娘が神様に出した十七文字

藍場の朝は、甕を叩く音から始まる

夫は、仕事場に入る前に、必ず甕の縁を手の甲で一度たたきました。

徳島の吉野川のそば、板野の在所で、うちは藍を建てる家でした。藍甕は土間に六つ、地面に肩まで埋まっています。朝いちばんに蓋を取ると、白いあぶくが盛り上がっていて、あの独特の、少し鼻を刺すような匂いが立ちます。

「おはようございます」

夫は、甕にそう言うのです。人には無愛想な人でしたが、甕にだけは毎朝きちんと挨拶をしていました。

藍は、蓼藍の葉を刈って、干して、水を打ちながら百日ほど積んで発酵させます。できあがった黒い塊をすくもと呼びます。うちはそのすくもを仕入れて、甕で建てる家でした。建てる、というのは、微生物に働いてもらって、水に溶けない藍を溶ける形に変えることです。

甕の機嫌は毎日違います。同じことをしても、同じ色は出ません。夫は帳面に、その日の気温と、灰汁の量と、かき混ぜたときの泡の高さを書いていました。文字はひどい悪筆でしたが、数字だけはきれいに書く人でした。

「今日は、ちょっと寝とる」

「起こさんの」

「無理に起こしたら、あとで拗ねる」

そういう言い方をする人でした。

娘の澪は、それを土間の上がりかまちに座って見ていました。三つか、四つのころです。

「なんで、かめさんにおはようって言うん」

「藍は生きとるけんな」

「いきとるん」

「腹が減ったら食べさせて、寒かったら温めてやらんといかん。人と一緒よ」

澪は、それを本気で聞いていました。子どもというのは、大人が思うよりずっと本気で聞いています。

澪が二つのころ、甕に手を入れようとして、夫にひどく叱られたことがあります。あんなに大きな声を出す人だと知りませんでした。あとで理由を聞いたら、こう言いました。

「藍は染めたら、そこで止まる。手についたら、洗うても十日は落ちん」

「そんなら、そう言うてやったら」

「言うたら、澪はもう二度と土間に来んようになる」

そのくせ夫は、その晩に自分の手の甲を澪に見せて、指の股まで青く染まったのを、わざと洗わずに寝ました。翌朝、澪は「パパの手、そらの色」と言って喜んでいました。

去年の十月に、私は妻でなくなりました

夫が事故に遭ったのは、去年の十月です。

すくもを積んだ軽トラックで、県道の橋の手前でした。相手の車の話も、警察の話も、いまはうまく思い出せません。覚えているのは、病院の廊下の椅子が、やけに冷たかったことだけです。

その日から、うちの藍は死にました。

藍は、放っておくと発酵が止まります。灰汁を足して、ふすまを入れて、温度を見て、毎日かき混ぜて。それを十日もさぼれば、甕の中は、ただの黒い水になります。

私は、蓋を開けられませんでした。

開けたら、あの匂いがするからです。あの匂いがしたら、次に手の甲で縁をたたく音が聞こえるはずで、聞こえないことを確かめてしまうからです。

六つの甕は、蓋をしたまま、冬を越しました。

字を教えてほしい、と言われた夜

四月に入って、澪が四つになりました。

ある晩、寝る前に、澪が私の袖を引いて言いました。

「おかあさん、じ、おしえて」

「じ」

「かくじ」

私は驚きました。保育園でひらがなの表は見ているはずですが、自分から習いたいと言ったのは初めてでした。

どうせすぐ飽きるだろう、と思いました。それでも、正直なところ、ありがたかったのです。夜になると、私はどうしても何もできなくなる人間になっていました。何かすることがあるというだけで、その一時間だけは息ができました。

チラシの裏に、大きく「あ」と書きました。澪は舌を出して、鉛筆を握って、線を三本引きました。似ても似つかない三本でした。

「じょうずやね」

「まだ、へた」

「うん、まだ、へた」

そう言うと、澪は笑いました。

字を教える時間は、だいたい三十分でした。

澪は、鉛筆を握るのが下手で、親指を紙につけてしまう癖がありました。線を引くたびに、紙が黒くなる。何度直しても直りません。あるとき、その黒い指のまま、私の手の甲をつかんできました。

「おかあさんの手、しろい」

私は、その一言でしばらく動けませんでした。夫が生きていたころ、私の手はいつも指の股まで青かったのです。染めていないから白いのだと、四つの子に言われて初めて気づきました。

その夜から、私は爪の縁だけでも見られないように、寝る前に手を後ろに回すようになりました。子どもの前で、隠しごとが一つ増えたわけです。

それから毎晩でした。飽きるどころか、澪は風呂から上がるとすぐにチラシの束を持ってきます。四月のうちに、あ行とか行を覚えました。五月には自分の名前が書けるようになりました。六月には、私の名前も書けるようになりました。

