員として子どもたちの昼食を作り続けた。

家に帰ってからも、母の手は、流しの水を止める時間がなかった。

冬は、爪の周りが、冷水で割れて、いつも血が滲んでいた。

それでも、母が俺の前で「痛い」と口にしたところを、俺は一度も見たことがなかった。

褒めてくれた言葉も、思い出そうとすると、輪郭が薄くて、手の中から零れていった。

運動会の徒競走で一位になっても、卒業式で総代の挨拶を読んでも、母は、いつも台所に立ったまま、聞こえているのか分からない返事しか、しなかった。

俺が、ようやく東京の電機メーカーから内定の通知をもらった夜、母は、ただ一言、「そう」とだけ言って、湯気の立つ夕飯の鍋に、目を落とした。

俺は、その背中に、長い間、小さな苛立ちを、ずっと抱えて生きてきた。

二十歳の春、出発の朝、母は駅まで来なかった。

父が代わりに、ホームの端で煙草を吸いながら、ぶっきらぼうに言った。

「母さんは、給食室の仕込みがあるから」

俺は、その言葉を、長い間、ただの職務上の都合だと信じていた。

東京で結婚し、子どもには恵まれず、管理職になり、五十四で早期退職した。

帰省は、年に一度の盆だけだった。

最後の三年間は、母が俺を息子と認めなくなってから、ほとんど足が遠のいていた。

母の最期に、俺は間に合わなかった。

夜行列車を乗り継いで葬儀の朝に駆け付けたとき、母の頬は、もう乾いた板のように冷たかった。

俺は、母の額に手を置いて、何も言えなかった。

そして、その葬式の朝以来、俺は、母のミシンのことを、すっかり忘れていた。

ミシンの右脇には、小さな抽斗が、二つだけ付いていた。

上の抽斗を、俺は、軋ませながら、ゆっくりと引き出した。

中には、油紙に包まれた、薄い束が、几帳面に縦に並べて、入っていた。

包みは、抽斗の手前から奥に向かって、まるで本棚の本のように、ずらりと並んでいた。

俺は、手前の包みを一つだけ取り出して、油紙を開いた。

布だった。

掌ほどの、藍色の、木綿の端切れだった。

角に、母の筆跡で、小さく、墨で書かれた紙片が、糸で縫い付けてあった。

『悟 三歳の春 通園着』

俺は、その十一文字の上から、目が動かせなくなった。

包みは、抽斗の奥に向かって、まだ何十も続いていた。

俺は、両手を、ジャージの太腿で、強く拭った。

そして、一つずつ、慎重に、油紙を開いていった。

『悟 六歳 入学式の半ズボン』

『悟 九歳 夏休みの水泳パンツ』

『悟 十二歳 修学旅行の白いシャツ』

『悟 十五歳 高校入学の制服の裏地』

包みの中の端切れは、どれも、子どもの服から残った、ほんの掌ほどの大きさだった。

母は、俺が着てすり切れて捨てた服から、一片だけを、四十年以上、油紙に包んで、仕舞い続けていたのだった。

俺は、ようやく、思い出していた。

小学校に上がる前の俺の通園着は、確かに、母が縫った藍色の半纏だった。

クラスメイトは、皆、町の子供服屋で買ってもらった既製品を着ていた。

俺は、母の縫った服が、貧乏くさくて、嫌で堪らなかった。

「もう、お母さんが縫ったやつ、着たくない」

小学校の三年生のとき、俺は、確かに、母にそう言った。

母は、何も答えなかった。

夕飯の支度の途中で、流しの水を、いつもより長く流していた、その背中だけを、覚えている。

その翌週から、俺の服は、町の店で買った既製品に変わった。

俺は、その日から、母がミシンを踏む音を、家の中で聴かなくなったのだと、ずっと、勝手に信じ込んでいた。

『悟 二十 就職の年の旅行鞄の裏布』

抽斗の奥から二番目の包みは、俺が二十歳で家を出た年のものだった。

その紙片には、母が駅に来なかったあの朝の、俺の旅行鞄の、内側の布の切れ端が、入っていた。

俺は、納屋の土間に、両膝をついて座り込んだ。

頭の上の梁が、ぐらりと、ゆっくりと回り始めた。

下の抽斗には、小さな桐の箱が、一つだけ入っていた。

蓋を取ると、中に、便箋が一枚、四つに折られて、置かれていた。

和紙の風合いの、薄く黄ばんだ紙だった。

角が少しだけ、湿気で、上に向かって反り返っていた。

母の字は、いつもの買い物メモと違って、丁寧な楷書で書かれていた。

鉛筆の、薄い、震えるような線だった。

『悟へ。

このミシンの抽斗を開けたあなたへ、お母さんから、ひとつだけ、伝えておきたいことがあります。

あなたが小さい頃、お母さんは、あなたの服のほとんどを、自分で縫っていました。

町の店で、安い既製品が買えるようになった頃も、お母さんは、ミシンを止められなかった。

あなたが、自分の縫った服を着て、町を歩いている姿を見るのが、お母さんの、いちばんの楽しみだったからです。

あなたが小学三年生のとき、もう縫った服は着たくないと言ってくれたことがありました。

あの時、お母さんは、本当は、嬉しかったのです。

子どもが、自分で恥ずかしいと感じられるくらい、ちゃんと大きくなってくれたのだと、台所の流しの前で、ひとりで笑っていました。

でも、ミシンを踏む手は、止められませんでした。

あなたが寝た後、夜中の納屋で、こっそりミシンを踏んでいたのです。

