
母から電話があったのは、東京が雨の火曜日だった。
仕事を終えて、浅草の路地を歩いていたときだ。
「腰を痛めてな、階段が上がれへん」と母は言った。
「病院は行ったの」
「行ったよ。大したことないって言われた。来なくていいから」
そう言いながらも、電話の向こうで咳をした。
俺は翌朝の新幹線を予約した。
北陸新幹線で二時間半。
金沢の駅を出ると、四月なのに風が冷たかった。
タクシーで香林坊を抜けて、古い団地に着く。
エレベーターのない四階建てで、母は四階に住んでいる。
築四十年以上のコンクリートの階段を上がりながら、俺は子供の頃のことを思い出した。
毎日ここを走って上がって、ランドセルを放り投げて台所に向かった。
母はいつも台所にいた。
煮物の匂いがして、ラジオが鳴っていた。
ドアを開けると、その匂いが今も同じようにした。
「あんた、来たの。大げさやね」
母が台所から声をかけた。
腰に手を当てながら立ち上がろうとするのを、俺は慌てて止めた。
「座っとってや。俺がやるから」
母は観念したように、また椅子に腰を下ろした。
台所の水屋には、使い込まれた鍋や椀が整然と並んでいる。
子供の頃から変わらない景色だ。
壁の掛け時計も、水屋の取っ手も、窓の外に見える屋根の並びも。
俺は急須でお茶を入れて、母に渡した。
母は両手で受け取って、少しだけ「ありがとう」と言った。
そういう人なのだ。
感謝も、心配も、愛情も、言葉にするのが苦手な人だった。
※
翌朝から部屋の整理を手伝うことにした。
「押し入れの奥が雪崩そうになっとる」と前日の夜に言っていたのだ。
押し入れを開けると、古い毛布や座布団の間に、段ボール箱がいくつも積まれていた。
俺の卒業アルバム。
学校の絵の具セット。
使い古したランドセル。
母は捨てない人だった。
何年経っても、俺が子供の頃に使ったものが、こうして押し入れの奥で眠っている。
「これ、全部とっておいたの」
俺が言うと、母は台所から、「捨てられへんのや」と答えた。
一番奥の段ボールを引き出すと、ずっしりと重かった。
中には古いアルバムや書類に混じって、アルミのお弁当箱が入っていた。
蓋の縁が少し錆びている。
中学に入学したとき、母が買ってくれたやつだ。
高校を卒業するまで毎日使った、くたびれた弁当箱だった。
懐かしくて、俺は蓋を開けてみた。
中は空だった。
でも何かが引っかかって、俺はもう一度、蓋の裏側を見た。
そこに、びっしりと字が書いてあった。
※
細いマジックペンで書かれた、小さな文字。
日付と、一言。
日付と、一言。
それが何十行も続いている。
1993年4月6日 「中学初日。緊張するな」
1993年4月12日 「雨。傘持ったか」
1993年9月14日 「体育祭。転ぶなよ」
1993年12月20日 「冬休み前。風邪ひくな」
1994年5月23日 「修学旅行。迷子になるな」
1994年10月1日 「今日から二年生やね」
俺は動けなかった。
日付と一言が、蓋の裏のほぼ全面に、隙間なく並んでいる。
六年分だ。
中学三年と、高校三年。
弁当を作った日、全部だ。
1994年12月25日 「クリスマスや。ケーキ買うとくね」
1995年2月14日 「テスト。落ち着けよ」
1995年7月20日 「夏休み。事故に遭うな」
1996年3月25日 「中学卒業。でかくなったね」
1996年4月8日 「高校始まった。友達できるといいね」
1997年2月5日 「受験勉強しとるね。えらいよ」
1997年7月19日 「夏休みや。遊びすぎるな」
1998年1月23日 「センター試験。ゆっくり読め」
1998年3月15日 「合格おめでとう。よかった」
1999年3月1日 「卒業式。よかったよ」
一番最後の一言を読んだとき、俺は深呼吸した。
「よかったよ」
