母の買い物メモは絵だった

夕日と共に歩む風景

母から手紙が届いたのは、母がわたしの母になって、四十七年目の春だった。

封筒の宛名は、鉛筆で書かれていた。

一画ずつ、枡目を数えるような字だった。

差出人の欄には、ただ「みつえ」とだけあった。

わたしは五十六になっていた。

その日、勤め先の市立科学館では、閉館の日取りが決まったばかりだった。

三十年近く、わたしはそこでプラネタリウムの解説員をしている。

椅子が倒れて、天井いっぱいに星が出る。

暗闇の中で、四十分ほど喋る。

それが仕事だ。

封筒は、投影室の机に置いたまま、半日開けなかった。

嫌な予感がしたわけではない。

母の字を、わたしはそれまで一度も見たことがなかったのだ。

母がうちに来たのは、わたしが九つの秋だった。

柳並という、鋳物と旋盤の町だった。

木曽の支流沿いに背の低い工場が軒を並べていて、夕方になると、どこかで必ず金物を叩く音がしていた。

父はそのうちの一軒で旋盤を回していた。

手のひらに、油と鉄粉の匂いが染みついている人だった。

産みの母のことを、わたしはほとんど覚えていない。

覚えているのは、父が一年ほどのあいだ、味噌汁に入れすぎるくらいの豆腐を入れていたことくらいだ。

光江さんは、その工場の帳場にいた人だった。

来た日、光江さんは風呂敷包み二つを提げて玄関に立っていた。

「今日から、ここにおるでね」

それだけ言って、台所に入っていった。

わたしはその晩、味噌汁の豆腐が急に減ったことに腹を立てた。

九つの子どもというのは、そういうところで腹を立てる。

光江さんの買い物のメモは、絵だった。

冷蔵庫に磁石で留めた紙に、丸と、三角と、細長い棒が並んでいる。

大根と、卵と、豆腐。

父もわたしも、最初はそれを面白がった。

「これはイカか、タコか」

父が指すと、光江さんは手を止めずに言った。

「どっちでもええ。おいしいほう買うてきて」

そういう人だと思っていた。

字を書くのが面倒くさい、大雑把な人。

ずっと、そう思っていた。

光江さんは、夜になるとこたつで内職をしていた。

父の工場から回ってくる、小指の先ほどのバネを、決まった数だけ小袋に詰める仕事だった。

テレビの音を小さくして、指先だけを動かす。

一袋に二十四個。

わたしが横で宿題をしながら見ていても、光江さんは一度も数を間違えなかった。

「よう間違えんね」

「数はな、間違えんの」

そう言って、光江さんは指を止めずに笑った。

数はな、と言ったのだと、あとになって気がついた。

うちは新聞を取らなかった。

父が一度、取ろうかと言ったとき、光江さんは即座に断った。

「もったいない。テレビでええがね」

回覧板が回ってくると、光江さんは必ず玄関の下駄箱の上に置いた。

「あとで見るで」

そして父が帰ってくるまで、それはそこにあった。

年賀状も、父が声に出して読んだ。

元日の朝、こたつで、父が一枚ずつ読み上げる。

光江さんはみかんを剥きながら、うんうん、と頷いていた。

正月のその時間を、光江さんはひどく好んでいるようだった。

わたしは、字を読むのが億劫な人なのだろうと思っていた。

中学二年の秋、三者面談があった。

来たのは光江さんだった。

父は工場を抜けられない。

担任が進路希望の用紙を出して、保護者の記入欄を指した。

光江さんは鞄の中をしばらく探して、それから顔を上げた。

「すみません、眼鏡を忘れてしまって」

「あ、家でけっこうですよ」

「ほんとに、すみません」

帰り道、わたしは自転車を押しながら、少し前を歩く光江さんの背中に言った。

「眼鏡なんか、持っとらんやん」

光江さんは振り返らなかった。

「そうやったかね」

翌朝、用紙は父の字で埋まっていた。

丸っこい、旋盤工の字だった。

わたしはそれを鞄に入れて、何とも思わなかった。

その「眼鏡を忘れて」を、光江さんが病院でも役所でも判で押したように言うことに気づくのは、ずっとあとになってからだ。

