うちの物置には、ブルーシートを掛けた四角い塊があった。
自転車を出すたび、俺はその角に膝をぶつけた。
何が入っているのか、親父に訊いたことは一度もない。
訊いても答えないだろうと、はなから思っていた。
親父は、そういう人だった。
※
親父は浜松の楽器工場で、四十年ピアノを作っていた。
整音の係だったと知ったのは、ずっとあとのことだ。
ハンマーのフェルトに針を刺して、音を柔らかくする。
硬い音は、刺してほぐす。
柔らかすぎる音は、刺さずに残す。
それだけの仕事だと、親父は言っていた。
針を刺すと音が柔らかくなるというのが、子供の俺には長いこと信じられなかった。
硬いものを刺したら、もっと硬くなりそうなものだ。
だが親父の手にかかると、鳴りすぎていた音が、ふっと丸くなるらしい。
「刺しすぎたら、戻らんぞ」
それは、俺に言ったのではなかったと思う。
手元を見ながら、自分に言っていた。
親父の指先には、いつも白い毛が付いていた。
フェルトの毛だ。
風呂上がりでも取れなくて、湯呑みを持つと、湯気にゆらゆら揺れた。
朝は五時に出て、夜は七時前に帰ってくる。
帰ると茶の間の座卓の前に座って、飯を食う。
背中を向けたまま、こちらを見ない。
「今日、どうじゃった」
そう訊くのはいつもおふくろで、親父は箸を止めもしなかった。
※
俺は次男だった。
兄貴には厳しかった。
門限を破れば怒鳴ったし、一度、頬を張ったのを廊下から見たこともある。
俺には、それが一度もなかった。
怒られないというのは、そのころの俺には、興味がないということだった。
高校を決めるときも、親父の言葉はひとつだけだった。
「お前がいいなら、それでいい」
それきり、進路の話は出なかった。
テストの点が落ちても、帰りが遅くなっても、何も言われない。
言われるのはいつもおふくろで、俺はそれに文句を言う。
その繰り返しの中に、親父はいなかった。
親父の家は、浜松の、天竜川に近いほうの社宅だった。
窓を開けると、隣の棟の物干しと、その向こうに工場の煙突が見えた。
日曜の午後になると、どこかの部屋からピアノの音が聞こえた。
工場の人の家は、なぜかピアノがある家が多かった。
うちにはなかった。
日曜に親父が家にいる時間は、短かった。
昼過ぎに起きてきて、縁側で新聞を広げる。
読んでいるのか寝ているのかわからない姿勢のまま、二時間ほどそこにいる。
おふくろが掃除機をかけると、黙って足を上げる。
それが、俺の見ていた休日の親父だった。
一度だけ、その縁側で親父が鼻歌をうたっているのを聞いたことがある。
知らない曲だった。
「それ、なに」
訊いたら、鼻歌はぴたりと止まった。
「なんでもない」
それきり、家で親父の歌を聞いたことはない。
※
兄貴は、親父に殴られた翌日でも、平気で飯を食っていた。
「あれは、慣れじゃ」
高校のとき、兄貴は俺にそう言った。
「お前は羨ましいのう。何も言われんで」
俺は、そのとき初めて、羨ましいと言われる側なのだと知った。
兄貴は続けて言った。
「殴られるんは、まだええんじゃ」
「なんも言われんのは、な」
言いかけて、兄貴は口を閉じた。
そのあと二人で黙って、テレビの野球中継を見た。
だが、その意味がわかるまでには、まだ二十年かかった。
※
小学三年の秋、俺は一度だけ、ピアノを習いたいと言ったことがある。
同じ団地の子が習っていて、発表会で拍手をもらっているのを見たからだ。
言ったのは夕飯の席で、相手はおふくろだった。
親父は、いつものように背中を向けて箸を動かしていた。
おふくろが「お金がねえ」と笑って、それで話は終わった。
次の月、俺は少年野球に入って、ピアノのことは口にしなくなった。
覚えているのは、それだけだ。
あの晩、親父が何か言ったかどうかも、覚えていない。
※
中学に上がってから、親父は毎晩、茶の間の隅で何かをしていた。
