天国へ持って行きたい記憶

母の指先は、いつも少しだけ赤かった。

血ではない。

赤い木綿糸の毛羽が、指の腹の皺に入り込んで、洗っても落ちないのだ。

母は帰ってくると、まず台所で手を洗った。

石鹸を泡立てて、爪の際を古い歯ブラシでこする。

それでも赤は残る。

母はいつも、少し困った顔でその指を見てから、蛇口を閉めた。

母は三十年、白波のタオル工場で検反という仕事をしていた。

白波は、瀬戸内に面した小さな町だ。

朝、坂を下りると海が見える。

そのすぐ手前に、白い平屋の建屋が三棟並んでいた。

町の音は、ほとんどが織機の音だった。

遠くで誰かが板を叩き続けているような、絶え間ない音。

私はその音を子守唄にして育った。

白波では、生まれた子に最初に贈るのがタオルだった。

祝いにも、見舞いにも、別れにもタオルを持っていく。

どこの家の押入れにも、白い箱が積まれていた。

織り上がった生地を、光の下でゆっくり流して、傷を探す仕事だ。

検反台というのは、白い机に見えるが、じつは机ではない。

斜めに傾いた台に、下から蛍光灯の光が当たっている。

その上を、織り上がった白い生地が、ひと巻きずつ流れていく。

母はその前に立って、ただ、見る。

一日中、見る。

糸の飛び、織り傷、油じみ、耳のほつれ。

素人の目には、どこまでも白い布にしか見えない。

母はそこから、米粒ほどの狂いを見つける。

見つけると、母はその場所に、赤い糸を一本、結んだ。

きゅっ、と小さな音がする。

小学校の社会科見学で工場に行ったとき、私は初めてその音を聞いた。

同じ班の男の子が「魔法みたい」と言った。

私は少しだけ、鼻が高かった。

社会科見学の日、母は私を見なかった。

班が母の台の前を通っても、目を上げなかった。

生地は止まらないからだ。

帰りのバスで、隣の子が「あんたのお母さん、こわい顔しとったね」と言った。

私は「仕事やけん」と答えた。

その夜、母は珍しく、私の頭を二回だけ撫でた。

何も言わなかった。

工場には、代々伝わっている言い方があった。

先代の検反長という人が言い始めたらしい。

「一日の終わりに、天国まで持っていける反物を、一本だけ選んどけ」

一日に何十本と見る中で、これはよかった、というものを、頭の中に一本だけ残す。

そうしないと、傷ばかり見て帰ることになるからだ、と。

母はそれを、家でも言っていた。

夕飯のとき、私が学校の嫌なことを話すと、

「ほんで、今日の一本は」

と訊いてくる。

私は面倒くさそうに、給食のプリンがおいしかった、などと答えた。

母は「ほんならええ」と言って、それ以上は訊かなかった。

父は、私が四つのときにいなくなった。

病気だった。

写真は仏壇の上に一枚だけある。

母は父の話をほとんどしなかったので、私も訊かなかった。

ただ、母が工場の立ち仕事を三十年やめなかった理由は、子どもでも分かった。

検反は座れない。

一日八時間、光の前に立ち続ける。

母の膝は、私が中学生のころにはもう、雨の前に鳴るようになっていた。

高校生のとき、一度だけ、私のほうから訊いたことがある。

台所で、母が茄子のへたを落としていた。

「お母さんは、人生で一本だけ残すんなら、どれなん」

母は包丁を置いて、少しも考えずに答えた。

「あんたが生まれた日かな」

即答だった。

私は、なんとなく照れくさくて、

「そんなん、みんな言うわ」

と返した。

母は「そうかもしれん」と言って、また茄子を切り始めた。

その音が、いつもより少しだけ速かったことを、覚えている。

そのあと母は、茄子を切り終えてから、こう付け足した。

「あんたのは、まだ流れとる途中やけんね」

意味が分からなかったので、聞き流した。

いま思えば、あれは検反の言い方だった。

まだ台の上を流れている生地には、最後の判は押さない。

