
父の四十九日が済んだ翌朝、サチさんは前掛けを外して、土間に深く頭を下げた。
「お役目は、これで終わりやと思います」
小豆島の春は、麦麹の発酵で蒸気が立ちこめる季節だった。
蔵の天井近く、小さな高窓から差し込む朝の光が、サチさんの白髪を淡く照らしていた。
その光の中に、四十年という時間が、ひっそりと立っているように見えた。
俺は、何と返事をしたらいいか分からなかった。
俺は二十九で、東京の食品会社で営業の仕事をしていた。
父が脳梗塞で倒れたのは、その年の三月の終わりだった。
救急車を呼んでから、二日も保たなかった。
父は六十八で、まだまだ蔵を仕切れるはずだった。
葬式が終わってすぐ、俺は会社に辞表を出した。
島に戻って、父の醤油蔵を継ぐ──そんな決意は、葬儀のあいだ一度も口にしていなかったのに、戻りの船に乗ったときには既に決まっていた。
父は生前、一度たりとも「継いでくれ」と言わなかった。
蔵のことは諦めているのだと、俺はずっと思っていた。
うちは小豆島の山あいで、明治の頃から続く小さな醤油蔵だった。
木桶を六本、二代がかりで揃えて、その木の呼吸に発酵を任せる古いやり方を、父は決して変えなかった。
木桶は、樹齢百年を超える吉野杉でできていて、表面は塩で白く粉を吹き、底のほうは醤油もろみの色で黒く沈んでいる。
父は寡黙な男で、蔵に入れば一日中、何の音も発てずに桶を見て回るのが日課だった。
もろみを覗き、櫂で軽く混ぜ、香りを嗅いで、それで蔵の一日が動いていた。
その隣に、いつもサチさんがいた。
俺が物心ついた頃には、もうサチさんは蔵にいた。
朝七時、前掛けを締めて土間に立ち、父に「おはようございます」と頭を下げる。
父は「おはよう」と返すだけで、それ以上の言葉はめったに交わさなかった。
二人は仲が悪いのか良いのか、子供の俺には分からなかった。
分かっていたのは、サチさんがいない日は、蔵が少しだけ静かすぎるということだけだった。
サチさんが「辞めさせていただきたい」と言い出したのは、四十九日の翌日だった。
俺は東京で覚えてきた書類仕事を蔵の事務机で広げていて、サチさんは麦麹の盤を一枚ずつ、別の場所へ運んでいた。
湿った木の匂いと、麹の甘い匂いが、土間に低く溜まっていた。
サチさんは木桶の前で前掛けを丁寧に外して、二つに畳んで、それを腕に抱えてから言った。
「お父さんが亡くなった以上、わたしの役目は、これで終わりやと思うんです」
「サチさん、何を言うんですか」
俺はとっさに立ち上がった。
「俺はこれから蔵を一から覚えなあかんのに、サチさんが居らんようになったら、この蔵は一年も保ちません」
サチさんは黙って、木桶の縁を指でなぞった。
七十二歳になる指は、長年の塩で関節がくの字に曲がり、爪は短く、丁寧に切り揃えられていた。
「圭一さん」
サチさんは、俺をそう呼んだ。
子供の頃から、ずっとそう呼ばれてきた。
「お父さんとな、約束しとったんよ」
「約束、ですか」
「いつかね、息子さんに蔵を継がせるまでは、ここにいるって」
俺は、その言葉の意味がうまく取れなかった。
「四十年前のことやよ」
サチさんは静かに、ひとつひとつ言葉を置くように話し始めた。
※
サチさんが蔵に来たのは、二十八のときだった。
夫を病気で亡くして、子供もいなくて、実家には戻れない事情があった──と、それだけはサチさんも、最後まで多くを語らなかった。
父はまだ独身で、祖父の代から続く蔵を任されたばかりだった。
「働き始めて三年が経った頃」
サチさんはもろみの匂いのほうに目を遣りながら、続けた。
「わたしも実家から呼び戻されることになったんよ。義姉が病気で倒れて、家のことを手伝わんといかんって」
「蔵を辞めるしか、なかった」
「あの日、お父さんに『辞めさせてください』って頭を下げた」
「父は──何と、言ったんですか」
「ちょっと待ってくれ、言うて、奥に引っ込んでね」
「十分くらい、黙って戻ってきた」
サチさんの声が、すこし掠れた。
「それでね、お父さん、わたしの前で頭を下げて、こう言うたんよ」
「『あなたが居らんようになったら、この蔵は潰れます』」
俺は、息を呑んだ。
父が頭を下げるところを、俺は人生で一度も見たことがなかった。
取引先の人に対しても、近所の人に対しても、父はいつも顎を引いただけで、決して深くは頭を下げなかった。
その父が──。
「『どうか、息子に蔵を継がせるまでは、ここに居てください』って、お父さんはわたしに言うたんよ」
サチさんは目を伏せたまま、ふっと笑った。
「あの頃、お父さんはまだ独身でね。子供どころか、奥さんも、おらんかった」
「『あなたが結婚するかも分からんのに、それを待つんですか』って、わたしは言うた」
「そしたらね、お父さん、また頭を下げて、『はい』とだけ言うた」
俺は、何も言えなかった。
蔵の隅で、麦麹の白い菌糸が、ゆっくりと盤の上で広がり続けていた。
「わたしは実家の事情を、何とか義姉の妹に頼んで、蔵に残ったんよ」
「それから四十年──毎朝、お父さんに『おはようございます』と言って、お父さんが『おはよう』と返してくれた」
「それだけのために、わたしは残ったの」