中学で天文部に入った。

たいした理由はない。

理科の準備室に、埃をかぶった望遠鏡があったからだ。

柳並の空は、星を見るのには向いていなかった。

工場の水銀灯と、炉の明かりで、南の空はいつも薄く濁っている。

それでも堤防まで自転車を漕げば、北の方だけは少し暗くなる。

冬の夜、わたしは枯れた草の上に寝転んで、時間を潰した。

草が首筋にちくちく刺さる感触と、川から上がってくる冷たい匂いを、いまでも覚えている。

十時を過ぎると、堤防の下から自転車のライトが上がってくる。

光江さんだった。

「まだおるの」

「まだおる」

それだけ言って、光江さんは隣に立っていた。

寒い、とも、帰ろ、とも言わない。

十分か十五分、同じ空を見上げて、それから言う。

「なんも見えんね」

「見えとるよ。あれがカシオペヤ」

「ふうん」

「ふうん、て」

光江さんは笑った。

その笑い方が父に少し似てきたな、と思ったのを覚えている。

高校に入って、望遠鏡が欲しくなった。

準備室のものは、鏡の縁が曇って、星がにじんで見えた。

新品は買えない。

父は何も言わなかったが、その年の暮れ、押し入れから中古の鏡筒が出てきた。

工場の同僚が息子に買ってやって、使わなくなったものだという。

接眼レンズが一つ足りなかった。

そのレンズが、春先にいつのまにか揃っていた。

わたしは父がどこかで手に入れたのだと思って、礼も言わなかった。

二年の夏、天文部で山へ合宿に行った。

前の晩、光江さんは台所で握り飯を二十個握った。

一つずつ、竹の皮で包んだ。

「そんなにいらん」

「みんなにやりゃあええがね」

朝、鞄に入れると、包みの一つに紙が挟んであった。

紙には、丸が三つと、その下に短い線が引いてあった。

わたしにはさっぱり分からなかった。

山の上で、部の連中に見せたら、誰かが言った。

「団子じゃねえの」

結局それが何なのか、わたしは聞かないまま四十年が過ぎた。

いま思えば、あれはたぶん、星だった。

光江さんの買い物メモは、年々うまくなった。

大根の葉に、細い線が三本増えた。

卵は二つ並べて描かれるようになった。

豆腐は、四角の中に細かい網目が入った。

「絵がうまなったな」

父がからかうと、光江さんは真顔で言った。

「上手にならんと、忘れるでね」

その言い方に、わたしはなぜか、少しだけ引っかかった。

引っかかったが、深くは考えなかった。

十七の頭は、自分のことでいっぱいだった。

高校二年の冬だった。

風呂から上がると、居間で光江さんがわたしの観測ノートを膝に広げていた。

方眼紙に、その日の天気と、雲量と、見えた星の名前を書きつけただけの、なんでもないノートだ。

それでも、わたしは頭に血が上った。

「勝手に見るなよ」

取り上げたとき、ノートの角が光江さんの手の甲に当たった。

「ごめん」

光江さんはそう言って、台所に立っていった。

蛇口の水音が、いつもより長く続いた。

わたしは自分の部屋に上がって、ノートの頁を確かめた。

汚れも、折れも、なかった。

なんだ、と思って、そのまま忘れた。

高校三年の秋、進路を決めた。

「東京の大学に行きたい。天文の学科がある」

夕飯の途中でそう言った。

父は箸を止めなかった。

光江さんが、味噌汁の椀を置いた。

「あかん」

「なんで」

「あかんもんは、あかん」

「金なら奨学金がある。バイトもする」

「そういうことやない」

「じゃあ何なんや」

光江さんは、しばらく黙っていた。

そして、テーブルの端に置いてあった大学の資料に目を落として、言った。

「そんな遠くの学校の紙は、うちには読めん」

わたしは、その言葉をこう受け取った。

読む気もない、と。

「あんたには関係ないやろ」

言ってから、続けた。

「あんた、おれの母親やないし」

父の箸が止まった。

父は何も言わなかった。

光江さんも、何も言わなかった。

換気扇だけが回っていた。

願書は自分で書いた。

保護者の欄も、自分で埋めた。