私は、母を「ママ」と呼んでいた。

呼ばなくなったのは、中学に上がったころだ。

母が、いちいち細かかったからだ。

制服のスカートの丈。

弁当箱の蓋の閉め方。

ノートの端が折れていること。

母は、私のいたるところに「傷」を見つけた。

朝、玄関を出るとき、母は必ず私を上から下まで見た。

その目つきが、検反台の前に立つときと同じだった。

友達の家に泊まった翌朝、その視線がないことに気づいて、少しだけ物足りなかったのを覚えている。

そのことは、誰にも言わなかった。

見つけては、直そうとした。

私は「お母さん」と呼ぶようになり、やがて何も呼ばなくなった。

母は検反の人だから、粗ばかり探すのだ。

そう思っていた。

思っていたというより、そう思うことにしていた。

母は、私の服のほつれを、赤い糸で繕った。

靴下の穴も、体操服の脇も、リュックの持ち手も。

白い体操服に赤い糸は、遠くからでも見える。

中学のとき、それが本当に嫌だった。

「なんで白い糸にしてくれんの」

「赤しか手元にないんよ」

「買うてきてよ」

「もったいない」

母はそう言って、話を終わらせた。

私は体育の時間、脇の縫い目を左手で押さえながら走った。

体育祭の前の晩、私は繕いをほどこうとしたことがある。

糸切り鋏を持って、電気を消した部屋で、赤い縫い目に刃を当てた。

けれど、ほどけなかった。

母の縫い目は、返し縫いが二重に入っていて、ほどこうとすると布のほうが裂けそうだった。

私はそのまま鋏を置いて、寝た。

翌日、赤い脇のまま走って、二着だった。

そういう子どもだった。

うちは、裕福ではなかった。

それなのに私は、男の子が苦手だという理由だけで、小学校から隣町の女子校に通わせてもらった。

電車で二十五分。

定期代も、制服代も、母のあの立ち仕事から出ていた。

それなのに私は勉強をせず、母は何度も学校に呼ばれた。

進級のかかった二月に、母は工場を早引けして、雨の中を参観に来た。

傘の柄を握っていた手が、赤かった。

私は廊下でそれを見て、目をそらした。

家に帰って、私は「来んでええのに」と言った。

母は「そうやね」と言った。

それだけだった。

あとで知ったのだが、母はその日、有給ではなく、欠勤で早引けしていた。

検反は代わりがきかない。

抜けた分の反物は、次の日に母が一人で見ることになる。

翌日、母は朝五時に家を出ていた。

私はそれを、参観に来たことへの当てつけだと思っていた。

やっと専門学校を出て、私は幼稚園の先生になった。

初めて給料をもらった月に、家にお金を入れた。

母はそれを、封筒のまま仏壇の引き出しに入れた。

「使うたらええのに」

「うん」

母はそう言ったきりだった。

そのころの私は、自分がやっと母に何かを返せていると思っていた。

思っていただけだった。

二十四のとき、私は妊娠した。

相手は四つ年下の、まだ学生の彼だった。

無計画だった。

彼は最初、産まないでほしいと言った。

私は家に帰って、母に言った。

「産みたい。けど、一人じゃ無理やと思う」

母は、何も言わずに立ち上がって、私の頬を打った。

打ってから、自分の手のほうを見ていた。

それから、母はその場に座り込んで泣いた。

「わたしに、まだ子宮があったら」

「代わりに産んであげられたのに」

母は、私が二十歳のときに子宮筋腫で子宮を取っていた。

そのことは知っていた。

でも、そんなふうに使われる言葉だとは思っていなかった。

その日から、母は毎晩、家計簿と通帳を出して机に向かうようになった。

私が今まで入れていたお金は、一円も使われていなかった。

母はそれを全部、私の名前の口座に移していた。

その通帳と、私の貯金を合わせて、私は引っ越しをした。

荷物を運び出す日、母は玄関に立って、段ボールの数を数えていた。

十七個あった。

