悲しい時は泣くんだよ
秋田・大館の曲げわっぱ工房で、妻は樺縫いの最後のひと針だけを、毎晩かならず翌朝へ残していました。妻を失った冬、四つになる娘の一言と、老いた職人の静かな証言が、そ…
秋田・大館の曲げわっぱ工房で、妻は樺縫いの最後のひと針だけを、毎晩かならず翌朝へ残していました。妻を失った冬、四つになる娘の一言と、老いた職人の静かな証言が、そ…
徳島の藍師の家に生まれた私は、母が誕生日に必ず作るかきまぜを手抜きだと思っていました。母を見送ったあと、古い飯台の底に刻まれた二百八十七本の線が、四十年の沈黙の…
母子家庭に育った私に野球を教えてくれたのは、四つ上の兄でした。投げる前に必ずカーブと一声かけていた本当の理由を、通夜の晩に初めて知ります。天童の駒師になった兄が…
越前の谷にあった小さな駄菓子屋。お金のない子にだけ、婆ちゃんは白い紙で菓子を包んでくれました。立ち退きを迫られたあの日、三十人の大人が黙って店の前に並びます。二…
タオル工場で三十年、白い生地の傷を探し続けた母。傷を見つけるたびに結んでいた赤い一本の糸には、娘が二十四年ものあいだ気づかなかった意味がありました。母がためらわ…
背中を向けたまま何も言わない父でした。合格の日に病室から掛かってきた一本の電話と、物置のブルーシートの下で五年ものあいだ鳴りつづけていた小さな音の正体。浜松のピ…
萩の夏みかん菓子屋に十八で住み込んだ私が、亡き師匠の遺した一本のテープを聞いたのは、その娘の結婚式の日でした。二十年ものあいだ剝がれたラベルの名前を読み違えてい…
雪深い二月の花屋に、小さな女の子がたった一人で花を買いに来ました。片方だけ握られたミトンと、母のために選んだオレンジのチューリップ。花屋の主人が何年経っても忘れ…
妻の入院中、北海道十勝の酪農家である私が、息子の遠足の弁当を作ることになりました。牛乳を入れすぎて崩れた卵焼きと、まだ字の書けない四歳が渡してくれた一枚の手紙。…
妻の連れ子だった娘を、鬼瓦を彫る職人の私は十二年かけて育てました。血の繋がらない父娘に向けられた世間の冷たい目、そして結婚式で娘が静かに明かした「鬼の裏に彫られ…
尾道の坂下の小さなパン屋に毎週日曜、若い父と三歳の男の子が来る。注文はクリームパンと『おかーちゃんのぶん』。眠り続ける母への贈り物と思われたパンに隠された、三歳…
セメントの町で三交替に就いた兄は、夜勤明けの朝、必ず弟の運動靴を爪先だけ外へ向けて直してから上がりました。その小さな癖の本当の意味と、閉めた覚えのない扉。半年前…
血の繋がらない兄が、身寄りを失った中学生の私を引き取り、大学まで出してくれました。新潟三条の研屋で、兄が十年間だけ研がずにいた母の菜切り包丁。そこには、あと一度…
両親が消えた冬、十一歳の兄は六歳の弟をたった独りで守り抜いた。万引きで捕まり引き離されて四十年、閉店間際の市場を訪ねた弟は、乾物屋の老婆から兄の秘密を聞かされる…
記録的な大雪で三日間も孤立した郡上の集落。配給の列で壊れたラジコンを抱えた男の子に、中学生の少年が自分のものを差し出しました。その底に残っていた四角い跡が語る、…