新聞紙を敷いて、その上に小さな木の部品を置く。
先の細い、針を何本も束ねた道具で、白いフェルトを刺す。
ぷつ、ぷつ、と音がする。
テレビの音より小さいのに、その音だけはよく聞こえた。
一度、何をしているのかと訊いた。
「仕事の残りだ」
それだけだった。
俺は、工場の持ち帰り仕事だと思い込んだ。
それから五年、その音は毎晩続いた。
おふくろは、その音を「親父の癖」と呼んでいた。
「あれが始まったら、もう寝る時間じゃけえ」
確かに、音が止まると、家の中が急に静かになった。
俺が試験勉強で夜更かしする晩は、音が長く続いた。
今にして思えば、あれは合わせてくれていたのだと思う。
だがそのころの俺は、うるさいとしか思っていなかった。
一度、机を叩いて「静かにしてくれ」と言ったこともある。
その晩から一週間、音は聞こえなかった。
八日目の夜、また、ぷつ、と鳴った。
俺は襖の向こうのその音を聞きながら、なぜか、少し安心して眠った。
※
親父が倒れたのは、俺が高校二年の冬だった。
血管が詰まる病気だと、おふくろは言った。
入院と通院が続いて、途中で一度、手術もした。
見舞いには行った。
行ったが、病室で何を話していいかわからなかった。
親父もこちらを見ずに、窓の外の駐車場を見ていた。
十分もすると、俺は「じゃあ」と言って立ち上がる。
「おう」
それだけで、面会は終わった。
廊下に出ると、いつも足が速くなった。
あとから聞いた話がある。
担当の看護師さんが、おふくろに言っていたそうだ。
親父は、俺の受験の日を看護師さんに訊いていた。
訊いた翌日から、毎日、廊下の端まで歩く練習を始めたという。
手すりを持って、休み休み、三往復。
看護師さんは「無理はやめてください」と何度も止めたらしい。
それでもやめなかった。
三月に入ってからは、五往復に増えたそうだ。
看護師さんが理由を訊いたら、親父はこう答えたという。
「電話をかけるのに、息が上がっとったら、みっともないけえ」
みっともない。
あの人は、生涯その言葉をよく使った。
廊下の端には、公衆電話があった。
※
※
三年の受験のころには、親父はだいぶ良くなっていた。
良くなったといっても、まだ廊下を歩くのに手すりがいる。
第一志望の合格通知が届いたのは、三月の、風の強い日だった。
おふくろはちょうど病院にいた。
携帯なんてない時代だ。
俺は封筒を持ったまま、電話の前をうろうろしていた。
夕方、おふくろから電話が来た。
今から帰る、晩飯を買って行く、という用件だった。
合格を伝えると、受話器の向こうで大きな声が出た。
「ほんとに!」
「ほんとに、あんた、受かったん!」
病院の窓のほうから、風の音が入ってきた。
「お父さんにも、言うとくけえね」
「うん」
「あんた、ようやったねえ」
おふくろは同じことを三回言って、それから電話を切った。
病院の廊下だろうに、まるで気にしていない声だった。
※
それから二十分ほどして、家の電話が鳴った。
出たら、親父だった。
おふくろの話では、まだ一人で公衆電話まで行ける状態ではなかったはずだ。
「親父、何やってんだよ」
「寝てなきゃ駄目なんじゃないのか」
受話器の向こうで、少し息を整える音がした。
あの息の音を、俺は長いこと、病気のせいだと思っていた。
違った。
あれは、廊下の端まで歩いてきた人の息だった。
「馬鹿、俺なんかどうでもいい」
「それより、受かったんだってな」
「……ああ」
また、少し間があった。
「そうか」
「よかったな。おめでとう」
そこから先、何を話したのか、俺は本当に覚えていない。
受話器を置いた瞬間に、目の前が滲んだ。
台所の蛍光灯が、輪になって伸びた。
立っていられなくて、電話台の横に座り込んだ。
あの人が、俺に「おめでとう」と言った。
それだけのことが、どうしてこんなに重いのか、自分でもわからなかった。
※
おふくろが帰ってきたとき、俺はまだそこにいた。
