藍場の朝は、甕を叩く音から始まる
夫は、仕事場に入る前に、必ず甕の縁を手の甲で一度たたきました。
徳島の吉野川のそば、板野の在所で、うちは藍を建てる家でした。藍甕は土間に六つ、地面に肩まで埋まっています。朝いちばんに蓋を取ると、白いあぶくが盛り上がっていて、あの独特の、少し鼻を刺すような匂いが立ちます。
「おはようございます」
夫は、甕にそう言うのです。人には無愛想な人でしたが、甕にだけは毎朝きちんと挨拶をしていました。
藍は、蓼藍の葉を刈って、干して、水を打ちながら百日ほど積んで発酵させます。できあがった黒い塊をすくもと呼びます。うちはそのすくもを仕入れて、甕で建てる家でした。建てる、というのは、微生物に働いてもらって、水に溶けない藍を溶ける形に変えることです。
甕の機嫌は毎日違います。同じことをしても、同じ色は出ません。夫は帳面に、その日の気温と、灰汁の量と、かき混ぜたときの泡の高さを書いていました。文字はひどい悪筆でしたが、数字だけはきれいに書く人でした。
「今日は、ちょっと寝とる」
「起こさんの」
「無理に起こしたら、あとで拗ねる」
そういう言い方をする人でした。
娘の澪は、それを土間の上がりかまちに座って見ていました。三つか、四つのころです。
「なんで、かめさんにおはようって言うん」
「藍は生きとるけんな」
「いきとるん」
「腹が減ったら食べさせて、寒かったら温めてやらんといかん。人と一緒よ」
澪は、それを本気で聞いていました。子どもというのは、大人が思うよりずっと本気で聞いています。
澪が二つのころ、甕に手を入れようとして、夫にひどく叱られたことがあります。あんなに大きな声を出す人だと知りませんでした。あとで理由を聞いたら、こう言いました。
「藍は染めたら、そこで止まる。手についたら、洗うても十日は落ちん」
「そんなら、そう言うてやったら」
「言うたら、澪はもう二度と土間に来んようになる」
そのくせ夫は、その晩に自分の手の甲を澪に見せて、指の股まで青く染まったのを、わざと洗わずに寝ました。翌朝、澪は「パパの手、そらの色」と言って喜んでいました。
※
去年の十月に、私は妻でなくなりました
夫が事故に遭ったのは、去年の十月です。
すくもを積んだ軽トラックで、県道の橋の手前でした。相手の車の話も、警察の話も、いまはうまく思い出せません。覚えているのは、病院の廊下の椅子が、やけに冷たかったことだけです。
その日から、うちの藍は死にました。
藍は、放っておくと発酵が止まります。灰汁を足して、ふすまを入れて、温度を見て、毎日かき混ぜて。それを十日もさぼれば、甕の中は、ただの黒い水になります。
私は、蓋を開けられませんでした。
開けたら、あの匂いがするからです。あの匂いがしたら、次に手の甲で縁をたたく音が聞こえるはずで、聞こえないことを確かめてしまうからです。
六つの甕は、蓋をしたまま、冬を越しました。
※
字を教えてほしい、と言われた夜
四月に入って、澪が四つになりました。
ある晩、寝る前に、澪が私の袖を引いて言いました。
「おかあさん、じ、おしえて」
「じ」
「かくじ」
私は驚きました。保育園でひらがなの表は見ているはずですが、自分から習いたいと言ったのは初めてでした。
どうせすぐ飽きるだろう、と思いました。それでも、正直なところ、ありがたかったのです。夜になると、私はどうしても何もできなくなる人間になっていました。何かすることがあるというだけで、その一時間だけは息ができました。
チラシの裏に、大きく「あ」と書きました。澪は舌を出して、鉛筆を握って、線を三本引きました。似ても似つかない三本でした。
「じょうずやね」
「まだ、へた」
「うん、まだ、へた」
そう言うと、澪は笑いました。
字を教える時間は、だいたい三十分でした。
澪は、鉛筆を握るのが下手で、親指を紙につけてしまう癖がありました。線を引くたびに、紙が黒くなる。何度直しても直りません。あるとき、その黒い指のまま、私の手の甲をつかんできました。
「おかあさんの手、しろい」
私は、その一言でしばらく動けませんでした。夫が生きていたころ、私の手はいつも指の股まで青かったのです。染めていないから白いのだと、四つの子に言われて初めて気づきました。
その夜から、私は爪の縁だけでも見られないように、寝る前に手を後ろに回すようになりました。子どもの前で、隠しごとが一つ増えたわけです。
それから毎晩でした。飽きるどころか、澪は風呂から上がるとすぐにチラシの束を持ってきます。四月のうちに、あ行とか行を覚えました。五月には自分の名前が書けるようになりました。六月には、私の名前も書けるようになりました。
不思議だったのは、澪が「か」の次に覚えたがった字です。
「かえして、って、どうかくん」
私は、返却の返だと思いました。絵本を保育園に返すのだろう、と。
「ひらがなでよかけん、か、え、し、て」
「かえして」
澪は、それを十回、続けて書きました。
※
保育園の先生からの電話
七月の、蒸し暑い夕方でした。
