
中学二年生の春、私は父に言った。
「もうお弁当、いらないから」
言った瞬間、まな板の上で父の手が止まった。
その日から二十年、私はあの台所で何が続いていたのかを知らなかった。
知ったのは、父が屋根から落ちた年の、にんじんの花の型を手に取ったときだ。
まな板の上には、いつもと同じ茶色いおかずが並んでいた。
卵焼きと、きんぴらと、ウインナー。
毎日毎日、判で押したように同じ三品が、アルミの弁当箱に詰められていた。
卵焼きは、砂糖が多くて、端が少し焦げていた。
きんぴらは、ごまが袋のまま振りかけてあって、いつも片側に寄っていた。
ウインナーは、切り目のない、ただの丸い形のままだった。
三品の並びも、いつも同じだった。
左に卵焼き、真ん中にきんぴら、右にウインナー。
父は、順番を変えるということを思いつかない人だった。
弁当箱は、父が現場で使っていたのと同じ形の、一回り小さいものだった。
金物屋で二つ買ったのだと、あとで叔母から聞いた。
「おそろいにしたかったんやろね」
叔母は笑ってそう言った。
私は笑わなかった。
十四の私にとって、父とおそろいであることは、いちばん知られたくないことだった。
茶色い三品の蓋
隣の席の美咲ちゃんの弁当は、小さなおにぎりにのりで顔が描いてあった。
ブロッコリーの隙間に、ミニトマトが宝石みたいに並んでいた。
蓋を開けた瞬間、周りの女の子たちが「かわいい」と声を上げる。
私の弁当は茶色かった。
どこから見ても茶色で、蓋をそっと斜めにして、中身を誰にも見せないように食べていた。
机の端に寄せて、教科書で壁を作るようにして、いつも下を向いて箸を動かしていた。
ある日、後ろの席の男子が私の弁当を覗き込んで笑った。
「うわ、茶色」
ただそれだけの言葉が、ずっと胸に刺さっていた。
その週、私は弁当箱を持って教室を出て、階段の踊り場で食べた。
踊り場は冷たくて、誰も来なかった。
三日目に、掃除のおばさんに見つかって、給湯室の椅子を貸してもらった。
「ここなら誰も来んよ」
おばさんはそう言って、私の弁当箱を見なかった。
見ないでいてくれる大人がいることを、私はそのとき知った。
給湯室には、湯の沸く音と、換気扇の回る音だけがあった。
窓の外にプールのフェンスが見えて、水がないまま日が当たっていた。
私はそこで、蓋を全部開けて食べた。
誰にも見られないと、茶色は、ただの茶色だった。
味は、たぶん、いつもより濃く感じた。
給湯室のおばさんは、そのあいだ何も訊かなかった。
三日目の帰りぎわに、一度だけ言った。
「うちの子も、茶色やったよ」
「おばさんが作っとったんですか」
「毎朝な。文句ばっかり言われたわ」
おばさんは笑って、雑巾を絞った。
その笑い方が、なぜか少し悔しそうに見えた。
それでも、四日目には教室に戻った。
隠れて食べていることを知られるほうが、茶色い弁当より恥ずかしかったからだ。
だから私は父に言ったのだ。
コンビニで買うから、もういらないと。
父は何も言わなかった。
背を向けたまま、まな板の上の卵焼きを見つめていた。
翌朝、台所に弁当箱は出ていなかった。
その翌朝も。
そのまま、父は二度と私の弁当を作らなくなった。
朝五時の青い火
母が旅立ったのは、私が五歳のときだった。
父は大工だった。
日焼けした腕に木屑をつけたまま保育園に迎えに来る父の手は、節くれだっていた。
繋ぐとざらざらして、少し痛かった。
それでもその手は確かに温かくて、私はその温もりだけは今でもはっきりと覚えている。
母のいない台所で、父は朝五時に起きていた。
現場に出る前の、まだ暗い時間に。
ガス台の青い火が父の横顔を照らしていたのを、寝ぼけた目で見たことがある。
大きな背中を丸めて、不器用な指で卵を割っていた。
殻が混じって、菜箸でつまみ出しているのを見たこともある。