サチさんは、それ以上は何も話さなかった。
畳んだ前掛けを抱えたまま、ゆっくりと土間の入り口のほうへ向かい、最後に振り返って言った。
「圭一さん。お父さんの机の引き出しの、いちばん下、見てみとうみ」
「父の机を、ですか」
「うん。お父さんが亡くなった後、わたしには見る権利がないけんね」
「圭一さんが、見たほうがええ」
サチさんは、それだけ言って蔵を出ていった。
夕方の坂道を、痩せた背中が小さくなっていく。
その後ろ姿は、息子の俺が知る限り、四十年のあいだ、ずっとあの坂道を上り下りしてきた背中だった。
※
蔵の奥、父の事務机の前に座ったのは、その日が初めてだった。
父の机は古い学習机を流用したもので、引き出しは三段。
上から二段までは、蔵の経理帳と、税理士からの古い書類で、ぎっしり詰まっていた。
いちばん下の引き出しを引くと、底に古い大学ノートが一冊、横たわっていた。
表紙は無地で、何も書かれていなかった。
俺は、その大学ノートを取り出して、机の上に置いた。
表紙の右下、爪で押したような小さなへこみが、いくつもついていた。
父が机の前で、何度も指で押さえながら考え事をしていたときの、痕だと思った。
ノートを開いた。
最初のページに、年と日付だけが上のほうに小さく書いてあった。
「昭和六十年四月一日──サチさん、まだいてくれる」
その一行だけ。
父の癖のある、傾いた字だった。
次のページ。
「昭和六十一年四月一日──サチさん、まだいてくれる」
その次。
「昭和六十二年四月一日──サチさん、まだいてくれる」
毎年、同じ日付。
同じ一行だけ。
ページをめくる手が、止まらなかった。
平成元年。平成五年。平成十年。
毎年、四月一日に、父は同じ一行だけを書き続けていた。
蔵の決算日でも、誕生日でも、父と母の結婚記念日でもない。
その日付の意味を、俺はようやく理解した。
サチさんが「辞めさせてください」と頭を下げた、あの日の日付だった。
父はその日を、四十年のあいだ、毎年、机の引き出しの底で、一人だけ思い出していたのだ。
平成十五年のページから先、字が少しずつ揺れていた。
父の手の力が、少しずつ落ちていたのだと思う。
それでも、毎年同じ場所に、同じ一行が記されていた。
「サチさん、まだいてくれる」
最後のページは、今年の四月一日の日付だった。
父が脳梗塞で倒れる、ちょうど一週間前。
その日のページにも、同じ一行が、震える字で書かれていた。
「サチさん、まだいてくれる」
そこだけ、最後に句点が打たれていなかった。
俺は、ページを閉じることができなかった。
父が結婚したのは、サチさんが蔵に来てから十二年経ってからだった。
俺が生まれたのは、その翌年だ。
つまり父は、サチさんに頭を下げたあと、十三年もの間、まだ存在しない息子のことを口実にして、サチさんを引き留めていたことになる。
父にとって、それが咄嗟の口実だったのか、本気の予言だったのかは、もう本人に聞きようがない。
分かるのは、サチさんがその四十年のあいだ、誰にも文句を言わず、一日も休まず、蔵の朝を支え続けたということ。
そしてその四十年のあいだ、父が一度も口にしなかった感謝の代わりに、毎年たった一行だけ、机の底に書き残してきたということ。
父の不器用な信頼は、机の底の、一冊のノートと、二文字の挨拶のなかに、閉じ込められていた。
俺は、ノートを胸に押し当てた。
蔵の高窓から、夕暮れの光が斜めに差し込んでいた。
木桶の縁が、その光で淡く光っていた。
※
翌朝、俺は六時半に蔵の戸を開けて、外の坂道を見ていた。
島の朝は、海から登る霧で道が白く滲んでいた。
七時を少し回った頃、坂の下から、自転車のベルが一度だけ聞こえた。
サチさんだった。
サチさんは前掛けを腕にかけて、いつも通りに歩いてくる。
俺は土間に立って、深く頭を下げた。
「おはようございます、サチさん」
サチさんは少し驚いた顔をしてから、ゆっくりと、少しだけ笑った。
「おはようございます」
そう返したあと、サチさんは前掛けを締め直して、木桶のほうへ歩いていった。
背中越しに、サチさんがひとこと、こう言った。
「明日も、蔵に来ますわ」
その声は、俺のほうを向いていなかった。
木桶の方を、向いていた。
四十年、毎朝サチさんに「おはよう」と返し続けた人が、いまそこに居ないこと──サチさんは、その人にも挨拶を返しているのだと思った。
蔵の隅で、麦麹が、ゆっくりと白い菌糸を広げ続けていた。
木桶のもろみは、今日も、誰にも気付かれない速さで、深い色に育っていく。
四十年、毎朝『おはよう』とだけ言った人がいた。
そして、その『おはよう』を四十年、受け取り続けた人がいた。
俺はその二人の朝の、ほんの先っぽに、ようやく立ったところだった。
父の不器用な信頼を、これから俺はどうやって受け継いでいけばいいのか──まだ、分からない。
分かるのは、明日もサチさんが、坂の下から自転車のベルを鳴らして来てくれるということ。
そして、俺が「おはようございます」と頭を下げるべき朝が、これから何度も続いていくということ。
蔵の高窓から、また一日分の光が、土間に落ちはじめていた。