保育園の松本先生から、家に電話がありました。声の調子で、何かあったのだと分かりました。
「お母さん、あの、少しお時間よろしいですか」
「はい」
「澪ちゃんから、手紙を、預かってしまって」
「手紙、ですか」
「神様に届けてほしい、って」
私は、受話器を持ったまま、台所の柱にもたれました。
松本先生は、正直に話してくれました。断ればいいものを、とっさに「先生が預かるね」と言ってしまったこと。そのあと、澪が「きってはいらんの」と真剣に聞いてきたこと。切手の要らない郵便があると説明できずに困ったこと。
そして、封をされていない折り紙の中身を、失礼だと分かっていながら読んでしまったこと。
「読ませてもらいます」
先生は、そう断って、ゆっくり読み上げました。
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
松本先生は、そのあとの一週間、園で澪の様子を見ていてくれたそうです。あの子は、給食の時間にお友達のこぼした汁を拭いたり、下の組の子の靴を並べたりしていた。先生は、それを「やさしい子ですね」としか思っていなかったと言いました。
「いま思うと、あれは、いい子にしとる、を毎日やっとったんですね」
そう言われて、私は初めて、あの十七文字の前半のほうが重いのだと気づきました。
※
返して、の意味
澪が字を覚えたかったのは、この一通のためだったのです。
「かえして」を十回書いていたのは、絵本のためではありませんでした。あの子は、四月から三か月かけて、この十七文字を書ける手をつくっていたのです。
受話器の向こうで、松本先生が鼻をすする音がしました。私も泣いていました。二人で、しばらく何も言えませんでした。
先生が最後に、ためらいながら言いました。
「あの、余計なことかもしれませんが」
「はい」
「澪ちゃん、いいこにする、って書いてます」
「はい」
「あれは、なんでしょうか」
私は、そのときは分かりませんでした。
子どもが神様に何かを頼むときは、いい子にするからと引き換えにするものだ、くらいに思っていました。
違いました。
松本先生は、電話を切る前に、もう一つ教えてくれました。
澪は、手紙を渡すとき、先生の顔を見ずにこう言ったそうです。
「おかあさんには、ないしょで」
四つの子が、内緒という言葉を、その意味どおりに使ったのです。母親を心配させないという意味で使ったのです。
先生は、そこで断れなくなったと言いました。断れば、あの子はもっと確実な方法を探しに行く。だから預かってしまった、と。
「先生、ありがとうございます」
それだけ言うのが、私には精いっぱいでした。
※
連絡帳の、最後の欄
その夜、私は押し入れから保育園の連絡帳を出しました。
去年の十月のページで、夫の字が終わっています。事故のあった朝の欄です。夫は毎朝、送りのついでに二、三行書く人でした。
そこには、こう書いてありました。
「今朝はちょっと、けんかしました。自転車のかごに乗ると言うてきかず。いい子にしとりよ、と言うて出ました」
私は、その行を何度も読みました。
あの朝、私は先に仕事場に入っていて、玄関のやりとりを聞いていませんでした。夫が最後に娘に言った言葉を、私は知らなかったのです。
いい子にしとりよ。
あの子はそれを、約束だと思ったのでしょう。そして、その約束を守れなかったから、父親が帰ってこないのだと思っていたのです。九か月、たった一人で。
私は連絡帳を抱えて、土間に降りました。
※
甕の蓋の裏
暗い土間で、私は六つの甕のいちばん端の蓋に手をかけました。
十か月ぶりでした。
蓋を持ち上げると、思ったとおり、中は死んでいました。表面に膜が張って、光を返しません。あの白いあぶくは、どこにもありませんでした。
そして、蓋の裏に、紙が一枚貼ってありました。
セロハンテープが四隅に、ぐしゃぐしゃに貼ってあります。裏返して読みました。
「かめさんへ ぱぱをかえしてください」
日付はありません。字の形からすると、六月のはじめごろでしょうか。「かえして」を十回書いた、あのあたりです。
私は、そこにしゃがみ込みました。
あの子が返してくださいと書いた神様は、うちの土間におりました。
空の上でも、お寺でも、神社でもありません。父親が毎朝、手の甲で縁をたたいて挨拶をしていた、この甕です。生きているものだと教えられ、腹が減ったら食べさせるものだと教えられた、この土間の神様です。
あの子は、まず一番近い神様に頼んだのです。返事がなかったから、次に、保育園の先生に頼んだのです。
※
灰汁を沸かす
翌朝、私は木灰を出しました。
藍を建て直すには、まず灰汁をつくります。木灰に湯を注いで、上澄みをとって、それを何度も繰り返す。夫がやっていたのを、私は横で見ていただけでした。手順は覚えていても、加減が分かりません。
近所の池田さんに来てもらいました。八十を過ぎた藍師さんで、夫の師匠にあたる人です。
「六つとも、あかんな」
「はい」
「一つだけやろ。無理せられん」
