夫は靴を外へ向けて並べた
夫は毎晩、玄関で靴を外へ向けて並べ直しました。几帳面な小言だと思い、私は十年も腹を立てていたのです。隣の棟が燃えた冬の夜、その手つきの意味をようやく知りました。…
夫は毎晩、玄関で靴を外へ向けて並べ直しました。几帳面な小言だと思い、私は十年も腹を立てていたのです。隣の棟が燃えた冬の夜、その手つきの意味をようやく知りました。…
土曜の三時、最前列の右端にいつも同じ子が座っていた。照明が落ちた数秒だけ、その子は声を出せた。三十年後、閉館の決まったプラネタリウムに現れた整備士が、肘掛けに残…
湯屋の富士は、女湯の裾だけが四十三年ずっと白いままだった。絵描きが仕事を放ったのだと、私はずっと思っていた。廃業を決めた最後の夜、大阪から来た兄弟子が差し出した…
泣ける話。昭和の山頂測候所で三時間ごとの観測を続けた私と、雪の道を荷を担いで上がってきた歩荷の保坂さん。ひとりで冬を回したあの年、彼は三日に一度登ってきた。四十…
父が遺した十七の巣箱のうち、一箱だけがいつも空だった。三年ぶりに雪を掘り返した私を待っていたのは、いつのまにか増えた三つの箱と、十六の夏にこの高原へ来た青年の話…
炭鉱町の銭湯で、兄はいつも底にひびの入った木桶を選び、壁を三度叩いた。番台の私はそれを妹を急かす苛立ちだと思い込み、三十五年ものあいだ薄情な子どもだと決めつけて…
利根川べりの河岸の町で左官を続けた姉と、七つで黙ることを選んだ弟。父が最後に残した蔵の鏝絵の人影は、三つではなく四つだった——兄弟姉妹の泣ける話。六十四年後に白…
北関東の工業団地の町に転校してきた、日本語のたどたどしい同級生。わたしは一度だけ、彼を見捨てた。合唱コンクールの日、耳の聞こえないはずの彼の父が客席で立ち上がり…
教室で一年間声が出せなかった十四歳のわたしに、担任は給食の献立だけを読ませた。〈壁に読め〉と鉛筆で書かれた藁半紙。十四年後、声を失った恩師が病室で綴った一枚の筆…
子どもは望めないと告げられた日、私は好きだからこそ、彼に別れを切り出した。けれど彼は、裏の畑に植えた二本の若木の根元に、生まれるはずだった子の名を彫った名札を、…
兄の嫁として来た佐和子さんを、私は二十年「姉さん」と呼べずにいた。秋の川が兄を連れて行った日、親族の前で「この子は私の妹です」と言い切った人。その言葉の本当の意…
弟から掛かってきた、生まれて初めての電話。昭和三十年代の雪深い炭鉱町を舞台に、詫びてばかりの弟と約束を破った姉の最後の冬を描く泣ける話。弟の行李の底に眠っていた…
駅前の小さな時計店を継いだ婿の俺と、一度も直し方を教えてくれない不器用な義父。国家試験の合格を病室から不器用に祝う電話と、義父が四十年止めたままの形見の振り子時…
昭和の城下町の貸衣装店を舞台にした泣ける話。先に逝った父の黒紋付を、息子の祝言のために仕立て直してほしい——そう持ち込まれた一枚の紋付の裏地から、二十年眠ってい…
昭和の港町を舞台にした泣ける話。風鈴職人の私のもとへ、海から戻らぬ父のために、泣いてばかりの母を笑わせたいという男の子が訪れた。豆粒ほどの小さな風鈴に託した祈り…