たった四文字だ。
でも母の字で書かれた「よかったよ」は、俺の胸の奥の何かに触れた。
母は一度も、俺に「えらいね」とも「がんばったね」とも言わなかった。
父が早く亡くなって、女手一つで俺を育てながら、働きながら、それでも感情を表に出すことはなかった。
俺はずっと、母は不器用な人だと思っていた。
冷たい人だとは思わなかったけど、愛情を感じにくい人だとは思っていた。
「ありがとう」や「がんばれ」が照れくさいのか、それとも言う必要がないと思っているのか、いつも俺にはわからなかった。
でも母はちゃんと、毎朝俺のことを考えていた。
弁当を詰めながら、今日は何かあるかなと思いながら、蓋の裏にひっそりと言葉を残していた。
俺が見るかもしれない場所に。
俺が見ないかもしれない場所に。
※
母が台所に戻ってきた。
俺が弁当箱を持って立っているのを見て、一瞬だけ目を細めた。
「それ、出てきた?」
「お母さん、これ書いてたの」
母はしばらく黙っていた。
それから椅子を引いて、ゆっくりと座った。
「あんたが蓋の裏なんて見るわけないと思っとったから、書けたんや」
俺は何も言えなかった。
「弁当作りながら、今日は何かあるかなって思うやろ。体育祭とか、試験とか。そしたらひとこと書きたくなって。でも面と向かって言うのが恥ずかしくてね」
母は弁当箱をのぞき込んで、少し笑った。
「字ぃ、小さすぎて読めへんかったかな」
「読めるよ」
「そか」
それだけ言って、母はお茶を入れ始めた。
お茶を注ぎ終えると、母は窓の外を見た。
屋根の向こうに、薄い雲がかかっていた。
「卒業式の日にね、あんたが『よかった』って書きたくなってん」
ぽつりと言った。
「弁当のない日が来るって思ったら、最後にひとこと書いといたら、あんたが大人になったときに見つけるかもしれへんと思って」
俺は弁当箱を、もう一度見た。
毎朝、母はこれを書いていたんだ。
俺が起きてくる前に、台所で一人で。
言葉にならないものを、ここに書き留めながら。
見てもらえるかどうかもわからないまま、ずっと。
※
俺が和菓子の世界に入ったのは、高校を出てすぐのことだ。
金沢の老舗で十年ほど修業をして、二十七歳で東京に出た。
今は浅草の小さな和菓子店で、毎日練り切りを作っている。
練り切りというのは、白餡を染めて成形する生菓子だ。
桜なら薄紅色。
菊なら黄金色。
春の光のような萌黄色。
ひとつひとつを、手の中で形にしていく。
大量生産はできない。
一個ずつ、丁寧に作るしかない。
俺はずっと、なぜ自分が和菓子を選んだのかわからなかった。
手先が器用だったわけでも、菓子が特別好きだったわけでもない。
ただなんとなく、形に込めるということが、好きだったのかもしれない。
言葉にならないものを、手の中で作る。
母がやっていたのと、同じことだ。
そう思ったら、少し温かいものが胸を通り過ぎた。
※
金沢の実家に三泊して、東京に戻った。
駅のホームで母と別れるとき、母はまた「来なくてよかったのに」と言った。
「よかったよ」と俺が言うと、母は少しだけ顔をそらした。
弁当箱は、母の押し入れに戻した。
捨てないでと言うと、「当たり前や」と母は答えた。
東京に戻ってしばらくして、俺は店の菓子箱の底に、小さな紙を入れるようになった。
熨斗紙の下の、誰も気がつかないところに。
「今日も来てくれてありがとう」
「寒い中、遠かったでしょう」
「良い一日になりますように」
客は気づかないかもしれない。
箱を開けて、菓子を出して、そのまま終わりになるかもしれない。
でも気づかれないくらいがちょうどいいと、俺は思っている。
見てほしくて書くんじゃない。
ただ、そこに置いておきたい。
母がそうしていたように。
毎朝、弁当箱の蓋の裏に、俺への言葉を残しながら。
誰にも言わずに、ずっと。