合格したことも、引っ越しの日取りも、家では言わなかった。

言わずに済ませられることが、そのころのわたしには勝ちのように思えた。

出発は三月の末、始発の電車だった。

玄関に光江さんはいなかった。

台所で背を向けて、鍋の中をかき混ぜていた。

「行ってきます」

返事はなかった。

駅まで来たのは父だけだった。

改札の手前で、父は油の匂いのする手で、わたしの肩を一度だけ叩いた。

「まあ、やってみやあ」

それが、父と交わした最後のまともな会話になった。

父は、二年後の冬に旅立った。

工場で倒れて、そのまま静かに眠るように逝った。

葬儀のあいだ、光江さんはほとんど喋らなかった。

香典返しの手配も、寺との段取りも、父の弟がやった。

わたしは、この人は何もできない人になってしまったのだと思った。

四十九日が済んで東京に戻る朝、光江さんは玄関まで出てきた。

「体に気ぃつけて」

「うん」

それだけだった。

以来、二十年以上、わたしと母は、その程度の言葉しか交わさなかった。

盆と正月に二泊して帰る。

仕送りは断った。

帰るたび、玄関の下駄箱の上に郵便物が積んであった。

役所の封筒、保険の案内、町内会の紙。

わたしはそれを座敷でまとめて開けて、いらんもんばかりやな、と言って重ねた。

母は台所から、そうかね、とだけ返した。

三日分でも、半年分でもなく、いつも半年分だった。

そのことに、わたしは一度も引っかからなかった。

母は一度も東京に来なかった。

来ないのだと思っていた。

来られないのだとは、考えたこともなかった。

四十七年目の春の手紙を、わたしはその晩、投影室で開けた。

便箋は一枚だった。

全部、ひらがなだった。

〈とおるへ

げんきですか

ずっと いえなかったことが あります

あのとき ほんとうに よめませんでした

みつえ〉

三十八年前の台所の声が、そのままの調子で耳の奥に戻ってきた。

わたしは投影室の椅子に座ったまま、天井の暗い半球を見上げていた。

その週の日曜、柳並に帰った。

母は七十七になっていた。

台所は、四十七年前と同じ位置に冷蔵庫があった。

磁石で留めた紙には、大根と、卵と、豆腐の絵があった。

「あれ、まだやっとるの」

「癖やでね」

母は湯呑みを二つ出した。

手紙のことをどう切り出せばいいのか分からず、わたしは茶をすすっていた。

先に口を開いたのは母だった。

「押し入れ、開けてみて」

上の段に、風呂敷包みがあった。

ほどくと、大学ノートが積んであった。

表紙に、番号が振ってある。

一から、三十五まで。

一冊目の、一頁目。

〈わたしのなまえ おおもりみつえ〉

鉛筆で、大きく、震えた線で、それだけが書いてあった。

日付は、父が旅立った年の四月だった。

「夜間中学」

母は湯呑みを両手で包んだまま言った。

「隣の市にあるでね。バスで四十分」

「……いつまで」

「去年まで」

三十五年だった。

母は九つで奉公に出されている。

学校には二年しか行っていない。

自分の名前の形だけを、見よう見まねで覚えた。

読むことは、できなかった。

父はそれを知っていて、代わりに全部読んでいた。

年賀状も、回覧板も、病院の紙も。

「新聞な、朝、玄関に落ちとるやろ」

「うん」

「あれをな、一人で拾うのがいやでね」

「なんで」

「読めん紙が、毎朝うちに入ってくるのが、いややったんよ」

わたしは何も言えなかった。

眼鏡を忘れた、と母は四十年言い続けた。

一度も、忘れてなどいなかった。

元日のこたつで、父の声を聞きながらみかんを剥いていた母の横顔が浮かんだ。

あれは、聞いていたのではない。

読んでもらっていたのだ。

「あんたが、東京の学校の紙を持ってきたやろ」

「うん」

「あの紙な、保護者の名前を書くとこがあったんよ」

覚えていない。

覚えていないが、あった。

母は立ち上がって、簞笥の一番下の引き出しを開けた。

茶色くなった紙の束が出てきた。