あの弁当がどれほどの時間と手間の上に載せられていたのか、十四歳の私にはわからなかった。
「コンビニで買うから」と背中越しに言い残して、私は玄関を出た。
振り返りもしなかった。
その日の昼、私はコンビニでパンを二つ買った。
百二十円のあんパンと、百円の菓子パン。
財布の中身は、父が毎月渡してくれる小遣いだった。
茶色い弁当を断って、私は父の金で、別の茶色を買っていた。
そのことに気づいたのは、ずっとあとだ。
高校に上がってからは、購買のパンになった。
三年間、一度も弁当を頼まなかった。
頼めば作ってくれることは、わかっていた。
わかっていたから、頼めなかった。
文化祭の日、クラスで弁当を持ち寄ることになった。
私は前の晩、自分で卵焼きを焼いた。
焦げた。
父が台所に入ってきて、黙ってフライパンを取り上げ、焼き直した。
そのとき作られた卵焼きは、砂糖が多くて、端が少し焦げていた。
私はそれを、誰にも見せずに食べた。
父は、その晩も何も訊かなかった。
焼き直したフライパンを洗って、伏せて、風呂に入った。
廊下に、湯の跳ねる音だけが響いていた。
私は自分の部屋で、翌日の時間割を書いていた。
あの家では、いつもそうやって、別々の場所で夜が過ぎた。
大人になって、私は隣町の商店街で小さな和菓子屋を開いた。
餡を練り、生地を包み、季節ごとの色を指先でのせる。
自分の手で何かを作るという点で、父に似ていたのかもしれない。
けれど当時の私は、そんなことを考えもしなかった。
父とは盆と正月に顔を合わせる程度になっていた。
電話は年に数回、用件だけで終わる。
「元気か」
「うん」
「そうか」
それで受話器を置く。
父は昔から言葉の少ない人だった。
母が生きていた頃はもう少し話したのかもしれない。
私の記憶の中の父は、いつも黙っていた。
怒っているのでも悲しんでいるのでもなく、ただそこに静かに立っている人だった。
店を開いた年、父は一度だけ、うちの和菓子屋に来た。
暖簾をくぐらずに、通りの向かいから看板を見ていた。
私が気づいて外に出ると、もう角を曲がるところだった。
その晩、電話があった。
「看板の字、いいな」
「見に来たの」
「通りかかっただけだ」
通りかかるような場所ではなかった。
バスを二本乗り継がないと来られない町だった。
それから父は、二度と店に来なかった。
来ないでほしいと言ったことは、一度もないのに。
言わなくても伝わってしまうことが、この親子にはいくつもあった。
父はもう七十二になっていた。
大工はとうに引退していたが、近所の家の修繕を頼まれると断れない人だった。
父が捨てなかった種袋の話を読んだとき、私は自分の父のことを思い出して、しばらく手が止まった。
物を捨てない人というのは、たいてい、捨てられない理由のほうを抱えている。
押入れの上の棚
十一月の末、叔母から電話があった。
父が屋根から落ちた、と。
腰の骨にひびが入って入院していると。
命に別状はないが、しばらく動けないらしい。
私は店を閉めて、二時間かけてバスに乗った。
車窓を流れる田んぼの景色が黄土色に枯れていた。
それがなぜか、あの弁当の色に似ている気がした。
病院へ行く前に、実家に寄った。
父の着替えを取りに行くためだった。
玄関の引き戸を開けた瞬間、空気の薄さに胸が詰まった。
人の気配のない家は、こんなにも静かなのかと思った。
流しには茶碗がひとつだけ伏せてあった。
コンロの上には、使い込んだ片手鍋がひとつ置いてある。
冷蔵庫を開けると、豆腐と漬物と牛乳だけが並んでいた。
野菜室には、にんじんが二本あった。
一本は半分だけ使われて、切り口にラップがかけてある。
独り暮らしの人が、にんじんを二本も買うだろうか。
そのときの私は、ただ、父の食が細くなったのだと思った。