そう言って、池田さんは、いちばん端の甕を選びました。澪が紙を貼っていた甕でした。理由を聞くと、そっけない返事でした。
「日の当たる時間が、いっとう長いけん」
池田さんは、灰汁をかき混ぜながら、夫の若いころの話をしてくれました。
「あいつはな、二十のとき、うちの甕を一つ腐らせたことがある」
「そんな話、聞いたことないです」
「言うわけなかろ。そのあと一年、毎朝、蓋を取る前にわしのとこへ挨拶に来よった。わしがええ加減にせえ言うたら、次の年から、甕に挨拶するようになった」
あの、手の甲で縁をたたく癖には、はじまりがあったのです。
「腐らせたやつだけが、次から手を抜かん。あんたもそうなる」
池田さんは、それだけ言って、また灰汁をかき混ぜました。
灰汁を足して、ふすまを入れて、石灰を打って、毎日かき混ぜる。三日目、匂いが変わりました。五日目、色が少し動きました。
七日目の朝、蓋を取ると、水面に小さな泡が集まっていました。
藍の華、といいます。
藍が建つと、甕の中は不思議な色になります。上から見ると黒に近い緑で、掬うと黄がかった琥珀。その水に浸けた布を引き上げて、空気に触れさせると、みるみる青に変わっていきます。染めているのではなく、空気が色を決めている。夫は、それを「藍が息をする」と言っていました。
池田さんが最初の一枚を染めてくれました。晒しの手ぬぐいです。引き上げて、絞って、広げて。緑から青へ変わっていく数十秒を、私と澪は黙って見ていました。
「これが、うちの色」
澪はそう言って、手ぬぐいの端をずっと握っていました。あの子は、父親が染めた布を、もう覚えていません。それでも「うちの色」と言ったのです。
※
パパ、帰ってきたよ
そのころから、澪の様子が変わりました。
私が土間にいる時間が長くなると、あの子は上がりかまちに座って見るようになりました。父親がそこにいたときと、同じ場所です。
ある日、澪が保育園でこう言ったと、松本先生から聞きました。
「もうすこししたら、パパかえってくるんよ」
先生は、返事に困ったそうです。私も、その話を聞いたときは胸が詰まりました。まだ分かっていないのだ、と思ったのです。
違いました。
あの子は、母親が甕を温めはじめたのを見ていました。腹が減ったら食べさせて、寒かったら温めてやる。父親がそう教えた、そのとおりのことを、母親がやっている。
だからあの子は、準備が始まったのだと思ったのです。
藍の華が立った朝、私は澪を土間に呼びました。
あの子は甕をのぞき込んで、しばらく黙って、それから小さな声で言いました。
「かえってきた」
私は、違うよ、とは言いませんでした。
「うん。おかえりって、言うて」
澪は、手の甲で甕の縁を一度たたきました。父親がそうしていたのを、覚えていたのです。
「おかえり」
私は、そこで初めて、あの子の前で泣きました。九か月、一度も見せずにきた涙でした。
※
いい子にしとりよ
その晩、寝る前に、私は連絡帳を澪に見せました。
四つの子に読めるはずもありませんが、指でなぞって、父親の字だよと教えました。
「これ、パパが書いたと。あの朝、けんかしたって書いてある」
澪は、じっと見ていました。
「澪は、いい子にしとらんかった?」
こくり、と首を縦に振りました。九か月、この子はそれを誰にも言わずに持っていたのです。
私は、あの子の手を取りました。
「いい子にしとりよ、は、お願いやなかとよ。パパが、いってきますって言うのが恥ずかしかっただけ」
これが正しい説明かどうかは分かりません。ただ、そのとき言えるいちばんまともな言葉が、それでした。
澪は、鉛筆を持ってきて、チラシの裏に何か書きました。
「かめさんへ ありがとう」
「かえして」ではありませんでした。
秋には園の芋掘りがありました。私は迷った末に行きました。泥だらけの子どもの列のいちばん後ろで、澪が両手に一本ずつ芋を持って立っていて、私を見つけると走ってきて、二本とも押しつけてきました。
「なんで二本」
「ひとつは、かめさんの」
甕は芋を食べません。それでも私は、その一本を土間の隅に置きました。いまも、そこに乾いたまま置いてあります。
※
いまも、六つのうち一つだけ
あれから一年が経ちました。
甕は、まだ一つしか建っていません。池田さんに言われたとおり、無理はしていません。染めるのは、注文の分だけです。
澪は五つになって、ひらがなはもう全部書けます。この前、保育園でお手紙ごっこをしたそうで、松本先生あての手紙を持って帰ってきました。中を見せてもらったら、宛名の下に、切手のかわりに四角い絵が描いてありました。
「これ、なに」
「かめさん」
あの子の郵便は、いまも土間の甕を通るようです。
朝、私は蓋を取る前に、手の甲で縁を一度たたきます。夫がしていたのと同じようにです。挨拶をしてから開けると、白いあぶくが少しだけ盛り上がっています。
返してくださいと書いた紙は、剥がさずに、蓋の裏に貼ったままにしてあります。
※
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