買ってきた惣菜の袋を三和土に置いて、おふくろは黙って俺の横に座った。
言葉にならない声で、親父から電話があったと伝えた。
おふくろは「そう」と言って、それからゆっくり話しはじめた。
親父の父親は、親父が四つのときにいなくなったこと。
工場の寮で、まわりの大人に育てられたようなものだったこと。
だから、父親というものをどうやればいいのか、最後までわからなかったこと。
「兄ちゃんには、怒鳴るしかできんかったんよ」
「あんたには、怒鳴るのが怖かったんじゃて」
俺が小学校に上がる前、親父は一度だけ本気で俺を叱ったことがあるらしい。
そのあと半年、俺は親父に近寄らなくなったという。
覚えていない。
だが親父は、それをずっと覚えていた。
「近寄らんようになるんが、いちばん怖かったんじゃと」
「じゃけえ、何も言わんようになった」
おふくろは、そこで一度、鼻をすすった。
「あの人は、下手なんよ」
「ほんとに、下手なだけなんよ」
おふくろは、それから思い出したように付け足した。
「あんた、中学のとき、県大会出たじゃろ」
「あの日な、お父さん、球場のフェンスの外におったんよ」
知らなかった。
「なんで入って来んかったんだよ」
「入ったら、あんたが緊張するけえ、って」
「そんなわけあるか」
言ってから、俺は口をつぐんだ。
そんなわけがあるのだ、あの人には。
※
その春、俺は物置のブルーシートを剥いだ。
引っ越しの荷物を出すためで、他意はなかった。
下から出てきたのは、古いアップライトピアノだった。
外装はところどころ剥げて、脚の一本は木片を噛ませてある。
鍵盤の蓋を上げると、内側に、鉛筆の字があった。
俺の名前と、その下に日付。
昭和五十四年、十月。
俺が「習いたい」と言った、あの秋だった。
膝をついたまま、しばらく動けなかった。
横には、みかん箱がひとつ置いてあった。
中に、ハンマーが並んでいた。
一本ずつ、新聞紙にくるんである。
数えたら、十七本あった。
どれも、白いフェルトに細かい穴が無数についていた。
箱の底に、大学ノートが一冊あった。
日付と、鍵盤の番号と、短い言葉だけが並んでいる。
「まだ硬い」
「少し戻った」
「今日はやめる」
それが、五年ぶん続いていた。
最後の日付は、親父が倒れた年の、十二月だった。
ノートの前のほうを繰ってみた。
はじめのころは、一日に一本しか進んでいない。
「今日は一本。夜遅うなったのでやめる」
そんな行が何十も並んでいた。
途中から、数が増えている。
俺が高校に上がったあたりから、一晩に三本、四本と書いてある。
帰りの遅い夜は、そのぶん長く起きていたということだ。
※
あの晩、親父は何も言わなかったのではなかった。
次の月に、中古の潰れかけた一台を工場の伝手で引き取ってきていた。
俺が野球を始めたのは、その直後だ。
だから親父は、それを出さなかった。
出さないまま、直していた。
茶の間の隅で、五年間、ぷつ、ぷつ、と鳴っていたあの音は、仕事の残りではなかった。
あれは、うちのピアノのハンマーだった。
八十八本ある。
一本ずつ、硬い音を刺してほぐしていたのだ。
※
おふくろに訊いたら、あっさり答えた。
「知っとったよ」
「言うな言われとったけえ」
「いつ出すつもりだったんだよ」
おふくろは、少し困った顔をした。
「音が揃うたらって」
「揃うまでは、みっともないけえ、って」
四十年ピアノを作った人が、自分の家の一台を、五年かけてまだ揃わないと言っていた。
俺はその話を聞いて、笑おうとして、失敗した。
※
大学に受かった春、俺は結局、あのピアノに触らなかった。
触ってしまうと、何かが終わる気がした。
荷造りをしながら、シートを掛け直して、角を石で押さえた。
出る朝、親父は玄関まで来て、いつもの調子で言った。
「気をつけて行けよ」
それから、少し間があって、こう続いた。
「向こうは、湿気が違うけえのう」