炊飯器の内釜は、洗って伏せてあった。
保温のランプは消えていたが、蓋の縁に、米粒が一つ乾いてついていた。
前の日の朝も、この家では飯が炊かれていたということだ。
朝の台所に一人で立ち続ける人の話を、私は他人事として読んだことがある。
水曜の朝だけ卵がふたつ減るという話だった。
読んだときは、少し切ない話だと思っただけだった。
屋根に上がった日の朝も、父は台所に立っていたのだろう。
水切りかごの隅に、小さな金属の型抜きが一つ転がっていた。
花の形をしていた。
百円均一で売っているような、薄い金属のものだ。
独り暮らしの老人の台所に、なぜ花の型抜きがあるのだろう。
そのときは、深く考えなかった。
着替えを探して寝室の押入れを開けたとき、上の棚から何かが落ちてきた。
アルミの弁当箱だった。
角が少しへこんでいて、蓋の表面に細かい傷がついている。
見覚えがあった。
あの弁当箱だ。
中学生のとき、毎朝この中に茶色いおかずが詰められていた。
蓋を開けると、中は空だった。
だが弁当箱の隣に、輪ゴムで束ねた紙の束が一緒に置いてあった。
料理雑誌から切り抜かれたページだった。
のりをハサミで切って顔を作る方法。
にんじんを花型で抜く手順。
ミニトマトをピックに刺して飾る盛り付けの写真。
ブロッコリーを小さな森に見立てるコツ。
切り抜きは何十枚もあった。
端が黄ばんで、何度もめくった跡がついていた。
いくつかのページには、父の字で小さくメモが添えてあった。
「にんじん 型抜き 百均」
「のり 湿気 注意」
「たこさんウインナー 切り方」
日付が書かれているものがあった。
いちばん古い切り抜きの裏に書かれた日付は、私が「いらない」と言った年の夏だった。
胸の奥で、何かが崩れた。
父はあのあとも調べていた。
私が知らないところで、どうすれば娘が恥ずかしくない弁当を作れるかを、ひとりで勉強していた。
たこさんウインナーの切り方を、七十近い大工の手で練習しようとしていた。
でも、もう作る機会は来なかった。
私が「いらない」と言ったから。
切り抜きの束を胸に抱いたまま、私は台所の冷たい床にしゃがみ込んだ。
声を上げて泣いた。
あの朝の父の背中が目に浮かんだ。
まな板の上の卵焼きを見つめていた、あの小さく丸まった背中。
十四歳の自分が言い放った一言の重さが、二十年近い時間を越えて、腹の底から込み上げてきた。
束のいちばん下に、日付の新しい切り抜きが一枚あった。
雑誌ではなく、新聞の折り込みチラシだった。
食品売場の広告で、にんじんのところに丸がついている。
日付は、去年の秋だった。
私は、その丸を指でなぞった。
去年の秋にも、父はこれを見ていたのだ。
それが何を意味するのか、そのときはまだ、考えが届かなかった。
病室の窓の十一月
病院へ向かうバスの中で、私は叔母の言葉を思い返していた。
屋根に上がる用事など、もうないはずだった。
「隣の佐々木さんとこの雨樋が外れとってね」
叔母はそう言った。
「断れんかったんやろ」
断れない人の骨は、たいてい、断れない場所で折れる。
病室の父は、ベッドの上に座って窓の外を見ていた。
腰にコルセットを巻いて、背中を丸くしている。
その姿は、私の記憶の中の大きな父より二回りほど小さく見えた。
「来たのか」
父はこちらを見ずに言った。
「着替え、持ってきた」
私はビニール袋を棚に置いた。
それから弁当箱を取り出して、父の前に差し出した。
父はちらりとそれを見て、すぐに目をそらした。
「……捨てとけ」
「捨てない」
「古いもんだ。使えん」
「使うよ」
父は黙った。
私は弁当箱をベッドの脇のテーブルにそっと置いた。
「明日、お弁当持ってくるから。病院のごはん、おいしくないでしょ」
父は答えなかった。
けれどその横顔の、頬のあたりが微かに動いたのを、私は見逃さなかった。