そのうちの一つに、母は途中で赤い糸を結んだ。

「どれが割れもんか、分からんようになるけん」

そう言っていた。

私は「テープに書いてあるやん」と返した。

結ばれていた段ボールを開けたのは、引っ越して三日目だった。

中に入っていたのは、割れものではなかった。

私が小学校のときに使っていた、給食袋と体操服だった。

脇の縫い目に、赤い糸が走っていた。

母は二十年近く、それを捨てずに置いていた。

出産の費用も、そこから出た。

彼のことは、はっきり言えばまだ子どもだ。

それでも何とか話をして、今は二人で暮らしている。

彼は、産まないでほしいと言った翌週、私の部屋の網戸を直しに来た。

直せるとも言わずに、工具を持って来て、黙って直して帰った。

言葉より先に手が動く人なのだと、そのとき思った。

いまは、夜勤明けにお腹に耳を当ててくる。

お腹の子には、毎日話しかけている。

経過は、あまりよくなかった。

張り止めの薬を飲みながら、週に一度、病院に通っている。

まわりの人はみんな、無理をするなと言った。

諦めたほうがいい、という言い方をする人もいた。

そのなかで、母だけが違った。

「産みたいんやろ」

電話でそう訊かれて、私が「うん」と言うと、母は「ほんなら、それでええ」と言った。

それ以上は何も言わず、次の週には、干し椎茸と鰯の煮干しが段ボールで届いた。

引っ越しの荷造りをしていて、押入れの奥から母の道具箱が出てきた。

検反で使っていたものだ。

小さな鋏と、拡大鏡と、赤い木綿糸の巻きが三つ。

一つは使いかけで、あとの二つは新しいままだった。

その箱を持って、私は工場のミサヲさんを訪ねた。

母と三十年、同じ台に立っていた人だ。

ミサヲさんは箱を開けて、赤い糸を指でつまんで、笑った。

「これ、まだ持っとったんやね」

私は、ずっと訊きたかったことを訊いた。

母はどうして、傷を見つけるたびに糸を結んだのか。

そんなに丁寧に印を付けなくても、記録は帳面に書くのに。

ミサヲさんは、私の顔をしばらく見てから、言った。

工場の休憩室は、昔と同じ匂いがした。

糊と、蒸気と、少しだけ機械油の匂い。

窓から検反室が見えて、若い人が二人、光の前に立っていた。

その立ち方が、母とそっくりだった。

ミサヲさんは「立ってみるかね」と言って、私を空いている台の前に連れて行った。

光の当たった白い生地は、思っていたより眩しかった。

三十秒で目の奥が痛くなった。

傷は、どこにも見えなかった。

ミサヲさんが横から指をさす。

「ここ」

顔を近づけて、やっと分かった。

糸が一本、隣の糸に半分だけ乗り上げていた。

髪の毛の半分ほどの幅だ。

母はこれを、三十年、一日八時間、探し続けていた。

肩を落として、顎を少し引いて、瞬きが少ない。

「あんた、あれを傷の印やと思うとったんかね」

はい、と私は答えた。

「ちがうんよ」

ミサヲさんは、指で結ぶ真似をした。

「あれは、直せる、いう印や」

検反では、見つけた傷を二つに分けるのだという。

繕えば売り物になるものと、どうにもならないもの。

繕えるほうには、糸を結ぶ。

あとで補修の人が、その糸を目印に直す。

どうにもならないほうには、何も付けない。

そのまま、下の段のかごへ落とす。

「糸を結ばれん反物は、一遍も手をかけられんまま出ていくんよ」

ミサヲさんはそう言って、窓の外の白い建屋を見た。

「恵子さんはね、結ぶのが工場でいちばん多い人やった」

「あの人は、直せる思うたら、なんぼでも結ぶ人でね」

ミサヲさんは、湯呑みを両手で包んだ。

「あんたのお母さん、いっぺんだけ泣いたことがあってね」

参観の翌日の朝五時、二人きりの検反室でのことだったという。

手は止めずに、涙だけこぼしていたそうだ。

「なんで泣いとるんて訊いたら、目が乾いとるだけや、言うてね」