不思議だったのは、澪が「か」の次に覚えたがった字です。

「かえして、って、どうかくん」

私は、返却の返だと思いました。絵本を保育園に返すのだろう、と。

「ひらがなでよかけん、か、え、し、て」

「かえして」

澪は、それを十回、続けて書きました。

保育園の先生からの電話

七月の、蒸し暑い夕方でした。

保育園の松本先生から、家に電話がありました。声の調子で、何かあったのだと分かりました。

「お母さん、あの、少しお時間よろしいですか」

「はい」

「澪ちゃんから、手紙を、預かってしまって」

「手紙、ですか」

「神様に届けてほしい、って」

私は、受話器を持ったまま、台所の柱にもたれました。

松本先生は、正直に話してくれました。断ればいいものを、とっさに「先生が預かるね」と言ってしまったこと。そのあと、澪が「きってはいらんの」と真剣に聞いてきたこと。切手の要らない郵便があると説明できずに困ったこと。

そして、封をされていない折り紙の中身を、失礼だと分かっていながら読んでしまったこと。

「読ませてもらいます」

先生は、そう断って、ゆっくり読み上げました。

「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」

松本先生は、そのあとの一週間、園で澪の様子を見ていてくれたそうです。あの子は、給食の時間にお友達のこぼした汁を拭いたり、下の組の子の靴を並べたりしていた。先生は、それを「やさしい子ですね」としか思っていなかったと言いました。

「いま思うと、あれは、いい子にしとる、を毎日やっとったんですね」

そう言われて、私は初めて、あの十七文字の前半のほうが重いのだと気づきました。

返して、の意味

澪が字を覚えたかったのは、この一通のためだったのです。

「かえして」を十回書いていたのは、絵本のためではありませんでした。あの子は、四月から三か月かけて、この十七文字を書ける手をつくっていたのです。

受話器の向こうで、松本先生が鼻をすする音がしました。私も泣いていました。二人で、しばらく何も言えませんでした。

先生が最後に、ためらいながら言いました。

「あの、余計なことかもしれませんが」

「はい」

「澪ちゃん、いいこにする、って書いてます」

「はい」

「あれは、なんでしょうか」

私は、そのときは分かりませんでした。

子どもが神様に何かを頼むときは、いい子にするからと引き換えにするものだ、くらいに思っていました。

違いました。

松本先生は、電話を切る前に、もう一つ教えてくれました。

澪は、手紙を渡すとき、先生の顔を見ずにこう言ったそうです。

「おかあさんには、ないしょで」

四つの子が、内緒という言葉を、その意味どおりに使ったのです。母親を心配させないという意味で使ったのです。

先生は、そこで断れなくなったと言いました。断れば、あの子はもっと確実な方法を探しに行く。だから預かってしまった、と。

「先生、ありがとうございます」

それだけ言うのが、私には精いっぱいでした。

連絡帳の、最後の欄

その夜、私は押し入れから保育園の連絡帳を出しました。

去年の十月のページで、夫の字が終わっています。事故のあった朝の欄です。夫は毎朝、送りのついでに二、三行書く人でした。

そこには、こう書いてありました。

「今朝はちょっと、けんかしました。自転車のかごに乗ると言うてきかず。いい子にしとりよ、と言うて出ました」

私は、その行を何度も読みました。

あの朝、私は先に仕事場に入っていて、玄関のやりとりを聞いていませんでした。夫が最後に娘に言った言葉を、私は知らなかったのです。

いい子にしとりよ。

あの子はそれを、約束だと思ったのでしょう。そして、その約束を守れなかったから、父親が帰ってこないのだと思っていたのです。九か月、たった一人で。

私は連絡帳を抱えて、土間に降りました。

甕の蓋の裏

暗い土間で、私は六つの甕のいちばん端の蓋に手をかけました。

十か月ぶりでした。

蓋を持ち上げると、思ったとおり、中は死んでいました。表面に膜が張って、光を返しません。あの白いあぶくは、どこにもありませんでした。

そして、蓋の裏に、紙が一枚貼ってありました。

セロハンテープが四隅に、ぐしゃぐしゃに貼ってあります。裏返して読みました。

「かめさんへ ぱぱをかえしてください」

日付はありません。字の形からすると、六月のはじめごろでしょうか。「かえして」を十回書いた、あのあたりです。

私は、そこにしゃがみ込みました。

あの子が返してくださいと書いた神様は、うちの土間におりました。

空の上でも、お寺でも、神社でもありません。父親が毎朝、手の甲で縁をたたいて挨拶をしていた、この甕です。生きているものだと教えられ、腹が減ったら食べさせるものだと教えられた、この土間の神様です。

あの子は、まず一番近い神様に頼んだのです。返事がなかったから、次に、保育園の先生に頼んだのです。

灰汁を沸かす

翌朝、私は木灰を出しました。

藍を建て直すには、まず灰汁をつくります。木灰に湯を注いで、上澄みをとって、それを何度も繰り返す。夫がやっていたのを、私は横で見ていただけでした。手順は覚えていても、加減が分かりません。