翌朝、私は実家の台所で弁当を作った。
卵焼きを焼いた。
きんぴらを炒めた。
ウインナーに切り目を入れて焼いた。
あの頃と同じ、茶色いおかずばかりだった。
ただひとつだけ、違うことをした。
切り抜きの束の中にあった手順の通りに、にんじんの花を抜いた。
水切りかごの型抜きは、押すと妙に軽かった。
力を入れなくても、すっと通る。
新しい型抜きというのは、こんなに切れるものだったろうか。
私はそのとき、逆のことを考えるべきだった。
小さなオレンジ色の花をひとつだけ、茶色いおかずの真ん中にそっと置いた。
父のささくれた手では上手くできなかっただろうことを、私の手でやった。
あの人が二十年かけてやりたかったことを、娘の指先がようやく受け取ったのだと思った。
病室に着くと、父は起き上がって窓を開けていた。
十一月の冷たい空気が、白いカーテンを揺らしていた。
テーブルに弁当箱を置くと、父はしばらくそれを見つめていた。
蓋を開けた。
茶色いおかずの真ん中に、小さなオレンジ色の花がひとつ。
父の指先が、にんじんの花の縁にそっと触れた。
「……不格好だな」
「お父さんに似たから」
父は笑わなかった。
けれど箸を手に取ったとき、その節くれだった指先が微かに震えていた。
にんじんの花を、いちばん先に口に運んだ。
ゆっくりと、確かめるように噛んだ。
それから父は、残りの三品を、左から順に食べた。
卵焼き、きんぴら、ウインナー。
二十年前と同じ順番だった。
「甘いな」
「お父さんのと同じ分量にした」
父は、そこで初めてこちらを見た。
何か言いかけて、やめた。
窓の外で、枯れ枝が一度だけ鳴った。
にんじんの花の型
その日の午後、病室に見舞いの客が来た。
作業着姿の、五十くらいの男の人だった。
父の下で十年働いた橋本さんという人で、私は子どもの頃に何度か会っていた。
橋本さんはベッドの脇の弁当箱を見て、懐かしそうに目を細めた。
「親方、これ、まだ持っとったんですね」
「……ああ」
「現場のときも、いっつもそれでしたもんね」
私は、聞き間違えたのだと思った。
「現場のとき、ですか」
「ええ。親方、毎日ご自分で作ってきなさって」
橋本さんは、当たり前のことのように言った。
「みんなで昼に丸太に腰かけて食べるでしょう。親方のだけ、いっつも真ん中に、にんじんの花が入っとりましたよ」
病室の音が、遠くなった。
「若い衆にからかわれとりました。親方、それ孫にでも作っとるんですかって」
「……父は、なんて」
「何も言わんかったです。ただ、次の日もまた入っとりました」
橋本さんは笑って、それから少し声を落とした。
「あれ、七年前に現場を上がるまで、ずっとでしたよ」
私は父を見た。
父は窓の外を見たまま、何も言わなかった。
あの人は弁当を作るのをやめていなかった。
やめたのは、娘に渡すことだけだった。
毎朝五時に起きて、茶色い三品を詰めて、真ん中ににんじんの花を一つ置く。
いつか「やっぱり作って」と言われる日のために、二十年、手を動かし続けていた。
私はその夜、実家の台所に戻って、水切りかごの型抜きを手に取った。
電球の下で、花の刃をじっと見た。
刃先は、白く光っていた。
研いだのではない。
百円で買った型抜きの刃は、二十年ぶん、丸くなっていた。
それでもよく切れたのは、切れる角度を、あの人の指が覚えていたからだ。
私は台所の電気を消して、それからもう一度点けた。
明るくなった流しに、茶碗が一つだけ伏せてある。
その隣に、私の茶碗を出して並べた。
二つになった流しを、しばらく見ていた。
私は型抜きを流しの縁に置いて、しばらくそこに立っていた。
翌朝も、私は弁当を作った。
にんじんの花を、二つ抜いた。
ひとつは父の弁当箱に。
もうひとつは、自分の分の、茶色い弁当の真ん中に。