意味がわからなかった。
今ならわかる。
木でできたものは、土地の湿り気で変わる。
あの人は、俺のことを、木のように心配していた。
それだけだった。
俺も「おう」と返した。
あの家では、それが精一杯の会話だった。
※
退院してから、親父は元の工場には戻れなかった。
倉庫の受け入れの係になって、六十まで勤めた。
あのピアノは、結局、俺が家を出るまで音を出さなかった。
社宅を出て、親父たちは市営の住宅に移った。
引っ越しのとき、荷物を減らせと業者に言われて、おふくろは一度だけ「あれ、どうする」と訊いたそうだ。
親父は、ひとことだけ答えたという。
「持って行く」
それ以上の説明はなかった。
新しい家の物置は前より狭くて、自転車を出すたび、今度は親父が角に膝をぶつけていたらしい。
出さないまま、俺は東京へ行った。
帰省のたび、物置のシートは掛け直されていた。
角の位置が少しずつ変わっていたから、時々は出して触っていたのだと思う。
※
親父の葬式の日、兄貴と二人で物置を開けた。
シートを剥いで、蓋を上げて、兄貴が真ん中のドの鍵盤を押した。
思っていたより、ずっと柔らかい音がした。
部屋の壁に吸われて、すぐに消えるような音だった。
兄貴が言った。
焼香が済んで、家に戻って、二人とも喪服のままだった。
兄貴は物置の前でしばらく立っていて、それからシートに手をかけた。
「開けるか」
「開けよう」
シートは、思ったより新しかった。
去年あたりに掛け替えたのだろう。
角を押さえていた石は、俺が二十数年前に置いたのと同じ石だった。
「これ、揃っとるじゃろ」
俺は、端から順に、ひとつずつ鳴らしていった。
八十八本、どれも同じ柔らかさだった。
どこで揃ったのかは、もうわからない。
ノートの最後の日付から、あとの記録はない。
つまり、退院してからの十数年は、書かずに直していたことになる。
兄貴が、蓋を閉めながら言った。
「親父な、整音の係になったの、四十過ぎてからじゃ」
知らなかった。
「それまでは、ずっと下の工程よ」
「木を削るほうな」
だとすれば、あの秋にピアノを引き取ってきたとき、親父はまだ整音の人ではなかったことになる。
できない仕事を、家で覚えようとしていたのだ。
五年かけて音が揃わなかったのは、下手だったからではない。
習っている途中だったからだ。
わからないが、揃っていた。
※
今、そのピアノは俺の家の居間にある。
娘が小学三年になった年に、運送屋を頼んで浜松から運んだ。
娘は毎日、下手くそに叩く。
叩かれるたび、フェルトは硬くなっていくらしい。
だから俺は、月に一度、針の束を持って蓋を開ける。
親父の道具箱は、そのまま貰ってきた。
針の束は三種類あって、どれを使うのかは、いまだにわからない。
いちばん短いのを使うと、失敗が少ない気がする。
刺しすぎると戻らないという言葉だけは、はっきり覚えている。
だから、迷ったら刺さない。
やり方は、誰にも教わっていない。
新聞紙を敷いて、その上に部品を置くところまでは、同じだ。
ぷつ、ぷつ、と音がする。
娘が、テレビを見ながら訊いてくる。
この前、娘が学校の作文で「父の仕事」を書いてきた。
読ませてもらったら、俺の本当の仕事ではなく、この作業のことが書いてあった。
「お父さんは、うるさい音をやさしくする仕事をしています」
間違っている。
その作文には続きがあった。
「お父さんは、ときどき、なにもしないで音をきいています」
「そういうときは、しゃべりかけないことにしています」
それを読んだ晩、俺は台所で洗い物をしながら、しばらく手が止まった。
娘は、俺の背中を見ている。
俺が、四十年ぶんの背中を見ていたのと同じように。
間違っているが、直せなかった。
「お父さん、それ何しとるん」
俺は、少し考えてから答える。
「仕事の残りだ」
嘘だ。
だが、そう答えるのが、いちばん正しい気がしている。