あなたの体操着の脇のほつれや、あなたの新しいシャツの内側の補強や、誰にも気づかれないところを、お母さんは、まだ縫い続けていました。

あなたが大きくなって、洋服屋さんで自分の服を選ぶようになって、それでも、お母さんは、捨てる服から、一片だけ、こっそり切り取らせてもらっていました。

勝手にごめんなさい。

でも、あの端切れの一枚一枚が、お母さんが、あなたの育っていく季節を、確かに見届けていた、その証でした。

あなたが二十歳で東京へ発った日、駅まで行けなくて、本当にごめんなさい。

あの朝、お母さんは、台所で、あなたの旅行鞄の裏布の余りを、そっと切らせてもらっていました。

あなたを見送ったら、もう、しばらく会えなくなる気がして。

泣いている顔を、あなたに見せたくなかったのです。

褒めるのが下手な母で、本当に、ごめんなさい。

ずっと、心の中で、あなたのことを、誇りに思っていました。

これから先は、もう、お母さんのために、頑張らなくていいのです。

あなた自身が、本当に好きだと思うことを、これからは、好きなだけしてください。

お母さんは、それを、空の上から見守るのが、いちばんの幸せです。

母 敏子』

俺は、便箋の最後の二文字、「敏子」を、何度も指の腹でなぞった。

納屋の窓から差し込む夕日が、紙の上を、ゆっくりと横切っていった。

気付くと、土間の砂利の上に、丸い染みが、いくつも、続けて落ちていた。

それは、俺の涙が、納屋の土の上に、落ちる音だった。

納屋の入口の影に、いつのまにか、妻の恭子が立っていた。

何時から俺を見ていたのか、俺には分からなかった。

妻は、何も言わずに、俺の隣に、ゆっくりと膝をついた。

抽斗の中の油紙の包みを、ひとつ、両手でそっと持ち上げた。

『悟 六歳 入学式の半ズボン』

その紙片を、妻は、人差し指の腹で、丁寧になぞった。

「お義母さん、こんなに、たくさん、覚えていてくれたんだね」

妻の声は、薄く震えていた。

俺は、頷くことしかできなかった。

妻は、俺の右手を、両手で包み込んで、長い間、何も言わなかった。

納屋の小さな窓から、夕方のひぐらしの声が、入ってきていた。

土間の隅で、母が長年使っていた竹箒が、壁に立てかけてあった。

その箒の先が、わずかに、夕日の橙色を吸って、俺の足元の砂利の方へ、伸びていた。

俺は、そのとき初めて、母の納屋の匂いが、母の手の匂いと、そっくりだったことに気が付いた。

「ねえ、悟さん」

妻が、俺の耳元で、小さく呼んだ。

「お義母さんのミシン、これ、まだ動くかも」

妻は、足踏みの板を、軽くつま先で押した。

カタン、と、四十年ぶりに、針棒が、ゆっくりと一往復した。

その音は、俺の幼かった頃、夜更けに、隣の納屋から漏れ聞こえていた、あの音と、まったく同じ音だった。

町の広報紙の片隅に、町立公民館の「子ども服を縫う会」のボランティア募集の小さな告知が出たのは、母の四十九日が過ぎたばかりの頃だった。

新しい一年生のために、お古の制服を仕立て直すボランティアだ、と、小さな活字で書かれていた。

俺は、その小さな文字の周りに、赤いボールペンで、丸を、何度も、ぐるぐると重ねて描いた。

東京で電機メーカーの管理職を三十四年務めた男が、田舎の公民館で、子どもの服を縫う係に応募する。

妻は、「あなたらしい」とだけ言って、湯飲み茶碗を両手で包んで、笑った。

初日の朝、俺は、母のミシンの抽斗の包みから、一枚だけ、藍色の端切れを取り出した。

『悟 三歳の春 通園着』

その紙片の隣に、俺は、新しい木綿の白い布を、一片だけ並べた。

そして、母と同じ墨で、自分の字を、紙片に継ぎ足した。

『次は、君たちの番です』

俺は、その小さな白い布を、胸ポケットに、お守りのように仕舞った。

町立公民館の門の前に立つと、桜の若葉が、午後の光に、薄緑色に透けていた。

校門の脇で、新一年生の女の子が、お母さんの手を引いて、こちらを覗き込んでいた。

俺は、その子に、軽く頭を下げて、ガラスの引き戸を、ゆっくりと開けた。

戸の向こうの広間からは、何台かの古いミシンの、低い、優しい唸りが、もう聞こえ始めていた。

俺は、一度だけ、空に向かって、軽く手を上げた。

「お母さん、今度は、子どもたちの服を、俺が縫いに行くよ」

誰にも聞こえないように、俺は、母に、そう、伝えた。

四月の、但馬の風が、俺の背中を、そっと、押した。

母のミシンの油の匂いが、まだ、俺の指先に、温かく、残っていた。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

ラクリマを応援する

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

月額 150円(初月無料)または 480円 の買い切りで、
広告のない、静かな読書体験をお届けします。

プランを見る
メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。

読んでいただけるだけで、十分に励みになります。
それでも応援したいと思ってくださる方へ、心より感謝いたします。