わら半紙の裏。

チラシの裏。

工場の伝票の裏。

そのぜんぶに、同じ四文字が並んでいた。

大森光江。

大森光江。

大森光江。

線が震えている。

途中で止まっている。

はねが、消えかけている。

いちばん下の紙の端に、鉛筆で「60・10」とあった。

昭和六十年十月。

わたしがあの夕飯で怒鳴った、翌月だ。

「反対したんは」

母はそこで初めて言葉に詰まった。

「反対したんは、あんたが行くのが嫌やったからやない」

「……」

「あの欄をな、うちが書けんかったからよ」

わたしは紙の束を膝の上に置いたまま、動けなかった。

高校二年の冬の居間が、急に目の前に戻ってきた。

膝の上に広げられた、わたしの観測ノート。

蛇口の水音。

あの晩、母の膝の上で、わたしのノートは逆さまだった。

思い出したのは、それだけだった。

けれど、それだけで足りた。

母は読んでいたのではない。

読めない字を、それでも眺めていたのだ。

上と下を、間違えたまま。

「あんたの字だけはな」

母は湯呑みの底を見ていた。

「いちばん先に、読めるようになりたかった」

わたしは一冊目のノートを、頁の順に繰った。

名前のつぎに、「あ」から「ん」までが並んでいる。

そのつぎの頁に、二文字だけ、やけに大きく書いてあった。

〈ほし〉

鉛筆を何度もなぞったらしく、紙が薄く光っていた。

「先生がな、好きな言葉を書いてみましょうって」

母は、こたつ布団の縁を指でなでていた。

「ほかの人は、家族とか、健康とか書いとったよ」

わたしは、その二文字から目を離せなかった。

母が四十年前に膝の上でひっくり返して眺めていたノートには、その二文字が何百も並んでいたはずだった。

三十五冊目のノートの間から、薄い紙が一枚落ちた。

眼鏡屋の領収書だった。

日付は、わたしが高校一年の春。

品名の欄に、片仮名で「アイピース」とある。

「これ」

「工場の人に、紙に書いてもらってな」

「持っていったの」

「壊れたほうを、そのまま持っていって、これと同じのくださいって」

三十年以上、あれは父がやったことだと思っていた。

十月の最後の日曜が、科学館の最終投影だった。

その回だけ、わたしは原稿を持たずに投影室に入った。

母は、いちばん後ろの列の通路側に座っていた。

上着を膝の上でていねいに畳んでいた。

明かりが落ちる。

プラネタリウムには、字がない。

説明のパネルも、字幕もない。

暗闇と、声と、光の点だけだ。

四十分のあいだ、母は一度も、読まなくてよかった。

冬の星から始めて、春の星をひととおり回して、最後に夏の天の川を出した。

柳並の空では、一度も見えたことのない濃さで出した。

途中、カシオペヤのところで、わたしは少しだけ言葉を足した。

北の空に、Wの形に五つ並んでいる星のことです。

町の明かりが強い場所では、なかなか見つかりません。

それでも、そこにあります。

見えていないだけです。

暗がりの中で、後ろのほうの席から、小さく咳払いのような音がした。

投影が終わって明かりがついたとき、母はまだ天井を見上げていた。

「なんも見えんね」

堤防のときと同じ声だった。

「見えとったよ。あれがカシオペヤ」

「ふうん」

「ふうん、て」

母は笑った。

いま、わたしは月に一度、母に手紙を書く。

ぜんぶ、ひらがなで書く。

母はもう漢字も読めるのだから、そこまでせんでいいと言う。

それでも、ひらがなで書く。

そして、文字の脇に、下手な絵を添える。

大根と、卵と、豆腐。

母はいつも、絵のほうから先に見るらしい。

先月の返事には、こうあった。

〈えは へたなままで ええよ〉

封筒の宛名を、わたしは去年から変えた。

「大森光江様」ではなく。

「おかあさんへ」と書いている。

四十七年かかった。

それでも母は、そこをいちばん先に読む。

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