妻の名が彫られた鑿

職人

朝、台所の方から味噌汁の匂いがした。

登美子はもう三十五年、毎朝同じ時間に俺の朝飯を作っている。

ただ、最近はそこに、声がない。

鯵の干物に箸を伸ばすと、湯のみに茶が継ぎ足された。

俺は「ああ」と短く言った。

登美子は窓の方を見たまま、エプロンの紐を結び直していた。

外では、宇和海の朝の波が、入江の杭を細く叩いていた。

ここは愛媛の南端、四国の海岸線がしずかに切れ落ちる、人口三百人ほどの小さな漁村。

俺、津野孝治、五十八歳。

四代続いた船大工の、たぶん最後の代になる。

登美子はこの集落の古い茶屋を実家から継いで、海沿いの細い道で、観光客や近所の漁師の女房たちに番茶と団子を出している。

子どもは二人いるが、息子は岡山、娘は神戸。盆と正月にしか帰ってこなくなって、もう何年になるか。

今、この家には、夫婦と古い柱時計の音だけがある。

食器を片付ける気配の中、登美子がぽつりと言った。

「お父さん、今日は弟子の正吉さんとこ、寄っとくの」

俺は箸を置いた。

「いや、別に用はない」

「そう」

登美子はそれだけ言って、桜湯のように薄い番茶を、自分の湯のみに注いだ。

三十五年、こうして言葉が削れ続けてきた気がする。

結婚した頃は、俺もまだ若かった。

船大工の修業は、まだ親父が現役で、来る日も来る日も鑿の研ぎ方ばかりやらされた。

夜は工場の隅で図面を引き、休日には材木屋の山に入って、樫や欅の木目を見て覚えた。

家には寝に帰るだけで、登美子と話した記憶があまりない。

娘が生まれた朝、産院に駆けつけたのは三日後だった。

削りかけの櫓があって、それを置いて行ける齢ではないと、自分に言い聞かせていた。

それからしばらく、登美子は何も言わずに俺の弁当に梅干しを多めに入れるようになった。

俺はそれが彼女の流儀の怒り方だと、ずっと後になって気づいた。

仕事場は、家から細い坂を下りた、入江の突端にある。

父の代に建てた木造の小屋で、屋根のトタンは赤く錆びている。

戸を開けると、いつもの匂いが鼻を打つ。

檜の削りかすと、海風と、機械油の混ざった、四十年変わらない匂いだ。

壁には親父の代から使っている鋸や鉋がずらりと並び、奥には進水を待つ和船の骨組みが影のように立ち上がっていた。

窓から差し込む朝の海光が、削りかすの細かな粒を金色に浮き上がらせていた。

その日、入江の対岸から、八十二歳になる漁師の宮野さんが船を寄せた。

「孝治、すまんが、この船、また見てくれんか」

木造の小さな漁船で、舳先の彫りが俺の親父の手のものだとすぐに分かった。

五十年前、宮野さんが嫁取りをした年に、親父が一週間泊まり込みで作った祝いの船だった。

「もう、わしの代で終いじゃ。せめて、最後の年くらいは綺麗な船に乗って、嬶さんと夕日を見に出たい」

宮野さんは皺の深い目元で笑った。

俺は黙ってうなずいて、船を上架台に上げた。

船底の腐りを削り直すため、奥の納屋から親父の道具箱を引っ張り出した。

桐の蓋を開けると、油紙にくるまれた古い鑿が、ずらりと並んでいた。

親父は十年前に、肺をやられて逝った。

道具箱はそのまま、誰も触らないように、奥の壁に立てかけてあった。

その中の一本、刃幅が一寸あるやや太めの鑿を取り出した時、ふと、柄の側面に何か浅く彫られているのに気づいた。

細かく目を凝らした。

仮名で、二文字。

「とみ」

俺は息を止めた。

登美子の名前が、親父の鑿の柄に、彫られていた。

柄の文字は、深くはない。

たぶん、釘の頭か、別の小刀の先で、少しずつ刻んだものだろう。

長年の手脂で艶が乗り、字の溝にだけ微かな黒が溜まっていた。

親父が、なぜ嫁の名前を、自分の道具に刻む。

俺の知る親父は、一度も「ありがとう」を口にしないような人だった。

母にも、登美子にも、孫にも、一度もそんな言葉をかけたのを聞いたことがない。

その親父が、自分の鑿の柄に、嫁の名前を彫った。

意味が、分からなかった。

ただ、何かが胸の奥で、小さく軋んだ。

その夜、俺は親父の弟子だった正吉さんを訪ねた。

正吉さんは八十五歳、隣の集落で一人暮らしをしていた。

体はもう動かないが、頭はしっかりしている。

俺が手土産の最中を渡し、湯のみを受け取りながら、ぽつりと話を切り出した。

「正吉さん、親父の鑿に、嫁の名前が彫ってあったんよ」

「ええ、刃幅の一寸のやつかね」

俺は驚いた。

正吉さんは、すべて知っている目をしていた。

「孝治、お前、覚えとらんかもしれんが」

正吉さんは湯のみを置いて、ゆっくりと話し始めた。