光の前に立ち続ける仕事だから、それは嘘でもなかったのだと思う。

母は、嘘をつくときも、半分は本当のことを言う人だった。

ミサヲさんは、それから少しだけ声を落とした。

「結ぶんはね、しんどいんよ」

結べば、そのぶん補修の人の手間が増える。

数字だけ見れば、落としたほうが早い。

「班長に、何遍か言われとったよ。恵子さん、あんた結びすぎやって」

それでも母は、結ぶのをやめなかったのだという。

私は、自分の体操服の脇を思い出していた。

赤い糸で、何度も何度も縫い直されたあの縫い目を。

母は、直せんもんには、糸を結ばんかった。

ミサヲさんは、帰りぎわに、もう一つ言った。

言うかどうか迷ったのだと思う。

玄関の外まで出てきて、それから言った。

「恵子さん、あんたを産んだときに、もう次はないて言われとったんよ」

産科でそう告げられていたのだと。

子宮を取ったのは二十年後だが、その前から、体はそういう体だった。

母は、それを誰にも言わなかった。

私が大きくなってからも、体のことを言い訳にしたことは一度もなかった。

膝が鳴っても、立ち仕事を替えてもらわなかった。

替わりのきかない仕事だから、と言っていた。

工場でミサヲさんにだけ、一度こぼしたのだという。

「一本だけやから、ようけ見とかんとね」

母は、そう言って笑ったらしい。

一本だけ。

あの言葉の意味が、そこでやっと分かった。

母が「あんたが生まれた日」と即答したのは、いい思い出を選んだからではなかった。

母には、その日しかなかったのだ。

三十年間、母はそれを一度も口にしなかった。

私はその一本を、さんざん粗末に扱ってきた。

思い返せば、母が私を叱ったことの中身は、いつも同じだった。

まだ直せるうちに、直しなさい。

そればかりだった。

来んでええのに、と言った。

赤い糸を、恥ずかしいと言った。

ママと呼ぶのを、やめた。

あの日、雨の廊下に立っていた母の手が赤かったのは、傘の柄のせいではなかった。

朝から糸を結び続けた手だった。

私はそれを見て、目をそらしたのだ。

先週、産着を出して洗った。

もらいものの古いもので、袖口が少しほつれていた。

私は裁縫箱を開けて、白い糸を探した。

白は、あった。

それなのに、私は母の道具箱から、赤い糸を取り出していた。

一本抜いて、袖口に通した。

結び目を作るとき、きゅっ、と小さな音がした。

聞き覚えのある音だった。

音は、記憶よりずっと小さかった。

検反室のあの音は、たぶん、あんなに響いてはいなかったのだと思う。

母の手元で鳴っていたから、大きく聞こえていただけなのだ。

指の腹に、赤い毛羽がついていた。

母へ。

もうすぐ、あなたの孫が生まれます。

きっと私は、いい母親にはなれません。

あなたみたいに、米粒ほどの狂いを見つけられる目も、まだ持っていません。

でも、これだけは覚えておきます。

直せると思ったところには、糸を結ぶこと。

何度でも結ぶこと。

結ばれた側は、その意味に二十四年も気づかないかもしれないけれど。

それでも結ぶこと。

私の一本は、もう決まっています。

たぶん、この子に初めて会う日になるのだと思います。

先週、あなたから小包が届きました。

中に、白いタオルが十枚入っていました。

どれも一枚ずつ、端に赤い糸で小さな結びがしてありました。

あなたは電話で「B反やけん、気にせんとき」と言いましたね。

気にします。

あれは、直せると思った人が結んだ印なのだと、私はもう知っています。

それでも、二本目を選んでいいのなら。

雨の廊下に立っていた、赤い手の人にします。

いつもごめん。

ありがとう。

世界で一番、尊敬しています。

もうすぐバーバになるママへ。

もうすぐママになる馬鹿娘より。

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