近所の池田さんに来てもらいました。八十を過ぎた藍師さんで、夫の師匠にあたる人です。

「六つとも、あかんな」

「はい」

「一つだけやろ。無理せられん」

そう言って、池田さんは、いちばん端の甕を選びました。澪が紙を貼っていた甕でした。理由を聞くと、そっけない返事でした。

「日の当たる時間が、いっとう長いけん」

池田さんは、灰汁をかき混ぜながら、夫の若いころの話をしてくれました。

「あいつはな、二十のとき、うちの甕を一つ腐らせたことがある」

「そんな話、聞いたことないです」

「言うわけなかろ。そのあと一年、毎朝、蓋を取る前にわしのとこへ挨拶に来よった。わしがええ加減にせえ言うたら、次の年から、甕に挨拶するようになった」

あの、手の甲で縁をたたく癖には、はじまりがあったのです。

「腐らせたやつだけが、次から手を抜かん。あんたもそうなる」

池田さんは、それだけ言って、また灰汁をかき混ぜました。

灰汁を足して、ふすまを入れて、石灰を打って、毎日かき混ぜる。三日目、匂いが変わりました。五日目、色が少し動きました。

七日目の朝、蓋を取ると、水面に小さな泡が集まっていました。

藍の華、といいます。

藍が建つと、甕の中は不思議な色になります。上から見ると黒に近い緑で、掬うと黄がかった琥珀。その水に浸けた布を引き上げて、空気に触れさせると、みるみる青に変わっていきます。染めているのではなく、空気が色を決めている。夫は、それを「藍が息をする」と言っていました。

池田さんが最初の一枚を染めてくれました。晒しの手ぬぐいです。引き上げて、絞って、広げて。緑から青へ変わっていく数十秒を、私と澪は黙って見ていました。

「これが、うちの色」

澪はそう言って、手ぬぐいの端をずっと握っていました。あの子は、父親が染めた布を、もう覚えていません。それでも「うちの色」と言ったのです。

パパ、帰ってきたよ

そのころから、澪の様子が変わりました。

私が土間にいる時間が長くなると、あの子は上がりかまちに座って見るようになりました。父親がそこにいたときと、同じ場所です。

ある日、澪が保育園でこう言ったと、松本先生から聞きました。

「もうすこししたら、パパかえってくるんよ」

先生は、返事に困ったそうです。私も、その話を聞いたときは胸が詰まりました。まだ分かっていないのだ、と思ったのです。

違いました。

あの子は、母親が甕を温めはじめたのを見ていました。腹が減ったら食べさせて、寒かったら温めてやる。父親がそう教えた、そのとおりのことを、母親がやっている。

だからあの子は、準備が始まったのだと思ったのです。

藍の華が立った朝、私は澪を土間に呼びました。

あの子は甕をのぞき込んで、しばらく黙って、それから小さな声で言いました。

「かえってきた」

私は、違うよ、とは言いませんでした。

「うん。おかえりって、言うて」

澪は、手の甲で甕の縁を一度たたきました。父親がそうしていたのを、覚えていたのです。

「おかえり」

私は、そこで初めて、あの子の前で泣きました。九か月、一度も見せずにきた涙でした。

いい子にしとりよ

その晩、寝る前に、私は連絡帳を澪に見せました。

四つの子に読めるはずもありませんが、指でなぞって、父親の字だよと教えました。

「これ、パパが書いたと。あの朝、けんかしたって書いてある」

澪は、じっと見ていました。

「澪は、いい子にしとらんかった?」

こくり、と首を縦に振りました。九か月、この子はそれを誰にも言わずに持っていたのです。

私は、あの子の手を取りました。

「いい子にしとりよ、は、お願いやなかとよ。パパが、いってきますって言うのが恥ずかしかっただけ」

これが正しい説明かどうかは分かりません。ただ、そのとき言えるいちばんまともな言葉が、それでした。

澪は、鉛筆を持ってきて、チラシの裏に何か書きました。

「かめさんへ ありがとう」

「かえして」ではありませんでした。

秋には園の芋掘りがありました。私は迷った末に行きました。泥だらけの子どもの列のいちばん後ろで、澪が両手に一本ずつ芋を持って立っていて、私を見つけると走ってきて、二本とも押しつけてきました。

「なんで二本」

「ひとつは、かめさんの」

甕は芋を食べません。それでも私は、その一本を土間の隅に置きました。いまも、そこに乾いたまま置いてあります。

いまも、六つのうち一つだけ

あれから一年が経ちました。

甕は、まだ一つしか建っていません。池田さんに言われたとおり、無理はしていません。染めるのは、注文の分だけです。

澪は五つになって、ひらがなはもう全部書けます。この前、保育園でお手紙ごっこをしたそうで、松本先生あての手紙を持って帰ってきました。中を見せてもらったら、宛名の下に、切手のかわりに四角い絵が描いてありました。

「これ、なに」

「かめさん」

あの子の郵便は、いまも土間の甕を通るようです。

朝、私は蓋を取る前に、手の甲で縁を一度たたきます。夫がしていたのと同じようにです。挨拶をしてから開けると、白いあぶくが少しだけ盛り上がっています。

返してくださいと書いた紙は、剥がさずに、蓋の裏に貼ったままにしてあります。

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