「お前と登美子さんが祝言を挙げる前のことや」

「登美子さんとこは、男兄弟がおらんかった。茶屋を継ぐ者がおらん」

「向こうの両親は、お前を婿に取りたい言うてきとったんよ」

俺は、湯のみを持つ手を止めた。

そんな話、初耳だった。

「お前は何も知らされとらんかった。当然や、親父さんが全部止めたんやけ」

「親父さんは、お前を船大工に仕上げたかった。津野家の四代目を、絶やしたくなかった」

「ほやけど、登美子さんとこに頭を下げに行くいうんは、男としてはこたえる話よ」

「親父さん、登美子さんの両親に、こう言うたそうじゃ」

「『うちの倅は不器用で、嫁を大事にする言葉も、たぶん一生持てん。それでも、津野の鑿を継いでもらいたい。代わりに、登美子さんが嫁いでくれたぶん、わしが一生、登美子さんを娘と思うて拝む』言うてな」

俺は、湯のみの中の番茶を見ていた。

湯気が、もう細く、消えかけていた。

「親父さんは、家に帰って何も言わんかった。お前にも、登美子さんにも」

「ほやけど、その晩から、親父さんは、自分の一番大事な鑿の柄に、登美子さんの名前を、ちょっとずつ彫り始めたんじゃ」

「『おとみさんの名前を、毎日この手で握って仕事する。それが俺の、頭下げた者としての、せめてもの礼や』言うとった」

「親父さん、亡くなる前の年、わしの工場に来てな、『正吉、わしの代わりに、いつかあの鑿が倅の手に渡る日が来たら、この話を聞かせてやってくれ』と、頭を下げて頼んでいきよった」

俺は、こらえきれずに、鼻の奥を熱くした。

「正吉さん、なんで、その話、今まで誰も俺に言わんかった」

「親父さんが、絶対お前と登美子さんには言うなと、わしらに頭を下げたんじゃ」

「『わしが死んだ後、もし倅が気づくことがあったら、その時にだけ、誰かが言うてやってくれ』いうて」

正吉さんの家を出ると、宇和海の上に、夕暮れの最後の薄紅が残っていた。

細い坂道を、潮風に押されるように下って帰った。

家の灯りが、谷間の集落の中で一つだけ温かく灯っていた。

登美子は、もう茶屋から戻って、台所で大根を煮ていた。

俺はだまって靴を脱ぎ、洗い場の脇に、油紙にくるんだ鑿を置いた。

「これ」

俺は、それしか言えなかった。

登美子は手を拭きながらこちらを見て、目を細めて、油紙を解いた。

柄を、手のひらでそっと撫でた。

指先が、細い文字の溝で、ふと止まった。

登美子は、長いことその場で動かなかった。

大根の煮える、くつくつという音だけがしていた。

やがて、ぽつりと言った。

「お父さん、これ……」

声が、あとに続かなかった。

俺は、こらえていたものが、不器用に喉から出てきた。

「俺は、何も知らんかった。三十五年、何も」

「お前に、礼の一つも、言うたことがない」

登美子は、柄を握ったまま、首を振った。

「ええんよ、お父さん」

「この家のお父さんも、あなたも、口下手なんは、生まれつきや」

「私はね、こうして、毎朝あなたに味噌汁を出せるんが、五十年前、あちらのお父さんが頭下げてくれた、そのおかげやと、ずっと思うとったんよ」

「あの人ね、嫁いだ次の日にね、私の手をぎゅっと握って、『すまんなあ』と一回だけ言うてくれたんよ」

「それで、私はもう、十分やったんよ」

俺は、立ったまま、声を上げて泣いた。

大の男が、台所の真ん中で、子どものように泣いた。

登美子は、何も言わずに、俺の背中に手を置いた。

三十五年、初めて触れる、妻の手のような気がした。

大根の鍋の蓋が、小さくことことと音を立てていた。

そういえば、登美子の手のひらは、俺と同じくらい、節くれていた。

三十五年、茶屋の湯を沸かし、団子の餡を練り、観光客に頭を下げ、家の床も拭いてきた手だった。

翌朝、いつものように、味噌汁の匂いがした。

食卓には、俺の朝飯と、湯のみと、鯵の干物。

そしてその脇に、油紙にくるまれた鑿が、丁寧に置かれていた。

登美子は、こちらを見ずに、にっこりと、湯気の向こうで笑った。

「今日も、ようやってきてや」

俺は「ああ」と、いつもより少しだけ長く返事をした。

仕事場へ下る坂で、潮風が、新しい朝を運んでいた。

これからは、この鑿で、宮野さんの船を直す。

そして、登美子が生きているうちに、もう一艘、家の前の入江に小さな船を作ろうと思った。

夫婦二人で、夕凪の湾を、ゆっくり漕ぎ出すための船。

名前は、もう、決まっていた。

「とみ丸」、と。

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